こんにちは。Bibakoです。

最近、TVのドラマでもあるけどさ、今の日本人、自分勝手だよね!特に、エイリアン達!
 
職場でも、自分の事は、すっかり棚にあがり、上司や同僚までにも謙虚さがないことで、トラブルを起こす。
トラブルを起こすと必ず『自分は悪くない!』と主張して、最終的には、注意した相手は、ハラスメント扱い!

うちの職場にもいたけど、コイツらの特徴は、謙虚さがない!頭だけデカい!

自分に対する褒め言葉は、大きく取り上げ人にも自慢する。でも、自分の事を悪く言われるのは、耐えられないようだ!厄介な奴なのだ!




うちのエイリアンは、私という大先輩の前で『あたしぃ〜!この仕事天職なんですよぉねぇ…😚🥰』と、わずか、うちに来て一週間足らずで、言ってのけた…。

これには、衝撃を受けた!


私の『天職』という言葉の認識は、自分で言うものではなく、人から言われるものだと思っていた。
また、最近の人達は、エイリアンでなくても、『天職』の意味を履き違えいる人が多いと感じる。

天職は、自分が決めるものではなくて、たまたまであっても、それをもとからの目的でしていても、仕事と自分が持っているの能力と合致して、仕事としての良い結果をたくさん生み出す事ができる人の仕事を天職という。

つまり、天からまるで与えられたかのように、仕事が自分の性格に合っており、自分が持てる能力を、その仕事に余すことなく使えるというような意味の言葉である。

最近の人の天職の意味は、自分にあってる仕事という意味に捉えている人が多いと感じる。自分にあってる仕事は適職という。天職とは意味が違う言葉である。適職の場合は、一つとは限らないが、天職の場合は1人に一つという感じだと思う。

だからやたら、天職という言葉をきいたりするのは、私にはしっくりこない。さらには、もっと、言葉の意味が軽くなってしまったのは、感謝である。

どこでも、『あっ、感謝ですぅ〜』的に、うちのエイリアンも使っていた。それをいうなら、『ありがとうございます』でいいのでないか?と思う。

天職や感謝も、道徳教育がきちん普通に身についている人や、常識が身についている人は、使い方を間違わないと考える。

私の常識では、うちのエイリアンのように『天職です!』と自分で言うのもおかしいし、百歩譲って、この言葉を自分の後輩にいうのは、まだ良しとしても、先輩に言うのは常識がないとしか言えない。

しかも私は、彼女がオムツをしていた頃、既に、社会人だったので、そんなことは、言わずとわかるはずだ!彼女の『大先輩』だよぉ!つーの!

あたしゃ、あんたと身分や立場が違うんだよ。同僚とはいわないんだよ!同僚というのは、エイリアン達の言葉の意味は、職場が同じ人という意味?なのだろうか?

あたしゃ、あんたと同じ位置ではないんだよ、先輩なんだよ、先輩!あんたの上司だよ!わかってるぅ?

その大先輩にむかって『天職ぅ〜?』何を考えて物をいってるのか?でも、これって、彼女、いや、エイリアン的には普通の事なんだと思う。

奴らには、社会における『年功序列』的な考えがなく、上下関係が理解できていないので、当然、礼儀が無い!いや、それ以前の問題で、『礼儀』を知らない。

タメ口さえきかなければ、礼儀ができてると考えているのだろうか?


お前達は、態度がタメ口なんだよ!エイリアン達、わかるか?


他には、普通にわかっているはずの日本語の語彙についても、正しく使えていない。それは、本当に学習できてないのか?それとも、間違った意味で覚えていたのか?

社会の上下と言う事も理解できてないのかも?しれない。

そんなときは、人は皆平等という道徳を堂々と使えるのだ!

それ、使う箇所、間違ってるだろがぁ〜!

エイリアン達は、イジメの現場見つけたときには、人は平等とは言わず、知らん顔か?自分もそれに乗っかるか?するくせに、職場では上司も人間だから、平等かよ?

