親が死んでも締め切りはくる。http://igsda.org/2019/09/06/autumn-of-dialogue/ …
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手書き原稿のデータ起こしの不明箇所は、本人なら一目瞭然だが、他人が類推するのはなかなか難しい。書斎から元の手書き原稿を探し出して対照させ書き込んで送り返すのに難渋した。ゲラで数行はみ出ているのを縮めるという作業も、自分のなら思い切ってバサバサいくが、他人の原稿は下手に削れない。
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何よりもこれを、編集者にも死去の事実を知らせずに行わないといけない。知らせれば相手も報道機関なので報じなければならない。そうすると弔問などがきて、父が望んでいた身内だけの静かな別れの時間が失われる。ですので8月30日から9月3日までは父に成り代わってFAXを送っていました。
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物心ついた頃から、朝起きると出版社から送られて来るFAXのロール紙が部屋一面に散乱しており、朝3時に起きて原稿を書いた父が原稿を送信しながら、受信したFAXを拾い集めて切り分けて校正して戻していく作業を何とは無しに見ていたので、数日の間、代役を務めることはできました。
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私自身の原稿は電子データでしか入れたことがないのですが、幼い頃に見ていた光景を思い出してさほど滞りなくできました。まあゲラ直しは私も紙でやることはあるので慣れてはいます。それよりも、近くこういう日が避けがたく来ると覚悟はして頭の中でシュミレーションはしてありました。
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物書きの子供が物書きをやっていると、父の命がもう長くない、と気づいた時にまず胸に浮かぶのは、「弔辞をどうしようか」。冷たいようですが、公的・私的な文章を通じてのみ外の世界と関わる職業なので、これが家族の会話です。実際にはそういう会話はしていないのですが、そういうことです。
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また、いつ外の世界に知らせるか、が難問です。死とは徹頭徹尾私的な事柄です。特に、父の死までの過程をここ数週間、数ヶ月、数年と振り返ると、死が極めて私的な営みであり、そのことを何よりも本人が自覚して貫徹したことを思い知らされます。家族のみ(私ではなく母)が知っていればいいこと…
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…ですから、ここで記すことは避けますが、それは立派に貫徹されました。山伏が生きて仏になるような、そういう死に方でした。とはいえ、その生活は文章を書いて世の中に出す、という作業と一体でしたから、その死が完全に私的なものには止まらなくなります。
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少なくとも連載が残っていた新聞社や雑誌社とその読者には知らせなければなりません。地位や権力を持たず、一部の(しかしそれなりに数の多い、世間の各層、津々浦々に散らばっている)密かな読者以外には世の中一般にはそれほど知られているとは言えない父の死に「ニュース」としての価値があるのか…
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…あえて知らせる必要があるのか、悩むところでした。こういう時に相談すると最も適切な答えをくれそうなのが父でしたが、それが何しろ死んでしまっているので。
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結局父ならこうしたであろうやり方を考えて実行しました。それによれば、「今現在原稿のやりとりの過程にある相手先にのみ通知する」。その中には新聞社も一部含まれているので、父の死が報道すべきニュースだと感じれば報じるでしょうし、そうでなければ、公的なニュースと私的な通信の中間ぐらいの…
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…担当編集者への家族からの連絡となります。同じく原稿を書いて生きている人間として、いつまでに通知しなければ次回原稿が落ちて紙面に穴が開くかを推定すると、それは9月4日でした。それまでは死的な死を悼む家族の時間とし、その後は公的な事実として公表し、取り沙汰したい人はすればいい。
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近年の手書き原稿、校正のやりとりの束を見てみると、報道機関で連載や定期寄稿があるのは信濃毎日新聞夕刊のコラムと、毎日新聞の書評面でした。いずれも父が長い間お世話になってきたところで、仕事を手仕舞う中でも、断ち切りがたく残してきたのでしょうか。
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9月4日の午後、原稿のやりとりの途中であった担当者のみにFAXでお知らせしたのですが、このような事柄は独占するようなことでもないのでマスコミで順次共有する慣例があるようで、おそらく信濃毎日新聞が書いた記事が共同通信で配信され、広がっていったようです。
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実務的な、世間の慣習や形式に則った型通りの文書ですが、物書きがこれ以上物を書けなくなったことを本人の代わりに編集者に知らせる文書が、私から父への弔辞であったと考えています。
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父は幼年期に父を、青年期に兄とそして母を失い、一生その弔辞を書いていたような人でしたが、若いうちに肉親を失ったがゆえに、肉親が年老いて死んでいくということだけは、未知なようでした。
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架空のあるいは歴史上の人物について文芸にまぶした追悼文らしきものを寄せることはあっても、身近な人間の老化と死に対処し実務的に言葉を発することには慣れず、そして自らの老いを未知の未経験のものとして恐れ、目を背け、あえて軽妙な言葉で語ることによって先延ばしにしていたように思います。
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しかし実際の父の死は結局、自らが文筆によって紡いできた架空の死をめぐる奇想と寸分違いのないものでした。起きて立って歩き、身の回りのことを自らの手で行い、自らの手で原稿を書くことができなくなったと内心に気づいたと思われるその翌朝に、静かに息を引き取っていました。見事なものでした。
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夏は原稿書かずに高地で療養したりしていればあと5年ぐらい生きられたと思うんですが、そういう生き方を望まなかったので、寿命ですね。まあ身内で物書きという立場からは「歳とって原稿書くってこんなに体力使うんだ…体鍛えとかなきゃ」という感想。骨と皮になっていて、即身成仏みたいでしたね。
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