こんにちは。Bibakoです。
私は、最近わからない事だらけの日本人に悩まされる…
つい最近、これは幸い私が出会った人ではないのだが、わけのわからない人の話を聞いてしまった。
最近の日本人は本当に『心』ってあるのだろうか?特に、私が勝手に定義付けしている『日本人エイリアン
』達は、自分勝手であり自分の事だけしかわからないのだろうか?
それも、知っていてしている、つまりわざとしているのか?本当に、自分がやってる事がそのカテゴーの人の中では当たり前の普通の事なのか?すらも、わからなくなった。
ついこの間、私の事ではないのだが、またしても、シンガポールに住む日本人の友人が、日本にいるエイリアン
的な日本人に利用される感じでトラブルになった。
*************************
エイリアン
は、常識や道徳観念が一般の人と違う。本人的には、それが普通なんだろうが、やっぱり私は受け入れられない。
エイリアン
は、自分の事しか考えていないので、自分が得するような事ばかりする。
それに対して、自分の動力を如何に少なくするか?更には、それに対しての最大の自己利益を追求する人達である。
世の中、エイリアン達のような考えで事を運ぶと、必ず、周りの人を不幸(気分を害する)にする事になる。本人は、それを知らないのかもしれない。
人の不幸を土台に、自分だけが肥えるのは人としていかがなものだろう?と、いつも思う。
でも、エイリアン達にとっては、人の事はどうでもいいので、こんな自分勝手で常識も道徳も無い事を、大なり小なり成功させると、本人的に満足して、また、同じ手口で人を土台にその自己利益追求を続けていくのである。
これって、みなさん、どう思いますか?土台(踏み台)にされた方が馬鹿なんでしょうか?
私は、古い人間かも?しれないけど、エイリアンのような人達は、人の長い人生の中では、人として最低レベルの人だと思っている。
つまり、人は、生きている間に『得』ではなく『徳』を重ねる事で、人としてのレベルアップとなり、心が豊かになり生きている間、幸せに暮らせるのである。
エイリアン達は、それを勘違いしているのか?徳ではなく『得』を追求するのだ。
人としての価値は、人が生まれて死ぬまでの間に、周囲の人々から自分に貰った恩恵を感じて、それに感謝して、その受けた恩恵は、自分の周囲の人々にお返しして、一生を終えることができた人が、人としては『最高レベル』の人であるような気がする。
エイリアン達
は、目に見えるものしか信じてないので、まずは自分の『得』を考え、自分の子供や配偶者までも、自分よりは優先順位が低いのである。つまり、いつでも、どこでも自分優先なのである。
常に『まずは自分』という考え方なので、人からは嫌われる確率は当然高くなる。でも、エイリアン達
は、それを気にしていないかのように振舞っている。時には、嫌われているとわかっていても、自分の得のためには、それも、知らないふりをして人に近づくのである。
恐るべし面の皮もめちゃくちゃ厚い『ど厚かましい』人が『エイリアン
』なのである!
普通は、人は人から好かれると、自分の『徳』になるのである。だから、自分が何かする事で人が喜んでくれると、自動的にその人は、徳を得たことになる。徳が高い人(多くくもっている人)は、自然に人からも好かれるのである。
こんな回りくどくいうと、エイリアン達は何も聞いていないし、頭でこの意味を考える処理能力にも欠けるので、エイリアン達
には、スレートに要点だけをいうか?もっと、エイリアンが目に見えるもので説明しなければ、エイリアンには何も伝わらないのだ。
超ドアホで面倒くさいカテゴリーの人達なのだ!
