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この作品「EP:３「渋谷の魔法少女」」は「剣持刀也/出雲霞/轟京子/春崎エアル/成瀬鳴」「バーチャルYouTuber」等のタグがつけられた作品です。

ちーちゃんパパのCVめっちゃ豪華で草文字数三万越えて草草…次回は金髪碧眼の彼が出...

EP:３「渋谷の魔法少女」

陰陽の者

2019年8月19日 16:20

ちーちゃんパパのCVめっちゃ豪華で草
文字数三万越えて草
草…

次回は金髪碧眼の彼が出ます。短めにしたい！

お借りした表紙↓
illust/47077437

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[newpage]

東京都渋谷区宇田川町　ハンズ通り

　センター街から抜けた巨大百貨店付近の比較的落ち着いたエリア。
　若者の集団がたむろする中に紛れて、岩永太貴は甥の剣持刀也と共にタブレットを覗き込んでいた。
『新手のフィリアーズは無事、魔法少女が討伐したみたいですよー』
　画面の中で奇妙なSF衣装を身に纏った少女が気だるげに報告する。
　彼女はハッカドール43号。通称すみちゃんとマスターである社築から親しまれている。なんせ愛しの1号から譲り受けた形見のような存在であるからにして。
「良かった。代々木公園っていうから焦りましたよ。ここからすぐじゃないですか」
「何にせよちーちゃんが素早く動いてくれてよかった」
『それが問題がありましてですね――』
　43号はすました顔でSNSの動画をポップアップで表示する。
　映し出された映像は民間人による、魔法少女が怪人を倒した後のものだった。毎度のこと顔と声が上手くブレているが、正体を知る岩永と刀也には、それが勇気ちひろ本人であるとすぐに判別が出来た。
　しかし問題というのは、ちひろのその後の言動であり。
　またたく間に拡散された『渋谷の魔法少女の本性』は早速物議を醸していた。
　――こんなクソガキに守れられてたまるか。
　――みんな助けてもらってるんだからもっと感謝するべき。
　などなど、ゼロかイチしかない二極化した無駄な意見が多く見受けられる中で、
「よーし」
　負けじと岩永も持論を展開しようと試みるが甥に止められてしまう。
「やめろやめろ。貴方、実名でやってて今も誹謗中傷が絶えないんですから。考えるなら彼女のアフターケアでしょう」
「確かに……。今日、じゃなくて明日くらいにでも連絡しようか」
「僕も幼女を元気づけるモノを色々と用意してみます。そうだ僕の手料理でも振る舞おうか」
「またカレーとかじゃないよね？」
「なに？　いいじゃないですか。カレー。なんの文句があるんだ」
「いや流石にもう……」
　飽きた、と言いかけて口をつぐむ。
　――あの子はきっと、先の将来の不安よりもヒーローヘの感心を失っているんだ。
　――今までのゲーム感覚とは訳が違う。俺や刀也くん、そして社さんと43号ちゃんが加わったことでヒーロー活動が活発になりすぎたのかもしれない……
「……やっぱり飽きるよな」
「は？」
　その後、一言えば百帰ってくる甥の口の猛攻から逃れつつハンズ通り辺りを歩く。
　休日にも関わらず比較的人気がない通りに入った。人気と人気が同じ漢字なように、周囲のカフェや雑貨店も逆に寂れた趣きを感じさせてしまう。周囲の若者は適当にうろついているだけで入る素振りはない。
「ところで、俺に新しい仕事を紹介してくれるって言ってたけど……なに？」
「もうすぐですよー。ってああ、ここか。影薄くて気づかなかった」
　そこはアラビアンを履き違えたかのような店であった。
　長年、外食を趣味としていた岩永はひと目で食べログ星評価の心許ない数が浮かんでくる。
「なにこれインド？　スペイン？　台湾？　どこ基準？」
「それがわからないんですよ。とにかく異国っていうことだけに重点を置いて後は適当なんでしょ」
「お客さんも全然入ってないなぁ……」
「まあまあ、とにかく入りましょうよ叔父さん」
　無理やり入らされた途端、芳しい甘い匂いが体を満たした。
　匂いだけでもう胃もたれしそうな甘さ――。
「おっ！　お客さん二名ご案内でーすっ！　……ってなんだ、刀也くんじゃん」
　渋谷に相応しいギャルの店員が現れた。
　刀也とは顔見知りなようで、客として来たわけではないとわかるやいなやカウンター席にふれぶてしく足を組み合わせて座った。
「お久しぶりです。轟さん」
「どうも～。で？　何のようだっけ？」
「この店が潰れかけということで経営のスペシャリストを連れてきました。コンサルタントですよコンサルタント」
「え？　コンサ、え？」
「あーこの人が例の……」
　ギャル店員――轟京子は、エプロンをはたいて立ち上がって岩永をジロジロと見回した。
　眼力に若干怯えていた岩永であったが、それよりも――
「いやいや、ちょっ！　その人って岩永太貴じゃん！」
　もう一人の若い店員が悲鳴を上げた。
　そう、こういう展開を恐れていたのだと岩永は顔に手をあてがう。
「あー紹介するね。ここのもう一人の店員――成瀬鳴先輩」
「待ってよ轟さん。俺、経営者が欲しいっていったけどアレ店壊すタイプじゃんか。物理的に」
「それめっちゃアウトローじゃね？　超イカスじゃん」
「俺的にアウトローは無し」
　鳴はソファ席に隠れながら腕でバツ印を作る。
　そうこうしていると、バックヤードからこの店のオーナーがようやく現れた。不思議な服を身に纏った爽やかさ満点の青年――
「僕が春崎エアルです」
　いきなり自己紹介。
　白い歯を見せて微笑んだ。
「この度はお呼び頂きありがとうございます。叔父のスキルがあれば、この店の人気は鰻登りで間違いなんじゃないかと」
「いやいやいや」
「何ですか」
「聞いてないよこんなの。今は、田角くんが見つかるまで在宅ワークで細々と……」
「言っときますけど、僕のバイト費と併せてようやくご飯が食べられてるんですよ。もう少し働いてもらわないと」
「あ、強制なんだ」
「その通り。貴方、カフェ経営の本沢山持ってるでしょ。興味は少なからずあったんじゃないんですか」
「後学の為だよ。それに、あれはよくある事例を集めたようなものであってこの立地とこの店じゃあ……」
　口では反論しつつも、経営の血が騒ぐのもまた事実。
　店の外装と内装からメニューの価格、店員に至るまで改良の余地が有り余る。
　興味が一切ないと言えば嘘になる。
「実は僕、異国の王子なんです。日本に逃げ出して異国の名産品を売り出したカフェを切り開いたものの……――」
　なんてことだ。
　あらすじまで興味をそそられるではないか。
「――良し。やりましょう。俺でよければ、この店を何とかしてみせます！」
「わあ！　ありがとうございます！　ありがとうございます！」
「えー……嘘だろ王子様……」
「時給あがっかなぁ～」
「…………」
　刀也は叔父の生き生きとした表情を尻目に、窓に面した席へと腰掛けた。
　早速、カフェの話題性を獲得するべく岩永の名を出すべきか、否かを討論していた。まずは優位性を獲得するべくあーだこーだとカタカナのビジネス用語を駆使してエアル、鳴、ギャルをぽかーんと置いてけぼりにしている。
「ふふっ……」
　頬杖をつきながらその様子を微笑ましく眺めて、それからテーブルに置かれていたスケッチブックを手にした。
　表紙には独特なフォントで『Kyoko』。
　服飾の専門学校に通う轟京子のものだろうか。
　彼女もまたファンなのか、一枚一枚捲る度に渋谷の魔法少女が描かれている。中には青い水彩画で青空に溶け込む魔法少女の姿があった。
「渋谷の魔法少女……か」
　しかしそれは、見方を変えれば――青空に呪縛された魔法少女となる。

[newpage]

東京都渋谷区笹塚　一空小学校

　翌日、月曜日の放課後。
　皆がランドセルを背負って帰宅する中で、一組のグループが固まっていた。席に座るちひろを取り囲むようにして。
「今日も来れないの？」
「別に習い事とかしてないよね？」
「…………」
「ちょっとちー、何かいいなよ～」
　亀裂の走る雰囲気をとりなすように花咲が柔和な口調で間に入った。
　遊びに誘われ、断るのはもう何度目だろうか。ちひろは俯いたまま答えない。答えることなんて出来ない。
「おーおーなんだなんだー？　いじめかー？」
　ここで教育実習生の御伽原江良が何故か興奮した様子で乱入してきた。
「違うよ江良ちゃん。ちひろちゃん、最近ずっと遊んでくれないの」
「悪いのはうち等じゃないよ」
「なるほどねぇ。でもさ、それってちーちゃんも悪くなくない？　本当はきっと皆と遊びたいんだよ？　ね？」
「……」
　こくり、とちひろはその代弁に頷いた。
「それなら……」と、納得した様子を見せた少女達に江良はぱんっと手を叩いてみせた。「んじゃあ帰った帰った。五時には帰んなきゃダメだよ～。私がさらいに行くからな～…………ねえ、今のPTAに訴えられないよね？」
「大丈夫でしょ。それより助かったよ江良ちゃん。ちー、かざにも黙ったままでさ」
「……ごめん」
「ごめんって。ねえ、かざにも言えないようなことなの？」
　むっとした表情で花咲が詰め寄る。
「ちょいちょいちょーい。堂々巡りだからそれ。ねー？　幼馴染にも言えないようなこと一つや二つくらいあるもんねー？」
「……」
　顔を覗き込むようにしてしゃがみ込んだ江良に、ちひろはまた頷いた。
「……っ」
　その答えが、花咲の反感を買う。
「なにそれ。この前だって、かざの誕生日パーティに来てくれなかったし！　もういい加減にしてよ！」
「おおふ……か、かざちゃん？」
「ちーなんてもう知らないから！」
「おおいっ！　そういうのは私がいないとこでやってくれぇ……」
　走り去ってしまった花咲を、ちひろは追いかけること無く帰る準備をし始めた。
　江良は花咲とちひろを交互に見て、逡巡した挙げ句花咲を追いかけることにしたのか教室を去っていった。

「ちーちゃん、あの……」
　ランドセルにぶらさがったシブマルが声を出すが、
「いい。お前が教えてくれなくてもヤーマンとすみちゃんが教えてくれる」
「そう、じゃないんだ。言いたいことがあって」
「なに」
「友達はさ、大切にしよう？　確かにいつ怪人が出てくるかわからないけど遊びを毎回断ることなんかないって」
「どの口が……かざちゃんの誕生日パーティーは、いけなかった。どっちみち、いつ来るかわかんないのに遊んでても楽しくなんかないから……」
「…………」
　シブマルは萎んだように縮こまった。
　彼女にここまで重圧をかけたのは、他でもないシブマルだったのだ。ヒーローという責任を我が物顔で押し付けていた。自分のことを棚に上げて。
　だからこそシブマルは――
「……！」
　意を決してランドセルのストラップから外れた。そしてランドセルの中から風呂敷に包まれたステッキを抜き取った。
「おまっ……なにやって……！」
「ずっと考えてたんだ。大いなる力には大いなる責任が伴う。その責任……けじめをここでつける――」

「魔法少女はもう、終わりにしよう」

「は…？」
　突然の宣告に、ちひろは戸惑いを隠せない。
「なに言ってるの？」
「君はもう、普通の暮らしを送った方がいい。このままちーちゃんが苦しむくらいならいっそ……」
「バカなこと言ってんじゃねえよ！」
　熱り立ってステッキを取り戻そうと試みるも、ひょいとシブマルが天井につくほど高く浮かぶ。
「勝手に決めんないでよ……！　ちひろがやめて、フィリアーズがまたすぐに出てきたらどうすんだっ！」
「それは……仕方ないよ。次の女の子を探すまで、俺が戦う。魔法を使うだけなら俺にだって出来る」
「お金は！？」
「岩永さんに頼んで――」
「ふんっ！　岩永さんもヤーマンも信用してるのはちひろなんだよ！　お前じゃない！　いいから返せ！！」
「これはちーちゃんのものでもないだろ！　魔法少女は……俺が始めたものなんだ！　最後に決める責任は、俺にある！」
「お前なんかオマケなんだよカスッ！」
　ステッキの範囲内により、現在のちひろは変身後と同等の感情の昂りを見せていた。
机を踏み台にシブマルを掴み、床へと引き落とす。
「こんなの、ちひろにしか出来ないんだっ……離せってぇっ……！」
「離さない。君には、もう無理だ。辞めたいっていったのはちーちゃんの方だろ……！」
　もみくちゃになりながら、ステッキを引っ張り合う。
　するとシブマルの下半身を入れた壺の中からスマホが溢れた。床をくるくると転がったスマホの液晶に――ハッカドール43号の姿が映る。
『やめましょうよ～。喧嘩はよくないですってぇ～』
　いつもと少し違う43号の声音、というよりキャラクターにちひろとシブマルがピタリと止まった。
　よく見ると瞳や衣装のカラーリングが新緑色に変化している。
『あれ、成功したかな？　実は43号には四つの人格タイプが選べる仕様になっているんです。今はcase03。協調性を重んじたキャラクターになっています』
　確かに、いつもよりも朗らかで柔らかい印象を受ける。
「…………」
　急場凌ぎではあるが、少し冷静になれたちひろは「で？」と一言で返す。
『実はまた渋谷区でフィリアーズが発生しました。目撃情報はセンター街。能力はまだ判明していませんが』
「一日置きに出やがって……」
　スマホを手に取り、ちひろはふとした暑さに額の汗を拭った。
　冷静さを欠いたとはいえ全身が熱い。ちひろは、教室に備え付けられた温度計を見て絶句する。
　まだ六月上旬というのに『30℃』を優に超えていた。
　それどころかまだまだ跳ね上がる。
「な、なんでこんな熱いの？」
『センター街は更に気温が上昇しています』
「まさかこれもフィリアーズの能力？」
『恐らくですが――』
　途端――教室のエアコンが自動的に作動した。
　エアコンの解禁は全校舎七月以降となっている筈なのに。
『なるほど。付近のネットワークに不法アクセスしたところ、各地で電化製品が勝手に作動しているようですね。特に排熱が多い製品が』
「どうして電気がついて熱くなっちゃうの？」
『ふふん。ではでは、43号のサイエンスタイム～ぱちぱちぱち～』
　液晶に見慣れた都会の町並みが映し出された。
　43号はこほんと咳払いして支持棒で指す。気分はすっかりお天気キャスターだ。
『ヒートアイランド現象。緑豊かな自然溢れる大地とは異なり、このコンクリートジャングルの都会では熱を溜め込みやすいんです。ですから、エアコンのファンや、車から排出される熱という熱が街全体にこもってしまう――これがヒートアイランド現象です』
「へえ～……」
「つまり、フィリアーズの目的は渋谷をヒートアイランドにすることなんだ」
『でしょうねぇ。なんせ電化製品の誤作動が確認されているのは、今のところ渋谷だけですから。それもわかりやすくセンター街』
「じゃあフィリアーズがそこにいるってことだよね？」
　ちひろはステッキを乱暴に掴み取った。
「待って。やめるって決めた筈だ」
「決めてない。やめたいって言ったけど、やめるなんて言ってない」
「そんな気持ちで戦うならやらなくていい」
「ちひろ以外にあてなんかないクセに」
　吐き捨て、ちひろは駆け出した。
　シブマルは43号もといスマホを壺に入れてちひろの後を追う。
　屋上へと飛び出し、ランドセルをひと目のつかない場所に放ったちひろはステッキを宙に突き出す。
「変身！」
　七色のオーラが少女を包み込む。
　ツインテールに青のドレスへと可憐にドレスアップした魔法少女は、屋上を強く踏み込んでセンター街まで飛翔した。

[newpage]

魔界城エンシェントサークル

　漆黒に閉ざされた王座の間――。
　魔女は、今日も水晶から美少年たちの箱庭を眺めていた。
　狂おしいほどに、美少年が入り乱れる恋模様は見ていて飽きない。とはいえ、このような小さな箱庭で満足するほど魔女は魔女でなかった。
「――レディ様」
　従者の呼びかけに、レディは視線のみをそちらに向ける。
「マグラ……なに？　いま、凄く良いトコなんだけど」
「申し訳ありません。ご無礼を承知で報告があります。実は研究班より、マッドフェアリスとウインタードクターがレディ様を人間界に顕現させる装置を完成させたとのこと」
　エンシェントレディへの畏怖に身体を震わすマグラ。
　彼女はメイド服の奥の肉体に湿り気を帯びさせ、忠誠を誓った主に下卑た笑みを浮かべる。その目に宿したピンクのハートがドクドクと震えていた。
「ありがとう。前みたいに、この身体に負担がかかるのは無しよ」
「次こそ必ず……失敗は有り得ません。しかし万が一を考え、私がご同行を――」
「いえ、来るのは一人でいいわ。来なさい漆黒の捕食者」
「えっ」　
　やる気に満ち溢れていたマグラの顔が曇る。
　その横から、闇から呼応して現れたのは白髪混じりの少年であった。被っていたコートのフードを外して、その反抗的な眼差しをレディに見せる。
「ああ貴方っ。箱庭上がりの分際でレディ様になんて……っ」
「いいのよマグラ。彼のこういう顔がたまらなく好きでサークルに入れたのだから」
「……んで、何のようですかレディ様」
「魔法少女よ。貴方、この前逃したんですって？　少し付き合いなさい。私がお手本を見せてあげる」
　そうレディは嗤って、赤の魔書を片手に持って立ち上がった。

[newpage]

東京都渋谷区宇田川町　センター街

　ビルの大型ビジョンを遮る蒼の飛翔物体。
　いつものように、渋谷の住人が空へと指をさして渋谷の魔法少女の登場に興奮を見せるも――今回ばかりは活気が半減しているようだった。
　この日、渋谷駅の最高気温が『35℃』に達した。
　ありとあらゆるダメージを軽減させるブレイブドレスでさえ、そのこもった熱を肌で感じてしまう。直射日光により、さらにうだる暑さに負けじと諸悪の根源であるフィリアーズを捜索する。
「見つけたッ！」
　場所は商業施設の屋上。
　ビアガーデンが開催されていたようで、パラソルや即席のテーブル席が見受けられるが、この猛暑に絶えきれず中止となったのか。はたまた全身電化製品の怪人の出現によって逃げ出したのか――。
　怪人は屋上の中心に立ち、可視化された電磁波を高所から渋谷一帯にかけて飛ばしていた。
　こちらには気づいていない。
　先制攻撃チャンス。ちひろは、ポケットから畳まれた紙幣を取り出そうとするが――――――

「――アレがそう？」
「はい。渋谷の魔法少女……それと、囚人一名。取るに足らないザコですよ」

　怪人の側で、少年に傘をささせて優雅に椅子に座る貴婦人が居た。
　よく見ればそれは西洋のドレスではなく、漆黒のウェディングドレス。顔に垂れたベールからでもその端正な顔立ちが伺える。

