「〈斬撃〉でござる!」
鋭い尻尾の一撃が傷だらけの体に襲いかかるが、ガードが間に合わず、まともに攻撃を受けてしまう。
やがてゆっくりとその巨体が倒れてゆく。
シンと闘議場全体が静まり返った。
武王は立ち上がらない。そして──
「何という番狂わせ! 闘技場のチャンピオン、武王が倒れました! いえ、この瞬間森の賢王改め、九代目武王の誕生です!」
マジックアイテムで増幅された進行役の声が響く。
次の瞬間、闘議場に割れんばかりの歓声が沸き上がった。
未だ闘議場で讃えられている勝者と異なり、敗者は動けるようになると速やかに移動させられた。
闘議場へと続くいつもの通路に戻ってくる姿は、消え入りそうなほど弱々しい。
信じられなかった。
自分の見つけた最強の戦士に、自分が渡せる最強の武具を持たせた歴代最強の武王。
確かに相手も強かった。
巨大な四足獣の姿を持ちながら流暢に言葉を操り、見事な鎧に身を包んだ森の賢王と呼ばれる伝説の魔獣。
しかも賢王の名が示すとおり、魔法も操れる魔獣には今回魔法禁止のルールが付け加えられていた。
それだけで魔獣にとっては不利な状況であり、如何にアインズの作った鎧が優れていようと、総合力では武王が勝ると信じていた。
しかし結果は逆。
もちろん一方的な勝負ではなく、どちらが勝ってもおかしくない激闘だった。
だが負けた。それが全てだ、次やもしもは通用しない。武王は、いやゴ・ギンは負けたのだ。
必ず勝つものだと思って待っていたオスクは、なんと言葉を掛けていいのか分からず、ただゴ・ギンを見つめる。
兜が破壊され、トロールの顔が覗いたゴ・ギンはオスクの姿を見つけると足を止めた。
圧倒的な回復力を誇るウォートロールの特性か、足取りは既にしっかりとしているようだ。
「ゴ・ギン」
「……あれだけの相手と戦えたこと、感謝する。お前はすべての約束を守ってくれた」
闘議場に向かう時に聞いたばかりの四度目の感謝から続く、五度目の感謝の言葉にオスクは目を見開く。
「そうか。満足、したか?」
ゴ・ギンを連れ帰る時にした約束は、全て叶えてきたが、ただ一つ。これまで叶えられなかった最後の約束が、ゴ・ギンが勝てないほどの強者を連れてくることだった。
これでオスクは全ての約束を叶えたことになる。
もしかしたらゴ・ギンはこれで満足してしまったかもしれない。
そう思っての問いかけに、しかしゴ・ギンは首を横に振る。
「いや。まだだ。確かに奴は強かった。しかし俺も強い、強くなれる。次に戦えば、同じ装備を持てば。必ず勝てる! 勝ってみせる!」
絞り出したような言葉に、初めて会った時の会話を思い出す。
強くなるための武者修行を行っていると言っていたことだ。
それから時間が経ち、チャンピオンとなり、いつの間にか戦う相手に期待と興奮を覚えるのではなく、失望が強くなっていたのはオスクにも分かっていた。
そのゴ・ギンがこうして心から強くなると、勝ちたいと願っている。
「オスク。俺はまだやれる。まだ強くなれる。頼む、そのためにはお前の力が必要だ。力を貸してくれ!」
その場に膝を突き、ゴ・ギンの巨体が自分に向かって頭を下げる。
オスクとゴ・ギンの関係は契約によるものだ。
最強の戦士を育てたいと考えるオスクと、強くなりたいと思うゴ・ギン。この二人の思惑が一致したが故の関係。
そして今回ゴ・ギンが破れたことで、オスクが彼への協力を止めて、別の戦士を探す。あるいは勝者である森の賢王に乗り換えるのではないかと考えたのだろう。
そんなゴ・ギンに対しオスクは思わず笑ってしまった。
確かに出会った当初の自分ならそうしたかも知れない。
しかし十年近い時間を共に過ごした彼を自分が見捨てることなどあるはずがない。
「戦士がそんな真似をするな。頭を上げろ」
頭を持ち上げたゴ・ギンの肩に手を乗せる。
「安心しろ。ゴウン殿とは約束してある。この戦いの後、お前の装備を新調してくれるとな」
「オスク……」
「ゴ・ギン、いや敢えてこう呼ぼう。巨王よ、今度はお前が挑戦者だな」
武王でなくなった彼を称するとすれば、その名しかない。
「おお!」
いつか再び武王の名を取り戻す日まで、自分とゴ・ギンの新たな挑戦の日々が始まる──
・
魔導王の宝石箱、帝都支店。
今日も店内は混雑していた。
それというのも、例の法国との戦争において魔導王の宝石箱のアンデッドや武具が活躍したこと、闘議場で特注の武具を纏った魔獣がチャンピオンとなったこともあって、そうした武具を求めて一般客以外にもワーカーや冒険者が挙って集まってきたからだ。
