こんにちは。Bibakoです。


うーんと…。私は古い人間なのかもしれないけど、ブログを書く事を職業としている『プロ』とでも言うのか?自分のブログ記事でお金を対価として得ている人や、自分がプロデュースした動画を配信してお金を得ている人、そんな人の事を私は、少し疑問に思う。





まず、何故、こんな事がお金になるのか?が、私には理解できない。

また、お金を払う方には何のメリットがあるのか?それもわからない。

例えば、動画を配信して、それを観る人が増えるたびに、それを作った人にお金が入る?という理解でいいのだろうか?
それは、観ている人が払っているのか?または、その動画サイトを運営している会社から支払われるのかも私にはわからない。

でも、いずれにせよ、その理解が正しいとすると、坊主丸儲け的に、動画を作った人は何も大したコストはかけずに、動画を作るだけでお金が入る…何か変だ!そんな話が、どうして成り立つのかも理解できない。誰か、ちゃんと教えてほしいものだ。

また、ブログを職業?全然理解できない。
そもそも、ブログって、個人の趣味の域だと思う。日記的に書いている人や世の中の風刺的に書いている人。自分の趣味的な域のところをとことん追求して書いている人。
一つ、ブログでお金儲けで、システム的にも理解できるのは、お店や商品の紹介的に、そのお店の経営者や商品を作るメーカーなどから、広告塔としての利用として、人気ブロガーの人のアカウントを利用する。そして、その記事を書いた対価としてお金をもらう。これは理解できる。

または、動画でもブログでも、自分が作った商品やアイデアを紹介して、それが気に入った人が、その商品やアイデアをその人から直接買う形でも、理解できる。


ところが…世の中のユーチューバーや有料ブログを書く人は、それとは違うとわかる。

だから、私には、お金が派生するということは、対価を払う方にも何かメリットがないと世の中のお金は派生しない。
つまり、動画サイトの運営会社やアメブロなどのブログ運営会社からお金が支払われるとすると、何がその会社のメリットなのか?がわからない。

たぶんだか、運営会社は、自社の資金調達のために、そこに帰属している動画を作る人やブロガーにお金を渡して、その儲けをピンハネするのはわかるが、でも、そのお金の流れ的には、会社が損をするのではないか?と、素人考えだけど思う。

でも、実際には、有料ブログもブログの運営会社からの話である以上、ブログガーに入るお金よりも、運営会社の方が儲かる事でなければそれはあり得ない。

そう考えると、どんなシステムなのか?が理解できないのである。誰か知ってる人がいたら、とことん聞いてみたい気がする。



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私的には、動画配信にしても、ブログ記事にしても、個人的な趣味の域であり、何故?他人の趣味に対してお金を払う人がいるのか?お金を払う価値が本当にあるのか?でも、あるからお金が儲かるを唱えるのだろう。

私なら、有料ブログなら読まないと思う。また、面白い動画でも、それを開けるだけで作った人が儲かるなら、もし、動画を知らずに開けてしまって見たところで、例えば自分の趣味でなかっり、全然面白くなくても、その動画を作った人はお金儲けなるので、なんだか、見た自分が損した気持ちなる。


それに、もともと、ブログを書く人も動画を作る人も、全然自分には知らない人であるし、そんな人のお金儲けを、私が手伝わないといけないのだ?

本を読むことが好きな私は、本は購入する事はよくある。じゃあ、ブログは有料で読みたくないのに、本屋さんの本は読む。何故だ?

それは、本屋さんに並ぶ本は、作家さんがプロだという安心感があり、本の帯や買う前にその本のあらすじをチェックする事ができる。だから、それが自分の趣味に合うと、その対価としてお金を払ってもいい気持ちになるからだ。

ブログは、内容が事前にチェックできない。タイトルしかわからない。読んでからの評価だ。だから、それに対して、先にお金を払う事に抵抗を感じるのだ。


ブログは私的には、個人の趣味の域だ。本人が好きな事を書いていて、それを人が読んでいるだけだ。

特に、ブログのファンの方々は、特定の人のブログ記事を読みたいと思って読んでいるとは限らない。たまたま、ブログサイトを開けてみると、タイトルが面白そうだから、読んでみようかな?と思っただけかも?しれない。


芸能人のブログは、ほとんどが、その方のファンの方々が読んでいるに違いないと思う。ファンクラブの会報誌の続きのようなもので、自分が応援するタレントさんが直接書いていると思うから読めるのであろう。

でも、実際は掲載の写真もプログ専用の写真を撮るスタッフがいたり、芸能人で、かなりの売れっ子だと、仕事が忙しくて、ブログ書く時間など取れるわけがない。

そんな人はゴーストライターを抱えており、自分はメモ的に内容を口頭で伝えるだけの人もいる。それを、本人のブログとしてアップしている場合もあるという。実態は、そのご本人にしかわからない。

そんな人の趣味的な文章を読んで、それに対して何故お金が、作者に入るのか?