「アイツ……ダークネスイーター！」
　まず、ちひろが視認したのは傘をさした少年D.E.の方だった。
　込み上げる感情を懸命に堪え、かわりに激しく睨み付ける。対してD.E.は目もくれずに漆黒の新婦の出方を伺っていた。
「俺がやりましょうか？　今度こそ、ここで仕留めます」
「いいえ、結構。やっと、この姿で外に出られたんだもの。母として、愛する息子達の無念を晴らさないと……」
　新婦が緩慢と立ち上がった。
　傘の影から抜けて、ベールを脱いで面を上げた。
「――――ッ！！？」
　シブマルが戦慄する。
　あの新婦の冷笑に、竦み上がった。
　神経の通わない綿とフェルト生地で構成された肉体に悪寒が疾走する。流れない筈の冷や汗が、本能による危機感によって溢れ出る錯覚に陥る。
「ちーちゃん……無理だ。やめよう」
「んだぁ？　もうその話はうんざりだ」
「違う。撤退だ。逃げなきゃダメだ。今までとは比べ物にならない」
「今度は負けたりなんかしないもん」
「そっちじゃない！　あの女こそ――“[[rb:古の魔女 > エンシェントレディ]]”なんだちーちゃん！！」
「なっ……？！」
　その名を聞いた瞬間、ちひろもレディから放たれる腐のオーラに戦々恐々を余儀なくされる。
　いずれ相見えるラスボスと早々に対面したのだから。
「……へっ！」
　だが、“勇み”こそ渋谷の魔法少女の真髄――
「じょ、上等じゃねーか。ここでやっちまえば全部終わるんだろ？　ならここでちゅぶす！」
　硬直状態にあるシブマルを無視して屋上に着地。
　両替してきた五百円玉を投入する。
　チャリンッ。
　白のステッキを、ソードモードへと変形させて構えた。刃を左手に添え、その剣先をエンシェントレディに向けて煽る。
「やっと会えたね！　思ったより若いんだ、エンシェントレディって！」
「それはこっちの台詞よ。こんなに小さいなんて聞いてないわ。でも、そのわんぱくさ加減、嫌いじゃない」
　レディは嬉しそうに赤の魔書を片手で開いた。
　ババババッ。
　無風にも関わらず、ページが独りでに捲られ出す。
「……っ」
　まず先に反応し、行動を起こしたのはD.E.だった。
「ドライモン！　お前は一旦退け」
「へ？　し、しかしD.E.様。我はここで人間を乾きに陥れるのが定め」
「俺の命令が聞けないのか？　どのみち、こんな場所に居たら巻き添えを食らうぞ。退け！」
「御意！」
　D.E.が指を鳴らした途端、怪人ドライモンの前方に闇の渦――ヘルゲートが出現した。
怪人はその渦にのまれるようにしてこの場から離脱する。
「またこのパターンかよ」
「お前にとってはこれで正真正銘、最後だよ。悪いことは言わない。生きたいなら……さっさとその白いステッキを置いて帰ることだな」
「D.E.？　何故、貴方が彼女に選択肢を与えるの？」
　レディが不思議そうに訊ねた。
「い、いえっ……！　申し訳ありません。出過ぎた真似を」
「いいのよ。貴方はそこで見ていれば」
「…………」
　膝を付き、面を下げたD.E.の手は震えていた。
　先日、ちひろ相手に強気な態度を取っていたのが嘘のようだった。母親に叱られるのを恐れた子供のように相手の顔、機嫌を伺っている。
「だっせ。なにビビってんだよ」
「やめておけ。お前が敵う相手じゃない」
「ううん、敵う。ここで勝てば、お前にも勝ったことになるからそこで見とけ……よッ！」
　足場を蹴った。
　出せる速度をフルにしてソードをレディに向けて突く――

「残念だわ。よく考えてみれば、魔法少女って少女なんだから男の子なわけ無いものね……」

「あれっ？」
　確かにレディの胸部を貫いている。
　ただ、手応えが無い――幻影であった。掻き消え、ちひろは瞬時に状況を理解して声のする背後へとソードをそのまま水平に回し斬る。
　パスッ。
　しかしその刃は、赤の魔書を閉じただけで受け止められてしまった。更にソードモードがちひろの意志関係無しに解除され、ステッキの形態に戻されてしまう。
「面白いわねこのステッキ。一体サークルのどこに隠されていたのかしら。私、知らないわ」
「離せっ。ぐにゅにゅ……！」
　ピクリとも動かないステッキに、ちひろは機転を利かせてその状態のまま千円札を投入して炎の魔法を発動させる。
「本ごと燃やしてやる！」
　意気がるちひろだが、しかし――
　シュウゥゥ……。
　小さな黒煙が立ち昇るのみ。
「そんな……？！」
「あらら。今のが魔法？」
「ち、違う！　卑怯だぞ何だよそれ！」
「これ？　これは今となっては私そのもの――魂よ。魔界のありとあらゆる魔法を記述し、唱えられるように細工したもの。ようやく取り戻すことが出来たの。この身体は……少し地味だけれどまあいいわ」
「なに言ってんのかじぇんじぇんわかんない！」
「ところで貴方のそれはなに？」
　瞬間――ゼロ距離でちひろのステッキを手にとった。
「――ひっ！？」
「さぞかし……楽しかったでしょうね。お空が飛べて、魔法が使えて、手頃なモンスターをやっつけて、多くの人々に称えられて。ねえ、楽しかった？　私の息子たちを殺すことがどれくらい楽しかったか私に教えてくれない？」
「あ、ああ……楽しかったね！　不細工なテメェの息子、ブチのめすが快感だったよバーカ！」
「素直でよろしい」
　レディがにこりと笑った。
　途端、そのステッキを持つ手から、幾つもの微細な魔法陣が重なり合う。何処からともなく漂う腐臭にちひろが気を取られたとき。
「ちーちゃん離れろっ！」
　シブマルの声に、ちひろは咄嗟にステッキを引き抜き飛び上がった。
　上空に足場を作って地の利の間合いを取る。
「今なら間に合う。逃げようちーちゃん。いや、逃げなきゃダメなんだ！」
「う、うるさい！　ちひろは逃げたりなんかしない！　……そうだ。これならきっと一発でやっつけられる……！」
　ポケットをまさぐり、しわくちゃになった千円札を乱雑に掴み取る。
　なおも戦う姿勢を持つちひろに、シブマルは理解に苦しみながら前に出た。
「俺の言うことを聞けよ！！」
「……っ！」
　それは、初めてのシブマルがあげた怒声だった。
「エンシェントレディは必ず倒す。でもそれは、今じゃなくていい。そして、君じゃなくていい。俺が君と誓ったのは、悪の手から皆を守ることだ。だから今は逃げるんだ。ちーちゃんには家族がいる、友達がいる、まだまだやりたいことだって沢山あるでしょ？」
　懸命に訴えかける。
　だが、その声はちひろに届かず、ちひろは半笑いで、
「やりたいこと？　あるよ……まず最初にそれは、アイツをぶっ倒すこと」
「ちーちゃん！」
「どけッ！」
　シブマルを払い除け、ちひろは無数に掴み取った千円札をばら撒く。
　その中から一枚の特殊な紙幣を二本の指で摘み、投入する。
　五千円札もとい投入金額五千円――千円単位で呼び起こせる五元素魔法とは異なる、この世を二極化で頒つ理の上級魔法――
「これで…………消えちまえーーーーーーーーっ！」
　コオオオオオオッ！！
　ステッキの先端から光の粒子砲が放たれた。
　しかし――
　レディには届かない。
　彼女を覆う紫煙の瘴気が光を分散させる。
　冷めた無表情で、魔法に力を込めて踏ん張る表情のちひろを眺めながら魔書を開いた。前方に魔法陣が浮かび上がり、その円状に描かれた紋章の一つ一つから闇の粒子砲が出射される。
　それらは廻りながら中心へと収縮していき。
　巨大な闇柱となりて一気にちひろ目掛けて放たれる――
「っ！？　うああああぁぁぁっ！！？」
　小さな身体に真正面から闇が衝突する。
　ブレイブドレスが大破し、その蓄積ダメージをオーバーフローさせて勇気ちひろ本人の肉体に負荷を与えた。
　空中で変身が解除される。
「くっ！」
　落ち行くちひろに、すかさずシブマルが自らクッションとなる。
　それでも地面を転がったちひろのダメージは大きい。
　全身に擦り傷などの軽傷を負い、もはや動くことすらままならない。闇の魔法により、精神も汚濁されていた。恐怖で全身が痙攣し始める。
「あ……あぁ……っ」
「大丈夫。いま助けるから。43号ちゃんに頼んで、岩永さんと刀也くん達を呼んでるから……！」
　非力なぬいぐるみの力で、シブマルは何とかちひろを引きずってこの場から逃れようと試みる。
　ガスッ！
　しかし、D.E.がシブマルを蹴り上げた。
　冷酷な表情でちひろを見下す。そして、目を閉じて一歩下がった。出来すぎた真似をする前に。
「――これは代償というのよ」
「うぅっ……あぁぁっ……！」
　ちひろの身体がレディの魔法によって浮遊する。
　ガンッ！
　そのままコンクリートの壁へと容赦なく打ち付けられた。
「おてんばでわんぱくな子供は好き。でもね……この身体になって、性癖が少し変わったけれど、今も昔も変わらないのは、そう――女は私の敵よ。それはいずれ、私並に美しくなりかねない子供も同じこと。そうならないように砕くのもいいけど……ああ、“一生そのままにした子供”もいたっけ。貴方はどちらがいいかしら？」
「やめて……殺さないで……お願いします……」
　小刻みな過呼吸で、ちひろは目尻に涙を浮かべて懇願する。
　今の彼女は、勇気ちひろでしかない。本来の、気の弱い勇気ちひろ――。
「あら、さっきまでの威勢はどうしたのシンデレラ？　魔法が解けると灰以下のドブネズミなのね」
「助けてママ……パパ……やだ、死にたくない」
「…………」
「ちひろ死にたくない。やだよっ、やだやだやだや――」
「おだまり」
　その一言で、口が閉じられる。
　恐怖を表す動作も鼻息と流れる涙でしか現れない。
　レディは、鼻水を垂らして泣き出すちひろへと顔を近づけた。そして青い前髪を上げて、おでこにキスをする。そのままゆっくりと壁にちひろを貼り付けたまま一歩、また一歩と下がる。
「……覚えておきなさい。古の魔女に男は敵わない。老いた女は朽ちるのみ。うら若き女は既に死に。若すぎた女は若さゆえに自滅する。とんだ勇み足ね、渋谷の魔法少女――」
　魔書を片手に、もう片方の右手をちひろに向けた。
　先程の闇魔法より凝縮された、一撃必殺の魔弾を創り上げる。纏う腐の瘴気が地面のコンクリートを腐り焦がす。
「これで終わりよ――」
　闇の魔弾が放たれた。
　ギュゥンッ！
　ちひろは反射的に目をつむった。
　そして――

　数秒が経っていた。
　まだ、死んでいない。

　恐る恐る目を開けたちひろが目撃したのは――――――

　シブマルだった。

　壺が砕け、半身を失ったシブマルだった。
　焦げた綿が宙を舞い散る。
「え……………」
　ポトッ、と質量を感じさせない音がした。
　倒れたシブマルはもはや頭しかなく、その兎特有の長耳さえ片方を失っている。ガラスで作られた眼鏡もまた完全に砕けてボタンの簡素な目が露わとなった。
「シブ……マル……？　あれ、え……え……」
「あはははははははっ！！」
　レディが口に手を添え、哄笑した。
　おかしさのあまり涙が出ると指で拭いながら、
「思ったよりも賢いのね。それ、何の意味を持つかずっと疑問だったのだけれど……身代わりだったの！　うふっ、あはははっ！！」
　レディが笑うことに夢中になって、ちひろを壁に貼り付けていた魔法が解ける。
　膝から落ちたちひろは顔面を地面に打ち付け、鼻血を垂らす。しかしそんな痛みよりも目の前で原型を失ったシブマルへと這いつくばる。
「シブマル？　ねえ、シブマルって……」
「あらあら、誰が勝手に動いていいってい――ぐっ！？」
　とどめを刺ささんとしたレディに異変が起こった。
　くらりと倒れそうになり、踏み止まる。
「レディ様！」
　駆け寄ったD.E.に、レデイは手で制した。
「もう時間みたいね。何よ、まだ完成してないじゃないのマグラ……またお仕置きが必要みたいね……」
「戻られますか」
「ええ、出してちょうだい。後始末は一任するわ」
「……了解」
　D.E.は手をかざし、丁重にレディをヘルゲートへと送り込む。
　闇へと溶け込む間際に、レディはちひろを一瞥した。それから鼻で笑って踵を返し、人間界を後にした。
　屋上に、ようやく静寂が戻る。
　後始末を任されたD.E.は溜息をついて、それに目をやった。

「やだよ……やだよシブマル、起きて……」
　這いつくばり、シブマルへと手をのばす。
　シブマルの口が微かに動いた。
「不思議だね。痛くは、ないんだ。魔法って、凄いなあ」
「あ、あはっ。よかった。待っててね。いま、皮とか、綿とか集めるから……」
　何とか座り込み、付近の焼き焦げた綿やら布やらを掴む。
「でも、もう長くないって、わかる」
「や……やだ」
「ごめんねちーちゃん」
「やだって！」
　シブマルの頭を掴む。
　そして、抱えたまま呼びかける。
「謝るのはちひろの方だよ！　逃げれば、良かったんだ……シブマルの言う通りにすればこんなことにならなかった……！」
「いいんだ。いいんだちーちゃん。俺が、全部悪いんだ。嘘ついて、君を、利用した。君に戦わせて、エンシェントレディに、復讐しよう、とした。俺が、一番、ズルい、大人なんだよ……ごめんね……ごめんね……」
　泣いていた。
　涙は出ていない。
　それでも、声でわかってしまう。
「君がこんなに、ボロボロになるなんて、思いもしなかった。ヒーローは無傷だって、勝手に、思ってた」
「泣かないでよ。ちひろ、全然痛くないよ？　どこも痛くなんかない」
「俺が痛いんだ。ずっと、痛い」
「あ……あぁ……そ、そうだ。刀也お兄ちゃん、裁縫も得意なんだって。高校は家庭科部だって言ってた……から。わっ」
　立ち上がろうとするも、激痛により膝が曲がって転んでしまう。
　それでもシブマルを抱えたまま、這いつくばる。
「ちひろが間違ってた……アイツの、言うとおりだ。魔法少女になって楽しんでた。やめたいって思ったけど……楽しいから、やめなかった。ゲームみたいって思ってたんだ……」
「違うよ……ちーちゃんそれは……」
「ちひろなんて、ヒーローになるべきじゃなかった。ヒーローの資格なんてなんにもないのに……」
「それは違うんだちーちゃん！」
　力を振り絞り、シブマルはそう叫んだ。
　ちひろは前進を止めて傍らに持ったシブマルを見る。もう、口も動いてなかった。それどころか言葉では表せない温かさが徐々に消えていくような気がして、咄嗟に両手に持った。
「覚えてる？　初めて、会った時のこと……俺は、魔法少女、探して、いろんな、女の子、声かけて、ことごとく、逃げられて、た……よね……」
「うん、覚えてる。覚えてるよ」
「でも、ちーちゃん、だけは、逃げなかった。逃げ遅れた、だけ、かも、しれないけど、俺の話を、聞いてくれた」

『――魔法少女？』
『うん。アニメや漫画であるでしょ？　あんなようなやつ。変身して、みんなを守るんだ。俺と一緒に戦ってくれる？』
『やだ』
『えっ』

「それでも、君は、追ってに、追われてた俺を、助けるために、変身、してくれ、た」
「うん。うんっ……」
　ちひろはシブマルが消えてしまわないように、強く抱きしめる。
「ちーちゃん。俺は、君が、誰よりも強いって、思ってる。それは力の強さ、とか、凄い魔法、とかじゃなくて、なんて、いうんだろ――勇気。そう、勇気だ。立ち向かう為のものじゃない、誰かに分け合えることができる、この世で最も強い心の力――“勇気”――君には、それがある――」
「変身しなくても、君は充分に強いんだ」
「だからその勇気だけは、大切にして――――生きて」
　糸で結ばれた左目のボタンが、外れた。
　急速に何かが失われていく。抱えていたものが、ただの布と綿の塊となり、
「……ぁ」
　命が、失われた。

『ここです！』
「ちーちゃん！」
　階段を駆け登ってきた岩永、刀也がようやくやって来た。
　しかし、ちひろの前方に障害が立ち塞がった。
　コートのポケットに手を突っ込んだ少年――D.E.。這いつくばっているちひろを見下ろし、少し息を吸い込んでから、口を開く。
「そいつの本名は――渋谷ハジメ。二十歳の大学生だ。美少年誘拐事件の被害者の一人、そいつだけ手違いで箱庭に連れ去られて来たんだ」
「…………」
「妖精って設定は無理があるよな。……教えてやるよ。年長者としてリーダーを気取ったコイツは、箱庭のガキたちを集めて脱走計画を始めた。けど、失敗に終わった。コイツに賛同するガキが少なかった。計画も詰めが甘かった。結果、人間界に繋がるゲートへと逃せたのはたったの一人。他のガキは……厳しいバツを受けた。コイツは、足をぶった切られた。そんで公開処刑――と思いきや、ぬいぐるみに魂を移され、人間界に逃げて…………後はわかるよな。お前と出会った。出会っちまった」
「…………」
「正義にこだわって、自由をせがむからこうなるんだ」
「…………」
「なんの意味も、結果もなかった！　どうしようもないヤツだ！　死んで当然のろくでなし野郎なんだよ！！」
「…………」
「はぁ……はぁっ……！　おい、どうした。なんとか言えよ。ソイツをいじめていいのはお前だけだったよな！　どうしたオイ！」
「…………」
　何も、言い返す気力なんてない。
　完全に虚脱していた。
　心がすっぽりと抜け落ちたちひろの目は、何も映っていなかった。それを見てD.E.は歯をギリリと食いしばり、
「ッ……はは、アハハッ！　腑抜けが！」
　顔を手で覆いながら嘲笑った。
「もう懲りただろ……二度と、俺達の前に姿見せんなよクソガキ」
　そう言って、D.E.は闇へと溶け消えた。
　唖然と立ち尽くす岩永と刀也。
「うぅ……うぅぅあぁぁぁ……」
　シブマルの頭を抱えたちひろが泣き出す。
　口を開け、ただひたすらに高ぶる感情のままに啼泣する。
　それくらいしか――10歳の少女にする術はなかった。この情けない姿が本物の自分なのだと、青空に泣いた。

[newpage]

[chapter:『命名「デットヒートアイランド現象」灼熱地獄と化した渋谷　一体何が！？』]

　ああそれと、臨時速報です！
　昨日未明、若者の街渋谷の気温が一気に急上昇する超常現象が起こりました。その名も『デットヒートアイランド現状』。デットがついちゃってますよデット！
　最高気温は『44℃』。埼玉県熊谷市の比ではない国内最高気温を越え、湿度も相まってもはや自由に歩ける環境下ではありません！
　今現在、政府が調査にあたっていますが、本来のヒートアイランド現象とは異なり治まる気配が全然ないそうです。
　みなさ～ん！
　渋谷には絶対に行っちゃダメですよ～！
　六月に熱中症なんて、もう笑い事じゃありませんから！　お仕事とかでどうしても渋谷区に行かれる方はお水、塩分忘れずに！
　では、お天気お伝えしていきました～。

　詳しいお天気は、お天気アプリ『ウェザーニュース』でご確認下さい。以上、ウェザーロイドTypeA Airiでした～。
　まったね～。

[newpage]

