こんにちは。Bibakoです。
あのね…。日本の中で、1番良い時代に生まれて育った年代の方々って、どの世代だか?ご存知ですか?
これは、私の感触だけの話なので、実際には、そんな資料ないけど…それは…
昭和30年代前半から昭和40年代半ばくらいまでの生まれの人達なのです。つまり、今のアラフィフから上の世代の方々。
つまり、ズバリ!私もその1人なんです!
なんで、唐突にそんな事を言い出したのか?また、その幸せ世代に生まれていない人にとっては、なんの根拠があって…と、不満に思うかも?しれない。
これは、たまたま、私達世代の方々がラッキーなだけなんです。その理由は、アラフィフより上の世代の方々は、日本の高度成長期、日本の経済が世界を相手に走り出した最中の生まれであるからだ。この詳しい解説は、後にするとして…
今の日本人は、日本経済が不景気なだけでなく『人の心まで貧しくなった』と感じるのは、私だけだろうか?
それは、日本人エイリアンに象徴されるように『自分さえ良ければいい』的な考えを持つ人が増えた事で、今の日本は、シンガポールから見ても何か変だと感じるし、日本の将来に対しても、危機感すら覚えるのである。
***********************
でも、日本人がこうなった背景は、日本の景気の問題と密接に関わっている。
例えば、みなさんご存知のように、日本は、80年代のバブル時期を経験したあと、バブルの崩壊が、その後の日本経済に大きく影響している。
バブル崩壊までは、日本人の労働者は、大抵の場合、社会や職場に守られていた感覚が強い。
会社は終身雇用的な考えで、従業員を大切に扱う。労働組合も安定していて、ブルーカラーの方々も、組合に守られて安定感もあったのではないか?と思われる。
また、世の中も高度成長期時代からの恩恵を受け、人は忙しく働いていたが、働くと、それだけの実入りにはなっていたような感覚で、私も、ちょうどバブル期に社会人をしていたが、休む暇もないくらい働いていたが、給料もボーナスも当時の水準からいくと高い方だった。
だから、当時は、私のような20代半ばからアラサーの独身女子は、みんなかなりお金を持っていたのかも?しれない。
また、それを惜しみなく遣い、ブランド品を身につけ、夜の街にも繰り出し、海外旅行にもバンバン行き、カルチャーセンターのようなところで、習い事をしながら、自分磨きも思う存分できた時代だったのかもしれない。さらには、高級なスポーツクラブの会員になったり、ゴルフやらマリンスポーツなど、少しお金がかかるスポーツも、みんなこぞって習っていたような、今の若者からすると、夢のような世の中だったのだ。
だから、今のアラフィフから上の世代は、お金の苦労をしたという人は、日本の中に少ない時代だったのかもしれない事から、私のように中高年になっても、心豊かな人も多いのかも?しれない。
心豊かな人は、人に親切なのである。今のシンガポール人もそうだ。
シンガポール経済が良くなった事で、国民全体として心豊かな人も多いので、小さな親切であっても、街の中がバリアフリー的な人に優しい街になっているのだ。
今の日本は正反対だと、私は日本に帰国するたびに思うし、シンガポールで最近出会う『日本人エイリアン達』をみていると、ますます、情けない気持ちにもなるのだ。
********************
お金と人の心については、密接な繋がりがある事は、人間である以上『欲』に支配され生きる動物でもあるので、致し方ない部分はある。
私と夫は、お金に対する考え方が全く違う。私は、比較的経済が豊かな時期の日本で生まれて育ったので、お金で買えない物がよくわかるし、実感できる世代でもある。
でも、夫は、私と同じ世代であっても、夫が生まれた60年代前半のシンガポールは、独立したばかりで、国の中は混乱していたし、まだまだ、国の経済どころでなくスタートしたばかりであった。
そんな中で育った夫は、お金がなければ何もできないという事を、幼い頃から目の当たりに見て育っていた。
その頃に生まれた、夫と同世代のシンガポール人達は、そのほとんどが夫と同じ考え方であり、お金重視、現実重視の考えて生きている。
もちろん、これは、時代背景からくる人の感覚であるので、いいも悪いもないが、私は比較的お金に対しては、あまり執着もない。お金がないのは困るが、たくさん欲しいとかは思っていない。
それは、私は物欲もないからだ。
何も欲しい物がないので、お金をあまり必要としておらず、極端な言い方をすると、私にとってお金は、毎日の食事ができるといいだけなのだ。