**********************
せっかくなので、エイリアン達にもわかるように、徳の話、人が自然に人から好きになってもらえるシステムについて、もう少しわかりやすく言うことにしよう。
特別に、エイリアン達
にわかりやすくいうと、例えば、自分が子供が生まれて、心から我が子を愛していると、必ず、子供は親を好きになってくれる。
つまり、世の中の親は、子供を持つと、我が子に愛情を注ぐ事で、自分の『徳』を自然に増やす事ができると考える。
だから、特別な場合を除くと、人類の子孫繁栄のためにも、自分の『徳』を増やすためにも、結婚したら1人でも子供を持つほうが、自分の人生も豊かになるという意味である。
何らかの事情で子供を持てないなら、自分の両親に愛情を注いでもいいかもしれないし、他人に対して親切な言動で、自分の『徳』は増えるものであると私は考えている。
人からの愛情は、誰の目にも見えるものでない。
例えば、自分が子供を愛してるのは、自分の感情なので見えなくても信じられる。でも、子供から自分に対する愛情は、目にみえるものではないので、例え我が子であっても、人の感情はわからないかも?しれない。
また、子供が自分に対して、どんな気持ちを持っているのか?は、子育てを終えた私にも、はっきりと確信できるものはないが、なんとなく、愛してくれていると感じることはある。
ただ、これは、子育てを終えて見ない事には、誰でもすぐには、わからないかもしれない。
常に、子供が自分(親)を愛していてくれたか?という疑問の答えは、自分(親)の人生が終わるまでの間に必ずいつかわかるのである。
子育てが下手であったり、躾が出来ない親は、エイリアン達
なのである。
そんな親は、自分勝手な愛情しか我が子に注げない。一方通行の愛情を与えていても、本当にそれを受け取れるだけの子供であるのか?は、もともと、親が目に見えないものも信じられる親でないと、子供は目に見えないものは信じられなくなる。
子供は親を見て育つので、エイリアン達の子供はきっと、親と同じように、目に見えないものは信じないので、エイリアン達が我が子にいくら愛情を注いでも、子供には伝わらないだろうと私は思っている。
だから、エイリアン達の子供は、大人になっても、あんた達と同じ種類のエイリアンにしかならないのだ!
一般的にも、子供に言うことを聞いてもらうためには、まずは相手(子供)の事を考えた上で、親が子供に伝えたいことは、ブレずに話さなければならない。
子供に何か教えても、それがすぐに出来るようになる子供は皆無であるといって過言でない。親は待ち上手でなければ、子供はまともに育たない。
エイリアン達が子育て下手で躾もできないのは、エイリアン達は待つ事が苦手である。子供が出す結果が、じっくり待てないのである。
これは、エイリアン達だけでなく、エイリアンでない若い世代の親達もその傾向はある方々が多い。
子供の結果を待てない親は、焦ってへんな方向に子供を導いてしまいがちになるのだ。
そんな親から指導を受けると、家の中では、最終的には子供は親を嫌いになる傾向になる。それは、いつも、自分(子供)が親からせっつかれるイメージになるからだ。
賢い子供ほど、自分は親を嫌いであっても、それを隠そうとする。でもそんな子供も、自分が歳を重ねると、今度は親を利用するようになる。
とくに、エイリアン親に育てられた子供は、自分もエイリアンなので、親でも利用するのはお手の物だ!しかも、それが悪いという思いがないのは、親の常識や道徳をそのまま受け継いでいるからだ。
そんな子供が大人になると、実家(親)にお金があると寄り付き、介護など親のお世話も積極的にするが、お金が無い親と離れ、お金がない実家だと、寄り付かないのである。
そんな目に遭うか遭わないかはわからないが、子供を持つ親は、自分の子供には、自分の事を愛していてほしいと願っている。
でも、子供がエイリアンの親達から育てられると、親のエイリアン達同様に、目に見えるものしか信じないので、親がどれだけ子供に愛情を注いでいても、子供には伝わらないのである。
つまり、エイリアン親子というのは、エイリアン親は、子供に愛情を与えることを、物を与えるとか、叱らないとか、目に見える物を見せて、それが自分の子供に対する愛の証だと勘違いしている。
すると、子供は、物をくれたり叱らない親が、その時は好きになる。でも、それも表面的なことであるから、それがなくなったときには、子供は親から離れるのである。
