黒い霧から悪堕ちした妹が出てくるのっていいよね。
と思って書いたんですが、これは、ヤンデレだなと思いましたので、タイトルも修正しました。
予定外の状況だった。
ゴブリン退治の依頼を請けやってきたそこは、既に集落めいたものが出来ていたのだ。
対してこちらの戦力は二人の女性。
私と、最近私の後をついてくるようになった、ユリだけだ。
もちろん引き返し、体制を立てなおすといったことも出来ないでもない。
予定と違うと依頼者につっかえすことも可能だろう。
ただ、ここは首都からほど遠い辺境だ。援軍を呼ぶにも何日もかかるだろう。
報酬の上乗せも、おそらくあの経済規模から、今の額が精一杯だと思われた。
結局のところ、私達だけでやるしかない、そういう状況だ。
しかし勝目は、五分以下といったところだろうか。
ただ、私には一つだけ助力のアテがあったのだ。
事情によりあまり使いたくない、最後の手段と言って良いものだが、仕方がない。
「ユリは、ちょっとここで様子を見ていてくれないか」
あまり知られたくない、そのツテを使うために、私はユリに声をかける。
「はい、それはいいですけど、ミキさんはどちらに?」「……お花摘みなんだけど」
ユリは一瞬、あっ、という顔をしたあとで、小さな声で「いってらっしゃい」と声をかけてくれた。
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そこから暫く歩き、周りに誰の気配もないことを確認すると、私は呪文のようにそれを唱えた。
「ナノ、居るんでしょう?」
すると、私の目の前に、どこからともなく黒い霧が集まってくる。
「ふふ、大丈夫だよお姉ちゃん。私はいつもお姉ちゃんの近くにいるよ」
霧の中から聞こえる声は明るく、喜びに溢れている。
「安心して、ちゃんといつもお姉ちゃんのこと見てるよ」
黒い霧の中から、まるで闇のトンネルを潜ってきたかのように、幼い少女の顔が現われる。
「お姉ちゃんの声も、脈も、汗も、ほかにも、お姉ちゃんから出るものはぜえんぶ記録してるし」
少し顔を赤らめた彼女の首から下は、黒い霧が集まりながら、徐々に具現化していく。
黒い霧から変じた、無駄な毛の無い、ビニールのように異様に滑らかな肌を隠すことはなく
8歳程度の小さな背丈のくせに、私よりも膨らみのある胸をむしろ見せつけながら
「私ほどお姉ちゃんのことを知ってる人は他にいないんだから」
口が裂けそうなほどの笑みを浮かべ、全身を具現化したナノは私の前に浮かんでいた。
……彼女を呼びたくない理由のひとつが、この病的な愛だった。
ひとつ溜息をついたあと、私は目の前の、妹に告げる。
「ナノ、なら私の用事もわかっているよね?」
「あは。当然だよお姉ちゃん! 私のリミッターを外してくれるんでしょう? ワタシをもっともっと増やして、世界の全部をお姉ちゃんへの愛で包んでもいいんでしょう?」
「違う」「はぅ」
途端に早口になるナノへ、私は軽くチョップをかましながら断言した。
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ナノは、いわゆるマッドサイエンティストだった。
それは2年ほど前だ。ナノは、世界の全てを自らで満たすため、自らの人格を自己増殖可能なナノマシンへと移植したのだ。
そして増殖のエネルギーを得るために文明をぶち壊し、私が活躍できる世界にするため生体系を変化させ、私以外の人間の記憶の改竄を行った。
それに気付き、私が「もうやめて」とお願いしたことで、世界の改竄はストップしたのだ。
今の彼女には、能力にも、ナノマシンの総数にも制限がかかっている。
とは言え、人の細胞の総数、37兆程度のワタシがいるのだと、ナノは言っていた。
拡散すれば、世界で起きた事象はだいたい把握できるそうだ。
同時に制限のため、私の許可が無い限り、知る以上のことは出来ないが。
本人申告だが、私には嘘はつかないだろう。
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「お願いは、あのゴブリンの一部を眠らせてほしいだけ」
私の提示した『お願い』に、ナノはあからさまに不満な顔をして見せる。
