こんにちは、Bibakoです。


パリに滞在して2日、私達はまさかのミスを犯してしまった!

昨夜は、ムーランルージュで、夜中までショーを観て、ホテルに戻ったのは、夜中の1時半。
そこから、明日の朝、バスでブルッシェル(ベルギー)に行くツアーを申し込んでいた。




朝早くからの集合時間だったので、私も娘もほとんど寝てない状況で、集合時間に間に合うように、早くから起きて支度をしてホテルを出た。

ホテルから集合場所まで、地下鉄で10分ほど。ホテルから地下鉄の乗り場までと、地下鉄を降りてからの歩きの時間をいれても、30分もあれば充分の距離であった。

いつも寝坊する娘も、今回の旅行は、常に普通に朝も起きてくれたので、私としては安心していた。



この日も、娘も私も、朝早くからちゃんと起きて、目的の集合場所に地下鉄で向かう事にしていた。地下鉄の乗り方は、前日、既に乗っていたので学習済みであった。

さぁ、地下鉄の駅まで行き切符を買った。中に入ると昨日と駅構内様子が違う…
なんだか人が少ないし、私達が乗るほうのホームが閉鎖されていた。

慌てて、出口に向かい何が起こったのか?尋ねてみても、英語かわかるスタッフはそこにはおらず、フランス語で何か言ったが、私達にはわからないのでしかたない。

私達は、焦って地上に出た。娘が慌ててツアー会社に電話をしても、全く繋がらない。

こんな時、日本のツアーなら、たぶん、スタッフが電話を取ってくれるはずだ。そこが、海外のツアー会社だと思った。集合時間前に、こちらから連絡しているのに、電話にも出てもらえず、待ってももらえず、お金だけはしっかり取られた事になる…しかも、結構高いツアー代金であった。ひとりシンガポールドルで$150(12000円ほど)... 2人分だと25000円を無駄にした事になる!ガーンえーん



もう、ベルギー行きは諦めて、とりあえず、お金が無駄にならないように、私達は、そのツアーの集合場所に行き、事情を説明して別のツアーに振り替えてもらえるのか?尋ねて見ることにした。

娘はタクシーを呼んだが、そのタクシーの運転手は、指定した場所から随分離れたところで待っていた。娘は、運転手さんと連絡を取りながら、なんとか、タクシーの運転手さんのいるところまで辿り着いた。

タクシーの運転手さんもとてもいい人で、ずっと、私達が来るまで、待っていてくれた。


もうすでに、集合時間時間は過ぎていて、バスの出発時間までも、10分弱しかなかった。完全に間に合わないので、もう、私は頭が真っ白になっていた。




私達は、漸く集合場所についたが、既にベルギー行き🇧🇪のバスは出発していた。

私達のベルギー🇧🇪行きは、自動的にキャンセルになった。




私達は、タクシー代も払い集合場所に行った。それだけでも、想定外のお金が派生した。
更には、25000円ほどのお金を、ドブに捨てた感じになった…。お金持ちでもない私は、顔面蒼白になった。






更には、手持ちのユーロの現金がそこをついてきた。でも、私もそれなりの現金を用意して、更に、クレジットカードやデビットカードを用意して、この旅行に臨んだ。

自分の予定では、たった3週間で、交通費と食事代のみで、シンガポールドルで$2500(約20万円くらい)のお小遣いで充分だと踏んでいた。

でも、ヨーロッパ圏内は、どの国でも観光地であると、物価が大変高い!これは、日本でも同じだが、それよりも高いと感じた。



これは、日々の食事を安く済ませても、移動の際の交通費も高く、自分のお金を食事や交通費に使うだけなのに、お土産1つも買えないような貧乏旅行の感覚であった。

もちろん、コンビニやスーパーで、ホテルに食事を持ち込むのもいい。でも、たかがマクドナルドのチキンナゲットの10ピース入りが、€10.50(約1300円ほど)するので、親子2人でそれでは足りない。そこから考えても、たとえ、コンビニやスーパーで、水1つ買うのも、馬鹿にならない。レストランで、大したものを食べるわけでもなくても、安くても、€60((約7200円)もかかるし、ファミレス程度の物しか食べられない!

しかも、観光地には、日本のようにコンビニやスーパーなども、たぶん、地元の人が利用するものより、レートがどれも高く設定されている感じの店も多く、ファミレスの様な食事処が見つからない!