そして今もまた、受付の窓口に戦士らしき男が現れた。
「登録冒険者について、ですね。では私から説明をさせていただきます」
「よろしくお願いする」
男は僅かに顎を引く。
ドワーフの如き戦士に向いた体格と漲る自信、しかし同時に言葉遣いや態度からは無理をして威厳を出そうとしているのが見て取れる。
いや隠しているわけではなく、自分はあえて宣伝の為にそうした話し方をしているのだ。そう思わせたいかのようだ。
「我々魔導王の宝石箱が冒険者の皆さまに求めるものは未知を切り開き、既知に変えることです」
「ふむ」
顎髭に手を伸ばし、何度か頷く。
どうやら説明が足りなかったようだが、問い返すことで、自分が無知だと思われることを避けているようだ。
「もう少し詳しく説明を致しますと、今まで危険地帯とされた未開の地に出向いて探索や調査を行い、その報告結果や手に入れたアイテムなどを我々が買い取らせていただきます。そのために必要な武具やアイテムはこちらから貸し出させていただきます」
「ふむ。して、どのように買い取っていただけるのですかな?」
「得た成果が物品の場合には、価格を査定した上で私どもと登録冒険者の方々で等分にいたします。それが難しいマジックアイテムなどでしたら、市場価格の五割ほどの値をお支払いして買い取らせていただきます。地図や情報のみでも買い取りを行っておりますので積極的に集めていただければ幸いです。中には金銭で受け取るのではなく、貸し出したアイテムや武具の買い取りをしたいと申し出る方もいらっしゃいます」
「なるほど。良い条件だ。しかしながら、我は冒険者ではなく、ワーカーであるが。それでも登録は可能であるか?」
「もちろんです。立場は関係ございません。現在この帝都支店で最も多くの仕事をこなし、店主の信頼を得た方もそうした方々です」
実際立場は関係ない。
そもそも自分とて元はワーカーだ。
もっとも、なりたくてなったわけではないのだが──
「フォーサイト。であるな?」
帝都支店初の登録冒険者にして、先ほど話した金銭の代わりに貸し出していた武具を購入した者たちの名前を挙げる。
やはり知り合いだったようだ。
実のところ、彼らの素性は知っていた。
帝都でも有数のワーカーチームの一つ、ヘビーマッシャー。十四人という大所帯のチームを纏め上げるリーダー、グリンガム。
同じくワーカーとして名を上げているフォーサイトとは顔見知りでも不思議はない。
「はい。フォーサイトの皆様は、当店の登録冒険者第一号です」
「……彼らは今どこに?」
「近隣の調査を終え、本格的に未知を切り開くべく冒険に出ました。向かった先はバハルス帝国の南西、飛竜騎兵の部族が暮らす洞窟です」
グリンガムが驚いたように目を開く。
その存在は確認されていながら、暮らす洞窟は巨大な石の柱が立ち並ぶ場所にあるため、国も冒険者もきちんとした調査を行うことのできなかった場所だ。
なにより本物のドラゴンほどではないとはいえ、
その場所にたった四人で向かったというのだから驚くのも当然だ。
もっとも、本当は先発隊としてアダマンタイト級冒険者が向かっているのだが、それについてはまだ言わなくてもよい。後でワーカーと最高位冒険者が共に仕事を行ったと聞かされた方がより印象が強くなる。
「なるほど。彼奴らほどの者たちが信頼して登録したというのならば、我らも検討してみる価値はありそうだ。もっと詳しい話を聞かせて欲しい」
「かしこまりました。では、こちらへどうぞ。担当の者が詳しくご説明いたします」
「かたじけない」
礼を言い、冒険者用の窓口に進んでいくグリンガムの後ろ姿に向かって頭を下げる。
やはり有名どころの、それも冒険者ではなくワーカーが登録して活動しているというのは良い宣伝になる。
後は彼らが良い成果を上げて帰ってきてくれれば尚更良い。
(一刻も早くこの店を帝都一、いいえ。魔導王の宝石箱の中でも一番の売り上げにしないと)
決意を新たにする。
あの可愛らしく、それに似合わない強大な力を持った
そして主の上に君臨する絶対者である御方。
自分たちの働きはその御方からの主の評価に影響する。
(待っていて下さいマーレ様。必ずや私が貴方様を御方の后に)
他の皆はマーレの姉であるアウラを御方の后にすべく行動しているようだが、マーレに直接傷を癒してもらい命を救われた身としては彼を応援してしまう。
まだ幼いことや性別のこともあって、恐らくは本人も気づいていないだろう。
しかし自分は
