一面<翻弄 ある日系家族の足跡> 日系4世、入国わずか30人
政府が南米などの日系四世向けに新設した受け入れ制度(四世ビザ)の一年間の入国者数が約三十人にとどまっていることが、出入国在留管理庁への取材で分かった。背景には、家族の同伴を認めないなど要件の厳しさがあるとみられ、改善を求める声が上がる。 日系人を巡っては一九九〇年の入管難民法改正で、三世までは就労の制限がない「定住者」として日本で生活することが認められた。ただ、四世は従来、三世の扶養を受けている未成年の場合しか在留できず、ブラジルの日系団体などが在留資格拡大を求めていた。 四世ビザは「日本と現地のかけ橋になってもらう」との目的で昨年七月にスタート。年間で上限四千人の受け入れを想定していたが、今年六月までにこの制度で在留が認められたのが四十三人、入国は三十三人にとどまった。 四世ビザは十八~三十歳が対象で、最長五年の在留が認められる。ただ、家族を同伴できないほか、一定の日本語能力や、国内での生活や入管手続きを無償で支援する「受け入れサポーター」を確保するなどの要件がある。ブラジル在住のジャーナリスト日下野良武さん(76)は「日本へ働きに出たいというニーズはあるが、手かせ足かせとなっている要件をもっと緩めない限り、利用は増えないだろう」と話す。 同庁の担当者は「利用が少ないのは事実。見直しをするかどうかも含めて検討中」としている。 ◆「歓迎されない」不信感ブラジルなど南米各国を中心とした日系人の受け入れが始まってから約三十年。海を渡ってきた人たちは「雇用の調整弁」とも呼ばれながら平成の日本経済を支えてきた。そして令和に入り、国はアジア圏からの労働者受け入れに軸足を移そうとしている。こうした中で明らかとなった「四世ビザ」の利用低迷は、「もう要らないのか」という日系人の不信感に拍車をかける形になっている。 一九九〇年の入管法改正で三世までの定住が可能になると、好況も重なって日系外国人は急増。製造業などの現場で働いた。 二〇〇八年のリーマン・ショックで状況は一変した。職を失う日系人が続出し、政府は本人と家族を対象に本国への渡航費を支給する「帰国支援事業」を打ち出した。当面は再入国しないことを条件にしたため「手切れ金」とも呼ばれた。この事業で、二万人以上が帰国。特に日系が多いブラジル人の在留者は〇七年の三十一万人超をピークに減り、一七年には十九万人余となっている。 四世が日本で働けるよう、ブラジルの日系団体などは、四世向けの在留資格新設を求め一六年、要望書を大使に提出。リーマン・ショックで親と一緒に帰国したままの四世の若者も多くいるなどの背景がある。「念願」の四世ビザは導入されたが、日系三世で武蔵大のアンジェロ・イシ教授(52)=国際社会学=は「きわめて厳しい要件で、制度設計の時点から利用の低迷は想定されていた」とみる。 その九カ月後の今年四月、アジアから約三十五万人の労働者受け入れを見込む改正入管法が施行された。アンジェロ教授は「改正をセットでみれば、日系人はもう日本の労働市場に歓迎されていないということなのではないか」といぶかる。 (斎藤雄介) 今、あなたにオススメ Recommended by PR情報
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