「え、それだけ……?ねえ、私なら、ゴブリンを弱体化させてお姉ちゃんのこと英雄みたいにしたり、ゴブリンを物理的に消してしまったりも出来るよ。お姉ちゃんの手を煩わせないから、一言、ぜんぶ、ナノに任せるって言ってよ」
「だめよ」
ナノは事あるごとに、自身の権限を強くするお願いへと誘導してくる。
そうして、最終的にはナノなしではなにも出来ないようにし、リミッターを外させようと目論んでいるのだ。
私がナノの助力を得たくない大きな理由が、これだった。
「あのゴブリンをぜえんぶワタシにして、お姉ちゃんのこともっと愛することだって出来るのに……もっと、もっとお姉ちゃんのために働かせてよ……」
足をばたばたさせながら不満を足らす妹に向かい、私はチョップをかまし
「そんなに言うなら、もうお願いしない」と一言いうと、途端におとなしくなった。
「わかった。二人で無理なく倒せるように、10体ぐらいを残してあとは眠らせる感じでいいかな」
「それでお願い」
ナノはそれに頷いて「じゃあ行くけど……」と飛び去ろうとしながら
「でも」と、彼女は私の後ろの樹木を指さして
「あそこにいる娘の記憶を消すとかしないで、本当にいいの?」
と、にんまりと、唇の両端を大きく上に向けながら言ったのだ。
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その樹の後ろにいたのは、待っていろと伝えたはずの、ユリだった。
彼女は明らかに混乱し、震えていた。
「どうしてここにいるの」
「……だって、ミキさんがなかなか帰ってこないから、でも、あれ、なに……まもも、魔物じゃないんですか?」
「妹よ」
「だ、だって、飛んでるし、く、黒い霧から、出て……」
どうやら、ずいぶんと最初のほうから見ていたらしい。
「わた、し、どうなるんですか? 記憶消すとか……消されちゃうんですか?」
「そんなことはしないわ」
「……で、でも、そいつ」「妹よ」「なんでもやりそうな、人なんてどうとも思ってない、そういう……」
明らかに錯乱していた。
その原因である、後ろでにやにやしている妹を、とりあえず遠くにやろうかと思ったが……やめる。
ユリは最初から全てを見ている。なら、ナノが消えてしまうと、逆にどこでどうしてるかわからないということになる。
ユリにとっては、唐突にナノの腕が現われて、殺されてしまうとか、そういうことも考えてしまうはずだ。
なら……
「ナノ、とりあえず服を着なさい。あと飛ばないで」
「ふく? なんで? 服っていったって、それもワタシの一部だから、私にとっては裸と変わらないし?ワタシをもっと使うことになるから、お姉ちゃんの役に立てなくなっちゃうし」
「いいから服を着て。予定を変更するわ。ナノを含めて3人でゴブリンを全滅させる」
その言葉に、ナノは歓喜の声を上げる。
「え、あは、物理的に干渉していいの? ふふ!物理的に戦闘したら、ワタシが壊れちゃうかもしれないけど、その分は増やしてもいいんだよね! あはは!ワタシが減ったぶん、ワタシを増やせる!ワタシとワタシを交じらわせて、エネルギー食べて、殖やせるんだ!」
狂ったように笑う妹を後ろに放置して、私はユリの震える両手を、包みこむように握り、目を見ながら伝えた。
「不安にさせて悪かったわ。大丈夫、ユリに危害は加えさせないし、私が守る」
ふっ、ふっと、肩を震わせていたユリは、私の手の温もりが少しずつ伝わるにつれ、落ちつきを取り戻したようだ。
「ミ、ミキ、おねえ、じゃない、ミキさんが言うなら、大丈夫で、す」
おねえ……?
とにかく落ちついたようなので、手を離す。
「ナノ」呼びかけながらナノの方を振り向くと、彼女はいつの間にかフリフリの付いたドレスを身に纏っていた。
「こっちがユリ、挨拶しなさい」
ナノはとことこと小さな身体で走ってくると(あざとい)、
「私、ナノ。よろしくね」と、手を前に出した。
ユリはおそるおそる差し出された手を握り
「ユリで、す」と返した。
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そして当然のごとく、ゴブリンはけちらされた。
ナノが無駄にダメージをもらいながら、戦闘を長引かせていたが。
この後、ナノとユリが妙に意気投合し、暫く3人旅を続けることになるが
それはまた別の話。