こんにちは。Bibakoです。


我が家にとって、今年は嬉しい事が続いている。娘の大学卒業に加えて、息子が、今年、ナショナルデーのパレードに参加する事が決まり、今年のナショナルデーは、既に、親はリハーサルに招待されたので通し稽古を本番さながらに観て来た。

この時の様子は、以前、ブログ記事にもアップしている。下矢印


今日は、息子の晴れ姿、Part2. シンガポールのナショナルデーパレード(NDP)。
https://ameblo.jp/bibako2620/entry-12487997537.html




ナショナルデーの当日の8月9日は、テレビの中継で息子の姿を見ようと思う。

もちろん、今年のナショナルデーは、我が家にとっては特別な日であるし、単純に嬉しいので心から祝える。というのは、私は日本人であるので、今までは、あまり自分には関係ない的な気持ちでいた。

私は、シンガポールに来て以来、もう何度もシンガポールのナショナルデーの中継は、TVで観ているし、実際に、スタジアムに行って観たのは今年が初めてだったが、特に、毎年感動するという感じは正直なかった。

ところが、今年のパレードは、兵役中の息子が、ネービー(海軍)の代表チームとして、パレードに参加する事が決まり、政府から何かしら、息子はネービーで賞をいただいた。

本人的には、せっかくの休みが潰れると文句を言っていたが、家族にとっては、嬉しい知らせになった。

シンガポール人の家族にとっては、息子が政府から賞を頂くことや、ナショナルデーのパレードに参加できることは、名誉でもあり、自分の息子を誇らしく思うご家族は、うちだけでなく、何かで、自分の子供がパレードに参加させていただいた家族や、パレードでパフォーマンスをする方々のご家族は喜ぶものである。






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息子は、招集を受けた当初は、アーミー(陸軍)であり、陸軍の訓練学校でのトレーニングを終えて、その卒業式典のようなイベントにも参加した。私はかつて、その様子を今日は息子の晴れ姿としてブログアップした。下矢印


シンガポールの兵役!今日は、息子の晴れ姿❤️
https://ameblo.jp/bibako2620/entry-12445481429.html




今も、息子は兵役の最中で、アーミーの訓練学校を終えて、正式な部隊に入隊するときに、かつてから息子が希望していた、ネービー(海軍)に入隊が決まり、息子も喜び、それから、ネービーの訓練学校に入学して、早、3ヶ月が過ぎていた。いよいよ、今月、彼はそこを巣立ち、正式にネービーの戦艦を動かす部隊に配属が決まっている。

親としては、ネービーといっても命の危険は否めない。海の上であるので、戦争をしているわけではないが、海の上の事故は付き物である。

また、潜水艦には乗ってもらいたくなかった。その昔、ロシアのネービーの潜水艦が訓練中に事故を起こし、その中にいた乗組員全員が死亡した大きな事故をニュースで知っている。

シンガポールのネービーでそのような大きな事故は、今まで聞いた事はないが、なるべく、命の危険が少ない部署への配置を、親としては、不謹慎だとは思うが望んでいた。

うちの息子は、夫がシンガポール人であり、息子もシンガポール人を選択しているので、兵役は彼の国民としての義務でもある。
日本人であったとしても、PRを持つ男の子は、全て兵役の対象になる。


私のような日本人ではなく、ご家族全員が日本人というご家庭の親達は、軍隊と自衛隊が同じだと思っている方々多い。

自衛隊と軍隊は全然違う!