前から薄々勘付いていたが、先日主が店で出す新商品のアイデアを提案してきた際、そのアイデアを褒めてもらえるだろうか。といじらしく心配していたあの様子を見て、それが敬愛を超えるものだと改めて確信した。
主は御方に恋慕の感情を抱いている。
本人すら気づいていないなら、さりげなくその気持ちを後押しすることこそ、自分の役目。
そのために──
「いらっしゃいませ。魔導王の宝石箱にようこそ。ご用件をお伺いいたします」
彼女は今日も仕事に精を出す。
・
「いよいよだな」
「ええ」
「うむ」
「……」
全ての準備を確認し終え、帝都の検問所近くまでやってきたフォーサイト一行は気合いを入れ直す。
とうとう近辺の調査ではなく、未知を求める本物の冒険に出る日が来たのだ。
目的地は帝国の南西にある飛竜部族の住む洞窟。既に先発隊としてかの有名な王国のアダマンタイト級冒険者チーム二組が先行しており、フォーサイトは後発隊として、彼らの通った道を改めて確認しながら進み、その後先発隊と合流して調査を開始する手はずになっている。
未知を求める冒険が、英雄と呼ばれるアダマンタイト級冒険者でなくても可能だと証明するための試金石のような仕事である。とはいえ、合流までは危険な旅路になることは予想できる。合流後も調査や部族との交渉まで行うとなれば難しい仕事だが、それに見合う報酬は提示されており、そのために必要な装備やアイテムや、いざという時のための逃走用の
お宝の眠る未知なる遺跡の発掘調査のような分かりやすいものではないのは少し残念だが、未開の地を進むという意味ではこれもまた立派な冒険だ。
準備は万端でやる気も十分。と行きたいところなのだが、アルシェの反応が悪い。
元々さほど活発なタイプではないが、それにしてもということだ。
「どうしたアルシェ。何か気になることでもあるのか?」
「いや……何でもない」
「何でもないって顔かよ。これからの冒険は、今までの調査とは違って、なにが起こるか分からないんだ。気になることがあるなら事前に隠さずに言っておけ」
仲間だから何でも話せ。などと言うつもりはないが、それが仕事に直結するなら話は別だ。
いつだったか、アルシェが今は亡き彼女の両親が重ねた借金の返済で悩んでいたときもそうだった。
同じようなことを言って話をさせたのだ。
「……妹たちのこと」
「妹? もう留守番しても大丈夫って話じゃなかった? 確か、昔から世話になっていた執事だけ雇いなおしたんでしょ?」
イミーナが首を傾げる。
ヘッケランもそう聞いていた。だからこそ、近隣の調査だけではなく本当の冒険に出ることが出来るようになったのだから。
「それは、その通り。むしろ逆というか、留守番は出来るけど、留守の間に何かしないか心配」
「聞いたところによると、アルシェさんの妹さんはお転婆の盛りのようですからね」
ロバーデイクの言葉に、アルシェはそうじゃない。と言うように首を振る。
「最近妹たちが、魔法の勉強がしたいって言い出した。私が見てないと勝手に勉強を始めるかもしれない」
「へぇ。ずいぶん熱心だな。帝国の魔法学院に行けばイヤでも勉強させられるんだろ?」
帝国の魔法学院は普通の勉強もするが、魔法に関する知識は必須項目として勉強することになっている。
とアルシェ本人から聞いた覚えがあった。
「そうだけど。どちらかというと、勉強のためっていうよりワーカーになりたいからだって」
「ワーカー? そりゃまたなんで」
思わず眉を寄せる。フォーサイトは魔導王の宝石箱の登録冒険者ではあるが、帝国の冒険者組合と提携を結んでいるわけではない現状、対外的にはあくまでアインズに個人的に雇われているワーカーでしかない。
その為、未だに他人に名乗る時は身分を偽ったと思われないように、冒険者という言葉は使わない。
以前はなんとも思わなかったが、魔導王の宝石箱に登録して以後は、ワーカーという立場に忸怩たる思いを抱いているのも事実だ。
だからこそ、アルシェの妹がわざわざ冒険者ではなくワーカーになりたいという考えが理解できなかった。
「分からない。急に言い出した」
「確か魔法って使えるようになるのが結構面倒なのよね? 世界への接続とかそういうのがいるんでしょ?」
「そうですね。それが簡単に出来るかどうかが、才能のあるなしに関わると言われています。アルシェさんの妹さんでしたら、可能性は高そうですね」
「それが困る。経験上、魔法を覚えたての頃が一番調子に乗りやすくて危ない。それに……」
「それに?」
「魔法の勉強をするのはいいにしても、二人には危険なワーカーではなく、自分の好きなことをして貰いたい」
アルシェの言葉を聞いた瞬間、妹たちがなぜそんなことを言い出したのか分かった気がした。
