続々・奥の細道擬紀行(その5) 糸魚川市美山公園の「長者ケ原考古館」
整備された道路脇に縄文土器の特徴を備えた巨大なモニュメント「太古のおもかげ」(注、出土した火炎土器を拡大したもの)がありました。そして、その近くに控えめの大きさで「長者ケ原考古館」の案内標識を見つけました。
脇道へ入ると右手の河原のような場所に、『ようこそ 石の谷へ』の説明看板が立っていて、『糸魚川市内を流れる姫川や青梅川の上流域は翡翠や蛇紋岩などの変成岩の産地として知られ、そこから流れ出た石は当地の海岸に漂着します。統治の縄文人たちは、そうした石を拾い、巧みに加工して石斧(いしおの)などの道具や玉などの装身具を盛んに作り、列島各地に供給していました。この谷の意思は青梅川上流に算出したもので、石斧や玉などに用いられた翡翠(硬玉)、軟玉、きつね石、蛇紋岩などを観察することができます』 と説明されています。
「長者ケ原考古館」の前景です。ちなみに、入館料は大人300円。
入口付近に並べられた火炎土器(炎をモチーフとした縄文土器)とその他の縄文土器 注、火炎土器はレプリカ
『長者ケ原遺跡20号住居あとの入口にあった、細長い石を指し込んだ甕(かめ)と扁平(へんぺい)な石を被せた甕が伏せられていました。このような「埋甕(うめかめ)は子供の成長や新しい命の誕生を祈ったようです」 と説明されています。この日は入館者が少なかったためか、スタッフの男性が我われ二人に付っきりですべての展示品を解説してくださいました。
試着用の縄文服
「玦(けつ)状耳飾り」と「牙状勾玉(きばじょうまがたま)」
前者は縄文時代の装身具で、円形・楕円形または三角形に近い形のものがあり、主として滑石、蛇紋岩などで作られて、中央にあいた穴から外に一筋の切れ目が出ているのが特徴です。注、「玦(けつ)」とは古代中国の装飾用玉器(ぎょくき)で、リングの一端が切れたC字状をしたものを意味する。また、後者は縄文時代前期(6000~5000年前)の出土品で、当時の勾玉は半分に割れた玦状耳飾りのリメイクがほとんどであるなか、非常に珍しい形状の勾玉です。
「指輪状石製品」は縄文時代のものとは信じられないほど高度なの細工が施(ほどこ)されています。
「翡翠(ひすい)大珠」です。以前から勾玉に小さな穴を空ける技法が疑問でしたが、説明員の方が細い筒状の道具(女子竹など)と研磨剤を使っていたことを教えてくださいました。未完成のものにその痕(あと)、中央部に突起がある円形の窪(くぼ)みが残されていたことから分かったのだそうです。ちなみに、硬(かた)いヒスイなどに穴を空けるには丸一日ほどかかったと思われるそうです。また、小さな勾玉を固定するために粘土(ねんど)が用いられたそうです。まさに、縄文人の知恵が勾玉作りに集約されていたのです。
「ヒスイの分布」(縄文時代中・後期)にはフォッサマグナ(青梅川と姫川の上流)に原産地があり、その周辺に出土遺跡が広がっていることが分かります。北関東から東北地方で多く出土していることが興味深いと思いました。
「持ち込まれた黒曜石(こくようせき)」はおそらく長野県の和田峠あるいは霧ヶ峰で産出されたものでしょう。
「長者ケ原遺跡」と「寺地遺跡(てらじいせき)」から出土した縄文土器
「玉とぬなかわ」には、『弥生・古墳時代時代も糸魚川地方(ぬなかわ)は、「玉作りの里」として栄えましたが、帆ふん時代中期(5世紀)になるとここにおけるヒスイの勾玉(まがたま)つくりは終わり、ヒスイの産出すら忘れ去られてしまったことが説明されています。大和政権が確立して中央に集中する体制が確立したことがその理由と思われます。
「後生(ごしょう)山遺跡」の「管玉(くだたま)」と「勾玉(まがたま)」
余談です。見学を終える時、気になっていた「久比岐自転車歩行車道」(国道8号沿いの各地で標識を見かけた)について説明員の方に質問しましたが、あまり詳しくはないようで曖昧(あいまい)な返事しか返って来ませんでした。その時、休憩所にいた年配の方が、『それは鉄道線路の跡に造られた道だよ』 と教えて下さいました。昔は海岸に沿っていた北陸本線がトンネルの開通により内陸に移動した際、その跡地が自伝者歩行者道として整備されたのだそうです。つまり、以前は蒸気機関車が走っていたのです。ネットで調べると、上越市の郷津交差点(五智国分寺や水族博物館の約2km西)から糸魚川市の中宿駐輪場(早川のすぐ東)まで32kmも続いているようです。ちなみに、「久比岐(くびき)」は奈良時代に上越地方を指した「頸城(くびき)」に由来するそうです。
閑話休題(かんわきゅうだい)。日本における縄文時代は、長期間続いただけでなく、縄文土器や石器に象徴される独自で高度な文化を生んだことで、世界的に注目されているそうです。
40分あまりの見学を終えて「長者ケ原考古館」を退出しました。(続く)
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