　森中花咲は汗を流しながらその門を開けた。
　それは決して、デットヒートアイランド現象によるものではない。ちょっとした緊張からくる発汗作用であった。
　庭先を歩いて玄関へと辿り着く。
　もう『勇気家』のチャイムは鳴らしている。
　少し経ってから、扉が開かれた。
　出てきたのはちひろの父親であった。
「ああ、花咲ちゃん。こんばんは」
「遅くなってごめんなさい。これ……今日の連絡ノートです」
「ありがとう。渡しておくね」
　二日連続、ちひろは小学校を欠席していた。
　教師は風邪だと言っていたがそんな兆候は無かったと花咲は記憶していた。扉の隙間から、階段の奥を見てみるがちひろの姿は無い。
「あの、本当に風邪なんですか……？」
「……」
　訝しがる花咲に、ちひろの父は観念したように話し始める。
「ごめんね花咲ちゃん。あの子、本当はなんていうだか……心の病気、なんだ。この前、凄い怪我をして帰ってきてね。親切な人に包帯とか、絆創膏とかお世話にはなったみたいだけど……何があったか話してくれなくて」
　よく見れば、ちひろの父の目元には隈ができていた。
　心做しかやつれているようにも思える。
「あ、会えますか！　今すぐ……ちーに！」
　身を乗り出した花咲だったが、ちひろの父は首を横にふった。
「……すまない。お医者さんには、大人しくさせろと言われていて。でもね、きっと必ず回復するから。待っててあげてくれないかな」
「そんな……」
　――かざのせいだ。かざが怒って、怒ったから……。

　トボトボと勇気家を後にする幼馴染の後ろ姿を、ちひろは部屋の窓から横目で見ていた。
　それからまた布団を被った。
　目を閉じることが出来ない。
　暗闇になれば、またあの魔女が襲ってくる。
「……うぅ」
　そんな恐怖に、膝を抱えて縮こまってしまう。
「シブマル……」
　魔法少女として、唯一心境を打ち明けることが出来た存在。
　もう勉強机に彼はいない。不安な時に、ぬいぐるみとして彼を抱きしめたまま眠ることが出来ない。一緒にゲームも出来ない。もう会えることはない。
　――どうして、あんなことを言っちゃったんだろう……。
　酷い言葉で彼を傷つけた。
　やり直すことなんて、もう出来ない。
「ひっく……うぐ……」
　思い出す度に、涙が溢れた。

「お父さん、お仕事休んだから。今日はずっと家にいるから。何かあったら呼ぶんだよ。絶対だ」
　父親の苦しそうな表情が、胸に突き刺さる。
　今日もまた小学校を欠席した。身体は回復こそしているが、精神が癒える見込みはない。戦意喪失――
　ブレイブステッキもシブマルの亡骸も岩永に預けた。
　クーラーの効いた部屋で、ひたすらに天井を眺めているだけで時間が過ぎる。何気なくTVを付ければ、どれもデットヒートアイランド現象についてのニュースばかり。熱中症で倒れる人が相次いでいる。
　――ちひろが勝てば、こんなことにはならなかったんだ。
　どんなに危険な街でも、街が街である以上渋谷には人が集う。仕事でも観光でも興味本位でも危険と隣り合わせに自ら行く人がいる。
「…………」
　ちひろはふと思い立ち、ベッドから出た。
　居間にいる母親に気付かれないようにそうっと家を出る。センター街から離れた住宅街にも、生ぬるい熱風が入り込んでいた。
　通学に使う黄色い傘を、日傘代わりにして昼間の外を出歩く。
　途中、住人用の掲示板に捜索願がされた例の美少年達の顔写真を見つけた。美少年誘拐事件――これもまたエンシェントレディの仕業だ。シブマルはその被害者だった。彼も、本当は普通の人間だったのだ。
「シブマル……」
　ぼそりと呟き、あの商業施設の屋上を目指す。
　まだ拾えていないシブマルの残骸があるかもしれない。そう思って。
　さすがにセンター街は、過去最高に人の数が少なかった。早朝よりも少ないんじゃないかと付近の若者が語り合う。
　警察やおせっかいな大人から逃れるようにして渋谷を彷徨う。
　どのビルが、あの商業施設かわからなかったのだ。いつもは空を飛んでいたから、視点が異なると脳内の地図があやふやだ。
　さんさんと容赦なく日差しが照りつける。
　デットヒートアイランドの、高温により体内の水分が持ってかれる。そろそろ頭がくらくらとしていたとき――
「お水だよ」
　ピト、とほっぺたに冷たいペットボトルがあてられた。
「ひゃっ！？」
「あははっ、ダメじゃないかちーちゃん。渋谷なんかにいたら……ていうか、幼女が一人で出歩くなよ。ハイエースに狙われたらどうすんだ。この世は不審者で溢れかえってるんだ」
「と、刀也お兄ちゃん」
　顔を上げるよりも先に、声と口調で判明した。
　キャップを被った刀也は奇妙なエプロンをつけて、四角いクーラーボックスを背負っていた。
「なにしてるの？」
「ん。ああ、学校がお休みになったから叔父さんの手伝いをしてるんだ。ほら――」
　刀也が指をさした方向には、店先で水を配っている岩永達がいた。
「水でーす！　今ならお菓子もついてきまーす！」
「はいはーい！　赤字覚悟でやってるよー！　SNSで拡散して1万RT稼いじゃってね～！」
「何ならこのイケメンの口づけでもお渡ししまーす」
「え、なんで？」
　異国カフェでエアル、鳴、ギャルと共に、熱中症対策として無償で水を配布していたのだ。
「人を助けられる、店の宣伝にもなるから一石二鳥だって言ってね。ちなみに僕はパトロールを命じられて全身オアシスと化している」
「全身オアシス……」
「さあホラ、お店の中に。鳴くん辺りに家まで送ってって貰いな」
　刀也に背中を押され、甘ったるい匂いのする異国カフェへと入店を強制されてしまう。
　店の中は店員も客もいなかった。何もかも全て、外のボランティア活動に回してしまっているから。
「あっ、ちーちゃん。どうしてこんなとこに」
「岩永さん……」
　ようやく取り戻した体重を逆に減量する勢いで汗を流した岩永が、戻ってきた。
　カウンター席にちょこんと座るちひろにお菓子を提供する。
　この猛暑の中でいきなりの糖分の塊にちひろは青ざめた。
「おかげで新しい仕事先が見つかりました。異国カフェっていうんですけど……ちーちゃんなら、いつでも大歓迎です。なんなら渋谷の魔法少女の拠点にでも――と」
　言いかけて、すぐに止めた。
　失言だと岩永は口元を片手で抑えて悔い改める。それから少しの間、沈黙を続かせてから岩永は訊ねた。
「もう、魔法少女になるつもりはないんですね」
「……うん。もう、やらない。やっちゃだめなんだ。ちひろはヒーローなんかじゃないから」
「…………」
　あの日、あの場所で何があったかを43号から聞いていた。
　全ての大元であるエンシェントレディに完敗し、渋谷の魔法少女の半身というべきパートナーを失った。挙句の果てにデットヒートアイランド現象は加熱する一方で被害者は続出。警察パトロールやボランティア隊まで熱中症に倒れるなど元も子もない。――この全てに対し、ちひろは自責の念に苛まれていた。
　それを頭で分かっていても、岩永はかける言葉が見つからなかった。
　ネット上においては、きっと渋谷の魔法少女がこの現象を止めてくれるといった希望的観測が相次ぐ。渋谷の魔法少女を最後の希望と称して。
「……はは」
　やがてちひろは自嘲するように乾いた笑いを浮かべ、
「ねえ、岩永さん。シブマルって大学生だったんだって。ずっと妖精って嘘ついて、ちひろの側にいたんだ……知らなかったよ」
「……はい。驚きました」
「なにもかも嘘だったんだ……もう、わからないよ……」
　嘆くちひろ。
　しかし岩永は首を振り、立ち上がった。
「たとえ嘘で君を利用していたにせよ、彼の全ては否定できない。俺がこの場所にいるように――どんな過ちでも、その人の全ては否定できない。少なくとも彼の最期の言葉に嘘偽りはなかった筈」
「最期の……言葉……」

『だからその勇気だけは、大切にして――――生きて』

「勇気……」
「本当は、俺も君を利用していたんだ。君に恩返しという建前で協力を惜しまない姿勢でやってきたつもりだったけれど、それが自分の謎に繋がるんじゃないかって見返りを信じていた。それでも彼の――シブマルの正義感は嘘じゃない。旗から見ていても、彼は本気で君にヒーローになってほしかったんだ」
「…………」
　岩永太貴が背負った業もまた果てしない。
　空白の一年以上もの間、自社『いちから』を裏切るなどの悪行を重ねていた。さらには『いちから』が爆破され、若き社長が行方不明になるなど謎は深まる。当惑する暇もなく、今もなお岩永太貴という野放しにされた凶悪犯は後ろ指をさされて写真に収められてしまう。
「正直、俺は今も、君に魔法少女になってほしいと思ってしまっている。とても利己的な考えで」
「ちひろは……」
「わかってる。最後に決めるのはちーちゃんです。これからどうするか、何をしたいのかを決めるのは本人の意志だから」
　岩永は力強く頷いてみせた。
　出し抜けに、店のベルが鳴った。
　そこにはパトロール中の刀也が、意識を失った少女を抱えてやってきた。横から京子が少女に呼びかけている。
「ダメだ……ソファに寝かせて！　私、氷取ってくる！」
「大変だ……！」
　すかさず岩永も助けに入った。
　異国カフェ総動員で一人の少女に集中する。ちひろは俯いていた顔を上げて、心臓が跳ねた。
「――かざちゃん！？」
　搬送されてきたのは幼馴染の花咲だったのだ。
　椅子から飛び跳ねるようにして、ソファ席に寝かされた花咲の手をとった。側に居た刀也が花咲の様態を図りながら、微笑む。
「また同じ状況だね。安心して、軽い熱中症だから」
「この子、ちひろの友達……幼馴染のかざちゃん。どうしてここに」
「そうなんだ。誰かを探していたんだよ。後ろからそうっと声をかけようとしたら倒れちゃってさ。きっと……ちーちゃんを探していたんだろうね」
「え……」
　勇気家と森中家の距離は近い。
　家を出たちひろを目撃し、花咲は心配でやって来たのだ。
「ちー……」
　微かな声がする。
　ちひろは、狼狽えながらその手をぎゅっと握った。
「凄い勇気だ。この子も、渋谷の魔法少女に感化されていたのかな」
　花咲のポケットから溢れたキーホルダーを手にし、刀也は呟く。そのキーホルダーは渋谷の魔法少女ファンクラブのものだった。トレードマークの青いリボンが結ばれた簡素なもの。
　――そっか。かざちゃんも……。
　ふと、シブマルの最後の言葉が浮かんだ。
　ショックで忘れていた言葉が鮮明に浮かびだされる。

『立ち向かう為のものじゃない、誰かに分け合えることができる、この世で最も強い心の力――“勇気”』

『君には、それがある』

　――勇気。
　――勇気なんて、あるのかな。こんなに弱虫なのに。またかざちゃんに迷惑かけちゃったのに……。

『みんなに笑われてるよ？　勇気って名字なのに勇気には勇気がないー……ってね』

　胸に手を当て、ちひろは下唇を噛みながら目を閉じた。
　――誰かに分け合えることができる勇気なんて……ちひろには一個もない……。
　また嘆き、悲しむ。
　そうこうしているうちに大切な人がまた傷つく。
　ヒーローになってしまったからこんなことになったのだと。
「――みんな、君の勇気に感化されたんだよ。ちーちゃん」
　刀也が言った。
「渋谷の魔法少女という勇気がいたからこそ、みんなも勇気を持つことが出来たんじゃないかな。この店にいる人間はみんな君のファンだ」
　そこでは再び、水配りに勤しむエアルの姿があった。
　店内では岩永達が花咲の看病にあたっている。
　外では別のボランティアが走り出す。

　誰かが、誰かの為に動いている。

　――勇気そのものだ……。
　――優しさを励みに、勇気が行き届くんだ……。

　伝播する勇気が人を強くする。
　勇気を分かてば誰だってヒーローになれる。
　そしてヒーローでない限り、誰も救うことは出来ない。
「――ちひろが勇気そのもの……そっか！　そういうことか！」
　ちひろは声を上げて駆け出した。
　シブマルの最期の言葉を心で理解した。
　そして氷をタオルに包む作業に加わった。鳴と京子が感嘆の声をあげる。
「おっ、サンキュー。ちっこいのに偉いなあ君」
「もしかして岩永さんの娘とか？」
「ううん。違う」
　そして黙々と花咲を看病するちひろに、岩永は口元を綻ばせる。
　ちひろの熱中症に対する応急処置を適切であった。怪人と戦う以外にも、この前の風邪騒動があるように、念の為に人を救う術はシブマルと共に学んでいたのだ。
　鳴と京子が息を呑んだ。
　救急車が到着するまでの可能な限りの処置を施し、ちひろはその精悍な顔を岩永に向けた。
「ちひろ、助けたいな。もっと……大勢を助けたい。そのために戦いたい」
「……これからもっと、悩むことになるかもしれないけど」
「そうかもしれない。でも、悩んで悩んでちひろは強くってみせる。この勇気だけは……失いたくないから！」
　――そうだ。変身しなくてもちひろは強い。
　――でも、変身すればもっと強くなれる。でもそれは……誰かを勇気付ける力なんだ！　この勇気が誰かの勇気になる！
「――デットヒートアイランド現象を止める。力を貸して、岩永さん」
「……わかりました」
「あのー急になに言ってるんですか？」
「暑さでやられちゃった」
　謎の言動に怯む鳴とギャルを他所に、ちひろは言う。
「……あのね、ちひろも岩永さんを利用してるよ。だから岩永さんもちひろを利用していい。ていうかそれってつまり協力じゃん」
　ニッ、とちひろは笑った。
　岩永も安堵に笑い出す。出会った頃よりも、とてもいい笑顔をしていたから――。
「一応、ステッキならいつも持ち歩いていて――」
　カバンから取り出そうと岩永に、
「へーきだよ」
　ちひろはそのまま手を伸ばした。
　グンッ！とステッキを引き寄せた。それを掴み取り、久々に手に戻ってきた重さにちひろは目を細める。
「え！？」
「嘘、それって……！？」
　呆気にとられた二人に、ちひろはウインクだけで応えた。
　すると岩永が慌ててレジを操作して何枚かの紙幣を取り出す。なるったけ掴み取ってちひろに突き出した。
「これを……！」
「うえっ。う、受け取れないよ。こんなにたくしゃん……」
「いいんです。協力じゃないですか。ヒーロー活動に、還元して下さい」
「……！　……わかった」
　少しの札束を受け取ってちひろは強く頷く。
　それから店を出て、エアルから水を受け取って走り出した。
「気を付けてね～」

　水を飲みながらひたすらに渋谷を駆け回る。
　フィリアーズ――ドライモンの居所は、おおよその見当はついていたが、かなりの遠回りをしてしまった。
　――ビリビリ！　あれが見える場所だっ！
　駅方面まで走り、振り返ってセンター街を象徴する『109』ビルを睨む。
　目を凝らし、あの可視化された電磁波を発見した。すぐさま変身して飛ぼうと目論むも――
　グウンッ！
　謎の重力がのしかかる。
　――ダークネスイーター……ッ！
　ライバルの魔法と一瞬で分かり、武者震いを起こす。
　変身前の身体では歩くのでやっとだが、それでもビルへと歩を進める。
「行くよ。シブマル……！」
　胸に手を当てて強く祈る。
　そして、ステッキを下段に構えたまま走り出した。強力な闇の重力に逆らい、風を切って斜めに振り上げ――
「――変身」
　七色のオーラが少女を変える。
　心を置き去りにしていた日々に負けない。
　愛しさと優しさを取り戻した勇気の戦士――――魔法少女ちひろへ。

[newpage]

　目がチカチカしそうなカラフルなエレベーターを駆け上る。
　三階へと差し掛かったとき、漆黒の旋風が前方から押し寄せた。咄嗟にステッキで身を守るも、かまいたちの如く鋭利な風がドレスに傷を与える。
「何度も忠告したのによ……やっぱバカだろ、お前」
「……出たなぁ」
　頬に切り傷がついた。
　流れる血を拭い、このビルを占拠する少年を見上げる。ムフーと鼻息をならして、
「そこをどけ！　それかリベンジマッチだ！」
「悪いけどこの計画だけは邪魔させない。一対一ってわけにもいかないんだよ」
　D.E.は呆れた様子で両腕を掲げた。
　背後から、覚束ない足取りの異形の怪人の群れ――堕隊が出現する。ざっと二十匹を従えているだろうか。
「ま、ハンデにはちょうどいいかな」
「なんだお前。吹っ切れるにも限度ってもんがあるぞ」
「ふんっ。ずっと何かに引きずられてるほど……ちひろも子供じゃないんでねダークネスイタタタタくん」
　――ピキリ。
　D.E.は口角を引きつらせて、
「――殺すッ」
　殺意の赴くままに自身の影を操り、何本もの影の触手を発動させた。
　同時にちひろも対抗してステッキに五百円を投入。ステッキを、長尺且つ両先端に棘を加えたクラブモードに変化させる。
「うりゃりゃりゃ！」
　棒術の華麗な回転によって影の触手を薙ぎ払った。
　道が開かれ、棒高跳びの要領でエスカレーターの段数をすっ飛ばして一気にD.E.に叩き込む。
「へえ。前よりも考えてきたな」
　影の防壁で防がれた。
　が、ちひろはそれを見越し、影の防壁をさらに飛び越えて堕隊の群れに飛び込んだ。
　ボオオオオオッ！！
　炎の魔法で堕隊を蹴散らす。
「まだまだ……！」
　なおも蠢く堕隊に向けて炎球を放つ。
　だが、それをD.E.が黙って見ているわけがなく、
「ダークグラビティ」
　グウンッ。
　強力な闇の重力がちひろの動きを止めた。
「調子に乗るな。言っただろ、お前の魔法なんて手品以下だ。マジシャンにはもう懲り懲りなんだよ」
　重力に全身の骨が震える。
　どうにかステッキを支柱にして耐える。
「無謀な勇気だけは称賛してやる。これで終わりだ魔法少女」
「うるさい……無謀でも、こんな勇気でも、誰かの勇気に変わる……ッ。この勇姿を皆に届けるんだ。その為にも戦うちひろは――渋谷の魔法少女だッ！！」

　ミシミシミシッ！

「なっ！？」
　床が歪な音を立てた。そこには円状に切れ目が生じており、重力が増すことで――
　ゴシャンッ！
　下階へと崩れ落ちた。
「アイツ……堕隊を倒す間に！　妙な真似しやがって……！」
　驚きのあまり魔法を解除し、D.E.はポッカリと空いた穴を見下ろす。
　――ガコンッ！
　鈍い音が走る。
　ステッキの投擲がD.E.の額にクリーンヒット。
「あがッ！？」
　のけぞったD.E.。
　真下から跳躍したちひろが、ステッキを上空で掴み取って着地する。
　反対の手には一枚の輝く紙幣――日本国における最高金額の紙幣――一万円札を手にしていた。
　指で挟んだそれをちひろはもう一度、目にする。
　かつて、シブマルと共にあらゆるステッキの魔法を試していたときのこと。
　一万円を一度に使うことはどうしても出来なかった。ステッキが拒絶反応を起こし、磁力のように突き放されたのだ。
「今ならいける……一緒に戦ってね、シブマル……」
　絶対的な確信を持って――
　一万円札を投入する。