ちらりと目を向けると他の二人も同じように笑っている。
「よーし。だったら、今回の冒険で、アルシェの妹たちに沢山みやげ話を持ち帰ってやるとするか」
「話聞いてた? 私は──」
「好きなことをして貰いたいんだろ? だったら尚更だ」
「どういうこと?」
「お前の妹たちは、単純に格好いいお姉ちゃんに憧れて、そうなりたいって思ってるんだよ」
「え?」
不思議そうに目をしばたかせるアルシェに今度こそ、三人揃って苦笑した。
「だからこそ。お前がワーカーじゃない、冒険者としてのみやげ話を沢山持ち帰って聞かせてやれ。楽しい話だけじゃなく、苦労した話も一緒にな。そうしてから、本当になりたいか決めさせればいいさ」
なにより自分の経験上、冒険したいと思う欲求は簡単に封印できるものではない。
「おお。リーダーが珍しく良いこと言ったわね」
「ははは。確かに、せっかくの冒険初日に雪が降り出すかも知れませんね」
「おいおい、言ってくれるじゃねぇか二人とも。なぁアルシェ」
「いや、ヘッケランが良いことを言ったからきっと雪は降る」
「おい!」
いつも通り無表情で、それでいて淡々と辛辣な言葉を吐くアルシェに、やっと元に戻ったと実感した。
「さ。そうと決まれば、天気が変わらないうちに行きましょう」
「そうですね」
「うん」
「……ったくお前らは。リーダーをちっとも敬わねぇ」
頭を掻きながら検問所に向かって歩き出した三人を追いかける。
冒険者チーム、フォーサイトの記念すべき冒険初日。
その日の天気は、雲一つない晴天だった。
・
帝国魔法省。
帝国の力の象徴として先代皇帝以来最も力の注がれている機関。
その一室で帝国主席宮廷魔術師、フールーダ・パラダインは誰も入れないように厳命した部屋の中で小さな声でキーワードを唱えた。
すると自動的に箱が稼働し、中に仕舞われていたフールーダの宝物が現れる。
永い歴史を感じさせるその本は、しかし魔法の力によるものなのか、破損は見られない。
それを見ていると口元がだらしなく歪むのが自分でも分かったが止められない。
頁を捲る。
記された言語は既存のものとは異なり、読解の魔法を使っている訳でもないので読み説くことはできないが、その頁は以前目を通したことで、全て暗記している。
魂は大いなる世界の流れから打ち上げられた飛沫のような存在であり、どの魂も大きさに違いはあっても同じもの。
自分が生涯を掛けて求めた魔法の深淵に関する知識。
それがここには記されている。
一刻も早く読み説きたいが、それはできない。
せめて一頁だけでも読解の魔法を使って。と考えるが、すぐに首を横に振る。
「いかんいかん。研究で使用する分が減ってしまう」
マジックアイテムの開発には、それに近しい種類の魔法が必要不可欠。
そのために魔法の無駄撃ちは許されない。
魔力は時間経過によってしか回復しないのだから。
「ああ。しかし、しかし。読みたい読みたい、読みたいぃぃ」
既に手の中に自分の求めるものがあるというのに、手を出せないもどかしさ。
だができない。
これはまだ始まりにすぎないのだ。
自分の師であり神である、アインズ・ウール・ゴウンもそう言っていた。
これはあくまで自分を一つ上の領域に昇らせるためのものだと。つまり先は永いのだ。
神。
そう。フールーダが信仰していた魔法を司る小神すら超えた本物の神に、フールーダはついに出会った。
仮面越しには何度か対面したことはあったが、その時は常に情報系魔法で身を固めていた。
しかしこの本を授けてくれた際、師は初めて自分の前で指輪を外したのだ。
その時に見たあの光景。
吹き上がる魔力の奔流は、魔法の頂点と謳われる第十位階魔法を使用するデミウルゴスのそれすら超えた魔法の存在を証明していた。
そこにたどり着くにはこの本だけでは足りない。
そのためにもっと自分の価値を高める必要がある。
ジルクニフが、魔導王の宝石箱からアンデッドを大々的に借り受けることを正式に決めたことで、これまで行われていたアンデッド支配の研究が必要なくなり、フールーダはそれを利用して師の望む研究に精を出すことにした。
この読解の魔法の力を宿したマジックアイテムの開発もその一つだ。
師は掛けるだけであらゆる言語を読み説くことのできる眼鏡を持っているが、それは一つだけ。
これから先、異種族との交流や、古い文献などを読み説く際にも、このマジックアイテムの量産は必ず主の役に立つことだろう。
同時に、自分にとっても必要なものだ。完全に公私混同ではあるが、今のジルクニフは文句を言うことはないはずだ。