上司も先輩も平等という変な道徳を持っている事で、上司に『ため口』もきけるのだと思う。だから、謙虚さをエイリアンに求めても、無駄なのだ…

だから、もちろん『礼儀』など知らないのだ!


私は、うちのエイリアンの常識はこんな感じなので、長く一緒に働くと受け入れられないことが募り、エイリアンが私の管轄から離れるまでの間に、私は自分の身体が壊れるくらい『ストレス』を感じ始めた。


また、うちのエイリアンは、生半可、頭がいい!

アホならもっと良かった。扱いやすい。賢いエイリアンに、何かすると、逆襲に遭う!これをうちのエイリアンから学んだ。ありがとう。

もう学習できたので、今度、エイリアン的な人にあったら、対処できそうだ!


ブログを読む皆さんのためにも、エイリアンの見本として、うちのエイリアンに対する分析結果をもっと詳しく共有する事にしよう。

うちのエイリアンは変に頭がいいので、自分に対する注意や耳を塞ぎたい話は、注意した人が上司なら『パワハラ』扱い。

それが同僚や友人なら『変な人』扱い。自分の事は棚にあがかり、先手必勝型に、それを、自分に都合の良い話にすり替えて、人にも言いふらすタイプである。

何でもかんでも、ハラスメント。何でもかんでも、自分に合わない人は『変な人』扱い!


あんたが、変だっつーんだよぉ!わかれよ!


他にはうちのエイリアンは、私に『あたしぃ、今まで職場ではどんな人でもうまくやっていたのに、XX先生(私)だけとは、うまくいかない!』と言った。

あのね、それは、あたしが『変な人』かいっ?

それ、ちょっと違うと思う。それは、私のセリフなのだ!

私も、あんたより長い人生で、あんただけと合わないんですが…というより、あんたには、日本語が通じないんですが…?どこの星の人ですか?


それに、エイリアンが、本当に、他の人から何も指摘されたことないなら、それは、あんたの周りにエイリアンがあつまってるからだ!

これを『類は類を呼ぶ』と、地球人はいうんだよ!わかるか?エイリアン!


あんたが、普通の人から諦められている証拠である。普通の人は、あんたとなんか、関わりたくないんだよ!


人の行動として、ただ単に嫌われている人だと、誰も直接、本人関する悪いことは、面と向かっていうことはなく、イジメや悪口的に、影で言われるだけである。

こんな簡単な世の中の仕組みも、エイリアンにはわからないのだ。

現に、彼女は、勤務年数が長くなればなるほどみんなから嫌わている。今は、たぶん、職場の中で彼女を好きな人はいないと思う。そんな職場でも、図太いエイリアンは、居座っているのだ!

うちのエイリアンは、もう、救いようがない!勝手にしやがれ!


ふるっ!これ知ってる人、私世代よねっ!


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エイリアンには、人の親切は通用しない。彼女のために、嫌な話もしてあげていても、耳を傾けるのとはない!反対に、すぐに『パワハラ』扱いされてしまう。関わらないほうがいいし、関わりたくもない。


うちのエイリアンのスペシャルな部分は、『虚偽癖』があることだった。

うちのエイリアンは、私に初めから嘘をついていた。これも、私は初めはわからなかった。でも、しばらく一緒に仕事をしていると、要所要所で、話の辻褄が合わない事が多かった。

周囲も馬鹿ではない。彼女のママ友や彼女の友人でも、彼女の話の辻褄が合わないこと、絶対に経験しているはずである。

しかしながら、世の中の『虚偽癖』がある人達は、話を作るのがうまいので、辻褄が合わないと指摘があると、何食わぬ顔をして、嘘の上塗りをする。

私は、エイリアンの嘘を指摘せず、流していた。そうすることで、話の辻褄が合わないことを、たくさん発見できた。

彼女の周りにいる人達の大抵の人は、彼女の嘘の上塗りについても、自分にとってそんなに重要でないと、さらに突っ込むことはしないだろうし、面倒くさい。『あーそうなんだ!』『なぁーんだ、私の思い違いかぁ〜』と、彼女の嘘のことは、忘れてしまうのである。