最近の日本人達は、ただ単に、シンガポールに長く暮らしたいとか、自分の利益のために(例えば、今時は、たかがローカルの学校が授業料が安いという理由)、自分のお子さんが男の子でもPRを取得させる馬鹿な親もいる。

また、一旦取ると男の子の場合、10歳を過ぎると兵役を受けるまでは、放棄できなくなる。それも知らない人も多い。家族が本帰国したくても、ほかの国に出たくても、男の子でPRの子供がいると、雁字搦めである。
 
更には、兵役というのは軍隊の訓練であり、軍人になれるように教育を受けるのだ。
うちの息子も話していたが、人殺しを学ぶのと同じだと言っていた。また、訓練も生半可でなく、命がかかっているし、息子の安全など保証されていない。

シンガポール人の親達も、出来る事なら息子の兵役を免除してもらいたいと望むが、絶対に逃れられないので、諦めて息子を入隊させているだけである。

日本人はPRさえ取らなければ、兵役の義務はない。でも、私の嫌いな日本人エイリアン👽達は、私の話など耳を傾けることなく、自分の利益のために、息子まで売るのである。

言い方悪いけど、兵役義務があるとわかっていながら、また、逃れられないとわかっていながら、我が息子の命の危険やリスクを考えられない親は、我が子を自分の利益のために売ってるのと同じくらい、私にとっては、なんて親達だ!と思う。

日本人は物を知らないにもほどがあり、本当の意味で、軍隊と自衛隊の違いを理解して、それでも、我が子にPRを取るなら、それは、その人の考え方だが、日本人でわざわざ、自分の息子を命の危険に晒さなくてもいいのではないか?と、私は思う。



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実は、うちの息子の招集は、去年のはずであった。でも、息子はSMA(シンガポール商船学校)を卒業した時に、航海士としての国家試験が控えていた。だから、息子は、その試験の後の入隊を国防省にアピールをして受け入れた。だから、今年の入隊になった。

ところが、招集を受けた先は、アーミー(陸軍)であり、ネービーから招集されると考えていた息子は、少し戸惑っていた。
でも、息子は、とにかく、身体を動かすことは好きな方であったので、アーミーの訓練学校でも、ちゃんとメニューをこなしてそこを卒業した。


そして、その後、念願のネービーから招集を受けて、晴れてネービー入隊した。

その後、ネービーの訓練学校に入り、息子は既に、そこで習う事は、既に商船学校で学習済みであったが、今月そこを無事に終えた。

息子の階級は、いまは、下士官の少尉の待遇らしいが、9月から、正式な部署の准士官として任務に就く予定だ。


ナショナルデーは、どこの国でも、建国の記念を祝って、政治的な意味合いでは、国内外にその国の軍事力を披露する『軍事パレード』的な意味合いもある。

しかしながら、ナショナルデーの記念式典がない日本よりも、シンガポール🇸🇬やフランス🇫🇷、私達親子がパリを訪れたとき、たまたま、その日はフランスの革命記念日(建国記念日)であったが、ほかの国でも、ナショナルデーは国民と政府で祝う式典があるので、日本も、建国記念の式典くらいあった方が私は良いと思っている。




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さて…

私は、シンガポールに来てから、不思議に思ったのは、日本は『建国記念の日』という日がある。つまり、日本のナショナルデーだ。

でも、日本には、建国を祝う記念式典はない!私は、生まれてから一度も見た事がない。

また、私の通っていた小学校や中学校には国旗掲揚台があり、運動会などは、校旗と国旗を掲げている時もあった記憶がある。

実は、私は小学校の6年生のときに、児童会の副会長をしていたので、自分の小学校は、校旗と国旗を揚げていた事は記憶にある。でも、中学校は、校旗掲げてあった記憶はあるが、国旗はどうだったか記憶に薄い。

しかしながら、君が代(国歌)は、学校の音楽の教科書には出ていた事は覚えているが、音楽の時間に先生から教わった記憶がない。たぶんだが、小学校、中学校、高校、大学に至るまで、一度も、正式には教わったことないかも?しれない。

音楽のテープ(当時はレコードやテープだった)で、何か国歌が歌われる時は、それが流れていた記憶はあり、当然ながら、国歌は『君が代』であることはわかっているし、その歌詞も歌詞の意味も知っている。

