「お、お、お姉ちゃん! 行っちゃったよ、モモンガ様が行っちゃった! ど、どうしよう? えっと、その、どうしたらイイのお姉ちゃん?!」
「うるさい! あたしに分かるわけないでしょ! どうしたらイイかなんてっ、わかるわけぇ、う、んぐ、うう、うぇええぇぇ~~~!!」
「ああ、お姉ちゃん、泣かないでぇ」
捨てられた、という想いをこらえきれなかったアウラが、とうとう泣き出してしまった。マーレはそんな姉を抱きしめながら、オロオロと周囲へ助けを求めるような視線を送るばかり。
だけどアウラやマーレの周りにいる者は、もはや同僚ではない。同じ組織に所属する仲間ではないのだ。助け合う必要どころか、即座に殺しあってもおかしくはない。
「おチビ~、泣くんじゃありんせん! わ、わらわまで……泣きたくなるでありんしょうがあぁぁああぁ~~」
どうやってか分からないが、アンデッドのシャルティアまで泣き出す始末。その悲しみに満ちた感情の波動は、玉座の間に集まっていた異形種たちの表情に暗い影を落としていた。
――パンパン!
不意に響く、両手を打ち鳴らす音。
こんな時に誰が? という疑問を抱きたくなるが、ナザリックの元
「少し静かにしてもらえるかね、諸君」
心地よい声が玉座の間に響き渡る。特に
「ああ、ありがとう。聴く態勢になってくれて感謝するよ。だけど皆が承知の通り、私は君たちに命令できる立場ではない。だから『私の話を聴いてほしい』とはお願いにすぎないのだ、でもどうか耳を傾けてほしい」
スーツを着込んだ悪魔は玉座の前まで進み、振り返って恐るべき異形集団へ語る。
「モモンガ様は、我々を見捨てたわけではありません」これだけはハッキリ断言しなくてはならない、との意思が込められた言葉だ。それは皆に伝わる。
「モモンガ様は、ギルドシステムに縛られた我々の忠誠を問うているのです。ギルドがあるから忠誠を誓っているのか? それともギルドなど無くとも忠誠を誓えるのか? 私は先ほど『システムに縛られているから、モモンガ様に忠誠を誓っているわけではない』と声高に宣言しました。そして、その決意はギルドを解散した今でも揺るぎないものです!」
おおぉ、と配下であった悪魔の中から感激の声が漏れる。
アウラやマーレ、シャルティアなどはまだキョトンとしたままだ。
「しかし、貴方たちはどうなのでしょう? ギルドから放り出され、システムによる忠誠は切断。至高の御方の気配は感じられない。付き従うために生まれてきたのに、今は自由だと言われ、何をすべきか分からない」
デミウルゴスは一呼吸置いて、口調を強める。
「その程度なのですか? モモンガ様のために命すら惜しくはないと言いながら、ギルドがなくなった程度でお仕舞いですか? 忠誠とは、やはりシステムに縛られたものだったと? シャルティア、貴女はモモンガ様の伴侶になると宣言しておきながら、その場で泣き喚いているだけなのですか? アウラ、貴女のモモンガ様に対する想いとは、システムが無くなると消えてしまうのですか?」
「モモンガ様の伴侶になるのはわらわでありんす! で、でも」
「あたしだって、あたしだってモモンガ様の傍にいたいよ! だけど」
二人は『私たちが不要になったから、ギルドを解散したのでは?』と言いたかったに違いない。それ以外に理由など思いつかない。
「モモンガ様は、システムに縛られる私たちではなく、自由な私たちを望んでいたのです! そう、自由です! 我々はモモンガ様より自由を授かり、自分のやりたいことを成せるのですよ! さぁ、シャルティア、アウラ、マーレ、元同僚たちよ! 貴方たちが今一番やりたいことは何ですか?!」
まるで元宝物殿守護者の埴輪みたいに両腕を大きく広げ、デミウルゴスは訴える。
心の内に宿る、純粋な希望を。
「モモンガ様……、モモンガ様のお傍に、寄り添いたいでありんす」
