今年のGWは10日間。
面倒な講義通いが無いのはありがたいけれど、出不精な10連休は有意義なものになるはずがなく、別段趣味もないのだから、私はただただ時間を持て余し、浪費するのである。実際、一昨年は永遠病床に臥していたし、去年は出かけた記憶も、そんな写真や動画の記録もない。本当に何もしなかったのだろう。我ながらあきれる。時間は有限なんだぞ、君。そもそも、休日というものは常日頃束縛された日々を送るからこそ意味を持つのであり、労働に勤しむわけもなく、勉学に励むわけでもない大学生にとって、大型連休にありがたみを感じられるはずがないのだ。だって普段の生活と大差ないもん。故に私がこの10連休を、楽しい思い出に昇華させることはまずないのである。でもまぁ、それならそれでかまわない。いつも以上にだらだらと過ごそう。
なんて思っていたところに表れたのが、部活である。
4月29日の昭和の日から始まり、今年は期間中の週日全てと祝日が重なったのである。大学が休みとなり、また世間で声高々に”大型連休”だの”10連休”などと騒がれていたのでつい失念していた。私の所属する航空部は休みの日にこそ、活動するのではないか。ウカツ。何たる愚行、なんという愚かしさよ。自由と平和を求めてやまない日本国民として、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞって祝い、感謝しなければならないというのに。私が住んでいるのは、働くことは禁止され、その日は外出でさえ逮捕されるという祝日があるインドネシアなどではなく、日本なのだ。いくら国民の祝日に関する法律で定められているとはいえ、休みになるのは大学だけ。引きこもっているより出かけることを推奨される始末。部活は休みにならない。あぁ、無為に過ごすことになる休日だったとはいえ、これでは休日出勤もいいところだ。社会の闇、ここに見たり。日本からブラック企業がなくならないのも納得である。しかしまぁ、部活で10日間すべてが消えるわけでもあるまい。数日活動参加して、あとはのんびりしていよう。
なんて思っていたところに、私の10連休を多事多端にする知らせが舞い込むのである。
新歓の体験搭乗とWT合宿だ。
あなや。。こうも私に休日を与えないというのか。普段忙しくしていないのもあるが、流石に予定多すぎではあるまいか。高校生時分ならいざ知らず、遅刻しそうな講義に少し走るぐらいで息切れするほど体力のない今の私に、そんなに活動できるだろうか(反語)。しかし、舞い込むなんて書き方をしたものの、事前に決まっていたことであり、これも運命(さだめ)である。なんだかんだ新入生と話すのは楽しいし、函館に行った友人や、卒業していったOBたちも活動に来るらしい。合宿も同期が企画するというのだ。ならば私も日本男児。腹をくくって、休日は部に捧げようではないか。このGW、無事に終えられるかはわからぬが、死なばもろとも。航空部と心中する覚悟はできている。骨は拾われずとも、後輩の足場ぐらいにはなってみせようではないか。いざ。
そうして、私のGWが始まったのである。
と、長々前口上を述べたものの、GW初日、4/27に私は活動参加していない。きさま何が心中だ、と思われるかもしれないが、許してほしい。最初に述べた通り、文章には少し誇張表現が入ってるでな。まぁアルコールの入った頭で深夜に書かれた文章。読者のネットリテラシーを期待している。
閑話休題
27日の活動はフライト活動とWT合宿に向けた整備だった。我々の活動は北の大地で行っているため、多くの他大航空部と違って冬季はフライトを行えない。この日はフライトシーズンが始まって2度目の週末だったため、今シーズン初フライトの者もいた(と思う)。実際の天気がどうだったとか、どんなフライトができたかとかは、活動に参加していない私にはわかりかねるので、割愛させていただく。ただクソ寒かったという話は聞いた。乙。そしてこの日の活動、フライトともう一つ大事な目的が、ウインチ整備である。5/2に合宿を控えているのだが、準備はまだ終わっていないのだった。前述の通り、シーズンオフの時期があるので、ウインチの整備ができるのは4月の中旬から。天気に惑わされつつ、準備するのはなかなか大変なのである。それでも順調に作業を進め、この日の作業で一通りウインチ周りの整備は完了。あとは合宿中にたくさん飛ばすだけとなった。(この時はまだ、WT合宿があんなことになろうとは知る由もなかったのだ…)