でも、私は『君が代』の歌詞の意味は、高校生くらいだったか?大きくなってから自分で調べた記憶があり、学校で教わった記憶はない。

調べてみると、昔、君が代=天皇という解釈があった。その時は『天皇の事を尊敬して人の命が尽きるまでその命を捧げる』的が解釈がされていた。

でも、君が代=日本の国土という考えで解釈すると、『日本の国全体が、千年も万年も永遠に続き、人の命が絶えるまで国土の発展が続きますように』という意味や、君が代=人の命という解釈にすると、『人の命が永遠に続きますよう』にという『長寿を願う』意味にも取れる。

また、これは『古今和歌集』の和歌がベースなので恋の歌として、君が代=男女と捉えると、『2人の愛が、その命が尽きるまで永遠に続きますように』という意味合いにも受けれる。

だから、特にどれも間違った解釈ではないが、日本の歴史の中で、政府が都合が良いように『君が代』が解釈されていた頃があった事から、国民が戦争が終わった後も君が代を歌うのはちょっと…的な考えがあったのかもしれない。

しかしながら、もしかしたら、私は小学校の頃、君が代の意味を学校で教わったのだろうか?子供の記憶なんて、こんなあやふやなものなので、私でもはっきりとは言えないが、学校では、たぶん『君が代』の歌詞の意味は教わっていないと思うと訂正しておこう。




現在、日本では、オリンピックなどで金メダルを取った時には、君が代の斉唱があるが、特にみんなが声を出して歌うというスタイルではなく、音楽に合わせて歌手の人が歌い、それに合わせてどちらかというと口パク的な斉唱という形をとっているのが、日本の国歌斉唱のスタイルだ。

現在、学校ではどうなのだろう?何かの賞の授与式などで国歌斉唱はあるのだろうか?または、歌が流れるのだろうか?たぶん、無いと思う。

基本的には、めでたい意味の歌であるので、何かの式典で歌われることは、特に、君が代斉唱がなされる事は、間違っているとは私は思わない。

でも、いずれにせよ日本では、何故だか、普段から君が代(国歌)を斉唱する事があまりないのが、日本なんだと私はそんな理解をしている。


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シンガポール🇸🇬では、国歌斉唱は国民の日常として当たり前のように行われている。私ですら、聞きすぎるくらい聞いてきたので、『マジュラシンガプーラ』というマレー語の国歌を、そのまま歌えるようになっている。

今でも、シンガポールのローカル学校では、うちの子供達が幼稚園の頃からセカンダリー卒業まで、また、うちの夫が子供の頃からも、どこのローカル学校でも、ずっと毎朝、朝礼のときにシンガポールの国歌『マジュラシンガプーラ』を、生徒全員が歌い、シンガポール国民の誓いという言葉あり、それを暗唱するのである。

また、ナショナルデーは、スタジアムに来てナショナルデーを観ている観客も、参加している全てのシンガポール国民も、必ず一緒に国歌斉唱をするのである。

私は、はじめてそれを目の当たりに見たとき、『なんだ!この国は?まるで北朝鮮🇰🇵のようだ!』と、子供の学校の行事で、ナショナルデーのイベントの参観に行ったときも思っていたものだった。

シンガポールでは、国民全員が国歌を歌い、国民の誓いを暗唱して、ナショナルデーのイベントのときは、保育園や幼稚園でも、園児達が歌や踊りを練習して、学校でその成果を披露するのである。

また、私が住んているHDBは、通りに面しているため、各部屋には、窓のところやコリドー(外廊下)の外壁には、国旗が掲げられるように、専用のフックが備えられている。

ナショナルデーや何かのイベントの時、各住民に通知があったり、呼び掛けがあり、指定された家の外には、国旗を掲げることが伝えられる。

国旗を持ち合わせていない国民は、なんと、シンガポールは少ない。
最近の若い世代でも、おじいちゃん、おばあちゃんや自分の親から受け継いだ国旗が、家にある場合も多く、ない場合は実家から借りる人もいる。