　キラキラキラキラキラキラキラキラーーーッ！

　ステッキから黄金の輝きが爛々と煌めいた。
　青と白のコントラストが映えた二色のブレイブドレス――各装飾に黄金のラインが迸り、両腕のグローブがバチバチと稲妻を発する。
　魔法少女ちひろレジェンダリー。
　全身に漲るパワーは倍となり、さらには身体そのものに魔力を感じていた。ステッキから流動する魔力、魔導が身体と一体化している。
「まぶちっ！？　うおおおぉぉぉっ！　なにこれなにこれっ、ドレスがちょこっと光ってる！」
　それを感覚で悟ったちひろは興奮しながら自らを見る。
　輝きに目が眩んだD.E.にも、その魔法少女の姿が異常であることを肌で感じていた。魔法少女から放たれている魔力は――常に膨れ上がっていた。
　――そ、それがなんだ。中身はガキだ。今なら一撃で……ッ！
　無防備にも背中を見せていた魔法少女めがけて鋭い影の触手を放つが、
　パァンッ！
　一振りで、全てを払い除けられてしまった。
　黄金の粒子が残像を残すようにステッキのカーブを描く。
「うりゃっ！」
　立て続けにステッキから魔法を放つ。
　対価無しで、自由自在にありとあらゆる五元素の魔法をガンガン発動させた。火炎を織り交ぜた突風――
「くっ！　そういうことか！」
　闇で対抗し、その闇で歪な長剣を創り上げて迫る雷光を斬った。
「魔法打ち放題コースってことかよ……！」
「そうなの！？」
　本人も驚きを隠さずにステッキをソードモードに変え――
　キィンッ！
　剣を交えた。
　光と闇に刃を散らしながら、両者共に睥睨をぶつける。
「俺は何度でも否定する……お前の勇気なんて、全部無駄だってな……！」
「お前も……あの行方不明の一人なんでしょ！　なんで、こんなことするの……！」
「ずっと力が欲しかったんだよ。だから、利用したに過ぎない……！　この闇の力で、いずれ俺が王になる……！　いい加減諦めろ！　光であるお前が、闇である俺に敵うはずがないんだよ！」
「ちひろにも……闇はある！」
　そう言って、ちひろは微かに笑った。
　魔法少女ちひろレジェンダリー。
　その力は、全ての魔法を使いたい放題。必ずしも――光に従属するわけではない。
　グゥンッ！
「なにっ！？」
「ダークグラビティだっけ？　もらっちゃお」
　D.E.の魔法を完全コピーして我がものとした。
　さらにD.E.のみに重力を与え、ちひろにはその効果を与えない高度なものへと変換させて。
「なんだよコレ……こんなの……ッ！」
　膝を付き、為す術もないD.E.。
　ちひろは腰に力を入れてその顔面にパンチを浴びせた。
「ヴぐっ！？」
　吹き飛んだD.E.に容赦なく横から重力を与える。
　ちひろはツカツカと歩み寄り、D.E.の顔面横へと拳を叩きつけた。壁に巨大な亀裂が走る。
「ちひろの勝ち」
「な……っ」
　痛みと恐怖で泣いていたD.E.は、真横のそれをみて小さく悲鳴を漏らした。
　自分より年下の女の子に滅多打ちにされて敗北――人生史上、暫定一位の屈辱にD.E.もとい鈴木勝は身体も声も震わす。
「ゆ、許さない……お前、だけはっ……！」
「ふっ。ちひろは許してあげる」
「なにっ！？」
「もう悪さしないなら許してあげる。お前も、あの行方不明者の一人なんでしょ。かわいしょお。かわいしょーだから情けをあげるってんだ」
「～～～ッ！！」
　顔を真っ赤に腫らしたD.E.は、身動きを封じられながらも影を操っていた。
　殴られている間は出来なかった反撃、雪辱をここで晴らすと影を刃に変えてちひろの背後で光らせる――
　ガシッ！
　ちひろはD.E.をじっと見つめたままそれを掴んで、掴むだけで消滅させた。
「もう時間ないや……ばいばいっ！」
　そう言い残して、ちひろは「あ、忘れ物」と魔法で残る堕隊の一匹を処理してエスカレーターを上がっていった。
　壁から溢れるように落ちたD.E.は地面に拳を叩き、
「ちひ……ろォ……ッ！」
　怒りに震え、執念を燃やした。

　屋上へと繋がる扉を蹴り飛ばす。　
　ちひろはステッキを肩に乗せ、ズカズカと怪人ドライモンの間合いへと入った。
「よーし……これで人間共は乾きに飢え、そして水を飲む。その音こそが我の至高でありいずれ――」
「ふんっ！」
　ガシャァンッ！
　あらゆる電化製品で構成された怪人が音を立てて吹き飛ぶ。
「ななっ、貴様何故ここに……D.E.様が護衛にいるはず」
「ぶっ飛ばしてきた」
「う、嘘をつけ嘘を！」
「んなことより、今すぐコレを止めろぉ！」
　ビシッとステッキを突きつける。
「フッ、止めろと言われて素直に止めるヤツがいるか！　これから東京全てをヒートアイランドにするのだ。乾きに餓えてもがき死ねェ……！」
「そんなことはさせない。にぃに、ねぇね、みんな全員ちひろが守る……！」
「お前には出来んわ！　ここで終わりだぁっ！」
「出来る。お前のおかげで、少し熱くなれた」
「むうっ！？　なんだ？　急に暗く……」
　明度が少し下がった。
　否、巨大な雲が上空に浮かんでいたのだ。
「ここに来るまでにちょっとした仕掛けをしたのだ。ね、43号ちゃん」
『さすがちーちゃん。いや、私か……へへ』
「なにィッ！？」
　怪人の肉体に付着したタブレットに43号が出現した。
　ここへと来る前に、ちひろは岩永に借りたスマホで43号に助言を受けて炎と水、風の魔法を駆使して雲を発生させていたのだ。
『いやーデットヒートアイランド現象のおかげで思ったより大きなのが作れちゃいましたよー。さあ、ちーちゃんやっておしまい』
「よいしょっと。あーめあーめふれふれかあしゃんが～～～っ！」
　巨大な積乱雲が生じた上空に向けて、巨大な水玉を放つ。
　放たれた水玉が雲に浸透し――それが引き金となり、一気に超ゲリラ豪雨が降り注ぐ。
「な、なんだと……そんな……ッ！」
　恵みの雨が次々に都市の熱を冷却していく。
　たじろぐ怪人の身体を構成する電化製品が、水没により火花を散らす。
「あわわわわ」
「フィナーレだっ！」
　ちひろはステッキを天高く飛ばした。
　自身も跳躍し、回し蹴りでステッキを蹴り落とす。
　ガチョンッ！
「ぐはっ！」
　怪人の頭へと突き刺さった。
　積乱雲が急激に暗雲と化し、電子を散らして放電を始めた。
「ちひろは終わらない。いつだって、今ここが始まりなんだ――」
　篠突く雨の中で、空より蒼く澄んだ瞳が煌めく。純白に黄金が走るグローブの腕を天高く掲げ、その指を怪人へと突きつける。
「ばんっ」
　稲妻が音を置き去りに墜落する。
　――――ピシャァンッ！
　避雷針となったステッキから怪人の全身を駆け巡る。
　プスプスと黒焦げになり、どろどろに溶けた機械の塊が崩れ落ちる。
　ちひろはステッキを引き寄せて掴む。制限時間によりレジェンダリーの効力が消え、いつものブレイブドレスとなった。
「……勝ったよ」
　暗雲に切れ目が生じ、微かな斜光が渋谷の街を照らす。
　その眩しさにちひろは手で傘を作って、微笑んだ。

[newpage]

東京都渋谷区宇田川町　ハンズ通り

　看板王子店長――春崎エアルの異国カフェ。
　経営コンサルタントとしてあの犯罪者、岩永太貴が付いているのもさることながら渋谷デットヒートアイランド現象において赤字上等でボランティア活動に従事したことで話題性は抜群であった。
　にも関わらず、客の出入りは芳しくない。
「私は好きですけどね。ノートPCで永遠に居られるならどこでも」
「出たよ。そういうのちょー迷惑なんですけど。パソコンとか家でも出来るべ」
「は？　なんだこのギャル……カフェでやるから捗る仕事だってあんだよ」
　社築は、態度の悪いギャル店員轟京子とメンチを切り始めた。
　そうして喧嘩が始まると現れるのがハッカドール43号。あらゆるトラブルに応じて人格を切り替え、対応するのだ。
『喧嘩はやめましょうよ～。みんな仲良く、健やかに……やめろっていってんだろ！？』
　無駄だと判断すると身も性格も赤くなる。

「このパンケーキ甘すぎませんか……」
　一口試食した刀也が甘さのあまり苦い顔をする。
　考案者のエアルは首を傾げた。
「え、普通じゃない？」
「もういっそのことスポーツ観戦可のスポーツカフェにしない。絶対、人気出ると思うんだよなぁ。そう思わない剣持くん？」
　異国カフェを早々に諦めた鳴がうーんと伸びをする。
「いえ、僕は文化部なのでスポーツはさっぱり……。この通り、裁縫を得意として痛いッ」
　刀也は試食を早々に止めて裁縫に勤しむ。
　その指は絆創膏に重ねられていた。
「えー鍛えてそうに見えるけどなー。なにかやってたんじゃないの？」
「全然全然。錯覚ですよそれ。ずっと目閉じてた方がいいですよ」
「わかったー」
　本当に目を閉じて眠った。

「割と大勢の人に正体がバレちゃいましたね……」
「いいよ。それに、ここの人達なら信用できるから」
　――でもかざちゃんにだけはバレてなくてマジで良かった……。
　店を一望できるカウンター席に座ったちひろは、足をパタパタさせながら岩永に微笑みかけた。
「みんな、ヒーローだよ」
「それって俺もっすか」
「あったりまえじゃん！」
「はは……ああ、そうそう。社さん」
「はいはい」
　社がノートPCに取り付けていたブレイブステッキを取り外し、持ち主であるちひろに献上した。
　どこも見た目は変わっていない。ように見えて、お金の差込口に妙な機械が加えられてグレードアップしている。
「私と43号ちゃんで考案したんです。現金を一々入れるより、こっちの方が魔法を放つまでのプロセスが省略されて今までよりもスピーディーなんじゃないかなって」
『まあ、交通系ICカードなだから上限は二万円なんだけどね』
「電車乗るアレと同じってこと？」
『そうそう』
　ちひろは試しに、受け取ったカードをピッとステッキに認証させる。
　ボフンッ！
　炎の魔法が即発動した。
　確かに、今までよりスピーディー極まりない。
「すごい！　すごいよヤーマン！」
「いやいや、私に出来るのはこれくらいなもので……」
「ちなみに小学校の名札裏にも装置を付けときました。怪人情報があれば振動する仕組みです。これまで以上に……ハードな戦いになるかもしれません」
「大丈夫だよ。みんないるから……ちひろは、一人じゃないから。これまで以上に戦ってみせるから……！」
　ちひろはなるったけの笑顔を見せた。
　岩永は少し苦笑し、
「実はちーちゃん。もう一つ、見せたいものがありまして――」

「――もうイヤや！　恐いって！」
「ああっ、逃げんじゃねぇよ！　まだ耳に綿詰めてないんですから！」

「え――」
　テーブル席が何やら騒がしい。
　丸い物体が関西弁で悲鳴をあげて浮かび上がり、刀也が糸を通した針を手に憤っている。その丸い物体は一目散にちひろの胸にぼすんっと駆け込んだ。
　柔らかい布と綿の感触――
「助けてちーちゃん！　助けて……助けて……！」
　緑と白のツートンカラーの兎のツギハギぬいぐるみ。
　何故か下半身を壺に入れたぬいぐるみは、恐怖にカタカタとガラスでしかない丸眼鏡を震わせる――。

　もう、会えないと思っていた存在。

「…………っ」
　だけど今、ここに確かに存在する。
　あの和やかな温もりを胸に、ちひろは――

[newpage]

東京都渋谷区神南　NSJスタジオパーク

　言わずとしれたNSJ教育テレビジョン。
　人気NO.1番組『よいこ、うたっこ』はこのNSJスタジオパークで撮影が行われている――。

「また倒れないでよね詩子ちゃん」
「ご、ごめんなさい。昨日は貧血だったみたいで……」
　番組ディレクターに謝罪しているのは『よいこ、うたっこ』のメインキャスト。歌のお姉さんであり、全国の児童とお父さんに大人気な女性タレント――鈴鹿詩子。
「んじゃあ昨日の分も撮るから。いいね？」
「あ、はい…………」
　偏頭痛に頭を抑えながら詩子は頷く。
　昨日の収録中に何の前触れも無く詩子は気絶した。
　様々な病院を巡ったが、どれも至って健康体との診断結果。原因に思い当たる節があるといえば枚挙に暇がない。しかしそれでも詩子は卒なく歌のお姉さんを真っ当してきていた。
　強いて兆候をあげるとすれば――見に覚えのないフラッシュバックが時折、起こる。
　それが意識を失っている最中の夢なのか、幾つかの記憶が重なり合ったデジャヴュ的偶然の産物なのか。奇妙で不確かだが、恐怖では無かった。むしろもっとやれというほどその記憶は詩子にとって素晴らしかった。
　――己の欲望を反映させたかのような美少年たちの営み。
　――あれはそう……美少年たちの箱庭。ああ、また見れないかなぁ……。
　仕事への憂鬱な感情から逃れるべく欲望に想いを馳せる。
　箱庭の中で友情はたまた恋愛を育む美少年たちを、ただ眺める記憶――ただしそこからは――
「うぅっ……！？」
　思い出そうにも、激痛が走る。
　頭を抱えたそのとき、何かが落ちた。
　少し焦げている綿――ゆらゆらと落ちたそれをつまみ取る。

「――本番お願いしまーす！」

「あっ、は、はーい……」
　背後からの呼びかけに、詩子は肩を跳ねさせて応答した。
　そして、視線を手に戻したとき――
「あれ……」
　綿は、消えていた。
　始めからこの世に存在していなかったように。