これも、お金が派生するシステムがわからない。また、有料ブログは、私なら、無料だから人気ブロガーの記事でも読みたいと思うが、お金を自分が払ってまで読みたいとは思わない。

例えば、アメブロから作者にお金を払うのは勝手だが…。でも、それだと、アメブロは何の利益があるのか?わからない。


なんで、人の趣味的な事でお金が稼げるのか?なんだか、わけがわからない!



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私が考える物を書いてお金を稼ぐ仕事は『作家』でしかない。

ブログは、あくまでも、私的には、個人の趣味ではないのかな?って。また、お金を払う人がいるとするなら、お金を払ってまで読みたいブログの内容ってどんな内容なのだろう?


私的には、人の趣味に対してお金を払う人がいる事が信じられない。少なくとも、私は人の趣味にお金を払う事はしないかもしれない。


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例えば、私としてはブログを書く事で、納得できる金銭の派生としては、企業が広告塔がわりに、人気ブロガーに依頼して自社の製品のアピールをしてほしい…とか、お店の経営者が客寄せ的に、同じように依頼して、広告代金として、ブログガーにお金を支払う…これは理解できる。


動画に対しても同じだ。広告塔がわりなら理解できる。ユーチューバーは、ユーチューブの広告塔なのか?

私は、以前、日本で広告代理店に勤めていたので、人気ブロガーを広告塔として利用する事は、代理店のクライアントのニーズに、そのフォロワー数や年齢層などがあっていると、有効的な広告手段だと思う。



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実は、アメブロにも、有料のブログがあるようで、私にも、何故か?有料ブログを書きませんか?というお誘いが来たのだが、(アメブロに書いているブロガー全員に依頼しているのかも?しれないが…)有料でブログを書くという物を、私は初めて知った。


つまり、私のブログを読みたい人がお金を払って読む…これについては、私は疑問に思うのだ。

もともと、私はブログを書くのは、自分の趣味であるので、それでお金を作る事は考えていない。もちろん、買ってくれる人がいるならそれを止める権利はないが、そんな既得な方がいらっしゃるのか?


私が書くブログなどは無料で充分である。それに、こんな私の言いたい事のみを書いているブログに、お金を払う人がいるとも思えない。


私は、無料なのでの人のブログを読んでいる。また、無料だから、ちょっと読んでみようかな?と思う。いくら人気ブロガーの記事でも、お金を払ってまで読むような価値は見出せない。

だから、私は有料ブログには自分自身が興味がないので、自分のブログを有料にしたいとは思わない。


私のブログは、自分の為に書いている物であって、特に、その記事に『いいね』があってもなくても、私的は何も考えていない。

コメント欄も閉じたりはしていない。好きに評価したい人が意見を書いていいと思う。

特に、私の記事の批判でも大いに結構だ。でも、これは、私個人の考えなので、人にとやかく言われる事はないと私は思っている。人の考えに批判する人は、その人の事を知っているならいいかもしれないが、自分の知らない人がなにを考えていても、私は関係ない。だから、私はコメントを書くときは、必ず、反対の意見の時は、相手に気を遣いながら書くようにしている。

いきなり『死ね!』『殺す!』などのコメントをする人、私のブログの中のコメントにはないが、人気ブロガーになればなるほど、そんなコメントを受ける方がいるのかも?しれない。

それって、書く人がマナーも悪いし、人として常識や道徳に欠ける人だと思う。


私には、SNSの炎上も理解できない。


いい事は炎上しないのに、悪い事や自分の意見と反すると感じる事について、意見をいうのは言うのはいいけど、それをするなら、その現象についての意見であって欲しい。

何故、それが、それを書いた人の人格否定的なコメントや個人批判や個人否定に繋がるようなコメントをするのか?わからない。

例えば、人の直接批判が受けらるとすれば、世の中の凶悪事件くらいだ。

そんな事件の記事で、ネットで炎上した時、その犯人に対する個人批判はあって当然だと思う。それは、罪を犯しているのだから。

でも、たかがツイッターやブログなどで、ちょっと、過激な内容をアップしていたり、自分の身の回りの事で、少し、内容的に悪い言葉を使っている人がいたとしても、人の話に対して、その人を知らない人が、何故、その人の人格的な事をいうのか?全く理解できない。