「おお。師よ、私は必ずや御身のご期待に応えてみせます」
そしていつか自分もあの御方の領域にたどり着き、魔法の深淵を覗き込むのだ。
二百年を優に超える人生の中で、間違いなく自分にとっての最盛期がこれから始まろうとしている。
興奮を抑えきれずにフールーダは手にした本を読む代わりに、かつて師の実力を目の当たりにした時と同じように、本に向かってキスをした。
・
「おっ、ニンブル。久しぶりだな」
帝城の執務室に向かう途中見つけた後ろ姿に声を掛ける。
「バジウッド殿。お久しぶりですね」
「おう。そっちはどうだった?」
「順調ですよ。元法国の領土は大きな問題もなく統治が進んでいます」
「そいつは良かった」
何も言わずとも並んで歩き出す。
目的地は同じだ。
「……ところでバジウッド殿。レイナース殿は?」
「ああ。お前は聞いてなかったか。実はなアイツ四騎士から降格になったんだよ」
さっと周囲に目を向け、声を落として告げる。
「な! 彼女が何を?」
冷静なニンブルの珍しい姿が見れたことに満足して、バジウッドはカラカラと笑う。
「別に問題を起こした訳じゃねぇよ。ほら、例の戦争での活躍を評価されてな、約束通り陛下がゴウン殿に頼んで解呪して貰ったんだがな。それは成功したんだが、呪いと一緒に強さまでなくしちまったみたいでな。それでも一般の近衛兵よりかは強いんだが、流石に四騎士を名乗れるほどでは無くなっちまってな。本人から降格を願い出たんだよ。今は近衛隊に配属されているよ」
「なるほど。呪いにはそうした副産物のような効果を発揮する物も存在すると聞いたことがあります。彼女の呪いもそうだったのですね。しかし、ナザミ殿の後任も決まっていないと言うのに、これで四騎士も半数ですか」
そう言えばナザミの後任を決めるように進言したのもニンブルだったはずだ。
それも決まらぬ内に、更に一人減ったとなれば気落ちもするだろう。
「いや、探すのはナザミの分だけで良いってよ」
「誰か当てがあるのですか?」
口元を持ち上げ、バジウッドは大きく頷く。
「自分が強くなるまで、席を空けておけとさ」
呪いが消えたことで片側を隠していた髪を上げ、バジウッドも初めてハッキリと見た両方の瞳に強い意志を込めて言った台詞を思い出す。
「っ! 彼女が?」
再び驚くニンブルにバジウッドも苦笑する。
無理もない。そもそも近衛隊に残ったことも不思議なくらいだ。
レイナースは元々呪いを解くためだけに四騎士の座まで上り詰めた。
その願いが叶ったのなら、もう四騎士でいる必要も、そもそも帝国軍に属している必要もないのだ。
ニンブルもそう思ったのだろう。
「陛下に恩返しをするんだとよ」
「恩返し……」
「似合わねぇよな」
何か裏があるのでは。とでも言いたげなニンブルに笑い掛ける。
「けどよ。信じて良いと思うぜ?」
理由を聞いたバジウッドに、レイナースが告げた言葉を思い出す。
法国はほとんど力を失ったが、同時に三国同盟を維持していく必要もなくなった。
そうなれば王国とも再びことを構えることになるだろう、他の国にも侵攻を始めるかもしれない。
帝国の、そしてジルクニフの戦いはこれからも続くのだ。
だからこそ、約束通り自分の呪いを解くために尽力してくれたジルクニフに、今度は打算ではなく自分の意志で力を貸してやるのだ。と言っていたその目に嘘はないと信じたい。
「なんだかんだ言っても、アイツも四騎士としての誇りはあるんだろうぜ」
自分たち帝国四騎士は生まれも育ちもバラバラで、ジルクニフが強さを重視して選んだだけの集まりにすぎず、同僚に対する信頼も薄い。
そんな自分たちを結びつけているのは皇帝ジルクニフの存在だ。
平民出身であり、初めはジルクニフに対して忠誠心が無かった自分でさえ、今では心からの忠誠を誓っているくらいだ。
例え契約関係だったとしても、長くジルクニフに仕えてきたレイナースにも、忠誠心が芽生えていたとしても不思議はない。
「……私としたことが、無礼なことを考えていたようだ。彼女に詫びなくてはなりませんね」
「それはあいつが四騎士に戻ってからにしろよ」
「ええ。そうします」
頷くニンブルを見てから、バジウッドは両手を叩き、話を変える。
「さて。廊下で長々と話し込んじまった。さっさといかねぇと俺たちまで降格されちまうぜ」
「それは困りますね。急ぎましょう。私からも進言しなくてはならないことがあります。どうも神都に残った連中が何やらよからぬ企みをしているようで」
「懲りない連中だな。宗教に狂ったやつらってのはそんなもんか」