ほんとうに、泣いてしまった…。




更には、パリの最終日までには、私の手持ちの現金は無く、デビットカードで使える範囲のお金も、ほぼそこをつき、後、シンガポールに戻るまでの1週間は、クレジットカードでしのがないとどうしようもない状況であった。



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私は、シンガポールで生活をしているが、普段の生活も、決して、裕福な家庭というわけではなく、一般的なシンガポール人の平均所得の家である。

今のところ、毎月毎月、共稼ぎではあるが、こんなにもお金に危機感を感じるような生活でない。
私の顔つきが、だんだん険しくなって、口調もストレス的な感じになっていたので、娘もちょっと、怒った感じになっていた。

お金のストレスは、親子関係も良くなくなる。娘も、ホテルに帰ってから、私がシンガポールに帰ってから、給料日までに、通常の支払いがある事を知っていたので、とりあえず、私のストレス的な顔を見る方が嫌なので、『パパや私、XXちゃんが、それはヘルプできるから、心配しなくてもいいやん!』って話してくれた。


良く考えると、確かにそうだ!


旅行の最中はお金が無いと困るが、シンガポールでの生活の場合、毎月の私の担当の支払い分については、夫や子供から一時的に借りて支払いはできる。私の給料が入ると、子供達には、お金を返すといいだけだ!

そう考えると、少しは落ち着いたが、私の不安は、あと2日丸々パリにいるので、お金が足りないストレスや不安は、解消されたわけではなかった。でも、今、それを考えるのはやめた。



どの国の観光地でも、物価が高いのは当たり前である。

パリは物価が高いと聞いていたが、普通の水(ミネラルウォーター)が、€2(約250円)で買えるといいほうで、場所によれば、€3-4するところもあり、普通の値段の€1で買えるところを見つける方が、観光客には難しかった。


そこから考えても、ほんとに、こんな私のように、普通の家庭の人間が、ヨーロッパで3週間過ごすのは、自殺行為であったことに、今、気がついた!えーんガーンガーン


でも、既に、ヨーロッパ旅行は決行された!ここまで来ると、あとはどうにでもなれ!的に、最後までやるしかない!
次回は、もうないかも?だが、あったとしても、こんなに長くはヨーロッパにいないようにしようと、心に誓った!


話し戻って…



私達は、タクシーを飛ばして集合場所に着いた。バスの出発時間を10分ほど過ぎただけだったので、少しは待っていてくれるかも?と期待したが、期待は裏切られた!

娘は、そこのツアー会社のカウンターに遅れた事情を話ししたが、ツアー会社は何もできないと言った。また、払い込んだお金も戻らなければ、それと何かのツアーと変更する事もできないという。

ただ、同じツアーを申し込みを別の日に予約することはできるが、これもツアー費用がかかり、もし、それに申し込みをしても、他の人より2倍のお金を払ってベルギーに行くという、最悪の状況であった。


ただ、私達は『海外旅行の保険』に入っていたので、娘が、シンガポールに帰ってから、クレームしてみると言ってくれた。

また、ツアーに遅れたのは不可抗力であり、その日たまたま、朝の6時から、地下鉄のシステムダウンが起こり、復帰に時間がかかったとの事で、地下鉄の駅で延滞届けのような証明書を発行してもらった。

ベルギー🇧🇪に行けなかったのは残念だけど、お金がせめて、半額でも返って来る事を祈るのみだ。



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さて、私達は、その日一日をどうやって過ごそうか?と考えて、お金はかかるが、別のツアーをとることにした。

そのツアーはパリ郊外にある、モネが住んでいたノルマンディー地方の入り口である田舎町『ジヴェル二ー』のモネの家と庭園を訪れるものであった。

そこは、パリ市内から高速に乗って1時間半ほどの時間で到着する山間の小さな村であった。






クロード・モネは『印象派の画家』で『ジャポ二ズム』に興味を持ち、睡蓮(蓮の花)の池や日本庭園風の庭を作っていた。また、花や木々の植物にも興味があったのだと思われる。



私達のツアーはモネが実際に生活していた家を訪れた。




モネの家は、広い家の敷地の中は、森、池、川、竹林、お花畑という感じで、とてもいい感じのフランスの田舎の家という感じだった。


私は、モネの作品を学校の美術の教科書などで知っていた。蓮の花が咲いている池の絵が有名だったような。油絵の中でも、明るい色使いの絵なので、私は比較的好きだった。





難しい話はともかく、モネは日本にも興味があったようで、自宅の広い敷地の中の庭には、嵐山の竹林にとてもよく似たデザインの竹やぶもあった。

庭に流れる川には、いくつもの橋が架けられていて、それも日本スタイルであった。
家の中に入ると、浮世絵の代表でもある葛飾北斎の絵や有田焼などもいっぱい展示されていた。






遠い昔から、フランス🇫🇷にも、日本との交流を大切にしてくれていた人々がいた事は、今の日本文化が好きだというヨーロッパの方々と通ずるものがあると、私は思った。






私は、フランスに来てあまり良い気持ちにはならなかったが、ここは、なんとなくホッとするスポットだと感じた。