あくまでも、その人の個人的な考えや意見なので、何もその人を知らない人が、その人の批判をしなくてもいいと思う。記事の内容についての賛否の意見だけで充分だと思う。

人をわざわざ傷つける内容のコメントなどは、人としての道徳ができていない証拠だと思う。

特に、私がブログの中で話す『日本人エイリアン👽達』は、自身が打たれ弱いだけであり、自身への悪い意見を聞くと、心が耐えられないようだ。そして、オーバープロテクトをしてしまうため、言われた内容に尾ひれをつけて、自分に有利な話を作りあげて、言われた人よりも、権力がある人に訴えたり、世論に訴えたりするのである。

それって、おかしくない?って思う。自分の常識や道徳が人と違うだけで、もちろん、世論の中には、同じ仲間(エイリアン👽達)はたくさんいるだろうから、そんな人の意見だけを聞くと、それをいかにもみんなの意見のように、事を大きくするのだ。本当に厄介な連中である。


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私については、私のブログを読んでいただいて、私のくだらない話に共感してくれる人がいる事は、有り難いし嬉しい。でも、私の中では、それ以上でもそれ以下でもない。

私は、自分のフォロワーの数も特に気にしていない。でも、アメブロ限定記事にしないのは、不特定多数の人々が、どんな感覚で私の記事について思っているのか?という興味本意でしかないのかもしれない。


だから、私は何もブログでお金を稼ぐ事は、稼げるとしても、私は趣味ではないし、それをしたいとは思っていない。


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ブログや動画配信など、SNSを利用してお金を稼ぐ事、悪い事では決してない。今の世の中なのかもしれない…。

でも、それで生計を立てるとなると、私にとっては話は別だ。


私は、ユーチューバーであっても、ブログでお金を稼ぐ人であっても、それで生計をたてられる人は、それまでに、かなりの努力をしている人であると思う。はじめは、もしかしたら、ラッキー的な事だったかも?しれない。でも、それを続けられている人や本当に生計が成り立っている人は、何も、ラッキー的にそうなったのではないと、私は思う。継続するための努力は、はじめにラッキー的にお金が入ってきた人でも必要になる。

それをしない人が、はじめだけお金が稼げても、続かないのが世の中である。何の努力無しに、お金持ちになれる人はいない。

剛力彩芽さんの彼氏?ZOZOTOWNの前澤さんも、このかたは、SNSで儲けているわけではないが、みんな、この人がラッキー的に、自分の努力無しに大金を手にいた的に思ってるのかも?しれない。そんなわけない!

世の中のセレブ的な実業家は、ハイリスクハイリターンのリスクを自身が負えるビジネス展開が怖くない人だけが、大富豪的になれるのだ。

つまり、生まれ持った強運が味方し、ギャンブル的な才能があり、それが発揮できる人でなければお金持ちにはなれない。

でも、それも、何の努力も無しに、強運は降って湧いて来ないのである。また、私は前澤さんの事は直接知らないが、ビジネスについても、経済についてもかなり勉強されている方だとわかる。

だから、なんとなく、簡単にお金が稼げる事など、世の中には存在しないと私は思う。


ZOZOの前澤さんにも、人には言えない自身のか格闘も、死ぬの生きるのってくらいの大きなリスクを負った事も、こんな大きなビジネスをしている人には何度もあるはずだ。それを乗り越えたから、今のセレブ生活や巨万の富を手に入れる事が出来たのだと私は理解している。


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世の中には、人の成功だけを見た人が、SNSは簡単にお金を稼ぐ方法的に、または、前澤さんのようになんでも起業すると、お金持ちになれる的に思って、それをしたがる人が存在する。

そして、そんな成功した人を真似る事が多くある。でも、それが私は好きでないのだ。世の中は、先にしたもの勝ちであり、二番煎じでは儲かるわけがない。

ブログの中でも、起業女子や起業をしている方々いらっしゃる。今はそこそこ儲かる方もいらっしゃるかも?だが、もともと、自己資金があるか?ないか?で、それが長年続くかどうか決まることは、覚えておかれるといいと思う。

世の中の実業家は、自己資金が何億とある人しかお金持ちにはなれない。
何百円から起業して、たまたま、うまくいってもそれは、釣りでいうと、初心者ラッキーのようなもので、それで気を許してはいけないのだ。

自分に厳しくなければ、起業など成功しない。今の日本人エイリアン👽達が、成功しないのは、自分に甘い世代だからだ。
その中でも、自分に厳しいタイプだときっと、成功が続くのだろうと思う。


