「ブラックだけれど中身はレッド」
トイレを出たところで待っていてくれ、と、片倉さんは僕に言った。
その言葉を受けて、僕はトイレを出るとすぐに米岡たちの所に向かわず、しばらくトイレの壁にもたれて風景を眺めていた。
「僕のためじゃなくて、自分のためって――それはいったいどういう」
どうも僕が思った以上に状況は悪くないのかな。
この撮影をこなすために、自分の心の平穏を保つために、結論を出すのを棚上げしていたというのならば――。
新しい関係になるのをためらっていたというのならば。
「いやけど、それは別に僕とうそういう関係になるという訳では。逆に、清算して友達関係に戻るということも考えられる訳で」
けど、それならそれで彼女、僕をこうしてトイレの出口で待っていてくれなんて、もったいぶった言い方をするだろうか。
もしかすると、ひょっとすると。
脈があるんじゃないだろうか。
そんな想像をすると、つい、顔の表情が緩んでしまう。
戦闘員のマスクと相まって、僕は今、とんでもなく怪しいことになっているのではないだろうか。
あたりにお巡りさんがいたら、捕まってしまうんじゃないか、と、思った時だ。
「ねぇ、なにやってんの?」
いきなり視界の下の方からそんな声がした。
なんとも舌たらずな口ぶりかつ、憎たらしい声をしたそれは、僕の想像した通り、半そで半ズボンの小学校低学年くらいの男の子から発せられていた。
なにやってんのって。
僕はここで、トイレから悪の組織の女幹部が着替えて出てくるのを待っているのさ。
などと言って彼に信じてもらえるだろうか。
僕が悩んでいる間も、少年の僕を見る目つきは変わらない。
しげしげと見つめてくるその顔を無視する訳にもいかず、僕はしゃがみこむと、理解できないだろうを承知で話をきりだした。
「ボク、あのね、お兄さんたちは今、特撮戦隊の映像の撮影中なん――」
「えいっ!!」
しゃがみこんだのをいいことに、いきなり、少年が僕の頭をつかむ。何本かの髪の毛と一緒に、頭からかぶっていたマスクを握り締めると、彼はそれを遠慮なく引き上げてみせえた。
ぷちぷち、と、髪が抜ける音がして視界が明るくなる。
そして、痛い。地味に痛い。じんわりとした痛みが頭に広がった。
「なっ――なにするんだい、いきなり!!」
「秘密結社モコモコ団の戦闘員だろう!! 僕がやっつけてやる!!」
いうなり僕に背中を向けて、マスクをもって駆け始める男の子。
モコモコ団でもなければ、本物の怪人でもないんだが。というか、やっつけてやるってどういうつもりだ。
ふと、彼が駆けていく先に川が見えた。
まさかあの子。僕のマスクを川に捨てる気じゃないんだろうか――。
いや、そうだ、そんな感じだ。
「ちょっ、ダメだって!! こらっ、返してよ、それ!!」
急いで僕は少年の背中を追いかけ始めた。
何本か髪を抜かれた頭がひりひりと痛む。
そこに加えて片倉さんに待っていろと言われたのが後ろ髪を引く。
しかしながら、彼からマスクを取り戻さないことには、DVDの映像の撮影ができなくなる。
「それがないと困るんだよ!! 頼むから、返してちょうだい!!」
「やだよぉ!! 誰がお前らみたいな悪の組織の言う事なんか、聞くもんか!!」
意外とすばしっこい少年。高校生の僕よりも体力のありそうな彼は、あっという間に川べりへと近づくと、そこで急停止する。
えい、と、振りかぶって僕のマスクを投げようとした――その時だ。
「わっ、わわっ、わぁっ!?」
少年が体勢を崩して川の中へと落ちてしまった。
あらあら、まあまぁ、悪いことはできないものだね――なんて言っている場合じゃない。
ここの川は一級河川というだけあって、それなりの水深のある川だ。
そして流れもそこそこにある。
そんなところに子供が落ちたら。
「大丈夫かっ!!」
すぐに流されてしまうにきまっている。
案の定、僕がのぞき込んだそこにすでに少年の姿はなく。僕のマスクを握り締めた少年は、一メートルほど先の下流を流れていた。
彼が僕を見る目は、さきほどまでのそれではない――。
「たっ、助けて!!」
少年はすがるような目で僕を見ていた。
そんな目を向けられたら――悪の組織の戦闘員だって、無視することなんてできないじゃないか。
「待ってろ、いま行くから!!」
僕は言うが早いか混濁した水の流れる川の中へと、準備運動もなしに飛び込んでいた。