二ヶ月前―― 　鉛色の混濁が泡を立てて蒸発する。 　初戦闘の終幕は呆気なく、少女はステッキを手に呆然と悪が散りゆく様を眺めていた。彼女自身がその手で散らした悪を――。 「す、すごいやちーちゃん！　こんなに無双しちゃうなんて！」 　少女の隣で浮遊していた兎の妖精シブマル。興奮気味に、敵の戦闘員を一掃した事実に歓喜していた。 　この日――勇気ちひろは、初めて魔法少女へと変身を果たした。 　わけも分からず、ただ己の内なる闘争心に従い戦っていたちひろは、そのほんの少しの間に起きたミラクルに理解が追いつかず、己の身も心も変えたステッキをまじまじと見つめ直す。 「すごい……これが、魔法……」 「うん。お金が必要になるけど、当面の間は俺が工面するから安心して」 「うえっ？　ま、待ってよ」 「ちなみに今のは“[[rb:堕隊 > ダタイ]]”。エンシェントサークルの戦闘員。フィリアーズに成れずに産まれてきてしまった失敗作なんだ。だから、今よりももっと強力な怪人フィリアーズが――」 「待ってって。まだちひろっ、戦うなんて一言も言ってないって」 「え……一緒に戦ってくれないの……？」 「それはあなたが助けてっていうから、あの黒いうじゃうじゃを倒しただけであって……」 　唇を尖らせたちひろは、もう一度ステッキを見返す。少しだけ重い。 　幼い頃（今も幼い）、アニメで戦う女の子に憧れて無かったといえば嘘になる。しかしながら、幼いながらにも自分はこうはなれないなと判ってしまっていた。 　――できるのかな。ちひろに……。 　――こんなに弱虫なのに……。 　目の前の兎の妖精は、プルプルと柔らかなウィスカーパッドを震わせる。 　見た目の割にいい声な上に、わざとらしい演技だったが、それでも恐怖心と焦りだけは実際の兎よろしく伝わってくる。 　兼ねてから、小動物を飼いたいとは思っていたちひろである。 　不思議とステッキを強く握っていた。そして、シブマルへと向き直り、 「――いいよ。わかった。こんなちひろでも戦えるなら……一緒に戦おう」 「やった。よろしくねちーちゃん」 　小さな手で握手を交わす。 　夕焼けの公園で誓った妖精との誓い――。 　そして現在―― 東京都渋谷区　代々木公園 　六月上旬の若干の蒸し暑さが勝る日。 　代々木公園では今日もまた野外イベントが開かれ、沖縄を主体とした屋台と音楽で本土に熱狂を起こしていた。 　怪人が乱入してくるまでは――。 　人々の混乱の悲鳴が重なる中、 「うらぁっ！」 　蠢く[[rb:堕隊 > ダタイ]]の腕を引きちぎり、黒血が噴出する中で魔法少女が次々に堕隊を討ち滅ぼしていく。 　ドスンッ！ 　ハンマーモードにより、最後の一匹を潰す。　 　硬いアスファルトに陥没を残した。砂煙が舞う中でギロリ、と堕隊のリーダーであるフィリアーズを睨めつける。 　今回の敵は、全身笛人間。 　身体を笛で構成されていて風が吹く度に音が鳴る。 　またまた、いささか緊張感に欠ける怪人を前にちひろはステッキを肩に置く。 「お前が最後だピューピューやろう」 「ほ、ホイッスルモンだ！　我は人間の笛を嗜好とし、この地には至高の指笛の主がいると聞いて駆けつけたのには何故お前がいるんだ魔法少女！　完璧に潜入していたハズ……！」 「こっちには強力な助っ人がいんだよ。おかげで休む暇もなく怪人退治だちくしょーめ」 「ちーちゃん！　みんな逃してきたよ！」 　民間人の非難に尽力を注いでいたシブマルが遅れて来る。 　ふう、と一息ついて汗を拭う仕草をしたシブマルを横目にちひろは「チッ」と聞こえるように舌打ちを鳴らした。 「え、なんか怒ってる？」 「別に怒ってないけど」 「怒ってるじゃん」 「あー怒ってるさ！　お前、なに疲れた感じ出してんだよ！　疲れてるのはこっちなんだよ！」 「わかったわかった。後でマッサージしてあげるから」 「お前の指圧クソカス過ぎてマッサージになんねーんだよ！」 「なんでそんなこというの！」 　もはや、今現在の魔法少女ちひろに初変身時の面影はない。 　それどころか変身する度に怒りを重ねている。それは魔法少女の副作用もさることながら、先日、“漆黒の捕食者”に敗北した時からちひろの心境は穏やかではなかった。今も彼の言葉が蘇る。 『何も知らずに戦わされてたんだなお前』 　D.E.の哀れんだ眼差し。 　シブマルと目を合わす度によぎり、苛立ちが湧く。シブマルへの疑心が、葛藤を生み、やがて憤る。その繰り返し――。 「ああっ、もういい！　いいからお金ちょうだいよ」 「また！？　あんなの魔法なしでやれるでしょ。もうちょっと節約しなきゃ」 「使ってんのはちひろのお年玉でちひろのお金なんだが？！　お前最初、『当面の間は俺が工面するよ～』とか言ってたよな！　嘘つき！」 「それは……無くなっちゃったんだ。練習で色んな魔法試してた段階でもうカツカツで……」 「だいたい、妖精の国から来たとか言っててなんで日本のお金持ってたんだよ。日本語だってりゅうちょーだしおかしいだろ」 『ハジメ先輩』 　D.E.はシブマルをそう呼んでいた。 　人間を呼ぶかのように。 「ステッキと一緒に借りんたんだよ。うん」 「またしょれかよ。ふんっ……じゃあいいもん。無くなったらそこらへんの人に貰えばいいんだから。言えばいくらでも出してくれるでしょ」 「それはダメだよ。そんなのはヒーローじゃない」 「うう～っ！」 　ますます怒りを募らせるちひろ。 　そんな中、置いてけぼりをくらっていた怪人がコホンと咳き込む。 「おい。なんだか知らんが喧嘩はよくないぞ」 「うるしえぇぇぇっ！」 　プチンッ。 　怒りの矛先が一度に全て怪人に向かった。 　ハンマーでぶん殴り、倒れた怪人の顔を重点的に殴る。 「お前らなんかにッ！　今日で二千円も使ったんだッ！　くたばれッ！」 　殴って。 　殴って、殴りつける。 　昂ぶる感情の思うがままに。 「そんでもってあの漆黒のなんちゃらをちひろの前に出せッ！　今度こそッ！　お前みたいにボコボコにころッ――」 「もういいってちーちゃん！」 　シブマルの静止もあり、ようやく血が滴るハンマーモードを解除する。 　人間ではない怪人とはいえ、その顔面の凄惨さは筆舌に尽くし難いものであった。 「はぁっ……はぁっ……！」 　目頭まで熱くなっていた何かが落ち着きを取り戻す。 　今度はグロテスクな光景に胃から込み上がるものがあり、口元を抑えて後ずさった。振り返った先でギャラリーと化した野外イベント参加者がハッと息を呑む。 　渋谷の魔法少女は赤黒く、血塗られていた。 　テーマカラーは青なのに。 「なんだよ……」 　また、苛立つ。 「拍手しろよ……」 　止めにかかるシブマルの声が耳に入らない。 「ありがとうって言えよ……怪人、倒したんだよ……？」 　歩み寄るちひろに、人々はどよめきをあげて引き下がった。 　その光景を前にステッキを握る力が強くなる。 「お前ら守るために戦ってやってんだろうが！　こちとら小学生なんだよ！　感謝しろ感謝しろ感謝しろよ！　テメーら一人残らず今、この場で、渋谷の魔法少女に感謝しやがれ！！」 　気づけば、思いのままを叫んでしまっていた。 「ち、ちーひーろ。ちーひーろ」 　一人が、震える手を叩いてそう呼びかける。 　周りもそれに従って拍手しながら声を揃えていく。 　ちーひーろ。 　ちーひーろ。 「ちーちゃん……」 　シブマルは愕然とその光景を傍観していた。 　強制されたちひろコールの中に紛れて、スマホを赤く点滅させる者がニヤニヤと笑っていた。シブマルが「撮影禁止！」と止めに入るが逃げられてしまう。 　コールを一顧だにせず、ちひろはツンと林道へと去っていった。 「…………」 　そんな渋谷の魔法少女の豹変に、どよめく人々の中で――シブマルは青空を仰ぐ。 　雲一つ無い青空を――。 『勇気ちひろって名前か。いい名前だよね』 『全然よくないよっ。名字も変だし、名前も男の子みたいじゃんか』 『そんなことないって。ヒーローにぴったりな名前だ。俺なんて…………』 『シブマル。シブマルって……あはははっ』 『笑うな笑うな。それよりさ、魔法少女ちひろだと味気ないから英語にしない？　勇気ヒーローみたいな』 『勇気も英語にしないの？』 『え、あー……んー……勇気って英語でなんていうんだろ』 『ブレイブとか？』 『いや、それは微妙に違うって聞いた。たぶん、チアーとか？　うん、チアーだよ。チアヒーロー！　ああっ、それがいいや！』 『チアーって応援なような……まあ、いっか！』 「なんであんなこと……！　ヒーローとして失格だよちーちゃん！」 　激高するシブマルに、変身を解除して民間人に紛れ込んでいたちひろは無言で先を進む。 　人気のない林道を抜けて柵を越えて公園を去るつもりだ。 「いくらなんでもあんまりだ。俺に対しての怒りなら、俺にだけぶつけてよ」 「…………」 　横から追いかけるシブマルに対し、ちひろは無言を貫く。 「言ったよね？　大いなる力には大いなる責任が伴うって……。今のちーちゃんは、責任がわかってない。ヒーローっていうのはね」 「うるさいな……そんな受け売りの言葉並べたって……」 「でもこれは大切な――」 「じゃあシブマルに責任はあるの！？」 　シブマルの首根っこを掴み、大木へと打ち付けた。 　怒りに震えたたまま――その泣き腫らした顔をあげる。 「ちひろを魔法少女にした責任、取れるのかよ……っ！」」 　少女の怒りの訴え。 　それに対し、シブマルは答えることは出来なかった。 　――責任……。 　強く、重く、のしかかる。 　ちひろはシブマルから手を離し、崩れるように落ちて泣きじゃくった。 「こんなことならなるんじゃなかった」 　ステッキがぽとりと落とされる。 　壺の中からハンカチを取り出そうとしたシブマルは、その手を止めることとなる。何故なら次に言ったちひろの言葉が―― 「もうやめたいよ……魔法少女なんて……」 [newpage] 東京都渋谷区宇田川町　ハンズ通り 　センター街から抜けた巨大百貨店付近の比較的落ち着いたエリア。 　若者の集団がたむろする中に紛れて、岩永太貴は甥の剣持刀也と共にタブレットを覗き込んでいた。 『新手のフィリアーズは無事、魔法少女が討伐したみたいですよー』 　画面の中で奇妙なSF衣装を身に纏った少女が気だるげに報告する。 　彼女はハッカドール43号。通称すみちゃんとマスターである社築から親しまれている。なんせ愛しの1号から譲り受けた形見のような存在であるからにして。 「良かった。代々木公園っていうから焦りましたよ。ここからすぐじゃないですか」 「何にせよちーちゃんが素早く動いてくれてよかった」 『それが問題がありましてですね――』 　43号はすました顔でSNSの動画をポップアップで表示する。 　映し出された映像は民間人による、魔法少女が怪人を倒した後のものだった。毎度のこと顔と声が上手くブレているが、正体を知る岩永と刀也には、それが勇気ちひろ本人であるとすぐに判別が出来た。 　しかし問題というのは、ちひろのその後の言動であり。 　またたく間に拡散された『渋谷の魔法少女の本性』は早速物議を醸していた。 　――こんなクソガキに守れられてたまるか。 　――みんな助けてもらってるんだからもっと感謝するべき。 　などなど、ゼロかイチしかない二極化した無駄な意見が多く見受けられる中で、 「よーし」 　負けじと岩永も持論を展開しようと試みるが甥に止められてしまう。 「やめろやめろ。貴方、実名でやってて今も誹謗中傷が絶えないんですから。考えるなら彼女のアフターケアでしょう」 「確かに……。今日、じゃなくて明日くらいにでも連絡しようか」 「僕も幼女を元気づけるモノを色々と用意してみます。そうだ僕の手料理でも振る舞おうか」 「またカレーとかじゃないよね？」 「なに？　いいじゃないですか。カレー。なんの文句があるんだ」 「いや流石にもう……」 　飽きた、と言いかけて口をつぐむ。 　――あの子はきっと、先の将来の不安よりもヒーローヘの感心を失っているんだ。 　――今までのゲーム感覚とは訳が違う。俺や刀也くん、そして社さんと43号ちゃんが加わったことでヒーロー活動が活発になりすぎたのかもしれない…… 「……やっぱり飽きるよな」 「は？」 　その後、一言えば百帰ってくる甥の口の猛攻から逃れつつハンズ通り辺りを歩く。 　休日にも関わらず比較的人気がない通りに入った。人気と人気が同じ漢字なように、周囲のカフェや雑貨店も逆に寂れた趣きを感じさせてしまう。周囲の若者は適当にうろついているだけで入る素振りはない。 「ところで、俺に新しい仕事を紹介してくれるって言ってたけど……なに？」 「もうすぐですよー。ってああ、ここか。影薄くて気づかなかった」 　そこはアラビアンを履き違えたかのような店であった。 　長年、外食を趣味としていた岩永はひと目で食べログ星評価の心許ない数が浮かんでくる。 「なにこれインド？　スペイン？　台湾？　どこ基準？」 「それがわからないんですよ。とにかく異国っていうことだけに重点を置いて後は適当なんでしょ」 「お客さんも全然入ってないなぁ……」 「まあまあ、とにかく入りましょうよ叔父さん」 　無理やり入らされた途端、芳しい甘い匂いが体を満たした。 　匂いだけでもう胃もたれしそうな甘さ――。 「おっ！　お客さん二名ご案内でーすっ！　……ってなんだ、刀也くんじゃん」 　渋谷に相応しいギャルの店員が現れた。 　刀也とは顔見知りなようで、客として来たわけではないとわかるやいなやカウンター席にふれぶてしく足を組み合わせて座った。 「お久しぶりです。轟さん」 「どうも～。で？　何のようだっけ？」 「この店が潰れかけということで経営のスペシャリストを連れてきました。コンサルタントですよコンサルタント」 「え？　コンサ、え？」 「あーこの人が例の……」 　ギャル店員――轟京子は、エプロンをはたいて立ち上がって岩永をジロジロと見回した。 　眼力に若干怯えていた岩永であったが、それよりも―― 「いやいや、ちょっ！　その人って岩永太貴じゃん！」 　もう一人の若い店員が悲鳴を上げた。 　そう、こういう展開を恐れていたのだと岩永は顔に手をあてがう。 「あー紹介するね。ここのもう一人の店員――成瀬鳴先輩」 「待ってよ轟さん。俺、経営者が欲しいっていったけどアレ店壊すタイプじゃんか。物理的に」 「それめっちゃアウトローじゃね？　超イカスじゃん」 「俺的にアウトローは無し」 　鳴はソファ席に隠れながら腕でバツ印を作る。 　そうこうしていると、バックヤードからこの店のオーナーがようやく現れた。不思議な服を身に纏った爽やかさ満点の青年―― 「僕が春崎エアルです」 　いきなり自己紹介。 　白い歯を見せて微笑んだ。 「この度はお呼び頂きありがとうございます。叔父のスキルがあれば、この店の人気は鰻登りで間違いなんじゃないかと」 「いやいやいや」 「何ですか」 「聞いてないよこんなの。今は、田角くんが見つかるまで在宅ワークで細々と……」 「言っときますけど、僕のバイト費と併せてようやくご飯が食べられてるんですよ。もう少し働いてもらわないと」 「あ、強制なんだ」 「その通り。貴方、カフェ経営の本沢山持ってるでしょ。興味は少なからずあったんじゃないんですか」 「後学の為だよ。それに、あれはよくある事例を集めたようなものであってこの立地とこの店じゃあ……」 　口では反論しつつも、経営の血が騒ぐのもまた事実。 　店の外装と内装からメニューの価格、店員に至るまで改良の余地が有り余る。 　興味が一切ないと言えば嘘になる。 「実は僕、異国の王子なんです。日本に逃げ出して異国の名産品を売り出したカフェを切り開いたものの……――」 　なんてことだ。 　あらすじまで興味をそそられるではないか。 「――良し。やりましょう。俺でよければ、この店を何とかしてみせます！」 「わあ！　ありがとうございます！　ありがとうございます！」 「えー……嘘だろ王子様……」 「時給あがっかなぁ～」 「…………」 　刀也は叔父の生き生きとした表情を尻目に、窓に面した席へと腰掛けた。 　早速、カフェの話題性を獲得するべく岩永の名を出すべきか、否かを討論していた。まずは優位性を獲得するべくあーだこーだとカタカナのビジネス用語を駆使してエアル、鳴、ギャルをぽかーんと置いてけぼりにしている。 「ふふっ……」 　頬杖をつきながらその様子を微笑ましく眺めて、それからテーブルに置かれていたスケッチブックを手にした。 　表紙には独特なフォントで『Kyoko』。 　服飾の専門学校に通う轟京子のものだろうか。 　彼女もまたファンなのか、一枚一枚捲る度に渋谷の魔法少女が描かれている。中には青い水彩画で青空に溶け込む魔法少女の姿があった。 「渋谷の魔法少女……か」 　しかしそれは、見方を変えれば――青空に呪縛された魔法少女となる。 [newpage] 東京都渋谷区笹塚　一空小学校 　翌日、月曜日の放課後。 　皆がランドセルを背負って帰宅する中で、一組のグループが固まっていた。席に座るちひろを取り囲むようにして。 「今日も来れないの？」 「別に習い事とかしてないよね？」 「…………」 「ちょっとちー、何かいいなよ～」 　亀裂の走る雰囲気をとりなすように花咲が柔和な口調で間に入った。 　遊びに誘われ、断るのはもう何度目だろうか。ちひろは俯いたまま答えない。答えることなんて出来ない。 「おーおーなんだなんだー？　いじめかー？」 　ここで教育実習生の御伽原江良が何故か興奮した様子で乱入してきた。 「違うよ江良ちゃん。ちひろちゃん、最近ずっと遊んでくれないの」 「悪いのはうち等じゃないよ」 「なるほどねぇ。でもさ、それってちーちゃんも悪くなくない？　本当はきっと皆と遊びたいんだよ？　ね？」 「……」 　こくり、とちひろはその代弁に頷いた。 「それなら……」と、納得した様子を見せた少女達に江良はぱんっと手を叩いてみせた。「んじゃあ帰った帰った。五時には帰んなきゃダメだよ～。私がさらいに行くからな～…………ねえ、今のPTAに訴えられないよね？」 「大丈夫でしょ。それより助かったよ江良ちゃん。ちー、かざにも黙ったままでさ」 「……ごめん」 「ごめんって。ねえ、かざにも言えないようなことなの？」 　むっとした表情で花咲が詰め寄る。 「ちょいちょいちょーい。堂々巡りだからそれ。ねー？　幼馴染にも言えないようなこと一つや二つくらいあるもんねー？」 「……」 　顔を覗き込むようにしてしゃがみ込んだ江良に、ちひろはまた頷いた。 「……っ」 　その答えが、花咲の反感を買う。 「なにそれ。この前だって、かざの誕生日パーティに来てくれなかったし！　もういい加減にしてよ！」 「おおふ……か、かざちゃん？」 「ちーなんてもう知らないから！」 「おおいっ！　そういうのは私がいないとこでやってくれぇ……」 　走り去ってしまった花咲を、ちひろは追いかけること無く帰る準備をし始めた。 　江良は花咲とちひろを交互に見て、逡巡した挙げ句花咲を追いかけることにしたのか教室を去っていった。 「ちーちゃん、あの……」 　ランドセルにぶらさがったシブマルが声を出すが、 「いい。お前が教えてくれなくてもヤーマンとすみちゃんが教えてくれる」 「そう、じゃないんだ。言いたいことがあって」 「なに」 「友達はさ、大切にしよう？　確かにいつ怪人が出てくるかわからないけど遊びを毎回断ることなんかないって」 「どの口が……かざちゃんの誕生日パーティーは、いけなかった。どっちみち、いつ来るかわかんないのに遊んでても楽しくなんかないから……」 「…………」 　シブマルは萎んだように縮こまった。 　彼女にここまで重圧をかけたのは、他でもないシブマルだったのだ。