そんな人達は、私のように彼女の嘘で、自分自身に迷惑をかけられない限り、彼女の嘘は見過ごしてしまうのだ。

私はエイリアンの嘘で、大変迷惑を被った人間である。

また『虚偽癖』は、自分がそれを自覚できる人とできない人がおり、彼女は後者かも?しれなかった。

彼女の場合、本人が気がついているか?いないか?わからないが、私からみると、自分の嘘がわからない、ちょっとした『精神疾患』であると思っている。

たぶん、エイリアンは、普段から嘘を付きすぎているのかもしれなく、感覚的にも、自分でも、何が嘘で何が本当なのか?かも、わからなくなっているのかもしれなかった。

こんな人は悪く言うと『詐欺師』になれる素質がある人である。つまり、『犯罪脳』を秘めた、実は怖い人なのだ!

私としては、エイリアンと一緒にいた事で、だんだん、彼女が怖くなった。


だから、永遠に離れる決意をして、今は、完全に、私の眼中にはない。

これを書いているのは、これと同じタイプのエイリアンは、シンガポールにも、ゴロゴロいるのだ!

こわっ!


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うちのエイリアンに象徴されるように、こんな日本人がなぜ?増えてしまったのか?

奴らは、褒め言葉は大好きで、自分にとって耳が痛い話はきかない!

また、それも本人的には、人から自分の良くない部分を指摘されると、エイリアン達はああ見えても『打たれ弱い人間』なので、自分への護衛が異常で過剰な方向に出るのである。

でも、本人的にはそれで精一杯なのであろう。それは、自分で自分のトラブルを、今まで解決した事が少ないからだ。

だから、何か自分を護衛するためには、手段を選ばない的に、それが他人に迷惑をかけても、それすらも気が付かないのである。



めちゃくちゃ厄介…!




何故?こんな人間が、日本で今は市民権を得ようとしているのか?
ただ単に、時代の流れでもなく、それを生み出した私達世代やその上の人達にも、その責任がないわけではない。

かといって、エイリアン達は大人なので、自分でも変われるはずであるのに、自分にとって嫌な話には、耳傾けることすらできないので、変われるはずがなかった。



この原因は、一重に日本の教育の在り方が変わった事の悪影響だと私は思う。それと、世の中の不景気。


エイリアンの誕生は、世の中に失業者が増えた事で、人々のお金に対する執着度が増してる上に、リストラや詐欺的な被害も増え、人が人を信用できなくなってしまったからかもしれない。


そんな事での『エイリアン誕生』の要因。

①大人が子供を尊重しすぎた!

ある一定の時期から、たぶん、70年代前半頃から、親に対しても、教育現場でも、子供は褒めて育てると、子供本来の良い部分が引き出せるとした事。

これは、あながち、間違っていない。子供でも、頭ごなし叱ることは良くないのは理解できる。

でも、判断能力がない子供に対して、意見を聞くと、誰が正しい方向へ導くのだ?それは、幼児や小学校低学年くらいまでは、親が叱るべきところ叱って、だめなものはダメ!としっかり躾ける事が大切な事なのだ!

でも、それに気が付かない親達が、エイリアンに間違った躾をしてしまったのが、原因であると考える。


例えば、私世代の方々や上の世代の人間は、自分がおさない頃は、親や先生の存在は、ほかには、おまわりさん(警察の存在)が、子供達には、怖い存在だった。

また、世の中は『子供は親を敬い、年上は尊敬する』この考えは、家でも学校でも教わった常識であった。

その当時は、親の言う事は絶対権限が子供からするとあった。

だから、何かあると『お母ちゃんに言いつけてやる!』親からは、『学校の先生に言いつけるぞ!』『おまわりさんに言うぞ!』といわれると、私達世代の人達が子供の頃は、その言葉を聞くと怯んだものであった。

でも、今の子供達は、そんなことは通用しないし、親も自分の子供が他人に迷惑をかけても、謝らない、叱らない。

エイリアン親の子供達は、自分が嫌なことはなんでも、親が助けてくれるので、親を頼りっぱなしで、自分で考えるということをしない!また、自ら何か進んでする事を疎ましく思うようになる。それは、エイリアン親がそんな人であるからだ。




エイリアン親の気質が、当たり前化されているのが、今の日本人の親と子供の世界なのだ!


