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2019-09-08

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・豆腐屋の夫婦が持ってきた豆腐を、
 受け取って一口食べる荻生徂徠。
 その豆腐を大事に啜るように食べる音が会場に響いた。
 豆腐を食べる音が、クライマックスだった。
 息を止めているかのような静寂が、際立っていた。
 「志の輔らくご in 気仙沼」、すばらしい落語会だった。
 落語で、1100人の人たちのこころがひとつになった。
 立川志の輔さん、実行委員会の皆さん、ありがとう。
 ぼくも、ひとりの聴衆として、
 あの場にいられてほんとにうれしかった。

・ぼくが小学生とか中学生やってるころには、
 気仙沼で落語を聴いてじーんとしているじぶんなんて、
 かけらほども想像できてなかった。

 どういう仕事をしているのだろうかとか、
 どういう人たちと会うのだろうかとか、
 なにひとつ想像できたことなんてない。
 もしかしたら、生まれた土地で、
 ずっとそのまま暮らしていたら、
 「このことは想像どおりだった」なんてことが、
 ひとつくらいは見つかるのかもしれないな。

 なんにも想像できないような未来に行くために、
 ぼくは生まれたところから離れたのかもしれない。
 そのあとやってきたことについても、
 予測できそうな道ができそうになると、
 なんとなく曲がったり、迷ったりしたがっていた。
 「どうして、ここにいるのだろう」と、
 そんな問いかけがしたくて、生きてきたような気がする。

 「どうして」と言うじぶんのこころのなかには、
 ちょっと温かいうれしさがある。
 ここにいて、なにをしているかについて、
 嘆いていることがないのが、うれしさの正体だろう。

 おとなになって、予定表どおりに生きているのに、
 やっぱり「どうして」と言いたい場面が次々に現れる。
 先のことなんて、ほんとになんにもわからないんだなぁ。
 そんなことを、91歳くらいで、また言っていたいねぇ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
肩書のなかに未来を探しちゃダメだ。笑顔のなかに探せ。


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