ヒーローという責任を我が物顔で押し付けていた。自分のことを棚に上げて。 　だからこそシブマルは―― 「……！」 　意を決してランドセルのストラップから外れた。そしてランドセルの中から風呂敷に包まれたステッキを抜き取った。 「おまっ……なにやって……！」 「ずっと考えてたんだ。大いなる力には大いなる責任が伴う。その責任……けじめをここでつける――」 「魔法少女はもう、終わりにしよう」 「は…？」 　突然の宣告に、ちひろは戸惑いを隠せない。 「なに言ってるの？」 「君はもう、普通の暮らしを送った方がいい。このままちーちゃんが苦しむくらいならいっそ……」 「バカなこと言ってんじゃねえよ！」 　熱り立ってステッキを取り戻そうと試みるも、ひょいとシブマルが天井につくほど高く浮かぶ。 「勝手に決めんないでよ……！　ちひろがやめて、フィリアーズがまたすぐに出てきたらどうすんだっ！」 「それは……仕方ないよ。次の女の子を探すまで、俺が戦う。魔法を使うだけなら俺にだって出来る」 「お金は！？」 「岩永さんに頼んで――」 「ふんっ！　岩永さんもヤーマンも信用してるのはちひろなんだよ！　お前じゃない！　いいから返せ！！」 「これはちーちゃんのものでもないだろ！　魔法少女は……俺が始めたものなんだ！　最後に決める責任は、俺にある！」 「お前なんかオマケなんだよカスッ！」 　ステッキの範囲内により、現在のちひろは変身後と同等の感情の昂りを見せていた。 机を踏み台にシブマルを掴み、床へと引き落とす。 「こんなの、ちひろにしか出来ないんだっ……離せってぇっ……！」 「離さない。君には、もう無理だ。辞めたいっていったのはちーちゃんの方だろ……！」 　もみくちゃになりながら、ステッキを引っ張り合う。 　するとシブマルの下半身を入れた壺の中からスマホが溢れた。床をくるくると転がったスマホの液晶に――ハッカドール43号の姿が映る。 『やめましょうよ～。喧嘩はよくないですってぇ～』 　いつもと少し違う43号の声音、というよりキャラクターにちひろとシブマルがピタリと止まった。 　よく見ると瞳や衣装のカラーリングが新緑色に変化している。 『あれ、成功したかな？　実は43号には四つの人格タイプが選べる仕様になっているんです。今はcase03。協調性を重んじたキャラクターになっています』 　確かに、いつもよりも朗らかで柔らかい印象を受ける。 「…………」 　急場凌ぎではあるが、少し冷静になれたちひろは「で？」と一言で返す。 『実はまた渋谷区でフィリアーズが発生しました。目撃情報はセンター街。能力はまだ判明していませんが』 「一日置きに出やがって……」 　スマホを手に取り、ちひろはふとした暑さに額の汗を拭った。 　冷静さを欠いたとはいえ全身が熱い。ちひろは、教室に備え付けられた温度計を見て絶句する。 　まだ六月上旬というのに『30℃』を優に超えていた。 　それどころかまだまだ跳ね上がる。 「な、なんでこんな熱いの？」 『センター街は更に気温が上昇しています』 「まさかこれもフィリアーズの能力？」 『恐らくですが――』 　途端――教室のエアコンが自動的に作動した。 　エアコンの解禁は全校舎七月以降となっている筈なのに。 『なるほど。付近のネットワークに不法アクセスしたところ、各地で電化製品が勝手に作動しているようですね。特に排熱が多い製品が』 「どうして電気がついて熱くなっちゃうの？」 『ふふん。ではでは、43号のサイエンスタイム～ぱちぱちぱち～』 　液晶に見慣れた都会の町並みが映し出された。 　43号はこほんと咳払いして支持棒で指す。気分はすっかりお天気キャスターだ。 『ヒートアイランド現象。緑豊かな自然溢れる大地とは異なり、このコンクリートジャングルの都会では熱を溜め込みやすいんです。ですから、エアコンのファンや、車から排出される熱という熱が街全体にこもってしまう――これがヒートアイランド現象です』 「へえ～……」 「つまり、フィリアーズの目的は渋谷をヒートアイランドにすることなんだ」 『でしょうねぇ。なんせ電化製品の誤作動が確認されているのは、今のところ渋谷だけですから。それもわかりやすくセンター街』 「じゃあフィリアーズがそこにいるってことだよね？」 　ちひろはステッキを乱暴に掴み取った。 「待って。やめるって決めた筈だ」 「決めてない。やめたいって言ったけど、やめるなんて言ってない」 「そんな気持ちで戦うならやらなくていい」 「ちひろ以外にあてなんかないクセに」 　吐き捨て、ちひろは駆け出した。 　シブマルは43号もといスマホを壺に入れてちひろの後を追う。 　屋上へと飛び出し、ランドセルをひと目のつかない場所に放ったちひろはステッキを宙に突き出す。 「変身！」 　七色のオーラが少女を包み込む。 　ツインテールに青のドレスへと可憐にドレスアップした魔法少女は、屋上を強く踏み込んでセンター街まで飛翔した。 [newpage] 魔界城エンシェントサークル 　漆黒に閉ざされた王座の間――。 　魔女は、今日も水晶から美少年たちの箱庭を眺めていた。 　狂おしいほどに、美少年が入り乱れる恋模様は見ていて飽きない。とはいえ、このような小さな箱庭で満足するほど魔女は魔女でなかった。 「――レディ様」 　従者の呼びかけに、レディは視線のみをそちらに向ける。 「マグラ……なに？　いま、凄く良いトコなんだけど」 「申し訳ありません。ご無礼を承知で報告があります。実は研究班より、マッドフェアリスとウインタードクターがレディ様を人間界に顕現させる装置を完成させたとのこと」 　エンシェントレディへの畏怖に身体を震わすマグラ。 　彼女はメイド服の奥の肉体に湿り気を帯びさせ、忠誠を誓った主に下卑た笑みを浮かべる。その目に宿したピンクのハートがドクドクと震えていた。 「ありがとう。前みたいに、この身体に負担がかかるのは無しよ」 「次こそ必ず……失敗は有り得ません。しかし万が一を考え、私がご同行を――」 「いえ、来るのは一人でいいわ。来なさい漆黒の捕食者」 「えっ」　 　やる気に満ち溢れていたマグラの顔が曇る。 　その横から、闇から呼応して現れたのは白髪混じりの少年であった。被っていたコートのフードを外して、その反抗的な眼差しをレディに見せる。 「ああ貴方っ。箱庭上がりの分際でレディ様になんて……っ」 「いいのよマグラ。彼のこういう顔がたまらなく好きでサークルに入れたのだから」 「……んで、何のようですかレディ様」 「魔法少女よ。貴方、この前逃したんですって？　少し付き合いなさい。私がお手本を見せてあげる」 　そうレディは嗤って、赤の魔書を片手に持って立ち上がった。 [newpage] 東京都渋谷区宇田川町　センター街 　ビルの大型ビジョンを遮る蒼の飛翔物体。 　いつものように、渋谷の住人が空へと指をさして渋谷の魔法少女の登場に興奮を見せるも――今回ばかりは活気が半減しているようだった。 　この日、渋谷駅の最高気温が『35℃』に達した。 　ありとあらゆるダメージを軽減させるブレイブドレスでさえ、そのこもった熱を肌で感じてしまう。直射日光により、さらにうだる暑さに負けじと諸悪の根源であるフィリアーズを捜索する。 「見つけたッ！」 　場所は商業施設の屋上。 　ビアガーデンが開催されていたようで、パラソルや即席のテーブル席が見受けられるが、この猛暑に絶えきれず中止となったのか。はたまた全身電化製品の怪人の出現によって逃げ出したのか――。 　怪人は屋上の中心に立ち、可視化された電磁波を高所から渋谷一帯にかけて飛ばしていた。 　こちらには気づいていない。 　先制攻撃チャンス。ちひろは、ポケットから畳まれた紙幣を取り出そうとするが―――――― 「――アレがそう？」 「はい。渋谷の魔法少女……それと、囚人一名。取るに足らないザコですよ」 　怪人の側で、少年に傘をささせて優雅に椅子に座る貴婦人が居た。 　よく見ればそれは西洋のドレスではなく、漆黒のウェディングドレス。顔に垂れたベールからでもその端正な顔立ちが伺える。 「アイツ……ダークネスイーター！」 　まず、ちひろが視認したのは傘をさした少年D.E.の方だった。 　込み上げる感情を懸命に堪え、かわりに激しく睨み付ける。対してD.E.は目もくれずに漆黒の新婦の出方を伺っていた。 「俺がやりましょうか？　今度こそ、ここで仕留めます」 「いいえ、結構。やっと、この姿で外に出られたんだもの。母として、愛する息子達の無念を晴らさないと……」 　新婦が緩慢と立ち上がった。 　傘の影から抜けて、ベールを脱いで面を上げた。 「――――ッ！！？」 　シブマルが戦慄する。 　あの新婦の冷笑に、竦み上がった。 　神経の通わない綿とフェルト生地で構成された肉体に悪寒が疾走する。流れない筈の冷や汗が、本能による危機感によって溢れ出る錯覚に陥る。 「ちーちゃん……無理だ。やめよう」 「んだぁ？　もうその話はうんざりだ」 「違う。撤退だ。逃げなきゃダメだ。今までとは比べ物にならない」 「今度は負けたりなんかしないもん」 「そっちじゃない！　あの女こそ――“[[rb:古の魔女 > エンシェントレディ]]”なんだちーちゃん！！」 「なっ……？！」 　その名を聞いた瞬間、ちひろもレディから放たれる腐のオーラに戦々恐々を余儀なくされる。 　いずれ相見えるラスボスと早々に対面したのだから。 「……へっ！」 　だが、“勇み”こそ渋谷の魔法少女の真髄―― 「じょ、上等じゃねーか。ここでやっちまえば全部終わるんだろ？　ならここでちゅぶす！」 　硬直状態にあるシブマルを無視して屋上に着地。 　両替してきた五百円玉を投入する。 　チャリンッ。 　白のステッキを、ソードモードへと変形させて構えた。刃を左手に添え、その剣先をエンシェントレディに向けて煽る。 「やっと会えたね！　思ったより若いんだ、エンシェントレディって！」 「それはこっちの台詞よ。こんなに小さいなんて聞いてないわ。でも、そのわんぱくさ加減、嫌いじゃない」 　レディは嬉しそうに赤の魔書を片手で開いた。 　ババババッ。 　無風にも関わらず、ページが独りでに捲られ出す。 「……っ」 　まず先に反応し、行動を起こしたのはD.E.だった。 「ドライモン！　お前は一旦退け」 「へ？　し、しかしD.E.様。我はここで人間を乾きに陥れるのが定め」 「俺の命令が聞けないのか？　どのみち、こんな場所に居たら巻き添えを食らうぞ。退け！」 「御意！」 　D.E.が指を鳴らした途端、怪人ドライモンの前方に闇の渦――ヘルゲートが出現した。 怪人はその渦にのまれるようにしてこの場から離脱する。 「またこのパターンかよ」 「お前にとってはこれで正真正銘、最後だよ。悪いことは言わない。生きたいなら……さっさとその白いステッキを置いて帰ることだな」 「D.E.？　何故、貴方が彼女に選択肢を与えるの？」 　レディが不思議そうに訊ねた。 「い、いえっ……！　申し訳ありません。出過ぎた真似を」 「いいのよ。貴方はそこで見ていれば」 「…………」 　膝を付き、面を下げたD.E.の手は震えていた。 　先日、ちひろ相手に強気な態度を取っていたのが嘘のようだった。母親に叱られるのを恐れた子供のように相手の顔、機嫌を伺っている。 「だっせ。なにビビってんだよ」 「やめておけ。お前が敵う相手じゃない」 「ううん、敵う。ここで勝てば、お前にも勝ったことになるからそこで見とけ……よッ！」 　足場を蹴った。 　出せる速度をフルにしてソードをレディに向けて突く―― 「残念だわ。よく考えてみれば、魔法少女って少女なんだから男の子なわけ無いものね……」 「あれっ？」 　確かにレディの胸部を貫いている。 　ただ、手応えが無い――幻影であった。掻き消え、ちひろは瞬時に状況を理解して声のする背後へとソードをそのまま水平に回し斬る。 　パスッ。 　しかしその刃は、赤の魔書を閉じただけで受け止められてしまった。更にソードモードがちひろの意志関係無しに解除され、ステッキの形態に戻されてしまう。 「面白いわねこのステッキ。一体サークルのどこに隠されていたのかしら。私、知らないわ」 「離せっ。ぐにゅにゅ……！」 　ピクリとも動かないステッキに、ちひろは機転を利かせてその状態のまま千円札を投入して炎の魔法を発動させる。 「本ごと燃やしてやる！」 　意気がるちひろだが、しかし―― 　シュウゥゥ……。 　小さな黒煙が立ち昇るのみ。 「そんな……？！」 「あらら。今のが魔法？」 「ち、違う！　卑怯だぞ何だよそれ！」 「これ？　これは今となっては私そのもの――魂よ。魔界のありとあらゆる魔法を記述し、唱えられるように細工したもの。ようやく取り戻すことが出来たの。この身体は……少し地味だけれどまあいいわ」 「なに言ってんのかじぇんじぇんわかんない！」 「ところで貴方のそれはなに？」 　瞬間――ゼロ距離でちひろのステッキを手にとった。 「――ひっ！？」 「さぞかし……楽しかったでしょうね。お空が飛べて、魔法が使えて、手頃なモンスターをやっつけて、多くの人々に称えられて。ねえ、楽しかった？　私の息子たちを殺すことがどれくらい楽しかったか私に教えてくれない？」 「あ、ああ……楽しかったね！　不細工なテメェの息子、ブチのめすが快感だったよバーカ！」 「素直でよろしい」 　レディがにこりと笑った。 　途端、そのステッキを持つ手から、幾つもの微細な魔法陣が重なり合う。何処からともなく漂う腐臭にちひろが気を取られたとき。 「ちーちゃん離れろっ！」 　シブマルの声に、ちひろは咄嗟にステッキを引き抜き飛び上がった。 　上空に足場を作って地の利の間合いを取る。 「今なら間に合う。逃げようちーちゃん。いや、逃げなきゃダメなんだ！」 「う、うるさい！　ちひろは逃げたりなんかしない！　……そうだ。これならきっと一発でやっつけられる……！」 　ポケットをまさぐり、しわくちゃになった千円札を乱雑に掴み取る。 　なおも戦う姿勢を持つちひろに、シブマルは理解に苦しみながら前に出た。 「俺の言うことを聞けよ！！」 「……っ！」 　それは、初めてのシブマルがあげた怒声だった。 「エンシェントレディは必ず倒す。でもそれは、今じゃなくていい。そして、君じゃなくていい。俺が君と誓ったのは、悪の手から皆を守ることだ。だから今は逃げるんだ。ちーちゃんには家族がいる、友達がいる、まだまだやりたいことだって沢山あるでしょ？」 　懸命に訴えかける。 　だが、その声はちひろに届かず、ちひろは半笑いで、 「やりたいこと？　あるよ……まず最初にそれは、アイツをぶっ倒すこと」 「ちーちゃん！」 「どけッ！」 　シブマルを払い除け、ちひろは無数に掴み取った千円札をばら撒く。 　その中から一枚の特殊な紙幣を二本の指で摘み、投入する。 　五千円札もとい投入金額五千円――千円単位で呼び起こせる五元素魔法とは異なる、この世を二極化で頒つ理の上級魔法―― 「これで…………消えちまえーーーーーーーーっ！」 　コオオオオオオッ！！ 　ステッキの先端から光の粒子砲が放たれた。 　しかし―― 　レディには届かない。 　彼女を覆う紫煙の瘴気が光を分散させる。 　冷めた無表情で、魔法に力を込めて踏ん張る表情のちひろを眺めながら魔書を開いた。前方に魔法陣が浮かび上がり、その円状に描かれた紋章の一つ一つから闇の粒子砲が出射される。 　それらは廻りながら中心へと収縮していき。 　巨大な闇柱となりて一気にちひろ目掛けて放たれる―― 「っ！？　うああああぁぁぁっ！！？」 　小さな身体に真正面から闇が衝突する。 　ブレイブドレスが大破し、その蓄積ダメージをオーバーフローさせて勇気ちひろ本人の肉体に負荷を与えた。 　空中で変身が解除される。 「くっ！」 　落ち行くちひろに、すかさずシブマルが自らクッションとなる。 　それでも地面を転がったちひろのダメージは大きい。 　全身に擦り傷などの軽傷を負い、もはや動くことすらままならない。闇の魔法により、精神も汚濁されていた。恐怖で全身が痙攣し始める。 「あ……あぁ……っ」 「大丈夫。いま助けるから。43号ちゃんに頼んで、岩永さんと刀也くん達を呼んでるから……！」 　非力なぬいぐるみの力で、シブマルは何とかちひろを引きずってこの場から逃れようと試みる。 　ガスッ！ 　しかし、D.E.がシブマルを蹴り上げた。 　冷酷な表情でちひろを見下す。そして、目を閉じて一歩下がった。出来すぎた真似をする前に。 「――これは代償というのよ」 「うぅっ……あぁぁっ……！」 　ちひろの身体がレディの魔法によって浮遊する。 　ガンッ！ 　そのままコンクリートの壁へと容赦なく打ち付けられた。 「おてんばでわんぱくな子供は好き。でもね……この身体になって、性癖が少し変わったけれど、今も昔も変わらないのは、そう――女は私の敵よ。それはいずれ、私並に美しくなりかねない子供も同じこと。そうならないように砕くのもいいけど……ああ、“一生そのままにした子供”もいたっけ。貴方はどちらがいいかしら？」 「やめて……殺さないで……お願いします……」 　小刻みな過呼吸で、ちひろは目尻に涙を浮かべて懇願する。 　今の彼女は、勇気ちひろでしかない。本来の、気の弱い勇気ちひろ――。 「あら、さっきまでの威勢はどうしたのシンデレラ？　魔法が解けると灰以下のドブネズミなのね」 「助けてママ……パパ……やだ、死にたくない」 「…………」 「ちひろ死にたくない。やだよっ、やだやだやだや――」 「おだまり」 　その一言で、口が閉じられる。 　恐怖を表す動作も鼻息と流れる涙でしか現れない。 　レディは、鼻水を垂らして泣き出すちひろへと顔を近づけた。そして青い前髪を上げて、おでこにキスをする。そのままゆっくりと壁にちひろを貼り付けたまま一歩、また一歩と下がる。 「……覚えておきなさい。古の魔女に男は敵わない。老いた女は朽ちるのみ。うら若き女は既に死に。若すぎた女は若さゆえに自滅する。とんだ勇み足ね、渋谷の魔法少女――」 　魔書を片手に、もう片方の右手をちひろに向けた。 　先程の闇魔法より凝縮された、一撃必殺の魔弾を創り上げる。纏う腐の瘴気が地面のコンクリートを腐り焦がす。 「これで終わりよ――」 　闇の魔弾が放たれた。 　ギュゥンッ！ 　ちひろは反射的に目をつむった。 　そして―― 　数秒が経っていた。 　まだ、死んでいない。 　恐る恐る目を開けたちひろが目撃したのは―――――― 　シブマルだった。 　壺が砕け、半身を失ったシブマルだった。 　焦げた綿が宙を舞い散る。 「え……………」 　ポトッ、と質量を感じさせない音がした。 　倒れたシブマルはもはや頭しかなく、その兎特有の長耳さえ片方を失っている。ガラスで作られた眼鏡もまた完全に砕けてボタンの簡素な目が露わとなった。 「シブ……マル……？　あれ、え……え……」 「あはははははははっ！！」 　レディが口に手を添え、哄笑した。 　おかしさのあまり涙が出ると指で拭いながら、 「思ったよりも賢いのね。それ、何の意味を持つかずっと疑問だったのだけれど……身代わりだったの！　うふっ、あはははっ！！」 　レディが笑うことに夢中になって、ちひろを壁に貼り付けていた魔法が解ける。 　膝から落ちたちひろは顔面を地面に打ち付け、鼻血を垂らす。しかしそんな痛みよりも目の前で原型を失ったシブマルへと這いつくばる。 「シブマル？　ねえ、シブマルって……」 「あらあら、誰が勝手に動いていいってい――ぐっ！？」 　とどめを刺ささんとしたレディに異変が起こった。 　くらりと倒れそうになり、踏み止まる。 「レディ様！」 　駆け寄ったD.E.に、レデイは手で制した。 「もう時間みたいね。