②ゆとり教育の負の産物

ゆとり教育が始まり、それが定着し始めて、教育現場からは、道徳や学級会の時間が削減された。

現在はその負の産物としての『学力低下』『思考力低下』『コミュニケーション能力の低下』『道徳の欠如』などなど、本当にたくさんある。

九九もまとも言えない30−40歳代の大人は、日本の中にいっぱいいる。特に九九がいえなくても、もちろん、生活に支障はない。だからといって、日本人的には、恥ずかしさを覚える。

英語話せても、子供に九九も教えられない親、私的には無し!である。


でも、ゆとり教育も悪いことばかりでらなかった。生徒が余裕を持って勉学に勤しむ事もでき、勉学以外の芸術、体育などにも、時間を費やす事ができ、のびのびとできるようになった。

私の幼い頃は、学校は詰め込み教育、家庭は『教育ママ』的に、塾通い当たり前、中学受験ステイタス、習い事『ピアノ』全盛期、など、特に、都会はそうだった。私は大阪出身なのでは、そんな感じの友人もたくさんいた。

当時は、都会では、英才教育を目指す親も登場するくらい、私達の子供の教育や学力に親は焦点があたっていたようにも思う。

私の子供の頃は、今の子供に比べると、たくさん勉強していた記憶がある。また、結構、忙しく過ごしていた記憶もある。

例えば、私の子供のころの小学校では、『九九の暗唱』『漢字テスト』『計算ドリル』などは、普通の大きなテスト以外に当たり前のように、毎日、朝の会でやらされていたような記憶もある。

道徳教育も、同和教育も充実していて、道徳の時間の話し合いも、学級会も、クラスみんな、必ず意見を言わされた。

学校から帰ると、友達と遊ぶよりも塾通いって子供もいたし、英才教育的に親がお尻をたたいて、ピアノやバレエ、野球と将来的に、それを専門的な職業にさせるために、親がつきっきりで、友達と遊ぶ時間がない友人なども存在した。

ゆとり教育になってからは、そんな親も少なくなり、子供達は自分勝手に振る舞えるようになった。
また、子供は、自分が興味があることだけをするようになり、自分の嫌いな事、その他あとのことはしなくてもいい的に、間違った考えを持つようになったようにも思える。


③親が供に向き合う事を思い違い。バランス感覚がない親の登場


子供に向き合う子育て方法が浸透すると、親も賢くなり、自分の言う事を聞かせるより、子供の言いなりになる方が、子供が扱いやすいと、叱る事や躾ける事を怠る親が登場し始めた。

また、何をしても我が子を褒めることしかしない親も、この頃から増え始めた。

それが浸透すると、そんな方々は、我が子に対して、外でも、家と同じ対応を求めるようになり『モンスターペアレント』が登場し始めた。

そのことで、子供は増長していき、自分は何をしても、何を言ってもいい的な学習をしていった。
そうすると、最終的には、陰湿なイジメが派生するようになった。


世の中の流れで、小学生まで携帯、中学になるとスマホは当たり前になった。小中学生はスマホ必要ない!