私は、自分の寝床である家もあるし、服ももっている。だから、食べていけるお金があればそれでよく、危機感が薄いのである。
私は正直、日本の実家は比較的裕福であったため、私は幼い頃から、夫のようにお金があれば…的な思いを感じる事なく成長したのだ。自分が必要なものや欲しいと思う物は、親から与えてもらえる環境であったからだ。
もちろん、お嬢様ではないし兄弟も4人もいるので、欲しい物や必要なものというのは、決して高額なものではない。学生の頃、一般的にみんなが必要とするもの程度の話だ。
だから、シンガポールに来たとき、普通なら、心まで荒んでも仕方ないようなジェネレーションギャップがあった当時のシンガポールの生活も、私には、タイムスリップしたようで面白いと笑い飛ばしながら、生活できたのかも?しれない。
*************************
心の豊かさは、私の場合、何も意識したわけでなく、生まれた時代と、家庭環境でお金にはあまり焦点が当たらなくても、なんとなく、困らずに生活できていたので、お金があれば…的な考えが無いに等しいのである。
きっと、今の日本人でも、私のような中高年、アラフィフより上の世代の方々は、家が比較的裕福な家庭でお育ちの方が多くいる世代なのかも?しれないと思うようになった。
私的には、お金で人の心が左右されるのは、なんとなく、人の煩悩を感じざるを得ない。仕方ない事とはいえ、ちょっと、人間の侘しさをも感じるのである。
*********************
私が嫌いな日本人エイリアン達は、どうして『自分さえ良ければいい』という考えが普通だと思っているのか?
これは、悲しかな?日本の運命的な事かもしれない。
日本の景気が悪くなり経済の安定が緩いだ時期が昭和の終わりにあった。そこから始まった平成の時代は社会全体が、昭和の時代よりも、不景気気味であり、その頃から、日本人の心もお金が無くなると、懐だけでなく心まで貧しくなってしまったからだと思う。
日本経済は、80年代後半からバブル期になり、90年代前半までにはそれが崩れてしまった。
バブル崩壊後は、どこの会社でも、会社の経営や景気が悪くなり、経費削減に乗り出した。そのため、早期退職者の方々には、退職金を上乗せする方法や人員削減をするために、理不尽な方法であっても、リストラを実施し始めた。
今のアラフォー世代の方々のご両親は、そんな世の中、家庭の中の1番の稼ぎ頭であるお父さんが、なんらかの理由で職を失う人も増えた時代であった。
そうすると、その頃、ちょうど、小学生や中学生だったのが、現在のアラフォー世代やそれよりも年上の方々である。
その中には、バブル崩壊後の日本経済の影響を、目の当たりに受けたご家庭で、お育ちになった方々も多くいらっしゃるかも?しれない。
その頃、自分の親をみて、自分は大人になったら、こんな風になりたくないと思った方々も、アラフォー世代の方々には多くいらっしゃるかもしれない。
その頃の社会でも、はじめから、所得が高い家に生まれた方々には、世の中の経済状況などは、あまり、家庭の中で目の当たりに感じる事などなかったのかも?しれない。
また、同じ世代であっても、親のリストラの状況なども全く知らない人達も多く、いろいろな経済格差がある家の子供達が混在していたのが、昭和の終わりから平成の始めの時代の学校の現場であったに違いない。
その中にいた子供達が、今のアラフォー世代から少し上の世代の方々であり、学校の中も『ゆとり教育』で道徳や、学級会の時間が削減されて、子供達までもが、常識や道徳を学ぶ機会が減ってしまっていた。
その頃の日本は、人の事については『無関心』『関わらない方がいい』的な考えが、社会の不景気の影響で、人々の間でも、家庭の中でも、当たり前化されてしまったので、もちろん、学校の中でも、子供達がこんな大人や親の影響を受けていても、おかしくはないのである。
子供が学校から家に帰ると、親は『お金が無い、仕事が無い』と、家庭の中で暗い話が日常的に飛び交う。
でも、子供達にとっては、幸い、こんな暗い話は自分の家だけでなく、よくよく聞いてみると、友人の家もそうであるとか、なんだか、へんな連帯意識も生まれてくる。
その結果、他人の事など御構い無しに、自分だけが良ければいいという考え方は、当時の子供達に徐々に浸透していったのかもしれない。
それが、今日のエイリアン達なのだ。