エイリアン親子が、うまく行くのは、その家に最終的な経済力、つまり、親が財力があるとうまく行くが、親に財力がないと、エイリアンの子供は、親から離れて関わりを持ちたくなくなるのである。
世の中のエイリアン達が、私達普通に生きている人達と、常識や道徳が違うと感じるのは、『目に見えない物でも大切なものがある』という、人間の基本的な感情が育たないうちに、大人になってしまうからだ。
そんな人は、親も、何らかの理由で『人を簡単に信じるな!』『自分を幸せにできるものはお金だけだ!』などと、目に見えるものしか信じてはいけない的に、子供を洗脳して育ててしまっているのだ。
世の中のエイリアン達というのは、大抵の場合、自分の幼少期や小学生、中学生の頃に、家庭が貧しい家の出身であるに違いなかった。
これは、主に、家庭の経済力の話ではあるが、そればかりではない。
心が貧しい親から育てられるという事もある。心が貧しい親というのは、家庭の経済力はあっても、なんでも、お金で解決しようとする姿勢が、自分の子供にも、知らず知らずに出てしまう親を指している。
お金があるからと、子供が欲しいというものはなんでも与えたり、反対に子供が嫌だというものは、可哀想だからとなんでも取り除いたりするのも、親の『心の貧しさ』物語っているのだ。
親から、結果的には、親から目に見えるものが『愛情』だと、間違った認識を植えつけられて育った子供が大人になると『日本人エイリアン
』に成長するのである。
それは、例えば、1番わかりやすいのは、目に見えるお金というものを、それを持つ事が人の幸せだと、エイリアンの大人や子供は信じてしまっているのだ。
子供には、本当は罪はないのだが、親から知らず知らずに、『目に見えるものだけを信用しなさい!』的に教わると、自分の子供の脳裏にそれが焼きつき、そんな子供が大人になってしまったのが、今のアラフォーから下の世代と、アラフォーから10年前後上の世代の人達なんだと思う。
だから、そんな人達に育てられた子供、つまり、10代の若者や幼児、20代の青年達までもが、エイリアンになっている確率が高いのが、今の日本なのだ。
愛情や人との繋がりというのは、決して目には見えないのである。
だから、エイリアン達
は、それが学習できないのである。
*********************
今回、私の友人を利用した日本人エイリアン
は、宮迫さんよりちょっとだけ上の年齢、つまり、エイリアンが数を増やし始めた発祥の『エイリアン誕生世代!』の人間なのかも?しれない。
私の友人は、私よりも年上であり、私も年下とはいえ、同じ世代である。つまり、アラ還世代である。
この世代から10-15年ほどの世代の方々が、エイリアンと普通人が混雑する世代である。ただ、まだ混雑するエイリアンの数は、現在よりもかなり少なかったのではないか?と思われる。
今回、私の友人を利用したエイリアン中年は、塾の先生が本業である。
実は、私も教師の一員なので、塾の先生や教育を職業としている(いた)と聞くと、その方を存じあげてなくても、きっとその方は、人一倍、常識や道徳観念、さらには倫理観なども含めて『常識人』なんだろうなぁーと予想する。
それは、もしそうでないと、そんな職業を選ばない方がいいと、私は考えているからだ。
でも、その塾の中年先生も、私の予想を裏切り『エイリアン
』であった。
その方のエイリアンぶりは、『自分中心』『お金中心』という人であった。
彼女は自分が英語の学習塾を日本で経営しているらしい。また、経営だけでなく、自分も教師として生徒達に教えているらしい。
そんな英語の学習で、本格的に英語を学んで、実践できるようにと、シンガポールへの短期ホームステイも斡旋している。また、それは、その塾の広告の1つでもあった。
でも、この方は、留学費用はそれなりに利益が見込めるくらいの高額な支払いを、留学させる生徒の親から取っていたらしい。
私の友人の会社は、シンガポールでのすべての宿泊のアレンジやアクティビティの準備なども行なっていた。
しかし、生徒の留学が終了して、友人の会社が諸費用を塾に請求する段階になり、その費用の一部の支払いについて、塾側が不満があるようであったらしい。
つまり、友人の会社と日本人の塾の先生との間に、お金の支払いのトラブルがあったのだ!