ガラ系で充分だ!私の考えでは、スマホは高校生からで充分であると思う。

下手に、道徳もわかっていない子供がスマホを持つ事で、変な事件にまきこまれるし、勝手にゲームで遊ぶし、ラインなどをイジメの格好のツールにしててしまう。

親も、子供に携帯を持たせる本来の意図は、犯罪から子供を守りたいからだ。だったら、ガラ系でもいいと思っている。

GPSに頼りたい気持ちもわかるが、GPS一つのために、そのデメリットの方が、スマホは小中学生には多いと思っている。

スマホを小中学生が持つ事で、ルールや社会を理解していない子供が、SNSを利用してしまう。

大人はSNSやインターネットの普及で、便利になった。

大人でも、自分を隠しながら、自己主張できる世の中になった。

それを、社会や道徳が理解できない子供が、そのシステムをうまくつかったのが、子供のラインを使ったイジメでもある。

ラインによる1人対大勢の弱いものイジメ的なことをすることで、相手を自殺まで追い込んでしまう事もある。

道徳教育では、どこの国でも『弱い者イジメはしてはならない!』と教えられる。それを、今の日本人エイリアン達は、堂々と行う。

職場でのイジメ。保育園児や介護施設の老人に対するイジメ、虐待。
もっとひどいのが、血の繋がった我が子への虐待。これらのことは、完全なる『弱い者イジメ』である。

それを見た子供は、ラインをイジメに使用する。





子供は、常に大人がすることを見て育つのだ!これは、時代が変わっても同じだ!

弱い者イジメやイジメを正当化するのは、自分の親や周囲の大人がしている事を、子供の目でいつも観察できる環境のもとで、子供が成長しているからだ。

イジメの原因は、イジメの加害者の子供の家庭環境や周囲の大人の方々の影響は否めないのだ。




何度もいうが、子供は親や周囲の大人を見て成長するのだ。

エイリアンの親から育てられると、やっぱりエイリアンにしか育たないのである!

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日本人エイリアン登場については、私にコメントをくださった方々の意見の中に、私達世代やその上の人達にも責任があり、それを、どう解決していくのか?それを、どう未来に繋げられるか?という意味で、エイリアン達に対しての鼻から否定もよろしくない的なご意見もあった。

確かに、私の嫌いな職場のエイリアンも、彼女の育った環境やご家族、周囲の大人の影響を受けて、彼女の性格ができあがったのであるので、実際には、彼女も被害者であり、常識や道徳も、少し違うように教えられたのであろう。

だから、こんなにも、私とはかけ離れた物の捉え方や考えて方ができるのだと思う。

これは、私の考え方が正しいとか、良いとか話しているのではなく、人として…という部分を根底から考えていると、周囲に感謝したり、自分が謙虚な思いを抱くと、周囲の方々にも良い印象になり、自分の周りに笑顔できる。

こんな感じだと、みんな幸せを感じるだろう。

でも、エイリアン達の世界では、自分の周りに笑顔があふれるということはない!

つまり、自分が嬉しければ、そのように自分勝手に振る舞い、必ず、人に迷惑をかけたり、人を不快にさせる。

自分が辛い、悲しいと周りまで同じ気持ちを背負わせるかのように、また迷惑な言動を起こす(犯罪的なものは、無差別殺人や弱者への虐待)的ことが、当たり前的に行われるのである。

少なくとも、私も含めて、私より若い世代の方々でも、エイリアンでないひとは、謙虚でもあるし、人に感謝する事がわかっているので、人にもありがとうがちゃんと言える。

これは、私は間違いなくできるので、私達がエイリアンに合わせるのではなく、私は、エイリアンに改めてほしいと思うのである。

そのために、私は、エイリアンに対して、何度も、何度も間違いを指摘したりもした。でも、それが通じない人達であるので、私も、諦めざるを得なかった。

日本人エイリアン問題は、私のような人が、自分だけの力で解決できる問題ではないと思う。

それに気づいた頃から、私はブログを使い、日本人に訴えて、それを見つけた人やエイリアンに出会った人が、あなたの考えは、常識が違うとはっきりエイリアンにつたえて、その後『日本人エイリアン』が改心してくれる事を望んでいる。

もし、エイリアンに直接、常識が違うところを指摘する人がふえると、自ずと『エイリアン撲滅』につながるのではないか?と私は思う。