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働かざる物食うべからず…これは、本当の事である。世の中の常識でもある。世の中には『簡単に楽して稼げるお金は存在しない』存在しているように見えるだけであり、必ず、その落とし穴があり、いつか破綻してまう。それが簡単に稼げるお金の実体なのだ。


だから、アンニュイな感じで働く、半ニート的な人は私の趣味ではない。


もし、自分の子供がそうなら、私なら家から追い出す。勝手に自分で生活すればいい。もう、大人だから。五体満足に産んであげて、学をつけてあげているなら尚更だ。大人になった子供の面倒を見る義務は親にはない!巣立ちは、動物の世界では当たり前の事だ。人間だからと別ではないと言うのが私達夫婦の考えだ。

その事で、もし、人に迷惑をかけるならかけたらいい。その罪も自分で償えばいい。もう大人なんだから、親が頭を下げる必要などない。自分の子供であっても、大人になったら、自分の責任として考えられなければならない。

少なくとも、私は自分の子供達に自分の子育て方法で、常識も道徳も教えてきたつもりである。また、人と見劣りしないだけの学歴もつけてあげた。私は、充分に親の役割は果たしたと自負している。しかも、私の夫は全く子育てには関わっていないと言っても過言でない。

それについても、私は文句一つ言った事はない。むしろ有り難いと思った。自分の方針で子育てできたし、夫はそれに協力してくれていた。何も、子育てや子供の教育について口を出された事はなかった。だから、当然、私は夫に子供の教育や子育てについて文句はないのである。


うちの子供達は、2人とも成人して社会人である。我が子はニートでもないし、大学やポリも卒業させた。必要に応じて国家資格などをとって、現在はそれぞれ、自力で企業に就職してくれている。

我が子は、2人とも自宅で同居しているが、うちの子供達に関しては、精神的にも経済的にも親から自立している。これは、シンガポールスタイルだ。


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日本では、現代の若者が、学校を卒業してもちゃんと就職しない人もいる。就職できないのではなく、自らしないのである。

また、そんな人に限って、楽して稼ぐ事を考えており、簡単な発想で、ブログを書いて、何かの商品やお店の記事を書いて、その記事に記載されている商品のメーカーやお店の人が、広告塔にしてお金を払う。でも、それをしてしまうと、自分の記事は書けなくなる。いつも、何かの紹介記事だけを書かなければならなくなるかもしれない。



世の中には、仕事は選ばなければなんでもある。条件つけなければ、ましてや、学校卒業したてなら、年齢的にも若いので仕事がないわけではない。でも、自身が納得できないと言って就職しないのである。

自己評価が高い人に限って、仕事を選ぶ。自分の能力なんて、人が評価する事であり、働いてもいない人が、自己評価が高い事が間違っていると私は思う。


現在、特に日本は、簡単に稼げる的な広告が多すぎる。シンガポールは、広告規制が厳しい。簡単に稼げるなどいう広告を、シンガポールでは見たことはない!



日本のSNSの中で目につく『簡単に稼げる!』という広告や文字…



私は、何か違うぞと感じるのである。



なんだろうか?私は古い人間なのかもしれないが、簡単な作業でバンバン稼げる仕事など、あるはずがない。それをしようにも、その道を極めたプロや職人やその勉強を惜しみなくしている人がするべきである。


悪いけど、SNSを使って在宅でお金を稼ぐことは、子供が小さいとか、介護などで、働きに出たくても出られない人や、学生のアルバイト程度の感覚で、小銭を稼ぐだけで充分なのではないか?

いわゆる、私的には『内職』でしかないように思う。所詮、片手間でしかできないのでは?と思ってしまう。



誰でも、働くというのは、自身の動力や能力を使い、それを認めてもらって対価を得る。
つまり、自身の持てる能力を惜しまずに出すために、勉強をしっかりして知識を深める努力をする。そこからのスタートであるべきである。だから、人は学生の頃にたくさん勉強して努力するのだ。

それもせずにダラダラ遊んで、大人になったらなったで、楽してお金を稼ぐ?ふざけるんじゃないよっ!って私は思う。


それを煽るような形で『簡単に稼げる!』という言葉、広告!


若者は、また人生経験も浅い。仕事自体に対しても素人で、なんの努力もなく、またまた的にやった事で、大金が稼げてしまうと、その若者自身をダメにしてしまうような感覚にもなる。






だから、もしかしたら本当の事かもしれないが、ブログでうまくいけば月100万円も夢でない!的な誘い文句、全部やめてもらいたいと心が願うのだ。こんな言葉で人をダメにさせないでほしい。


人は、地道に努力して、日々、コツコツと働く事で成功を手に入れるべきであると、私は思うのである。