友人とその塾の先生とは、15年も付き合いがあるといっても、友人曰くのその間も、何も音沙汰がない時期もいっぱいあり、今回のような自分が必要なときは、私の友人を思い出したように、連絡を取るような人であった。
私的には、その塾の先生は、多額の留学費用の支払いを生徒の親からしてもらっているが、実務的なことは友人の会社に丸投げである。
だったら、この塾の先生の役割は、代理業務という職種なので、その方が経営する日本の塾は、短期留学を扱う代理店のような存在である。
それなら、短期留学費用全額の中から、塾は、留学斡旋のコミッションとして、留学費用総額の5%から20%くらいの範囲で、手数料分だけの利益を得る事は、ビジネスとして普通である。
ところが、この先生の手数料はそれよりも大きいのにも関わらず、友人の会社への支払いも渋る。
それはないだろう…的に、私は思うのである。
私は、自分の友人から話を伺っただけであるけど、この塾の先生は、留学に関する代理業務を行っただけであり、友人は現地のスタッフ的な業務をその塾と提携していた。また、シンガポールへの短期留学の謳いは、友人の協力無しには表記できない。
要するに友人の協力は、その塾の広告塔の役割もしているため、広告料も、本来なら友人の会社(友人の主人は、シンガポールで日本との文化交流的な仕事をする会社の代表でもある。)にも支払いをするべきなのである。
そんな事は、15年の知り合いだからと、ウヤムヤにしておきながら、友人が会社として、留学の宿泊先や食事、アクティビティまでもアレンジした事について、塾の先生の感覚では私の友人が勝手余計な事までしたという感じなのか?
それが、この人の常識や道徳観念なのか?と、私は疑うのである。
留学先でのアクティビティを、友人の会社が、そちらで勝手にしている的な発想は、ビジネスとしても、人としてもおかしな話である。
もし、本当に塾の先生が、短期留学をビジネスとして考えているのなら、塾の先生のおっしゃることは一部間違ってはいない。
でも、ホームステイのアレンジだけでいいなら初めからそういえばいい事だ。アクティビティなどのアレンジは必要ないと。
塾の先生は、保護者からは、アクティビティも含めたような高額な料金設定を、今回の短期留学の費用にして親から請求しており、ホームステイだけのアレンジなら、そんな高額な費用にらならないというのが私の見解だ。
こんないい加減な短期留学は、ど素人が考えるビジネスである。ちゃんと、ビジネスや代理業についても、学習してから塾の事業を広げるべきである。そこから、間違っていると思う。
この塾の先生のエイリアンぶりは、自分が支払う分には、何かと文句をつけたり、友人だと繋がりを強調して支払わない方向に持っていき、取る分はしっかりとって、自分の利益追求しか考えていないことが明らかである。
むちゃくちゃや!これっ!
こんなん、吉本興業どころではなく、むちゃくちゃな契約である。しかも、契約書無しである。そこは、塾の先生は友人を強調しているのである。これこそ、弁護士沙汰でもいいくらいだ!
でも、友人ご夫妻は、人としての気持ちがあり、お金より、人との繋がりや心を大切になさる方々なのだ。自分が損しても…。そんな心を持っていらっしゃる人達なのだ。
これは、エイリアンからすると『鴨ネギ』なのであろう。だから、私はエイリアン達が嫌いなのである。
私は友人にアドバイスを差し上げて、ちゃんと、筋道立てて、仕事としての請求は、塾にすべきであって、直接、生徒のお母さんに追加請求はしてはならないと言った。
友人も、それを納得して、今は塾の先生と交渉中らしい。うまく、費用が回収出来る事を祈る。
*******************
話のついでに、エイリアンの不適切な職業についても触れてみたい。
私の考えは、エイリアンが、教職(保育士や幼稚園教諭含む)や政治家、看護師、介護士など人と関わる職業に就くのは良くないと思う。
私の職場のエイリアン
も、保育士という立場でありながら、ちょっとそれはないだろうという事を平気でしていた。
教師というのは、私的には清楚で清潔感があり、笑顔が素敵な先生というのが、理想的な先生である。
いまどきの若い先生やエイリアン先生は、自分を出し過ぎる傾向にある。服装や化粧にいたるまで、綺麗にしていると言えば聞こえはいいが、まるで、自分に注目してもらいたいが如く、派手な感じの方も多い。
まるで、キャバ嬢か風俗の若い女の子のような感じで、教師としては不潔感さえ漂う事もある。
学校の主役はあくまでも子供であり、先生ではない。先生が目立ってどうするのだ?と、私は思っている。
また、教師がお金に執着心が強いと良くない。うちのエイリアンは、学校ではフリーライダー的に嘘を言ってまで、学校から良い待遇を手に入れるのだ。こんな事、保護者は、誰も知らないからといいわけがない!