「モモンガ様に会いたい。抱っこしてほしいし、頭を撫でてほしい」
「お、お姉ちゃん、それは僕もお願いしたい、かも」
少しずつ、少しずつざわめきが広がる。
玉座の間に、己の意思を持った自由な存在の、強き瞳がいくつも輝く。
「すべて自由です! モモンガ様がおっしゃった自由とは、まさに君たちの心に宿るその意思そのもの! さぁ、どうするのです?! 座り込んだままでよいのですか?!」
「イイわけありんせん! モモンガ様のところへ行くでありんす! 〈
「ああ! ちょっと待ちなさいよシャルティア! あたしも!」
「ま、待ってよお姉ちゃん、置いてかないでぇ」
決断すればあっという間だ。
美少女
「
デミウルゴスは二度と復活できない悲惨な現状を口にしながらも、その素晴らしさに身を震わせていた。今までの『死をもって償う』なんて行為は、金貨復活のシステムからすると対して重要な意味を持たない。どうせ復活できるのだから、と言われてしまえばその通りなのだ。
だが、これからは違う。
死は、見事なまでに“死”である。二度と復活できない、永遠の眠りとなるかもしれないのだ。プレイヤーや異世界人とは異なり、NPCの復活はギルドシステムが関与している。金貨でデスペナ無く何度も復活できる反面、金貨でしか復活できない。
故にシステムが崩壊した今、即時蘇生可能時間の三百秒が過ぎれば全てが終わりなのだ。
「フフフ、演説ハ終ワッタカ? デミウルゴス」
「ああ、待っていてくれてすまないね、コキュートス。すぐにでもモモンガ様の後を追いたかっただろうに」
「友ノ為ダカラナ。モモンガ様カラスルト、コレモ自由ナノダロウ?」
ライトブルーの蟲王は軽く冷気の息を吐き、楽しそうに身体を震わせる。
「武者震いというヤツかい? 少し違うような気もするけど、ふふ、まぁいいか。――っと、忘れるところでした。オーレオール、ちょっといいかな?」
「はい、デミウルゴス様。如何なさいましたか?」
「いやなに、まず私はもう階層守護者ではないから“様”は付けなくていいですよ。それに命令も聴く必要はありません。私がこれから貴女に話すのは、『お願い』です」
ギルド時代同様に跪いてしまったが、オーレオールにしてみればこれが自然であり、やり易いと言える。デミウルゴスを呼び捨てにするのも、違和感だらけで難易度が高そうだ。
「分かりました。デミウルゴスさ――ん」
「ふふ、ではお願いです。この場にいる元同僚たちに〈
「……私を含め、そのような者がいるとは思えませんが、かしこまりました」
長い黒髪に巫女服姿の若い女性は、従属と感じられない程度に軽く頭を下げ、悪魔の申し出を快く引き受けた。
ちなみに傍から見ると、悪魔に騙されている巫女にしか見えないので非常に怪しい。
「さて、次は」本当ならアルベドも残って、モモンガ様の真意を伝える役目をデミウルゴスと分担すべきだったのだが、あの白い悪魔はさっさと行ってしまった。傍仕えがパンドラだけでは不安なので、モモンガ様についていくのも仕方がないとはいえ、立場を逆にしてほしかったと思わずにはいられない。
「セバス、君はどうするのかな? 勇者軍に加わってモモンガ様と敵対するというなら、今ここで殺しておこうと思うのだけどね」
別に八つ当たりではない。殺気を放っていても、そんなつもりではない。
「デミウルゴス、私が多大な御恩を受けているモモンガ様に敵対すると? 本気でそう思っているのでしたら残念です」
「もちろん冗談だとも。君には、戦闘メイドと一般メイドの扱いについて聴きたかったんだ」
強い眼光を放つ執事と笑顔の悪魔。
ギルドの枠が存在しない現状では本当に殺し合いに発展しかねないので、シャレにならない冗談である。
「戦闘メイドたちは自由にさせます。ただ、一般メイドとエクレアたちに関しましては、外の騒動が収まるまで第九階層に避難させておこうかと。外は危険なので」