(新しく作り直した索端。合宿中にこれが使われたのは1度のみであった。)
4/28はフライト活動なし。しかし仕事があるのが航空部である。休みません、勝つまでは。を合言葉にこの日も出勤するのである。平成も終わるというのに、時代錯誤も甚だしい。しかし私も入社3年目。ここがどんな場所かはよく知っているのだ。この日のミッションは、私たち航空部のグライダー格納庫のお隣、陸上倉庫との荷物入れ替えを行うのである。航空部の抱える問題は、ブラック労働環境以外にもいろいろある。そのうちの一つが、倉庫老朽化による滞在禁止命令だ。ここ数年部員の憩いの場であった倉庫兼部室が、現在倒壊の危険があるため使用を制限されている。詳細は省くが、そんなこんなで冬の間倉庫の下敷きになったら困る機体を、お隣さんに預けていたのである。今回はその機体を戻す作業を行う。部員が気軽に集まれる場所を失うというのは、なかなかに痛手であり、寂しいものである。

(倉庫の中のKa7とKa8を取り出す。どちらも今は使っていない機体。重たいのである。)
この日の活動はこれだけではなかった。ウインチに使う道具の買い出しもしなければならない。この数日前もシンブルを求めて数か所ホームセンターを探し回ったのだが、どこも在庫切れであった。この日も2、3軒回ったのだが、手に入れられたのは1つのみ。とうに日は暮れ、腹の虫も鳴きだすころ。諦め半分で最後に寄った店で、遂に大量ゲットに至るのである。この話の笑いどころは、最終的に見つけた店が、最初から売ってないと思って探さなかった大学に1番近い店なのである。灯台下暗しとはまさにこのこと。しかも商品タグを見る限り、今までもずっとその店で買っていた模様。3、4、5、6年目が誰もそのことを知らなかったのが、また恐ろしい。その日の帰りは寿司をやけ食いしたのである。みんな、6mmシンブルはHomacに売っているからね…。

(写真はシンブル捜索中に見つけたおしり。黒いサポーターからのぞく白いおしり。丸出しのおしりの奇妙さに思わず1枚。)
4/29は体験搭乗初回。新入生を3人引き連れての活動だった。早朝からの活動で、1日退屈だったのではないだろうかと少し不安もあったが、3人とも「楽しかった、入部したい」と言ってくれていたと思う。疲れから記憶が捏造されてるかもしれないが、そういうことにしておこう。お世辞でもうれしいぞ。私は最近飛んでいないけれど、フライトに興味をもって、航空部の門戸を叩いて来てくれる人がいると、今後の部に少し安心がもてる。活動に積極的な人が増えれば、よりよく活動ができるようになるのではないだろうか。またこの日、2年生の姿がなんだか新鮮であった。当日参加してたのは2人だけだったが、どちらも1年の頃から部の仕事を任されていた2人である。や、頼りない先輩で、迷惑掛けて申し訳ないのだが。まだ体験だけれど1年生が活動にいて、2年生が先輩になって、自分が3年生になって。私にとって彼らはずっと後輩だけれども、彼らが先輩になった初の活動といってもいいのではないだろうか。感慨深いものである。昔は先輩に文句だけ言っていればよかったのだが(誤解を生まないように言っておくが、私は先輩方みんな尊敬してるし好きだぞ)いつの間にやら、そういうわけにもいかなくなっている。2年生の為に、これから出会う1年生の為に、先輩としてできることは何だろうと改めて考えるのである。まぁ、実際何してやれるかはわからんが…。

(離陸前の1年生と搭乗補佐するMAIKO。いい笑顔である。)
4/30も体験搭乗。この日1年生は1人だけだが、函館の水産支部に行った同期も参加するのだ。1月ほど前にも会ったのだが、やはり同期は特別である。この日のブログは彼女が書いてくれているので、割愛する。また、朝のブリーフィングでは「VMあいてますかね」というやたらOKNさんらしき声が聞こえた。本人だった。偉大な方である。そういえば、2日連続で活動に参加したのは今回が初めてかもしれない。気力はあるが、体力は残っていない感じがした。お疲れである。