シンガポールでは、老若男女全て国民が、国歌を歌い国旗を掲げることに抵抗がないのが、シンガポールという国なのである。


シンガポールでは、ナショナルデーのイベントが学校で行われる時、ローカル学校、つまり、公立の学校であると、政府のお偉いさんが訪問される時もあり、なんとなく、やらされてる感的な儀式的なイメージが私にはある。

現在のローカルの保育園や幼稚園でも、この風潮は残っている。だからといって、私も特に抵抗はない。


でも、よくよく考えたら、建国を国民が祝わない日本🇯🇵の方がおかしいのであって、国民がその国の建国を祝うことは、普通の事なのだと、私はシンガポール🇸🇬に来てから気がついた。


何故?日本人は、自分の国を誇りに思わないようになったのだろうか?



それは、私は教師だからあまりいいたくないが、日本では、日教組の関係でもあると言えると思う。詳しくは、ここには書かないが、日本の教師は、それが何故なのか?知っていると思う。
国民にとっては、教育の現場というのが一番影響力があり、そこで学んだ事は、その国の国民性の構築にも繋がるのだ。

だから、間違った教育があってはならず、政府の教育の方向転換などは、本当の意味では、難しいと思う。時代にあった教育というけれど、それも、日本人としての道徳教育が学校でもちゃんと浸透できているベースで行わなければ、表面上だけで行うと『ゆとり教育』を、どこかの時点、または、はじめから受けて育った日本人達が、『日本人エイリアン👽』に成長してしまった事は、間違いないと私は思うのだ。

また、現在は、その日本人エイリアン👽達が親になっている状況なので、益々、今後、日本人は道徳や常識が違う人達が増えるのであろうと、私は懸念を隠せない。


それはともかく…

日本人は、『愛国心がない国民』も多いと感じる。『愛国心』といっても、右翼的な意味でない!ただ単に、自分が生まれた国に感謝したり、日本が好きだという単純な気持ちである。
また、日本人は世界的にも『謙虚で礼儀正しく、知らない同士でも助け合いの精神がある国民』として、その良い部分を世界の人々が認めてくださっている。

でも、最近は、日本人エイリアン👽達の海外進出で、そのイメージも崩れてしまっているところもある。
現に、私の近くいる日本人エイリアンの同僚は、シンガポール人スタッフからの評価は良くない。日本人らしからぬ言動があまりにも目立つからだ。

もし、彼女がシンガポール人なら誰も何も言わないと思う。でも、彼女自身、自分はグローバルな人間で外人的に振舞っているつもりなのだろう。しかし、彼女は誰からみても、シンガポール人からみても日本人の何者でもない。だから、シンガポール人からの彼女の評価も下がるのだと思う。



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今の日本って、本当に何か変だと感じるの私だけであろうか?

国歌を歌わず、学校でも教えず、国旗を掲揚する一般家庭も非常に少なく、日本人エイリアン👽達で、海外に目を向けている家は、日本語すらも馬鹿にしているようにも取れる言動をする。


いったい、日本人は何んだ?


日本の国って、海外に住んでる私からみると、本当に素晴らしいと思う。でも、国民がそんな日本を誇りを思っていなかったり、国を等閑にしていたり、海外ばかりに目を向けている人が増えると、なんとなく、私は、日本人として悲しさを覚える。




日本人は、もっと祖国、日本の国の事を大切にした方がいいと思う。

もちろん、国民みんなではないが、特に、海外を目指している日本人は、本来なら、もっと日本の道徳や常識が身についている人が海外進出してもらいたい。

でも、現実は、私の嫌いな日本人エイリアン👽達のように、日本人離れをした考え方をもち、日本人らしからぬ言動を海外で繰り返す。

私は、そんな人こそ、日本の中に居てもらいたいと切に願う。所詮、日本人は日本人なんだから、『日本の心』を学習して、それを大切にできると、普通に『愛国心』にも目覚めるのではないだろうか?