何よ、まだ完成してないじゃないのマグラ……またお仕置きが必要みたいね……」 「戻られますか」 「ええ、出してちょうだい。後始末は一任するわ」 「……了解」 　D.E.は手をかざし、丁重にレディをヘルゲートへと送り込む。 　闇へと溶け込む間際に、レディはちひろを一瞥した。それから鼻で笑って踵を返し、人間界を後にした。 　屋上に、ようやく静寂が戻る。 　後始末を任されたD.E.は溜息をついて、それに目をやった。 「やだよ……やだよシブマル、起きて……」 　這いつくばり、シブマルへと手をのばす。 　シブマルの口が微かに動いた。 「不思議だね。痛くは、ないんだ。魔法って、凄いなあ」 「あ、あはっ。よかった。待っててね。いま、皮とか、綿とか集めるから……」 　何とか座り込み、付近の焼き焦げた綿やら布やらを掴む。 「でも、もう長くないって、わかる」 「や……やだ」 「ごめんねちーちゃん」 「やだって！」 　シブマルの頭を掴む。 　そして、抱えたまま呼びかける。 「謝るのはちひろの方だよ！　逃げれば、良かったんだ……シブマルの言う通りにすればこんなことにならなかった……！」 「いいんだ。いいんだちーちゃん。俺が、全部悪いんだ。嘘ついて、君を、利用した。君に戦わせて、エンシェントレディに、復讐しよう、とした。俺が、一番、ズルい、大人なんだよ……ごめんね……ごめんね……」 　泣いていた。 　涙は出ていない。 　それでも、声でわかってしまう。 「君がこんなに、ボロボロになるなんて、思いもしなかった。ヒーローは無傷だって、勝手に、思ってた」 「泣かないでよ。ちひろ、全然痛くないよ？　どこも痛くなんかない」 「俺が痛いんだ。ずっと、痛い」 「あ……あぁ……そ、そうだ。刀也お兄ちゃん、裁縫も得意なんだって。高校は家庭科部だって言ってた……から。わっ」 　立ち上がろうとするも、激痛により膝が曲がって転んでしまう。 　それでもシブマルを抱えたまま、這いつくばる。 「ちひろが間違ってた……アイツの、言うとおりだ。魔法少女になって楽しんでた。やめたいって思ったけど……楽しいから、やめなかった。ゲームみたいって思ってたんだ……」 「違うよ……ちーちゃんそれは……」 「ちひろなんて、ヒーローになるべきじゃなかった。ヒーローの資格なんてなんにもないのに……」 「それは違うんだちーちゃん！」 　力を振り絞り、シブマルはそう叫んだ。 　ちひろは前進を止めて傍らに持ったシブマルを見る。もう、口も動いてなかった。それどころか言葉では表せない温かさが徐々に消えていくような気がして、咄嗟に両手に持った。 「覚えてる？　初めて、会った時のこと……俺は、魔法少女、探して、いろんな、女の子、声かけて、ことごとく、逃げられて、た……よね……」 「うん、覚えてる。覚えてるよ」 「でも、ちーちゃん、だけは、逃げなかった。逃げ遅れた、だけ、かも、しれないけど、俺の話を、聞いてくれた」 『――魔法少女？』 『うん。アニメや漫画であるでしょ？　あんなようなやつ。変身して、みんなを守るんだ。俺と一緒に戦ってくれる？』 『やだ』 『えっ』 「それでも、君は、追ってに、追われてた俺を、助けるために、変身、してくれ、た」 「うん。うんっ……」 　ちひろはシブマルが消えてしまわないように、強く抱きしめる。 「ちーちゃん。俺は、君が、誰よりも強いって、思ってる。それは力の強さ、とか、凄い魔法、とかじゃなくて、なんて、いうんだろ――勇気。そう、勇気だ。立ち向かう為のものじゃない、誰かに分け合えることができる、この世で最も強い心の力――“勇気”――君には、それがある――」 「変身しなくても、君は充分に強いんだ」 「だからその勇気だけは、大切にして――――生きて」 　糸で結ばれた左目のボタンが、外れた。 　急速に何かが失われていく。抱えていたものが、ただの布と綿の塊となり、 「……ぁ」 　命が、失われた。 『ここです！』 「ちーちゃん！」 　階段を駆け登ってきた岩永、刀也がようやくやって来た。 　しかし、ちひろの前方に障害が立ち塞がった。 　コートのポケットに手を突っ込んだ少年――D.E.。這いつくばっているちひろを見下ろし、少し息を吸い込んでから、口を開く。 「そいつの本名は――渋谷ハジメ。二十歳の大学生だ。美少年誘拐事件の被害者の一人、そいつだけ手違いで箱庭に連れ去られて来たんだ」 「…………」 「妖精って設定は無理があるよな。……教えてやるよ。年長者としてリーダーを気取ったコイツは、箱庭のガキたちを集めて脱走計画を始めた。けど、失敗に終わった。コイツに賛同するガキが少なかった。計画も詰めが甘かった。結果、人間界に繋がるゲートへと逃せたのはたったの一人。他のガキは……厳しいバツを受けた。コイツは、足をぶった切られた。そんで公開処刑――と思いきや、ぬいぐるみに魂を移され、人間界に逃げて…………後はわかるよな。お前と出会った。出会っちまった」 「…………」 「正義にこだわって、自由をせがむからこうなるんだ」 「…………」 「なんの意味も、結果もなかった！　どうしようもないヤツだ！　死んで当然のろくでなし野郎なんだよ！！」 「…………」 「はぁ……はぁっ……！　おい、どうした。なんとか言えよ。ソイツをいじめていいのはお前だけだったよな！　どうしたオイ！」 「…………」 　何も、言い返す気力なんてない。 　完全に虚脱していた。 　心がすっぽりと抜け落ちたちひろの目は、何も映っていなかった。それを見てD.E.は歯をギリリと食いしばり、 「ッ……はは、アハハッ！　腑抜けが！」 　顔を手で覆いながら嘲笑った。 「もう懲りただろ……二度と、俺達の前に姿見せんなよクソガキ」 　そう言って、D.E.は闇へと溶け消えた。 　唖然と立ち尽くす岩永と刀也。 「うぅ……うぅぅあぁぁぁ……」 　シブマルの頭を抱えたちひろが泣き出す。 　口を開け、ただひたすらに高ぶる感情のままに啼泣する。 　それくらいしか――10歳の少女にする術はなかった。この情けない姿が本物の自分なのだと、青空に泣いた。 [newpage] [chapter:『命名「デットヒートアイランド現象」灼熱地獄と化した渋谷　一体何が！？』] 　ああそれと、臨時速報です！ 　昨日未明、若者の街渋谷の気温が一気に急上昇する超常現象が起こりました。その名も『デットヒートアイランド現状』。デットがついちゃってますよデット！ 　最高気温は『44℃』。埼玉県熊谷市の比ではない国内最高気温を越え、湿度も相まってもはや自由に歩ける環境下ではありません！ 　今現在、政府が調査にあたっていますが、本来のヒートアイランド現象とは異なり治まる気配が全然ないそうです。 　みなさ～ん！ 　渋谷には絶対に行っちゃダメですよ～！ 　六月に熱中症なんて、もう笑い事じゃありませんから！　お仕事とかでどうしても渋谷区に行かれる方はお水、塩分忘れずに！ 　では、お天気お伝えしていきました～。 　詳しいお天気は、お天気アプリ『ウェザーニュース』でご確認下さい。以上、ウェザーロイドTypeA Airiでした～。 　まったね～。 [newpage] 　森中花咲は汗を流しながらその門を開けた。 　それは決して、デットヒートアイランド現象によるものではない。ちょっとした緊張からくる発汗作用であった。 　庭先を歩いて玄関へと辿り着く。 　もう『勇気家』のチャイムは鳴らしている。 　少し経ってから、扉が開かれた。 　出てきたのはちひろの父親であった。 「ああ、花咲ちゃん。こんばんは」 「遅くなってごめんなさい。これ……今日の連絡ノートです」 「ありがとう。渡しておくね」 　二日連続、ちひろは小学校を欠席していた。 　教師は風邪だと言っていたがそんな兆候は無かったと花咲は記憶していた。扉の隙間から、階段の奥を見てみるがちひろの姿は無い。 「あの、本当に風邪なんですか……？」 「……」 　訝しがる花咲に、ちひろの父は観念したように話し始める。 「ごめんね花咲ちゃん。あの子、本当はなんていうだか……心の病気、なんだ。この前、凄い怪我をして帰ってきてね。親切な人に包帯とか、絆創膏とかお世話にはなったみたいだけど……何があったか話してくれなくて」 　よく見れば、ちひろの父の目元には隈ができていた。 　心做しかやつれているようにも思える。 「あ、会えますか！　今すぐ……ちーに！」 　身を乗り出した花咲だったが、ちひろの父は首を横にふった。 「……すまない。お医者さんには、大人しくさせろと言われていて。でもね、きっと必ず回復するから。待っててあげてくれないかな」 「そんな……」 　――かざのせいだ。かざが怒って、怒ったから……。 　トボトボと勇気家を後にする幼馴染の後ろ姿を、ちひろは部屋の窓から横目で見ていた。 　それからまた布団を被った。 　目を閉じることが出来ない。 　暗闇になれば、またあの魔女が襲ってくる。 「……うぅ」 　そんな恐怖に、膝を抱えて縮こまってしまう。 「シブマル……」 　魔法少女として、唯一心境を打ち明けることが出来た存在。 　もう勉強机に彼はいない。不安な時に、ぬいぐるみとして彼を抱きしめたまま眠ることが出来ない。一緒にゲームも出来ない。もう会えることはない。 　――どうして、あんなことを言っちゃったんだろう……。 　酷い言葉で彼を傷つけた。 　やり直すことなんて、もう出来ない。 「ひっく……うぐ……」 　思い出す度に、涙が溢れた。 「お父さん、お仕事休んだから。今日はずっと家にいるから。何かあったら呼ぶんだよ。絶対だ」 　父親の苦しそうな表情が、胸に突き刺さる。 　今日もまた小学校を欠席した。身体は回復こそしているが、精神が癒える見込みはない。戦意喪失―― 　ブレイブステッキもシブマルの亡骸も岩永に預けた。 　クーラーの効いた部屋で、ひたすらに天井を眺めているだけで時間が過ぎる。何気なくTVを付ければ、どれもデットヒートアイランド現象についてのニュースばかり。熱中症で倒れる人が相次いでいる。 　――ちひろが勝てば、こんなことにはならなかったんだ。 　どんなに危険な街でも、街が街である以上渋谷には人が集う。仕事でも観光でも興味本位でも危険と隣り合わせに自ら行く人がいる。 「…………」 　ちひろはふと思い立ち、ベッドから出た。 　居間にいる母親に気付かれないようにそうっと家を出る。センター街から離れた住宅街にも、生ぬるい熱風が入り込んでいた。 　通学に使う黄色い傘を、日傘代わりにして昼間の外を出歩く。 　途中、住人用の掲示板に捜索願がされた例の美少年達の顔写真を見つけた。美少年誘拐事件――これもまたエンシェントレディの仕業だ。シブマルはその被害者だった。彼も、本当は普通の人間だったのだ。 「シブマル……」 　ぼそりと呟き、あの商業施設の屋上を目指す。 　まだ拾えていないシブマルの残骸があるかもしれない。そう思って。 　さすがにセンター街は、過去最高に人の数が少なかった。早朝よりも少ないんじゃないかと付近の若者が語り合う。 　警察やおせっかいな大人から逃れるようにして渋谷を彷徨う。 　どのビルが、あの商業施設かわからなかったのだ。いつもは空を飛んでいたから、視点が異なると脳内の地図があやふやだ。 　さんさんと容赦なく日差しが照りつける。 　デットヒートアイランドの、高温により体内の水分が持ってかれる。そろそろ頭がくらくらとしていたとき―― 「お水だよ」 　ピト、とほっぺたに冷たいペットボトルがあてられた。 「ひゃっ！？」 「あははっ、ダメじゃないかちーちゃん。渋谷なんかにいたら……ていうか、幼女が一人で出歩くなよ。ハイエースに狙われたらどうすんだ。この世は不審者で溢れかえってるんだ」 「と、刀也お兄ちゃん」 　顔を上げるよりも先に、声と口調で判明した。 　キャップを被った刀也は奇妙なエプロンをつけて、四角いクーラーボックスを背負っていた。 「なにしてるの？」 「ん。ああ、学校がお休みになったから叔父さんの手伝いをしてるんだ。ほら――」 　刀也が指をさした方向には、店先で水を配っている岩永達がいた。 「水でーす！　今ならお菓子もついてきまーす！」 「はいはーい！　赤字覚悟でやってるよー！　SNSで拡散して1万RT稼いじゃってね～！」 「何ならこのイケメンの口づけでもお渡ししまーす」 「え、なんで？」 　異国カフェでエアル、鳴、ギャルと共に、熱中症対策として無償で水を配布していたのだ。 「人を助けられる、店の宣伝にもなるから一石二鳥だって言ってね。ちなみに僕はパトロールを命じられて全身オアシスと化している」 「全身オアシス……」 「さあホラ、お店の中に。鳴くん辺りに家まで送ってって貰いな」 　刀也に背中を押され、甘ったるい匂いのする異国カフェへと入店を強制されてしまう。 　店の中は店員も客もいなかった。何もかも全て、外のボランティア活動に回してしまっているから。 「あっ、ちーちゃん。どうしてこんなとこに」 「岩永さん……」 　ようやく取り戻した体重を逆に減量する勢いで汗を流した岩永が、戻ってきた。 　カウンター席にちょこんと座るちひろにお菓子を提供する。 　この猛暑の中でいきなりの糖分の塊にちひろは青ざめた。 「おかげで新しい仕事先が見つかりました。異国カフェっていうんですけど……ちーちゃんなら、いつでも大歓迎です。なんなら渋谷の魔法少女の拠点にでも――と」 　言いかけて、すぐに止めた。 　失言だと岩永は口元を片手で抑えて悔い改める。それから少しの間、沈黙を続かせてから岩永は訊ねた。 「もう、魔法少女になるつもりはないんですね」 「……うん。もう、やらない。やっちゃだめなんだ。ちひろはヒーローなんかじゃないから」 「…………」 　あの日、あの場所で何があったかを43号から聞いていた。 　全ての大元であるエンシェントレディに完敗し、渋谷の魔法少女の半身というべきパートナーを失った。挙句の果てにデットヒートアイランド現象は加熱する一方で被害者は続出。警察パトロールやボランティア隊まで熱中症に倒れるなど元も子もない。――この全てに対し、ちひろは自責の念に苛まれていた。 　それを頭で分かっていても、岩永はかける言葉が見つからなかった。 　ネット上においては、きっと渋谷の魔法少女がこの現象を止めてくれるといった希望的観測が相次ぐ。渋谷の魔法少女を最後の希望と称して。 「……はは」 　やがてちひろは自嘲するように乾いた笑いを浮かべ、 「ねえ、岩永さん。シブマルって大学生だったんだって。ずっと妖精って嘘ついて、ちひろの側にいたんだ……知らなかったよ」 「……はい。驚きました」 「なにもかも嘘だったんだ……もう、わからないよ……」 　嘆くちひろ。 　しかし岩永は首を振り、立ち上がった。 「たとえ嘘で君を利用していたにせよ、彼の全ては否定できない。俺がこの場所にいるように――どんな過ちでも、その人の全ては否定できない。少なくとも彼の最期の言葉に嘘偽りはなかった筈」 「最期の……言葉……」 『だからその勇気だけは、大切にして――――生きて』 「勇気……」 「本当は、俺も君を利用していたんだ。君に恩返しという建前で協力を惜しまない姿勢でやってきたつもりだったけれど、それが自分の謎に繋がるんじゃないかって見返りを信じていた。それでも彼の――シブマルの正義感は嘘じゃない。旗から見ていても、彼は本気で君にヒーローになってほしかったんだ」 「…………」 　岩永太貴が背負った業もまた果てしない。 　空白の一年以上もの間、自社『いちから』を裏切るなどの悪行を重ねていた。さらには『いちから』が爆破され、若き社長が行方不明になるなど謎は深まる。当惑する暇もなく、今もなお岩永太貴という野放しにされた凶悪犯は後ろ指をさされて写真に収められてしまう。 「正直、俺は今も、君に魔法少女になってほしいと思ってしまっている。とても利己的な考えで」 「ちひろは……」 「わかってる。最後に決めるのはちーちゃんです。これからどうするか、何をしたいのかを決めるのは本人の意志だから」 　岩永は力強く頷いてみせた。 　出し抜けに、店のベルが鳴った。 　そこにはパトロール中の刀也が、意識を失った少女を抱えてやってきた。横から京子が少女に呼びかけている。 「ダメだ……ソファに寝かせて！　私、氷取ってくる！」 「大変だ……！」 　すかさず岩永も助けに入った。 　異国カフェ総動員で一人の少女に集中する。ちひろは俯いていた顔を上げて、心臓が跳ねた。 「――かざちゃん！？」 　搬送されてきたのは幼馴染の花咲だったのだ。 　椅子から飛び跳ねるようにして、ソファ席に寝かされた花咲の手をとった。側に居た刀也が花咲の様態を図りながら、微笑む。 「また同じ状況だね。安心して、軽い熱中症だから」 「この子、ちひろの友達……幼馴染のかざちゃん。どうしてここに」 「そうなんだ。誰かを探していたんだよ。後ろからそうっと声をかけようとしたら倒れちゃってさ。きっと……ちーちゃんを探していたんだろうね」 「え……」 　勇気家と森中家の距離は近い。 　家を出たちひろを目撃し、花咲は心配でやって来たのだ。 「ちー……」 　微かな声がする。 　ちひろは、狼狽えながらその手をぎゅっと握った。 「凄い勇気だ。この子も、渋谷の魔法少女に感化されていたのかな」 　花咲のポケットから溢れたキーホルダーを手にし、刀也は呟く。そのキーホルダーは渋谷の魔法少女ファンクラブのものだった。トレードマークの青いリボンが結ばれた簡素なもの。 　――そっか。かざちゃんも……。 　ふと、シブマルの最後の言葉が浮かんだ。 　ショックで忘れていた言葉が鮮明に浮かびだされる。 『立ち向かう為のものじゃない、誰かに分け合えることができる、この世で最も強い心の力――“勇気”』 『君には、それがある』 　――勇気。 　――勇気なんて、あるのかな。こんなに弱虫なのに。またかざちゃんに迷惑かけちゃったのに……。 『みんなに笑われてるよ？　勇気って名字なのに勇気には勇気がないー……ってね』 　胸に手を当て、ちひろは下唇を噛みながら目を閉じた。 　――誰かに分け合えることができる勇気なんて……ちひろには一個もない……。 　また嘆き、悲しむ。 　そうこうしているうちに大切な人がまた傷つく。 　ヒーローになってしまったからこんなことになったのだと。 「――みんな、君の勇気に感化されたんだよ。ちーちゃん」 　刀也が言った。 「渋谷の魔法少女という勇気がいたからこそ、みんなも勇気を持つことが出来たんじゃないかな。この店にいる人間はみんな君のファンだ」 　そこでは再び、水配りに勤しむエアルの姿があった。 　店内では岩永達が花咲の看病にあたっている。 　外では別のボランティアが走り出す。 　誰かが、誰かの為に動いている。 　――勇気そのものだ……。 　――優しさを励みに、勇気が行き届くんだ……。 　伝播する勇気が人を強くする。 　勇気を分かてば誰だってヒーローになれる。 　そしてヒーローでない限り、誰も救うことは出来ない。 「――ちひろが勇気そのもの……そっか！　そういうことか！」 　ちひろは声を上げて駆け出した。 　シブマルの最期の言葉を心で理解した。 　そして氷をタオルに包む作業に加わった。鳴と京子が感嘆の声をあげる。 「おっ、サンキュー。ちっこいのに偉いなあ君」 「もしかして岩永さんの娘とか？」 「ううん。違う」 　そして黙々と花咲を看病するちひろに、岩永は口元を綻ばせる。 　ちひろの熱中症に対する応急処置を適切であった。怪人と戦う以外にも、この前の風邪騒動があるように、念の為に人を救う術はシブマルと共に学んでいたのだ。 　鳴と京子が息を呑んだ。 　救急車が到着するまでの可能な限りの処置を施し、ちひろはその精悍な顔を岩永に向けた。 「ちひろ、助けたいな。もっと……大勢を助けたい。