軽口を叩きながら、二人は歩き出す。
あの帝国史上最高の皇帝にして、最近では人間臭さまで加わった、自分たちの素晴らしき主が待つ場所に向かって。
・
「クインティア様。やはり侵略者どもは、完全に撤退しました」
報告に来た神官の男は、これぞ神の奇跡とばかりに興奮した声を上げる。
「当然でしょう。ここは神の力によって守られた聖地。愚かな侵略者どもはその威光に震え、近づくことすらできない」
「はい。その通りです」
「ですが。やはり奴らによって、法国自体の国力が低下したこともまた事実。先ずは戦力を一つに纏める必要があります。各国に占領されている我らが領土に間者を送り込み、敬虔な信徒たちをこの神都に集結させましょう」
「で、ですが。それではいざという時に、各国の動きが読みづらくなるのではないでしょうか?」
「本来ならばその通りですが、忘れたのですか? 法国より南側は異種族しか存在しない。人間であれば神の御威光も通用するでしょうがあの野蛮な異種族ではそうもいかない。法国の理念、それを消さないためにもこの神都の守りを固めることこそが一番の責務なのです」
「な、なるほど。流石はクインティア様」
「よしてください。私はかつての同僚や上司の裏切りに気づけなかった愚者にすぎませんよ」
漆黒聖典や神官長たちが消えたのは、ヤルダバオトとの繋がりが気づかれたことを察して逃げ出したため、ということになっており、クアイエッセはただ一人それに気づいて戦ったが、止められなかった、ということになっている。
「そんなことはありません! 貴方はあの裏切り者たちと異なり、ただ一人法国のために戦った御方です」
熱の籠った声でクアイエッセを擁護する男に、苦笑を返す。
「では、先ほどの件よろしくお願いしますよ。戻ったらまた、話をしましょう」
その言葉を聞いた瞬間、神官の目に欲望の色が輝く。
「は、はい。必ずや任務を達成してまいります」
欲望の光を携えたまま、男が部屋を後にする。
完全に音が遠ざかってからクアイエッセは薄く笑う。
本当に扱いやすい奴らばかりだ。
かつての法国は徹底した情報統制をしくことで、重要な情報を一部の者のみで共有していた。
人類のおかれた状況を秘匿することで、混乱を避けることが狙いだったようだが、それは同時に、自分の信仰する神の情報すら制限されていたともいえる。
だからこそ、今でもここに残っているような者たちは、そうした六大神の逸話や本当の名前。その程度の情報でもいい褒美になる。
(しかし。それは私も同じか)
思わず笑みが浮かぶ。
法国との戦争での功績が認められ、クアイエッセは念願だった神との謁見に加え、魔導王の宝石箱ではなく、その大本であるナザリック地下大墳墓を本拠地とする神の軍団に所属することを許されたのだ。
その中で先達から教えてもらった神話の数々。それを聞くことこそ、自分にとっては何よりの褒美なのだ。
「ああ。アインズ様。このクアイエッセ・クインティア。必ずやこの任務を達成してみせます」
先の男と同じようなことを言いながら、神の名を呼ぶ。
パチンと指を弾き、空間から一つの像を取り出すとクアイエッセは、任務のために仕方なく飾っている六大神の像を地面に投げ捨て、代わりにそれを置いて祈りを捧げる。
各店舗に神の巨像を設置する計画が持ち上がっており、その像を作るための雛形として作成された内の一体を頂戴したものだ。
この法国内部に潜り込んで残った者たちをコントロールする任務によって、長期間ナザリックを離れることになり、話を聞くこともできなくなってしまったが、これさえあれば、この偽りの神の気配が色濃く感じられる場所でも、常に神を身近に感じることができる。
そしてこの任務を成功させた暁には──
祈りを捧げながら興奮が全身を駆け巡り、体にもその影響が出そうになったため、ゆっくりと息を吐いて心を落ち着かせる。
ふと気づくと、祈りを捧げ始めてから結構な時間が経っており、次の予定が近づいていた。
「……新しい神官長たちへの餌やりの時間か」
神への祈りを邪魔されるのは癪だが、これも仕事だ。
上位の神官たちがほぼすべて消えたことで、残された者たちは神への信仰よりも金銭や宝石などの装飾品、食事や酒と言った即物的な欲に目覚めている。
そのためのエサは大量に用意したため、既に彼らはクアイエッセの操り人形も同然だ。
奴らはともかく、先程の神官のような純粋に神を信仰している信者たちには同情するが、これも本当の意味で理想の世界を作るために必要な犠牲。
神に恭順する者たち皆が笑って暮らせる理想郷。甘い蜜に浸したような夢の世界。