嘘をつく先生が子供を受け持つと、子供も嘘つきになるではないか!教育上よくないと私は思う。
でも、エイリアン達は、自分が得になる事なら、職場でも御構い無しの振る舞いなのだ!
だから、特に、うちのエイリアンは、教職には向かない人と私は思っている。本人的には、天職なんだそうだが…。以前、私にそう彼女が言っていた。へぇ〜!天職の意味までエイリアンにかかると変わるらしい。
前回のブログで、お金と政治家の問題で、政治家は国民のために働く人であるので『多少のボランティア精神』がないと、政治家には向かない的な事を書いた。
結果的に、お金に執着したり、お金が欲しいので政治家になったというなら、そんな人は、もともと政治家に向かないのである。これは教師も同じである。
教師も、多少のボランティア精神がないとできない職業であり、生徒たちのために働ける人でなければならない。
休みがどうの、お金がどうのとか言う教師は、教職をとる人間としてはあまりよくない。
ただ、目に見えてブラック企業的に、なんの手当てもなく、残業や休日出勤が多いのは、学校側が良くないが、それだからと、自分の仕事の手抜きをしたり、嘘までついて待遇を良くしようと言う姿勢は、教師には向かない人がする事だと思う。
私が思うのだが、教師的な人の前で人に教えるという職種であると、なお一層、常識や道徳は必要である。
世の中の教師の中には、友人の知り合いの塾の先生やうちのエイリアンのような人は山ほどいる。
そんな人達は、自分的には何も悪い事をしていない意識なので、その方が厄介なのである。なんとかならないものかと、私は真剣に思う。
*************************
さて、世の中に於いて、お金が好きという人やケチな人、お金に汚い人など、お金にまつわることでトラブルを起こしやすい人は聞いてほしい!
『金は天下な回りもの!』的な意味、本当にわかってもらいたい。
お金を増やしたい人は特に、自分のお金を他人のためにも使えると、自分の懐も回り回ってあったかくなるものだ。
例えば、人に奢ってもらったら、今度が自分が…とか、人に何か貰ったらお礼をいい、場合によれば、そのお返しをする必要もある。
また、困っている人がいれば助けて、もし、自分が、少しでも援助できるお金を持ち合わせているなら、街角の募金箱にお金を入れてあげるようにするといいと思う。
世の中の困っている人が、少しでも潤うように、少しだけでも自分のお金を人のために使える人は、心も豊かになり、お金も増えるのである。
お金は自分が握るだけではいけない。人のためにも、自分のお金が使えなければ、お金は生きないのであると、私は思っている。もちろん、本当に自分が困っているときは、人にお金を使う必要はないが、普段から、人のためにもお金が使える人は、自分がお金に困ったとき、必ず、誰かが、その方が生き延びれるように、助けるくださるのである。
世の中のエイリアン達は、お金にも汚い人が多く、人からの貰い物の類、例えば、親切な心や行動にたいしても、『持ちつ持たれつ』の考えができないようにみえる。
つまり、『Give and Take』ができないのである。だから、お金にも汚いのである。自分が良けれいいのである。
エイリアン達は、人に対して感謝する事を知らないのか?わかっていないようにも見える。
例えば、人にお世話になった時もそうだ。何か人にお世話になったら、それに対するお礼の言葉は大切である。
また、本当の意味で『感謝』とはどんな気持ちのことを指すのか?ちゃんと勉強してほしい!