そのために戦いたい」 「……これからもっと、悩むことになるかもしれないけど」 「そうかもしれない。でも、悩んで悩んでちひろは強くってみせる。この勇気だけは……失いたくないから！」 　――そうだ。変身しなくてもちひろは強い。 　――でも、変身すればもっと強くなれる。でもそれは……誰かを勇気付ける力なんだ！　この勇気が誰かの勇気になる！ 「――デットヒートアイランド現象を止める。力を貸して、岩永さん」 「……わかりました」 「あのー急になに言ってるんですか？」 「暑さでやられちゃった」 　謎の言動に怯む鳴とギャルを他所に、ちひろは言う。 「……あのね、ちひろも岩永さんを利用してるよ。だから岩永さんもちひろを利用していい。ていうかそれってつまり協力じゃん」 　ニッ、とちひろは笑った。 　岩永も安堵に笑い出す。出会った頃よりも、とてもいい笑顔をしていたから――。 「一応、ステッキならいつも持ち歩いていて――」 　カバンから取り出そうと岩永に、 「へーきだよ」 　ちひろはそのまま手を伸ばした。 　グンッ！とステッキを引き寄せた。それを掴み取り、久々に手に戻ってきた重さにちひろは目を細める。 「え！？」 「嘘、それって……！？」 　呆気にとられた二人に、ちひろはウインクだけで応えた。 　すると岩永が慌ててレジを操作して何枚かの紙幣を取り出す。なるったけ掴み取ってちひろに突き出した。 「これを……！」 「うえっ。う、受け取れないよ。こんなにたくしゃん……」 「いいんです。協力じゃないですか。ヒーロー活動に、還元して下さい」 「……！　……わかった」 　少しの札束を受け取ってちひろは強く頷く。 　それから店を出て、エアルから水を受け取って走り出した。 「気を付けてね～」 　水を飲みながらひたすらに渋谷を駆け回る。 　フィリアーズ――ドライモンの居所は、おおよその見当はついていたが、かなりの遠回りをしてしまった。 　――ビリビリ！　あれが見える場所だっ！ 　駅方面まで走り、振り返ってセンター街を象徴する『109』ビルを睨む。 　目を凝らし、あの可視化された電磁波を発見した。すぐさま変身して飛ぼうと目論むも―― 　グウンッ！ 　謎の重力がのしかかる。 　――ダークネスイーター……ッ！ 　ライバルの魔法と一瞬で分かり、武者震いを起こす。 　変身前の身体では歩くのでやっとだが、それでもビルへと歩を進める。 「行くよ。シブマル……！」 　胸に手を当てて強く祈る。 　そして、ステッキを下段に構えたまま走り出した。強力な闇の重力に逆らい、風を切って斜めに振り上げ―― 「――変身」 　七色のオーラが少女を変える。 　心を置き去りにしていた日々に負けない。 　愛しさと優しさを取り戻した勇気の戦士――――魔法少女ちひろへ。 [newpage] 　目がチカチカしそうなカラフルなエレベーターを駆け上る。 　三階へと差し掛かったとき、漆黒の旋風が前方から押し寄せた。咄嗟にステッキで身を守るも、かまいたちの如く鋭利な風がドレスに傷を与える。 「何度も忠告したのによ……やっぱバカだろ、お前」 「……出たなぁ」 　頬に切り傷がついた。 　流れる血を拭い、このビルを占拠する少年を見上げる。ムフーと鼻息をならして、 「そこをどけ！　それかリベンジマッチだ！」 「悪いけどこの計画だけは邪魔させない。一対一ってわけにもいかないんだよ」 　D.E.は呆れた様子で両腕を掲げた。 　背後から、覚束ない足取りの異形の怪人の群れ――堕隊が出現する。ざっと二十匹を従えているだろうか。 「ま、ハンデにはちょうどいいかな」 「なんだお前。吹っ切れるにも限度ってもんがあるぞ」 「ふんっ。ずっと何かに引きずられてるほど……ちひろも子供じゃないんでねダークネスイタタタタくん」 　――ピキリ。 　D.E.は口角を引きつらせて、 「――殺すッ」 　殺意の赴くままに自身の影を操り、何本もの影の触手を発動させた。 　同時にちひろも対抗してステッキに五百円を投入。ステッキを、長尺且つ両先端に棘を加えたクラブモードに変化させる。 「うりゃりゃりゃ！」 　棒術の華麗な回転によって影の触手を薙ぎ払った。 　道が開かれ、棒高跳びの要領でエスカレーターの段数をすっ飛ばして一気にD.E.に叩き込む。 「へえ。前よりも考えてきたな」 　影の防壁で防がれた。 　が、ちひろはそれを見越し、影の防壁をさらに飛び越えて堕隊の群れに飛び込んだ。 　ボオオオオオッ！！ 　炎の魔法で堕隊を蹴散らす。 「まだまだ……！」 　なおも蠢く堕隊に向けて炎球を放つ。 　だが、それをD.E.が黙って見ているわけがなく、 「ダークグラビティ」 　グウンッ。 　強力な闇の重力がちひろの動きを止めた。 「調子に乗るな。言っただろ、お前の魔法なんて手品以下だ。マジシャンにはもう懲り懲りなんだよ」 　重力に全身の骨が震える。 　どうにかステッキを支柱にして耐える。 「無謀な勇気だけは称賛してやる。これで終わりだ魔法少女」 「うるさい……無謀でも、こんな勇気でも、誰かの勇気に変わる……ッ。この勇姿を皆に届けるんだ。その為にも戦うちひろは――渋谷の魔法少女だッ！！」 　ミシミシミシッ！ 「なっ！？」 　床が歪な音を立てた。そこには円状に切れ目が生じており、重力が増すことで―― 　ゴシャンッ！ 　下階へと崩れ落ちた。 「アイツ……堕隊を倒す間に！　妙な真似しやがって……！」 　驚きのあまり魔法を解除し、D.E.はポッカリと空いた穴を見下ろす。 　――ガコンッ！ 　鈍い音が走る。 　ステッキの投擲がD.E.の額にクリーンヒット。 「あがッ！？」 　のけぞったD.E.。 　真下から跳躍したちひろが、ステッキを上空で掴み取って着地する。 　反対の手には一枚の輝く紙幣――日本国における最高金額の紙幣――一万円札を手にしていた。 　指で挟んだそれをちひろはもう一度、目にする。 　かつて、シブマルと共にあらゆるステッキの魔法を試していたときのこと。 　一万円を一度に使うことはどうしても出来なかった。ステッキが拒絶反応を起こし、磁力のように突き放されたのだ。 「今ならいける……一緒に戦ってね、シブマル……」 　絶対的な確信を持って―― 　一万円札を投入する。 　キラキラキラキラキラキラキラキラーーーッ！ 　ステッキから黄金の輝きが爛々と煌めいた。 　青と白のコントラストが映えた二色のブレイブドレス――各装飾に黄金のラインが迸り、両腕のグローブがバチバチと稲妻を発する。 　魔法少女ちひろレジェンダリー。 　全身に漲るパワーは倍となり、さらには身体そのものに魔力を感じていた。ステッキから流動する魔力、魔導が身体と一体化している。 「まぶちっ！？　うおおおぉぉぉっ！　なにこれなにこれっ、ドレスがちょこっと光ってる！」 　それを感覚で悟ったちひろは興奮しながら自らを見る。 　輝きに目が眩んだD.E.にも、その魔法少女の姿が異常であることを肌で感じていた。魔法少女から放たれている魔力は――常に膨れ上がっていた。 　――そ、それがなんだ。中身はガキだ。今なら一撃で……ッ！ 　無防備にも背中を見せていた魔法少女めがけて鋭い影の触手を放つが、 　パァンッ！ 　一振りで、全てを払い除けられてしまった。 　黄金の粒子が残像を残すようにステッキのカーブを描く。 「うりゃっ！」 　立て続けにステッキから魔法を放つ。 　対価無しで、自由自在にありとあらゆる五元素の魔法をガンガン発動させた。火炎を織り交ぜた突風―― 「くっ！　そういうことか！」 　闇で対抗し、その闇で歪な長剣を創り上げて迫る雷光を斬った。 「魔法打ち放題コースってことかよ……！」 「そうなの！？」 　本人も驚きを隠さずにステッキをソードモードに変え―― 　キィンッ！ 　剣を交えた。 　光と闇に刃を散らしながら、両者共に睥睨をぶつける。 「俺は何度でも否定する……お前の勇気なんて、全部無駄だってな……！」 「お前も……あの行方不明の一人なんでしょ！　なんで、こんなことするの……！」 「ずっと力が欲しかったんだよ。だから、利用したに過ぎない……！　この闇の力で、いずれ俺が王になる……！　いい加減諦めろ！　光であるお前が、闇である俺に敵うはずがないんだよ！」 「ちひろにも……闇はある！」 　そう言って、ちひろは微かに笑った。 　魔法少女ちひろレジェンダリー。 　その力は、全ての魔法を使いたい放題。必ずしも――光に従属するわけではない。 　グゥンッ！ 「なにっ！？」 「ダークグラビティだっけ？　もらっちゃお」 　D.E.の魔法を完全コピーして我がものとした。 　さらにD.E.のみに重力を与え、ちひろにはその効果を与えない高度なものへと変換させて。 「なんだよコレ……こんなの……ッ！」 　膝を付き、為す術もないD.E.。 　ちひろは腰に力を入れてその顔面にパンチを浴びせた。 「ヴぐっ！？」 　吹き飛んだD.E.に容赦なく横から重力を与える。 　ちひろはツカツカと歩み寄り、D.E.の顔面横へと拳を叩きつけた。壁に巨大な亀裂が走る。 「ちひろの勝ち」 「な……っ」 　痛みと恐怖で泣いていたD.E.は、真横のそれをみて小さく悲鳴を漏らした。 　自分より年下の女の子に滅多打ちにされて敗北――人生史上、暫定一位の屈辱にD.E.もとい鈴木勝は身体も声も震わす。 「ゆ、許さない……お前、だけはっ……！」 「ふっ。ちひろは許してあげる」 「なにっ！？」 「もう悪さしないなら許してあげる。お前も、あの行方不明者の一人なんでしょ。かわいしょお。かわいしょーだから情けをあげるってんだ」 「～～～ッ！！」 　顔を真っ赤に腫らしたD.E.は、身動きを封じられながらも影を操っていた。 　殴られている間は出来なかった反撃、雪辱をここで晴らすと影を刃に変えてちひろの背後で光らせる―― 　ガシッ！ 　ちひろはD.E.をじっと見つめたままそれを掴んで、掴むだけで消滅させた。 「もう時間ないや……ばいばいっ！」 　そう言い残して、ちひろは「あ、忘れ物」と魔法で残る堕隊の一匹を処理してエスカレーターを上がっていった。 　壁から溢れるように落ちたD.E.は地面に拳を叩き、 「ちひ……ろォ……ッ！」 　怒りに震え、執念を燃やした。 　屋上へと繋がる扉を蹴り飛ばす。　 　ちひろはステッキを肩に乗せ、ズカズカと怪人ドライモンの間合いへと入った。 「よーし……これで人間共は乾きに飢え、そして水を飲む。その音こそが我の至高でありいずれ――」 「ふんっ！」 　ガシャァンッ！ 　あらゆる電化製品で構成された怪人が音を立てて吹き飛ぶ。 「ななっ、貴様何故ここに……D.E.様が護衛にいるはず」 「ぶっ飛ばしてきた」 「う、嘘をつけ嘘を！」 「んなことより、今すぐコレを止めろぉ！」 　ビシッとステッキを突きつける。 「フッ、止めろと言われて素直に止めるヤツがいるか！　これから東京全てをヒートアイランドにするのだ。乾きに餓えてもがき死ねェ……！」 「そんなことはさせない。にぃに、ねぇね、みんな全員ちひろが守る……！」 「お前には出来んわ！　ここで終わりだぁっ！」 「出来る。お前のおかげで、少し熱くなれた」 「むうっ！？　なんだ？　急に暗く……」 　明度が少し下がった。 　否、巨大な雲が上空に浮かんでいたのだ。 「ここに来るまでにちょっとした仕掛けをしたのだ。ね、43号ちゃん」 『さすがちーちゃん。いや、私か……へへ』 「なにィッ！？」 　怪人の肉体に付着したタブレットに43号が出現した。 　ここへと来る前に、ちひろは岩永に借りたスマホで43号に助言を受けて炎と水、風の魔法を駆使して雲を発生させていたのだ。 『いやーデットヒートアイランド現象のおかげで思ったより大きなのが作れちゃいましたよー。さあ、ちーちゃんやっておしまい』 「よいしょっと。あーめあーめふれふれかあしゃんが～～～っ！」 　巨大な積乱雲が生じた上空に向けて、巨大な水玉を放つ。 　放たれた水玉が雲に浸透し――それが引き金となり、一気に超ゲリラ豪雨が降り注ぐ。 「な、なんだと……そんな……ッ！」 　恵みの雨が次々に都市の熱を冷却していく。 　たじろぐ怪人の身体を構成する電化製品が、水没により火花を散らす。 「あわわわわ」 「フィナーレだっ！」 　ちひろはステッキを天高く飛ばした。 　自身も跳躍し、回し蹴りでステッキを蹴り落とす。 　ガチョンッ！ 「ぐはっ！」 　怪人の頭へと突き刺さった。 　積乱雲が急激に暗雲と化し、電子を散らして放電を始めた。 「ちひろは終わらない。いつだって、今ここが始まりなんだ――」 　篠突く雨の中で、空より蒼く澄んだ瞳が煌めく。純白に黄金が走るグローブの腕を天高く掲げ、その指を怪人へと突きつける。 「ばんっ」 　稲妻が音を置き去りに墜落する。 　――――ピシャァンッ！ 　避雷針となったステッキから怪人の全身を駆け巡る。 　プスプスと黒焦げになり、どろどろに溶けた機械の塊が崩れ落ちる。 　ちひろはステッキを引き寄せて掴む。制限時間によりレジェンダリーの効力が消え、いつものブレイブドレスとなった。 「……勝ったよ」 　暗雲に切れ目が生じ、微かな斜光が渋谷の街を照らす。 　その眩しさにちひろは手で傘を作って、微笑んだ。 [newpage] 東京都渋谷区宇田川町　ハンズ通り 　看板王子店長――春崎エアルの異国カフェ。 　経営コンサルタントとしてあの犯罪者、岩永太貴が付いているのもさることながら渋谷デットヒートアイランド現象において赤字上等でボランティア活動に従事したことで話題性は抜群であった。 　にも関わらず、客の出入りは芳しくない。 「私は好きですけどね。ノートPCで永遠に居られるならどこでも」 「出たよ。そういうのちょー迷惑なんですけど。パソコンとか家でも出来るべ」 「は？　なんだこのギャル……カフェでやるから捗る仕事だってあんだよ」 　社築は、態度の悪いギャル店員轟京子とメンチを切り始めた。 　そうして喧嘩が始まると現れるのがハッカドール43号。あらゆるトラブルに応じて人格を切り替え、対応するのだ。 『喧嘩はやめましょうよ～。みんな仲良く、健やかに……やめろっていってんだろ！？』 　無駄だと判断すると身も性格も赤くなる。 「このパンケーキ甘すぎませんか……」 　一口試食した刀也が甘さのあまり苦い顔をする。 　考案者のエアルは首を傾げた。 「え、普通じゃない？」 「もういっそのことスポーツ観戦可のスポーツカフェにしない。絶対、人気出ると思うんだよなぁ。そう思わない剣持くん？」 　異国カフェを早々に諦めた鳴がうーんと伸びをする。 「いえ、僕は文化部なのでスポーツはさっぱり……。この通り、裁縫を得意として痛いッ」 　刀也は試食を早々に止めて裁縫に勤しむ。 　その指は絆創膏に重ねられていた。 「えー鍛えてそうに見えるけどなー。なにかやってたんじゃないの？」 「全然全然。錯覚ですよそれ。ずっと目閉じてた方がいいですよ」 「わかったー」 　本当に目を閉じて眠った。 「割と大勢の人に正体がバレちゃいましたね……」 「いいよ。それに、ここの人達なら信用できるから」 　――でもかざちゃんにだけはバレてなくてマジで良かった……。 　店を一望できるカウンター席に座ったちひろは、足をパタパタさせながら岩永に微笑みかけた。 「みんな、ヒーローだよ」 「それって俺もっすか」 「あったりまえじゃん！」 「はは……ああ、そうそう。社さん」 「はいはい」 　社がノートPCに取り付けていたブレイブステッキを取り外し、持ち主であるちひろに献上した。 　どこも見た目は変わっていない。ように見えて、お金の差込口に妙な機械が加えられてグレードアップしている。 「私と43号ちゃんで考案したんです。現金を一々入れるより、こっちの方が魔法を放つまでのプロセスが省略されて今までよりもスピーディーなんじゃないかなって」 『まあ、交通系ICカードなだから上限は二万円なんだけどね』 「電車乗るアレと同じってこと？」 『そうそう』 　ちひろは試しに、受け取ったカードをピッとステッキに認証させる。 　ボフンッ！ 　炎の魔法が即発動した。 　確かに、今までよりスピーディー極まりない。 「すごい！　すごいよヤーマン！」 「いやいや、私に出来るのはこれくらいなもので……」 「ちなみに小学校の名札裏にも装置を付けときました。怪人情報があれば振動する仕組みです。これまで以上に……ハードな戦いになるかもしれません」 「大丈夫だよ。みんないるから……ちひろは、一人じゃないから。これまで以上に戦ってみせるから……！」 　ちひろはなるったけの笑顔を見せた。 　岩永は少し苦笑し、 「実はちーちゃん。もう一つ、見せたいものがありまして――」 「――もうイヤや！　恐いって！」 「ああっ、逃げんじゃねぇよ！　まだ耳に綿詰めてないんですから！」 「え――」 　テーブル席が何やら騒がしい。 　丸い物体が関西弁で悲鳴をあげて浮かび上がり、刀也が糸を通した針を手に憤っている。その丸い物体は一目散にちひろの胸にぼすんっと駆け込んだ。 　柔らかい布と綿の感触―― 「助けてちーちゃん！　助けて……助けて……！」 　緑と白のツートンカラーの兎のツギハギぬいぐるみ。 　何故か下半身を壺に入れたぬいぐるみは、恐怖にカタカタとガラスでしかない丸眼鏡を震わせる――。 　もう、会えないと思っていた存在。 「…………っ」 　だけど今、ここに確かに存在する。 　あの和やかな温もりを胸に、ちひろは―― [newpage] 東京都渋谷区神南　NSJスタジオパーク 　言わずとしれたNSJ教育テレビジョン。 　人気NO.1番組『よいこ、うたっこ』はこのNSJスタジオパークで撮影が行われている――。 「また倒れないでよね詩子ちゃん」 「ご、ごめんなさい。昨日は貧血だったみたいで……」 　番組ディレクターに謝罪しているのは『よいこ、うたっこ』のメインキャスト。歌のお姉さんであり、全国の児童とお父さんに大人気な女性タレント――鈴鹿詩子。 「んじゃあ昨日の分も撮るから。いいね？」 「あ、はい…………」 　偏頭痛に頭を抑えながら詩子は頷く。 　昨日の収録中に何の前触れも無く詩子は気絶した。 　様々な病院を巡ったが、どれも至って健康体との診断結果。原因に思い当たる節があるといえば枚挙に暇がない。しかしそれでも詩子は卒なく歌のお姉さんを真っ当してきていた。 　強いて兆候をあげるとすれば――見に覚えのないフラッシュバックが時折、起こる。 　それが意識を失っている最中の夢なのか、幾つかの記憶が重なり合ったデジャヴュ的偶然の産物なのか。奇妙で不確かだが、恐怖では無かった。むしろもっとやれというほどその記憶は詩子にとって素晴らしかった。 　――己の欲望を反映させたかのような美少年たちの営み。 　――あれはそう……美少年たちの箱庭。ああ、また見れないかなぁ……。 　仕事への憂鬱な感情から逃れるべく欲望に想いを馳せる。 　箱庭の中で友情はたまた恋愛を育む美少年たちを、ただ眺める記憶――ただしそこからは―― 「うぅっ……！？」 　思い出そうにも、激痛が走る。 　頭を抱えたそのとき、何かが落ちた。 　少し焦げている綿――ゆらゆらと落ちたそれをつまみ取る。 「――本番お願いしまーす！」 「あっ、は、はーい……」 　背後からの呼びかけに、詩子は肩を跳ねさせて応答した。 　そして、視線を手に戻したとき―― 「あれ……」 　綿は、消えていた。 　始めからこの世に存在していなかったように。

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EP:３「渋谷の魔法少女」

陰陽の者

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