その世界が一日でも早く来るように、そして願わくば自分が永遠に神の傍で働くことが許されるように。
クアイエッセもう一度神に祈りを捧げた。
・
帝城の執務室。
ジルクニフは渡された書簡に目を通す。元法国の土地のうち、帝国が譲り受けた土地の統治が順調に進んでいる旨が記されていた。
(戦争の大勝だけではなく、例の法国上層部とヤルダバオトの繋がりを示す証拠と、奴らの失踪のおかげだが。出来すぎている。これもアインズの仕業だと見るべきか……)
法国の兵たちは包囲陣を形成され、特殊部隊である六色聖典を討たれてもなお抵抗を続けていた。それが突然降伏したのは、戦争の責任者である大元帥と神官長の両名が、腹心の部下を連れて逃亡したからだったようだ。
時を同じくして、法国の大神殿からも大量の高位神官や、最高執行機関の面々も消えた。
それもまるで煙のように忽然と消えたこと、神の遺産と呼ばれる法国の秘宝もともに消え、代わりにヤルダバオトの指示の下、何らかの儀式──これは例の神の復活のことだろう──を行おうとしていたことも明るみとなり、法国の政治は一時大混乱に陥った。
何しろ神殿勢力だけではなく、軍部や行政を司る機関長まで消えたのだ。
三国同盟はその混乱に乗じる形で進軍した。
つまり、戦争の責任をすべて魔神と通じていた最高執行機関に押し付け、混乱の予想される隣国の治安維持という大義名分を手に入れたのだ。
これにより、大した抵抗もなく時間もかからずに、法国の土地の大部分は、予定通り三国が分割統治することとなった。
法国に残ったのは空っぽの神都を中心としたいくつかの都市のみ。
これを奪わなかったのは、反乱分子を一か所に纏めるためだ。
進軍中、狂信的な法国の信徒の中には全て三国の陰謀だ、と語る者も居た。武力で黙らせるのは簡単だがそれでは内部に不和を残すことになる。
だからこそ、そうした者たちが集まる場所として、心のよりどころである聖地である神都をスレイン法国の名前で残すことで、反乱分子はそこに集めようと考えたのだ。
ニンブルからの報告によると、その計画は上手く行っているようだ。
どうせすべての力を失っているため大したことはできない。
周囲は三国に囲まれ、法国より南は亜人国家しかなく、助けを求める相手もいない。
そうして役目を終えて統治の邪魔となったら、その時初めて滅ぼせばいい。
その進捗状況もじつに順調だ。全てがこちらにとって都合のいいように進んでいる。
(やはりすべてはアインズの……いや、考えるのはやめよう。わざわざ竜の尾を踏む必要もない)
ジルクニフは、危険な方向に行きそうな思考を切り替えて、別のことを考えようと周囲を見回し、気がついた。
「そう言えば爺はどうした?」
代わりに出席していたフールーダの高弟の一人に尋ねる。
「師はただいま読解を可能とするマジックアイテムの開発にご執心です。それこそ寝食も忘れてといった様子でして」
「読解? ああ、なるほど、アインズの下にいる亜人部族との交流のためか」
言葉が統一されていたこの世界においても、文字はそれぞれ独自の物が存在する。
王国語と帝国語は元が同じ国であったこともあり、似通っている部分もあるがそれ以外は独自の言語を持っている。
だからこそ、他国の文書などを見ても読めないということがあり、読解の魔法はそうしたものを読み込む際に使用するものだ。
とは言え、今後文書によるやりとりをするなら、やはり必要となるマジックアイテムだ。
それを、こちらが指示を出す前から動いてくれているのは流石と言える。
例え──
(アインズの指示だとしてもな)
こればかりは口には出せない。
帝国の主席宮廷魔術師にして、逸脱者フールーダ・パラダインが既に、いやずっと以前から帝国を裏切っていたなど。
ジルクニフがそのことに気づいたのは最近のことだ。
フールーダをアインズと会わせた際、フールーダはまるで狂ったかのように狂喜乱舞しアインズと出会えたことを感謝していたが、それだけだった。
ジルクニフの知るフールーダならば、その場で帝国を捨て弟子入りするぐらいことはしそうなものであり、実際その覚悟もしていたのだが、ただ感謝の言葉を口にして、時折こうして会って魔法について聞きたいとだけ告げていた。
アインズもそれをあっさり了承したのだから、ジルクニフから言えることは何もなかった。
後で聞いたところ、明らかにレベルが違いすぎるので自分を高めてから改めて弟子入りをするつもりだと言っていたが、ジルクニフの知るフールーダは魔法に関してそんな自制の利く男ではない。
