音楽性とエスニックの不一致
ミュージシャンであれば、音楽ジャンルと姓のエスニック性が合致しない場合にも芸名が使われる。
R&Bミュージシャンのアリシア・キーズの本名は Alicia Augello Cook(アリシア・オウジェロ・クック)だ。母親はイタリア系の白人、父親は黒人だが、黒人音楽家としてイタリア系の姓オウジェロでは売りにくいことがキーズという芸名の理由と思われる。
ブルーノ・マーズの本名は Peter Gene Hernandez(ピーター・ジーン・ヘルナンデス)。母親はフィリピン系だが、父親がプエルトリコ系なのでヘルナンデスというヒスパニック名を持つ。この姓だとほぼ間違いなくラテン音楽と思われ、ラティーノ以外の音楽ファンにスルーされてしまう。ブルーノは人種や民族性を超えた音楽を演るだけに、それを危惧したのではないだろうか。
上記はすべてアメリカにさまざまな人種や民族が同居し、(1)それぞれにステレオタイプなイメージがある (2)WASP以外は差別の対象になりうる (3)音楽ジャンルがエスニックごとに分かれている ことから芸名を用いている例だ。
一方でエスニック名のまま活動している俳優やミュージシャンも多い。アニメ『アイス・エイジ』シリーズのシド(ナマケモノ)の吹き替えで知られるジョン・レグイザモもプエルトリコ系だ。コメディアン/俳優としてのデビュー時、英語話者が発音しづらい姓を変えるよう忠告を受けたが、あえて本名で貫いたと語っている。
セレブでなくとも、スタバネーム
アメリカにおいて名前で苦労するのはセレブだけではない。
アメリカに暮らすと、日本人も自分の名前を意識せざるを得ない。まず直面するのが、名前を正しく発音してもらえない、綴ってもらえない、覚えてもらえないことだ。アメリカは取引先ともファーストネームで呼び合う社会であり、名前を覚えてもらわないことには何も始まらない。そこで日本人も「タカシ」であれば「Ted」、「ノブコ」であれば「Nikki」など、イニシャルだけは合致するアメリカン・ネームを使う人がいる。
普段の生活では英名が不要な人も、スターバックスでは「エイミー」や「マイケル」といった簡単な英名、いわゆるスタバネームを使う。カップに書くために名前を訊かれ、「Ka – o – ru」とゆっくり区切って伝えても何度も「はぁ?」と聞き直され、あげくにまったく違う名前を書かれてしまう。この体験はアメリカにおける日本人のマイノリティ度をつくづくと思い知らせてくれる。
スターバックスはまだ笑って済ませられるが、そうはいかないのが就職だ。アメリカでは履歴書に写真を貼ることはしないが、名前で人種や民族を推測される。アフリカ系アメリカ人の姓は多くの場合、ごく一般的な英名だが、ファーストネームには「ラティーシャ」「デショーン」など特有なものが多い。
UCLAのリサーチセンターが、求人広告を出している実際の企業に同一の学歴と職歴で、名前だけをいかにも白人風、いかにも黒人風に変えたものを送付する実験をおこなった。すると白人風の名前のほうが面接に呼ばれる率が高いという結果が出た。このことはリサーチをするまでもなく、当のアフリカ系アメリカ人の間では知られたことであり、求職者の中にはいかにも黒人風のファーストネームの代わりに、どの人種でもありえるミドルネームで応募する人もいる。ちなみにカナダでおこなわれた別の同内容のリサーチでは、アジア系の姓も同じく面接に呼ばれる率が低いという結果が出ている。
どんな名前も名乗れる自由を
結局、俳優も会社勤務も等しく「仕事」なのである。会社勤めの場合はまず履歴書審査を通って面接にこぎつけなければならない。俳優の場合は人気が出ないことにはどうしようもない。とくに顔を知られていない無名時代は名前で人種や民族を推測され、できる役も回ってこない可能性がある。さらに怖いのは人種差別主義者からの非難や中傷だ。
アメリカも日本も人種とエスニックに対する偏見や差別があるからこそ、芸名を使わなければならない俳優やミュージシャンが存在する。ゆえに水原希子を「韓国人は韓国名を名乗れ!」と罵倒することは純然たる人種差別である。夢を売ることが仕事の俳優やミュージシャンは、夢を売るためのツールとしてどんな名前を使ってもよいはずだ。
だからこそ、水原希子本人が日本名であれ、英名であれ、もしくは韓国名であれ、使いたい名前をなんの心配もなく使える社会であること。女優として魅力的なのであれば、どんな名前であっても人気が得られること。これが理想形の社会なのである。だが、日米ともにそこまでの道のりはまだまだ遠いのである。
(堂本かおる)