「確かにその通りだね。まぁ私の希望としては、ユリたちにはオーレオールの護衛をしてもらいたいと思っている。狙われやすい指揮官系能力者の傍には、信頼できる姉妹に居てもらったほうがイイだろう?」とデミウルゴスは発言しつつ、ちらりと唸り声をあげている“九尾の狐”へ視線を向け、微笑む。
「ああ、桜花領域の元配下たちも協力してくれるのだろうけど、彼の者たちは能力的に前線へ出たほうが効果的だ。網から零れ落ちた雑魚はプレイアデスに任せるといい」
プレイアデスは100レベルのオーレオールを除くと、皆レベル50前後と低い。
故に“真なる竜王”相手では瞬殺。“竜王”クラスでも苦戦を強いられるだろう。他の勇者たちなら優勢を得られるとは思うものの、中には第八位階魔法を使うナイトリッチなどもいるので油断はできない。
セバスは無言で、隣に控えているユリ・アルファを見つめる。
「かしこまりました、デミウルゴス様。モモンガ様のために勇者軍へ突撃したいところではありますが、ここは御言葉通り、末妹の護りを固めたいと思います」
「その末妹君にも言ったのだがね、私に様付けはしなくていい。隣のセバスを見習って、呼び捨てにしてくれたまえ」
笑顔のデミウルゴスに対し、セバスはむすっと不快感を露わにする。
特段問題のない普通の会話であるのに、セバスに対する嫌味に聞こえてしまうのは何故なのか? ギルドの枠を取っ払っても、二人の関係性に変化はなさそうだ。
「では、モモンガ様の元へ向かうとしようか。あまりお待たせすると、先に勇者軍と戦ってしまうかもしれないのでね」
セバスをからかうのも飽きた――とばかりにデミウルゴスは踵を返し、シャルティアの残した〈
途中、第七階層やレメゲトンの悪魔たちが『御命令を』と跪いてくるも、スーツを着込んだ
同様にコキュートスも、
元ギルド拠点、ナザリック地下大墳墓第十階層『玉座の間』では、不慣れな自由に戸惑い、辺りを忙しなく見回す元
命令を受けないなどありえない状況なのだ。
誰かのために働けないなど一種の罰に等しい。
玉座の間の一角では、一般メイドを説得するセバスの姿が見られる。ユリも一緒になって第九階層での避難を説いているようだ。
エクレアはシズに抱きし――確保されているので大丈夫だろう。
その他の低レベル、非戦闘型、生産系NPCも、玉座の間か大図書館での待機を提案されているようだ。
無論、そんなことは関係ないとばかりに〈
ナザリックの
誰がどこへ向かったのか、なんて言及する必要はない。なにせ自由なのだから。
『地上の勇者軍と戦って命を落とすなど馬鹿のすることだ』と断じて逃げ出すのも自由。『漁夫の利を狙って生き残った方を襲おう』と待ち構えるのもロマンだ。『特殊な指輪がなくても宝物殿へ入り込めるから』と火事場泥棒に徹するのも面白い。
そう、大魔王となって世界の命運を懸けた最終戦争へ挑むのも、当然ながら自由なのだ。
◆
ナザリックから遠く離れた小高い丘に、多くの人間と
「あ~ぁ、あの
髪色を左右で白黒に分けている若い女性が、土の地面へ腰を下ろし、万人の首を刈れそうな十字槍をブラブラさせている。その口調には不満げな感情が貼り付いていた。
「仕方ありませんよ。大事な身体ですからね。本当なら先だっての竜王国戦だって行くべきではなかったのですよ」
「しかたないでしょ。妊娠なんて初めての経験なんだから、自覚できるわけないって」
槍持ち少年の苦言に、白黒少女は自身の腹を撫でつつ、フンと鼻を鳴らす。
「でもぉ、どうせならコキュートス様に孕ませてほしかったなぁ。あのタレント持ちの小僧だと、生まれてくる子供にはあまり期待できないだろうし……」
「絶死絶命、自分の子供相手に腕試しなんて止めてくださいよ。虐待になりますから」
「うるさいなぁ、そんなことよりアンタは勇者軍と合流しないの? 魔王様と戦えるチャンスでしょ?」