つまりあれは単なるジルクニフに見せつける儀式に他ならない。
帝国に属したまま、アインズと会う口実を作ったことで公然と機密漏洩ができるわけだ。
何時から通じていたのかは、もはやどうでも良い。
分かったのはジルクニフは初めから負けていたと言うだけの話だ。
そして既に完全降伏したジルクニフに対してあんな芝居を見せる理由は一つ。アインズが未だジルクニフを信用していないと、こちらに知らせるためだ。
むしろそちらの方が問題だとも言える。
「陛下?」
「いや、何でもない。それならそれで良い。無理をし過ぎないように言っておけ」
「はっ。承知いたしました」
「いやーしかし、陛下も大変ですなぁ。最近また昼寝できなくなっているんじゃないですか?」
微妙に空気が重くなったのを悟ったのか、声を張るバジウッドにジルクニフは苦笑する。
「まぁな。しかしストレスは無い。やはり私はある程度働いている方が気が紛れるのかもしれないな」
髪をかき上げながら言うが、床に髪の毛が落ちることはなく、また指を通る毛の量もアインズと会う前と同じ、いや少し多いかもしれない。
これは自然治癒ではなく、例の戦争前にアインズが直接と荷物を持ってきた際、恥を忍んでアインズに頼み込んだ結果だ。
それを頼んだ時のアインズの反応は今でも思い出せる。
あの冷静沈着を絵に描いたような男が力強く頷き、任せろ。と胸を叩いて快諾した。
その後レイナースの解呪とフールーダの顔合わせを行う前、戦後処理を話し合う場で掛けられたやけに派手な魔法の効果で、頭髪問題は解決したのだが。
また何かあったら呼んでくれ。と言う様はまるで本当の友人のようだった。
その直ぐ後にあの芝居を見せつけられたのだからジルクニフとしては、何がなにやら分からなかった。
ジルクニフは仮初めとは言えアインズと仲良くやってきたつもりだが、アインズについては未だに知らないことだらけだ。
そもそも顔すら見たことがない。
周囲に多数の女を侍らせているあたりからも、男なのは間違いないだろうが年齢も定かではない。
(互いに仮初めとは言え、友好関係を構築しているのだから、多少は応えてくれても良いようなものだが……いや待てよ)
ジルクニフはアインズに対して本当の友情など感じていない。どちらかと言えば負けを認め従属している側だ。
だから、友好を示しているつもりでもどうしても一歩引いた立場になる。
それが気に入らず、フールーダにあんな芝居をさせたのだとしたら。
(ではアインズはなんと言って欲しかったんだ? まさか俺が秘密を打ち明けたんだから、お前も。みたいなことを言って欲しかったわけでもあるまい。それではまるで本当の──)
友達を求めているかのようだ。
ジルクニフは幼い頃より同年代からも皇太子としてしか見られなかったこともあり、友人と呼べる存在はいない。
だからこそ、アインズと友好関係を築くことも、所詮仮初めのものとして、その延長で行ってきた。
しかしもし仮に、アインズがジルクニフに求めているものが、そうした表面的なものでなかったとしたら。
それに気づかないジルクニフに苛立ちを覚え、フールーダを使ってまだ信用していないと知らせてきたのだとすれば、辻褄が合う。
さっと血の気が引いていく。
「陛下? どうしました?」
「バジウッド!」
「は、はい?」
困惑するバジウッドに恥を捨て、意を決したジルクニフはゆっくりと口を開く。
「友達って、どうやって作るんだ?」
「は?」
呆れたように大口を開けるバジウッドに対し、ジルクニフはソファから立ち上がる。
アインズのあの態度を見るに、あちらが本気で友情を求めているにしろそうでないにしろ、少なくともこちらは本気で友人と思って、いや本気で友情を示した方が良いのは間違いない。
「これは冗談でも何でもない。帝国の存亡を掛けた戦いだ。全身全霊をかけて考えろ!」
せっかく頭髪問題が解決したというのに、再びストレスを溜めてなるものか。
打算と計略にまみれた考えで本物の友情を築けるのかは疑問だが、よくよく考えてみれば自分とアインズの間には常にそれがある。それこそが自分たちの友情の示し方なのだ、と自分を納得させる。
ジルクニフにとって、生まれて初めての友達作りが始まった。
ちなみにジルクニフの薄毛問題に関しては、アインズ様が色々試しても解決策が見つからなかったため、仕方なく強欲と無欲に転移前から貯めていた分の経験値を使用して、星に願いを。で回復させました
今後もこうした頼みがあると困ると考え、前話で出てきた薄毛回復魔法の研究をさせようと思い至った感じです