(この日活動に参加した同期3人で撮った写真。3人で写真を撮れたことが嬉しく、また思った以上に嬉しかったことに吃驚した。今度はみんなで撮りたいものである。)
5/1は活動なし。疲れからか、1日をほとんど寝て過ごした気がする。この日から令和となった。元号が変わったからと言って特に何ということはないが、「目が痒くて、ずっと目を掻いてる天皇は誰でしょう。 答えは明治天皇(目、いじってんの)」という10年ぐらい前に父の発したしょうもないおやじギャグを思い出した。不敬罪。いや、父兄罪か、なんつって。…やはりこの日は相当疲れていたのだと思う。夕方に、2日からの合宿の荷物を部車に詰めて、早々に眠りにつく。そういえば、後輩から仕事の連絡が来ていた。海外に旅行中なのに仕事をするとは、えらいと思う。立派だ。
5/2はWT合宿の初日。合宿を行うのは確か6年ぶりのことであり、現部員誰しもが初めての経験だった。大会や遠征といえるものが七大戦しかなく、そこそこの不安を抱えながら臨んだ1日目は、雨が降った。いくら準備をしようともこればかりはどうしようもなく、仕方のないことなのだけれども。それでもやれることはあると、座学を行う。滝川に来て、教官や先輩とじっくり話す機会というのはあまりなかったのではないだろうか。為になる話ばかりだったように思える。フライトができなかったのは残念だが、これはこれでいい時間を過ごせたと思う。

(座学を行った時の写真。2年生には初耳の話も多かったのではないだろうか。)
5/3 合宿2日目。天気は晴れ。しかしとんでもなく横風が吹く。WTばかりかATも待機状態になった。WTを目的にした合宿のはずが、1発も飛ばすことなく2日終わってしまった。けれども嘆いてはいられない。この日も座学である。また、この日は多くのOBが訪ねてきてくれた。初日もそうだが、随分OBや、SATAの会員・教官たちに面倒見てもらっている。ありがたいことである。
フライトはできなかったが、部員の中には生き生きとした顔も見られたと思う。泊りの疲れはあるだろうが、新しく知識をつけて、理解を深めて、成長しているように(少なくとも私にはそう)みえた。実際、ウインチの話が聞けて良かったと何度か話してくれた後輩もいたし、熱心にメモをとっている姿は頼もしかった。

(雑魚寝をする野郎ども。湿気がすごいと聞いていたが、朝起きるとめっちゃ喉乾燥していた。ガンエイとかいう妖怪のせいらしい。ぼくだって快適な空間で寝たいですよ。)
5/4 WT合宿最終日。晴れ。横風はそこそこ強し。だがWTいけるぞ。最終日にして初のWT。いくら座学が為になったとはいえ、このままフライトをしなければ合宿の名前を変えねばならないところだった。準備してきたとはいえ、WTをやるのは半年ぶり。慣れない作業で、それでも少しずつ、思い出しながら、学びながらの作業となった。

(KNNさん写真どうもです。)
全てが完璧というわけではないけれど、十分実りのある合宿だったように思える。フライトを行えた日は1日のみだったが、時間ぎりぎりまで何度も飛んだ者や、1時間近く滞空した者もいた。特に2年生は知識をつけられたのではないだろうか。合宿の感想を何人かに訊いてみたところ、やってよかったという反応が多くて単純に嬉しかった。もちろん課題がないわけではないが、成功と言っていいのではなかろうか。合宿を発案したTMKに、慣れない中指揮を執ったKBに、整備を進めてくれたSTに、特になんも言わんけど、まぁそういうことだ。別にねぎらいの言葉なんてかけてあげないんだからねっ。また、OKNさんはじめ、MRさんFJWRさんHRSMさんSINさんKNNさんありがとうございました。読んでないと思うけど教官様方もありがとうございます。OB様だけでなく協力いただいた皆様に感謝。さてさて、お礼も程々にしておかないと嘘っぽく感じられるのでこれくらいにしておこう。どうせこんなブログ見てないでしょうし、お礼は直接言いますな。
私は絶対に合宿なんて企画しないし、出発前は楽しむ余裕なんてなかった。余裕というよりも、楽しめるとは思わなかった。それが今、やってよかったと感じているのは、後輩のおかげだと思う。彼ら、彼女らが頑張っている姿にだいぶ励まされたのだ。ありがとう。
こうしてWT合宿は終了。3日間はあっという間というほどでもないが、そこそこの速さで終了したのである。