私が嫌いな日本人エイリアン達は、本人達がなりたくて、非常識、道徳無し、礼儀無しになったわけではないと思う。
エイリアン達が子供の頃の日本の社会や日本の景気や家庭環境が良くないため、親から教わった『人を信用していていけない』『お金は握っておかなければいけない』『人を気にするより、まずは自分』などは、正しい考え方だと思い込んでしまった。
また、それを教えた親達は、自分達は今まで、他人でも付き合っているうちに、身内以上の感情が芽生えて、心から信頼して付き合っていたり、会社も信用して、一生懸命に働いてきたのに、景気が悪くなると、親しい友人から騙されてお金を取られる事があったり、会社にも突然裏切りにあったように、何も落ち度がないのに解雇されたりで、人を信用していた自分が馬鹿を見た気持ちになったのかもしれない。
だから、自分の子供には『人を簡単に信用してはいけない』『人のことより、まず、自分が潤うことを考える方が幸せになれる』と、自分達の失敗を子供にしてもらいたくない親達が、良かれで自分の子供に教えた事なのかもしれない。
こんな事を考えていると、私はエイリアン達が不憫に思える事もないわけではない!
***********************
しかしながら、今の日本エイリアン達のような日本人が増えたことは、日本の未来にとっては、絶対に良いものではない。
日本の経済は、世界全体で見ると決して悪いというわけではない。
経済が落ち込んでいることや、世界的に輸出できる物が少なくなっている事、つまり、物作りの天才の日本人が、『メイドインジャパン』を誇り、日本の製品の輸出に頼っていた時代は終わってしまった。
それは、中国のファーフェイに象徴されるように、今や韓国、台湾、中国の製品も日本の製品と変わらない技術を駆使するようになった。
では、今は、日本は、何を世界に発信するのだろうか?
それは、日本人の心である!メイドインジャパンの実力を見せてこられたのは、その製造過程に於ける『人を思いやる心』である。
つまり、使う人の事を考えた製品を製造できるのは、今、現在でも『日本人』だけであると思う。
日本人の緻密な性格と、人を思いやる心が、現在の日本製品を支えて、日本の経済も支える。
また、日本人のサービスは最高の評価を得ている。いわゆる『おもてなし』である。
でも、日本の中では、それに胡座をかく日本人エイリアン達が、クレーマーになり『お客様は神様だ!』と、常識や道徳を考えない言動を平気でする。
だから、サービスもそこまでしなくてもいい的に、企業側も、その調整に乗り出しているところがある。さらには、日本人エイリアン達は、人の事などお構いなしなので、そんな人達が増えると、メイドインジャパンも、チャイナ製品並みに、企業利益の為には、人命も気にしない的に、食品偽装も日本でも増えるかもしれない。
ちょっとまって!こんな日本になって行く事は、日本人達が自分の力で食い止めなければならない事だと思う。そのためにも、日本人エイリアン達の意識改革をしてもらいたい。
日本の経済が悪くなっているのも、本当のところ、日本人エイリアン達の自分勝手な考え方や、自分さえ良ければいいという行動が日本経済をもダメにしている。
今や、日本人エイリアンの問題は、日本の大きな社会問題だと思うのである。
*****************
シンガポールでも、日本人エイリアン達は、財布の紐が硬い。それは、その家のお金に対する考え方なので、人がとやかく言うことではない。
でも、人は1人で生きているわけではない。自分の少しの心遣いが、周囲の人々の気持ちを和ませて、みんなが幸せな気分になる事もあるのだ。
人から何かしてもらったときには、気持ちを返すのは当たり前だ。ギブアンドテイクができる人達が、今のアラフィフよりも上の世代。できないのが『日本人エイリアン達』。
バブル崩壊で精神的な部分で『人を信じる事をしなくなった』世代が、今のアラフィフよりも下の世代である。その中で日本人エイリアン達は、年齢が下がれば下がるほど、その数を増やしている。
例えば、エイリアン達は『ありがとうございます』と言う言葉を、なんとなくしか使えない人もたくさんいらっしゃる。
感謝の意味も、エイリアン達の中では軽くなってしまい『ありがとう』の代わりでしか無い言葉に成り下がっているような感じも受ける。
人が自分の為に何かしてくださったとき、自分のお金を使って、お礼の気持ちを表すことを、エイリアン達は極端に嫌うのだ。自分の為に使うお金はあっても、人の為にはビタ一文も使えないっていう考えなのか?
