水原は過去に「日本人でないこと」を強調していたという誤解
昨日18日には「メディアゴン」に「<水原希子ヘイト騒動の原因>偏見・差別だけではない本人の言動に問題」という、東洋大学の藤本貴之による記事が掲載された(SNSではBLOGOSの記事が拡散されているが、提供元は「メディアゴン」である)。
藤本は記事の中で「人種や国籍・出自での偏見による差別などあってはならない」「日本で育ち、日本名を名乗り、日本で芸能活動をしてきた水原希子の出自や国籍・血統などは、あえて表明する必要もないし、聞く必要もなかった」と述べている。そして「水原希子自身のこれまでの言動に騒動の要因、炎上の原因があるように思える」として、過去に水原が行ったというある騒動を取り上げている。以下に藤本の論旨をまとめるが、先に述べておく。これは藤本の誤解に基づく記事だ。
藤本は、2013年に水原が、天安門に向けて中指を立てた写真をインスタグラムにアップした中国の現代美術家の写真作品に「いいね!」を押し、中国で大きな批判が起きたという一件を取り上げる。そしてバッシングを受けてアップした謝罪動画の中で水原が「日本人でないこと」を強調した点に、今回の騒動の本質があるという。いわく、出自を強調し、思想信条の自由であって必要がないにもかかわらず謝罪をしたこと、また「平和主義に反する」とネタにするのは、営業用のリップサービスだとしても行きすぎだ、と。さらに、中国からのバッシングを沈静化させるために打算的に「日本人でない」ことを強調したのであれば、日本人にも中国人にも失礼だろう。また「本心・天然」であるとすれば、「なぜ、そんなに嫌いな日本に住んでいるのか」という疑問が持たれても当然だ、とも言っている。最後の点については、「水原の言動は反日と思われても仕方ない。だから非難されるのは致し方ない」ということだろうか。
先に述べたとおり、この記事は誤解に基づいて書かれている。そもそも水原は謝罪動画で「日本人でないこと」を強調していない。
動画の検証は複数行われているが、例えば西村博之/ひろゆきによる「言ってないことを言ったことにする頭の残念な人達」を読んでいただきたい。
ご覧いただければわかる通り、この動画で水原は日本に住んでいること、また母親が日本で生まれた韓国人であることは述べていても「日本人ではないことを強調」などしていないのだ。藤本の記事は明らかに誤報あるいは曲解(「母親が日本でないと言ったのは、日本人出ないことの強調だ」という人もいるだろう)だ。この記事に乗じて、レイシストはヘイトを過熱させている。
藤本は「…ヘイトツィートを繰り返すネット民の生態も問題だが、冷静に経緯を観察すれば、そもそも本人が批判や炎上の火種をせっせと作っていると思える点は注意が必要だ。いわば、共犯関係にあるといっても過言ではない」とも述べ、ヘイトの被害にあっている水原を非難までしていた。「ヘイトに対するヘイト返しをしないことこそが、我が国の成熟したネット文化を作り出すことにつながる」と述べる自身が、ヘイトを垂れ流してしまっているのではないだろうか。
本記事の前半で「多くの媒体で本件が取り上げられ、問題が共有されたことで本件は好ましい方向に事態が収拾すると思われた」と書いてしまったが、この問題は非常に根強く、「事態が収拾する」などという言葉で終えられるようなものではないだろう。好ましい方向に向かうように努力し続けなければいけないのだ。私たちに出来ることは引き続き差別を批判し続けることであり、自身に根付いているかもしれない偏見を問い続けることだろう。そうした試行錯誤を繰り返さないかぎり、事態が収拾することなどないのだと思う。
(wezzy編集部)