(いい写真である。)
が、GWはまだ終わらない。それ即ち休日が続くことを意味し、それ即ち航空部の活動が続くことを意味するのである。合宿終わったからと言って、部員に休みがあるのか、そうは問屋が卸さないのが航空部。しゃぶりつくすは骨の髄まで。もう少しだけ続く。
5/5 こどもの日。どうやらこの日、浮かれてていいのは子供とこいのぼりだけであり、思春期を過ぎた大人たちは地に足つけて現実と戦わねばならないらしい。頻繁に宙に浮いてる航空部も例外ではない。今日は浮かれるわけにも、羽を伸ばすわけにもいかない。この日の仕事は、トレーラー滝川輸送である。古来より事件は移動中に起こるといわれている。移動中に要人は暗殺され、移送中に3億円は盗まれる。歴史的観点からみても、トレーラー輸送中に何かが起こるのは必至。気を引き締めねばならない。
0915に出発予定、オーバー。と計画したものの、やはり合宿の翌日。案の定ほとんど遅刻した。例にもれず私も倒れていた。なんだかんだで点検などに手間取り、出発は11時ごろに。おなかもすいて、気が抜けてきた頃に…。
あっ

(合宿を終えた翌日滝川へ向かう航空部員たち。疲れからか、不幸にも駐車場の電灯に追突してしまう。)
というのはもちろん冗談なのであり、元から折れ曲がっていた電灯の近くに停めたところ、それっぽく見えたというだけのこと。そもそも令和にもなって、暗殺なんてないし、3億円の紙幣ならまだしもグライダーはパクられるはずもなく、安全に運転して無事に滝川に到着したのである。ちなみにこの日の滝川、詳しいことは知らないが、フライト日和だったらしい。なんでや。帰りはしっかり給油(対人間用)して、つるぬまでアイスを食べ、部員御用達例の焼鳥屋に寄ったのだった。ヤンマーを食べ、ソフトクリームを食べ、「もう食べれないです~」と言った口で、焼き鳥を食べる可愛らしくも豪胆な部員がそこにいた気がする。

(ソフトクリーム。味はニンジン&グレープ。どんな味か想像つかなかったが、食べてみるといける。ごっつぁんです。)
この日はなんだか不思議だった。とても楽しかったのである。焼き鳥を食べる時に、偶然桜のきれいな開けた場所を見つけて、花見のようなこともできた。腹もすいていたし、合宿の疲れも残っていた。体調も万全ではなかった。それらはすべて、航空部の活動によるものだった。しかし最後の最後で、部の活動で元気をもらったのである。変な感じである。お前のせいで10連休大変だったはずなのに、最後楽しい思いをさせられて、なんだか許せてしまうのであった。なんというマッチポンプか。なんという単純な男か。私が乗っていたのは蟹工船ではなかったのか。まさに青天の霹靂。これには小林多喜二も腰を抜かす。
さて、ブログも終盤。ここで一度冒頭へ戻る。
私にとって基本的に休日とは、なにも予定がない日、出かけない日なのである。故に大学が休みであろうと、部の活動がある日は休日にはならず、精神的にも体力的にも疲弊するのみであった。始まる前はこのGW、ただただ疲れるだけだと思っていた。それがどうしたことか、確かに体は疲れているが、気分は存外悪くないのである。今まで活動を始めてこんなことは初めてだった。入部してよかったとつい思ってしまったほどだ。気の迷いだと思いたい。あまりにも疲れすぎていて、正常な思考ではなかったのだ。
5/6 GW最終日。活動なし。
そういうわけで、私は今ブログを書いているのである。10日間を思い出したが、充実していたのではないだろうか。認めたくはないけれど。実は私は、部活のことが嫌いではないのかもしれない。いつまでこんな風に思えるかはわからんが、少しだけ活動頑張ろうと思った。
おわり。