エイリアン達は、口だけのありがとうや感謝してますを連発するに過ぎない。それができるならまだいいが、お礼も言わないエイリアンもたくさん存在する。
人としての常識として、人からお祝いや何か頂いたら必ずお礼を告げて、できれば、その内容によりお返しの品は差し上げる方がいい場合もある。
でも、エイリアン達は、必要な場合でも、何もお返しをしない人の方が多い。その理由として、親から教わっていないとか、そんな風習は自分は従わないとか、または、自分からそれを欲しいと言ったわけではないとも言う。
また、自分は人に何か差し上げても、お返しなどは期待していないという。
これは、間違っている!お返しを期待して、お返しが無い事を指摘しているのではなく、常識の問題を指摘しているのだ。つまり、ギブアンドテイクをどのように考えるのか?という問題定義だ。
堂々と、自分はお返しを期待していないと、こんな馬鹿げだ事を平気で言い返せるエイリアン達。誰も、お返し欲しさに人に物をあげる人は存在しないのだ!それは、お前達だろが?エイリアン諸君!
エイリアンの考えって、本当にびっくり
だ。
これは、そんな物資的な部分の問題ではなく、人から何かしていただいたら、感謝を表すのは当然だからだ。
お祝いなどは、受ける人で催促する方が常識外れなので、自分が頼んでない的な発想をお返しをしない理由にするのは間違っている。
人からのお祝いやプレゼントに対して、お返しするのは正しく『ギブアンドテイク』の考えである。
エイリアン達は、人付き合いも下手である。ギブアンドテイクの考えは、お互いに良い関係になるために『持ちつ持たれつ』という言葉が日本のギブアンドテイクであり、日本人の心にはこの『持ちつ持たれつ』の考えが存在するのだ。
いくら日本経済が厳しい中で生きているとはいえ、自分だけがお金ないわけでなく、みんな同じなのだ。だから、お金が無いからと、心まで貧しくならない方がいい。
お金で買えない物、世の中にはたくさんあるのだ。それが本当にわかる人は、自分が実際にはお金の余裕がなくても、お金を他人のためにも使えるのだ。つまり、心が豊かな人なのである。
つまり、何か奢ってもらうと、次は自分が…とか、何かいただくと、次は自分もとか、そんな気持ちが大切なのだ。
************
日本エイリアン達は、『金は天下の回りもの』という意味がわかっていないようだ。
お金は、自分のところで持っていて、どこにも使わないと、最終的には、国の経済も回らなくなるのだ。
景気が悪いからと、誰も消費しなければ国は破綻する。お金は、景気が良くても悪くても、使わないといけないのだ。持ってるわけにはいかない。
貯金や投資金も、結局は世の中にそのお金が出回っているので、個人の貯蓄や投資が多い国は、繁栄しているのだ。そして、繁栄すると、最終的には自分に還元される。だから、金は天下のまわり物なのだ。
身近な話としては、ケチらなくていいところで、ケチるな!というところだし、お金は使ってナンボ、使うから自分にも還元されるようになると、考えて、賢い節約を考える方がいいと私は思う。
***************
ついでに、心が貧しい人は、人に優しくなれない。つまり、心が貧しいと、自分が困った時も誰も助けてくれなくなるのである。
例えば、電車やバスで席を譲ろうとしない人は、その心を入れ替えてもらいたい。
自分もいつか歳をとったり、子供を産んで子連れで公共の交通機関を利用する事もあるかもしれない。その時になって、本当に席を必要していても、誰も知らん顔されるとどんな気持ちだろう。
公共のマナーを守れないにも関わらず『叱らない子育て』する親。これも、反対に自分が何か、外で突然体調不良になり、静かにゆっくりしたいときに、ガチャガチャと走り回る子供がいると、気持ちはどうだろうか?
