父の死から数日間、父に成り代わって原稿を校正していて、ひったすらっ何の変哲もないことが書かれている文章を3行縮めろとかいう課題に悩み(いらんといえば全部いらんし、削ろうとするとどこも削れない)ながら思い出した人。これは父の伯父さんの一人で、清水公照さん。東大寺の坊さんでした。https://twitter.com/nhk_archives/status/1125490650353360897 …
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「清水公照師筆」などと仰々しく説明書きを添えられて掛け軸が埃を被ったガラスケースに陳列されていたりします。絵そのものは、今見ると、良いのか何なのか、正直分かりません。個人的には公照さんの描いた鶴の絵が好きですが、いろんな題材を描いた。
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その題材の多くは、「漢籍の古典に題材をとった」ようなありがたそうな難しいものではなく、そのあたりの童子とか、小動物とか、身の回りの草花を描いたものが多かったようです。書にしても、簡単な字を、稚気溢れる様子で書いたもので、書聖と讃えられて残りそうなものではありません。
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清水公照さんが上手でもない書画をそんなに書き続けたのは、それを僧侶の日々の修行として日課にしたからでしょうが、それがなぜ受け入れられたのか、全国に広がったのか。受け取る側の気持ちはそれぞれでしょうが、少なくとも公照さんにとっては望まれれば応じる理由があった。
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それは東大寺の昭和の大修理という大事で、1970年半ばから80年までかけて多大な費用と労力をかけて行われました。いま我々が目にしている大仏殿も、その時に大幅に改修したことで威容を保っています。
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その時期に管長・別当だったのが清水公照さんです。東大寺はお金が必要だったんですね。東大寺は鎮護国家のために作られた寺で、しかし建立後に何度も政権が変わったものですから、現在の国家とは関わりがなく、檀家もいないという特殊な形態です。拝観料では維持に精一杯で、建て直すお金は到底ない。
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そこで公照さんの出番だったんですね。何故だかわからないけど世の人々がこの人の書画陶芸を欲しがった。それに応えた。毎日毎日、早起きして勤行を行なってから、鶴とか亀とか童子とか蕗の薹とか(適当に例を挙げてます)めでたかったり季節を感じたり、ちょっと元気が出るような絵を描き続けた。
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で、まあそこは多分、想像ですが、仲介者みたいな人が廊下で訪問者に囁くわけですね。「額装して、箱書きもつけたら、〇〇ですよ」と。〇〇は訪問者の社会的地位や懐具合から算定する金額なのでしょう。本人にではなく、寺へのお布施としていただくわけです。ここはあくまで想像ですが。
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東大寺のお坊さんのお筆でありがたい画題を描いてもらった(しかも分かりやすい)というので人気を博したのでしょう。うちにも描いてくれないかという注文が絶えなくなる。そうすると地方に出向いて行って、例えば庄屋さんの家にでも逗留して、そこでも勤行して書画を描いていると…
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その土地の名士たちが、噂を聞きつけて尋ねてくる。するとまた仲介者が廊下で囁くわけです。地元の造り酒屋だったら〇〇ぐらい、老舗の菓子本舗だったら〇〇ぐらい、とその度に当てずっぽうの金額を。その間も部屋の奥では公照さんが天真爛漫に童子とかあけびとか(多分)を描き続けているわけです。
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そうやって全国を回って、土地ごとに数十数百と人々の求めに応じて、上手いのか下手なのかわからない書や画を日課として描き続けていくと(そのたびに廊下で仲介者が、〇〇さんなら〇〇万円ぐらいは…みたいな会話を繰り返すと)……東大寺が新しくなるわけです(以上はあくまでも想像です)。
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〇〇がいくらだったのかは人により場所により違ったでしょう。そうやって数千、数万の絵や書を書いていくと、しまいには大仏殿が落慶したりする。そこでは一個一個の絵や字がうまかったのか、芸術作品としてどれだけの価値があったのかは、それほど重要ではないだろう。
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なお、公照さんは養子に行って東大寺の一つの塔頭に入っています。父の母方の伯父たちは長男を除いてほとんど全員養子に行き、学資を出してもらって進学しました。わずか70年も前には、さほど豊かではない家の次男以下は、跡取りを求めている家に養子に行く、というのがごく普通のことでした。
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誰もが大学に行けるはずで、大学院まで行けば研究者になれるはず、という常識が成立したのは、過去50年ほどの間の出来事です。学問をやりたければ養子に行け、という時代に戻ってはならないと思いますが、人間社会にはそういう時代がきわめて長かったという事実は知っておいても良いでしょう。
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優れた作品とは何なのか。清水公照さんの書や画で、名作と呼ばれる優れたものはどれなのか、特に価値が高いものがあるかというと、私はよく知りません。そもそも、展覧会に出品し、賞や評を受けるような性質のものではなかったと思います。
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むしろお酒のラベルとか、お菓子の包み紙とか、全国を巡って大仏殿を勧請する過程で求めに応じて一瞬で描いたものが、生活の片隅に、ほとんど気づかれることなく残っています。さっき検索してみたら、帯広の「六花亭」も公照さんの命名なんだそうな…知らなかった。行く先々でやっていたのでしょう。
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お酒のパックに墨で大きく丸が書かれている商品ありますよね。もしかすると今は別のもっとちゃんとした書家に頼んでいるかもしれませんが、元は公照さんの筆だったような記憶が。私が子供の頃は、公照さんの鶴の水墨画をパッケージに使っていたお酒もあったような。いずれもうろ覚え。
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お坊さんに書いてもらうと、代金じゃなくてお布施だから、権利料金とかが曖昧で、昔はそれで良かったりしたのかもしれません。今は逆にそういうお金の出し方も難しいし、権利関係も簡単ではないでしょう。
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一人の学者の死について、おそらく近親者でないと繋がらなさそうなことを少し書いてみました。しかし清水公照さんの映像と発言、久しぶりに聞いてみたが、言っている内容は本当ーーに何の変哲も無い。
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