うひひ、と下品な笑いを漏らす白黒少女は、漆黒聖典の元隊長だった少年へ「あっちへ行け」とばかりにひらひらと手を振っていた。
「ペストーニャ様に頼まれたのです。幼子や身重の女性たちを護ってほしいと。この地は戦場から離れているとはいえ、周辺には危険な魔獣や人食いの亜人なども多いですからね」
「ふ~ん、そんなこと言って、他の誰かに役目を渡したら即突撃するんでしょ?」
「それはもう、人類の守護者を自称しているので」
スレイン法国はすでに滅び、漆黒聖典も解体されてはいるが、今でも人類を護る最後の砦であると自負している。
大魔王がそこに居るのであれば、槍を突き入れるべきであろう。
犠牲となった法国民の無念を晴らすためにも。
「隊長殿、少しよろしいでござるか? 御力を貸してほしいでござるよ」
「ハムスケさん、何かありましたか?」
のそりと巨大な身体を運んできたのは、丸っこい魔獣――森の賢王ことハムスケであった。ナザリックに囚われていたペットや勇者、レアたちの護衛として、一緒に外へ避難させられていた一人、というか一匹である。
その背中には何故か、多くの幼子たちが貼り付いていた。
「エンリ殿が『御主人様の元へ駆けつける』と暴れているでござるよ。今はフォーサイトの方々が押さえつけて、ネム殿が説得にあたっているでござるが、あまり保ちそうにないでござる。
「ああ、あの“血濡れ”さんですか。はぁ、やれやれ、母親になるという自覚が無いのでしょうかねぇ。仕方ありません、少しの間意識を失ってもらうとしましょう」
「ひっど~い、妊娠している若い女性を襲うなんて、サイテー」
「……ついでに貴女も来てください。同じ妊婦として、大人しくするよう説得をお願いします」
槍持ちの少年は『非難されたことへの意趣返し』というわけでもないだろうが、嫌がる白黒少女を抱えて歩き出した。
もちろん説得を期待してのことではない。目を離すとロクでもない事しかしないからだ。今も昔もトラブルメイカーなのはそのままなので、己の損な役割も変わらない。
漆黒聖典の元隊長はふと足を止め、はるか遠くで行われる最終決戦へ意識を向ける。
「……絶死絶命、どちらが勝つと思いますか?」
妊婦を小脇に抱えるという非常識な体勢のまま、少年は問いかける。
「ん~? まぁ戦力的には魔王様だろうけどさ。普通に考えたら、世界を救う勇者の軍勢に勝つのは無しだよね~。空気読めって話だよ。だからさ、最終的には勇者が勝利して、メデタシメデタシってなんじゃないの? 六大神が残した書物でもそんな感じだったでしょ?」
「まぁ、物語ではその通りなのですが……」
白黒少女を抱えたままの少年は、首を傾げる丸っこい魔獣の隣で再び遠くを見つめる。視線の先には草原と森、少しの岩場、そして青い空。血生臭い戦場の気配は遥か遠くであり、まったく見えない。
だけど確実に始まる。
後数刻もしない内に。
世界を滅ぼし得る化け物たちの、狂宴とでもいうべき最後の戦いが。
(大魔王に空気を読ませるほどの、強き勇者が来ているのだろうか? だがそれで勝利したとしても、残るのはあの
はぁ、と一息吐いて、槍持ちの少年は歩き出す。
混沌とし始めた現状において、人間側の手札は少ない。化け物どもと対面できそうなのは、自分と絶死絶命ぐらいであろうか。遠巻きに警戒の視線を投げかけてくる
人類存続の危機だというのに、弱者同士で争っていたツケであろう。もはや後悔するには遅すぎる。
「どうしたでござるか、隊長殿?」
「いえ、何でもありませんよ、ハムスケさん。さぁ、エンリさんを止めに行きましょう!」
軽く駆け出し、喚き声が聞こえてくる方角へ突き進む。だけどその時、抱えていた白黒少女から『始まった』との呟きが零れていた。
大気が軋むような、大地が引き裂かれるような、そんな気がした。