他には、席は譲ってまもらって当然だと言わんばかりに、席を替わらない人を怒鳴りつける人。または、子供は席に座る権利があるとばかりに、小さな子供に、電車が満員でも、1人1つのスペースを与える親。人それぞれ考え方はあるにしろ、やっぱり、こんな人は、心が貧しいのだと思う。
*****************
さて、なぜ?現在のアラフィフ以上の日本人は、心が豊かな人が多いのか?
これは、アラフィフより上の世代の人達は、その生まれは昭和30年代前半から昭和45年前後くらいまでの生まれの方々を指している。
この生まれの方々は、ラッキー世代なのだ。つまり、戦争を知らない世代であり、戦後の復興を遂げた日本で、ちょうど高度成長期に誕生した世代から、その安定を感じられた時期に生まれたのだ。
つまり、生まれた時から、すでに物は豊富になっていた。家電も普及して、モダンな生活になっていった時代が、この方々の幼稚園、小学校時代になる。中学になる頃には、日本はもっと便利になりだんだん、家電も進化してきた。機械化やデジタル化も進み、世の中がますます便利になっていった。
今の世の中は、スマホ、パソコン、インターネットが普及して、ロボットも一般家庭で使えるような感じであり、AIを搭載した物まである。
そんな便利な世の中を、私達は生きておりとてもラッキーだと感じる。かろうじて、まだその文明の力を、自分の子供から教わったり、若い人達に教えてもらえると使える。
また、精神面でも、子供の頃は道徳教育もちゃんと学校でも家でも社会の中でも学べる環境であった。だから、思いやりを持つことや、助け合うこと、人とともに、集団の中で生きる大切さを学ぶ事が出来た世代である。
更にラッキーな事は、人が生きているうちにお目にかかれるか?どうかわからない『バブル』も経験し、生きていてよかった的な経験もいっぱいあった。
そんなラッキーがいっぱいの世代が、我々、アラフィフから上の現在『中高年』の世代なのだ。
だから、心が貧しくなる事はなく、エイリアン達をおかしな日本人だと批判する人達も、この世代の人達が多くいるのだ。
**********************
日本は、1940年よりも前の生まれであると、確かに平和な世の中といえばそうだったのかもしれない。でも、戦争や戦後の混乱期を経験している方々も多くいる世代である。
その世代の方々の親の世代、つまり、明治生まれの方々(今はもう誰もいらっしゃらない)は、国の中が全体的に、明治維新と共にモダンな近代国家へと変化している最中であったが、今の人は知らないかも?だけど、今でも、世界各国で人気があると言われる日本のNHKのドラマ『おしん』。
これは、明治生まれの主人公の一代記のような話だが、おしんは明治の時代に生まれた一般の庶民にありがちな苦労を描いて、大正、昭和30-40年くらいに、その人生を終えた人の話である。
実は、Bibakoの日本のおばあちゃん、私が大好きだった、母方のおばあちゃんは、明治42年京都の生まれであった。
でも、幸いおばあちゃんの家は、京都の田舎のお金持ちであり、商家の家の跡取り娘であったらしい。だから、おしんとはまた違う人生であったが、おばあちゃんの人生も数々のドラマがあり、戦争も戦後の混乱も経験した人である。
だから、明治生まれの方々は、トータルすると、大変な時代とともに、戦争も経験したり、たくさんの困難があったに違いなかった。
では、大正生まれの方々。これは、実は、私の夫のシンガポール人のおばあちゃん。正しく、日本でいうと大正生まれであった。また、シンガポール建国の父と言われた今は亡き『リークァンユー氏』も、大正生まれであった。