********************
うちのエイリアン
は、礼儀もなく、感謝という意味もわからない人であった。
私は彼女から、どんな場合でも、正式にお礼を言われた事が一度もない。
ここも、私と彼女は常識が違う。たぶん、普通の常識がある人なら、人から何かしてもらったらお礼は言うものだと思う。
彼女には、私がこの学校の仕事を紹介してあげた。しかも、彼女がお金に困っているといったからだ。でも、それは嘘であった。彼女がうちの学校で働きたかった理由はべつにあったのだ。
エイリアンの彼女は、初対面の私に身の上話をして、私から同情に引いて、私はすっかり彼女に騙されて、仕事を紹介したのである。それが彼女の今の仕事である。
それはともかく、私は彼女からは、就職後も現在に至るまで何年もの間、この事についてのお礼を言われたことはなかった。
でも、彼女の常識や道徳の中では、仕事を紹介してくれた人やその人が何故?見ず知らずの初対面の人(私)が、自分(エイリアン)に、仕事を紹介してれたのか?と考える力や常識がないのだと思う。
もし、それがわかるなら、私に一言、お礼くらい言ってもバチは当たらないだろうと私は考える。
彼女のように、人の気持ちや親切を感じる事が出来ない人や、感謝を学習できていない人、お金に汚い人、常識や道徳が人と違う人は、教師には向かないと私は思う。
彼女が教師に向かないと、私が思うのは、彼女はお金欲しさに、資格もないのにインターの小学校で日本語(国語)を日本人に教えている事だ。
いくらシンガポールであっても、小学校で教えるなら、小学校教師の資格はあった方が良いと考える。彼女が日本語クラスをしているのは、シンガポールのインター校で、正規の授業ではないにしろ、仕事の話が来た時点で、小学校教諭の資格がないなら、自ら遠慮するべきではないか?と私は思う。
私なら小学校教諭の資格がないなら、小学校では教えないと思う。幼稚園やら保育園なら、幼稚園や保育士の資格がなくても、シンガポールのローカル幼稚園や保育園なら、日本語教師の経験や資格があれば特に問題ないと思う。
それは、ローカルの幼稚園や保育園は、あくまでも、シンガポール人のため物であり、日本語クラスは、オプション的な位置付けで、学校に通う子供達全員が必須として受けるレッスンではないからだ。それに、日本の規定では、国語や算数の勉強は、幼稚園では義務づけられていないからだ。
これも、日系の幼稚園や日本人幼稚園なら、資格がない先生は働いてはいけないし、学校もそのような人は雇うべきではないと思う。それは、日本人のための幼稚園であるからだ。幼稚園や保育園のレッスンが出来ない先生、つまり、資格のない先生に子供のレッスンを任せるのは、経営側に問題があると私は考える。シンガポールの規定云々の問題ではなく、日本人の子供を扱う学校では、日本の規定を重視する姿勢は大切ではないか?と私は思うからだ。
エイリアンの彼女は、お金のためなら今もインターの小学校で、小学生の生徒に日本語クラスを運営している。しかも、学校という組織の中で。有り得ない!と考えるのは、私の常識であり、エイリアンの常識ではそれは悪くない事なのだろう。常識が違う人には、何を言ってと通じないので、私は、いつか、生徒や保護者との間に問題を起こすに違いないと知らん顔している。案の定、違うルートから、彼女のインターの日本語クラスは、他と比べても評判が悪いと人づてに聞いた。当たり前だと思う。
**********************
彼女も含めたエイリアンの教師達は、教師の仕事を、教師は生徒に勉強やレッスンをするだけの仕事だと思っているに違いないなかった。
レッスンの内容や自分の教師としてのスキルがどうであれ、学校で決められたレッスン時間、自分が教室にいて、生徒には問題集でもさせておけば…的に考えているのだろうか?それで、レッスン時間内、教室にさえいれば、仕事の義務は果たしていると考えているのだろうか?
でもそれが、この類のエイリアン達の教師としての常識や道徳なのだと思う。
エイリアン達、自分の適職もわからない、仕事の責任もわからない、人にかかる迷惑も考えられなくない。なんかちゃうやろっ!それっ!
なんでそうなるのぉ〜?