シンガポールの歴史を考えても、この時代の方々は、若い頃に第二次世界大戦という、大変な経験を日本人でもなさっており、シンガポール人にとっては、シンガポールの独立という大変な時期も経験し過ごして来られれた方々だ。
シンガポールの独立前は、もともと、シンガポールの島で暮らしていた住民にとっても、マレーシアから移ってきた住民にとっても、ほかの国の人から占領されたり、混乱した時期や不安定な時期が続き、その中でも、イギリスが勝ち残り長くシンガポールはイギリスの占領時代が続いた。第二次世界大戦の終盤は、今度は日本に占領されて、島民達は平穏、平和という時期も経験しているが、混乱の時期も長く経験している。
そして1965年、マレーシアから独立を果たした時も、しばらく、政治も国も安定したものではなく、長く時間がかかる国の建設を、リークァンユー氏は、比較的早く成し遂げてくれた。それでも、うちの夫が生まれてから、幼少期は私の幼少期とは、20-30年遅れた時代を生きる人と同じ生活水準の暮らしであった。ただ、大正生まれのおばあちゃんの一生を考えてみると、平和な時期も多くあったかも?だが、国自体がほかの国に翻弄されるような感じで、今のように安定した暮らしは、晩年になってからである。
では、日本の中の大正生まれは?というと、男性は男性で、ホワイトカラーに憧れる人達が増えた事で、大学などの高等学校への進学も、明治時代に比べると多かなってきた時代でもあった。世の中に『インテリ』と言われる人達や、芸術や文学を堂々と勤しめる、言わば、男性にとっては良き時代の到来だったのかも?しれない。
でも、女性にとっては『女性卑下の時代』でもあったかも?しれない。でも、大正デモクラシーに象徴されるように、女性の自由や権利を主張した方々も多くいらっしゃった時代でもある。
大正時代の方々は、全体的に見ると、やはり、戦争も経験して、日本が安定していい時代になった頃は、すでに人生の晩年期であるという感じである。だから、平和な時期をずっと過ごせた時代の人は、昭和に入ってからという事になる。
昭和の生まれは、昭和20年以降、つまり、戦後生まれと、戦前、戦中生まれとで随分と差があると思う。
でも、比較的、昭和生まれの人達は、平和を長く感じる事ができ、私の父の世代は昭和の初めの生まれであるが、仕事面でも、高度成長期に、社会人である年代であるため、働くと働くだけお金になるという、労働者にとっては、1番いい時期ではなかったのか?という感想は持っている。
そして、我々昭和30-45年前後の生まれが、トータル的にもラッキー世代。世の中も安定して、平和であり、物にも恵まれていい事がたくさんあった。その分、親の権力は強く、子供の意見は通らない。
学歴社会の到来で、塾通いが始まり、有名私立中学受験や有名私立の高校受験のために、勉強も山程させられた経験を持っている人も多くいるはずだ。
そのあと、昭和50以降、60年代、平成生まれの人達は、日本の中の景気が悪い時期が多くあった。世の中の暗い話題も多く、全体的に、毎年、明るい話題が少ない時代の中に生まれ、ゆとり教育も始まり、イジメ世代とも言われる陰湿なイジメも社会問題にまで発展する時代になる。
この世代の方々は、全体的には、暗い日本の世の中で生きているのかもしれない。
だから、この年代に1番多いとされるのが『日本人エイリアン達』なのだ。
でも今後は、このエイリアン達が、どのように日本の心を取り戻して、日本人としての豊かな心を取り戻せるように、日本はこれから頑張っていかないとダメになってしまうと感じる。
そのためには、日本は教育のあり方も、英語よりも道徳教育に力を注いで、エイリアン達の心を、もとの日本人の心に戻せるような事を、例えば『小さな親切運動』の復活的な事を、社会全体で取り組んでもらいたいと思うのである。