ハードオフ新潟では止まったままだった藤井の時計が、10年ぶりに動きだした。
「ハッキリと覚えていますよ。新潟っていえば、あれ以来だよなあって」。4打席無安打には終わったが、藤井がこの球場で試合に出たのは2009年9月6日(横浜戦)以来。彼にとって忘れられるわけがない1日だ。中堅を守っていた藤井は、飛球を追って左翼の和田と交錯。負傷退場し、病院で左肋骨(ろっこつ)骨折が判明した。打率2割9分9厘はリーグ8位につけていたが、3割どころか規定打席にわずか「8」届かず…。キャリアで最多打席に立ったシーズンが、あの激突で強制閉幕した。
新潟では何かが起こる。藤井が骨折した前日(5日)は、球史に残る試合だった。開始直前に交換するメンバー表に、横浜は先発投手の名を間違えて記入。ランドルフと書くべきところを、6日に先発予定だったグリンと書いてしまった。1回表に打者1人だけグリンが投げ、1死からランドルフが登板。それだけでも異例だが、そこから9回まで1点も取られなかった。8イニング2/3を2安打。救援投手としては史上初の毎回奪三振を記録した。なお、今なら「ショートスターター」と言われるだろうグリンは、予定通り翌6日にも先発。7回途中まで4失点の結果を残している。
「そうそう。ランドルフに抑え込まれてね。あれから10年ですか…。今日は打てなかったけど、試合には勝てた。僕もこれで新潟の呪縛から解き放たれたと受け止めて、明日から頑張ります」
10年とはプロ野球ではほとんどの選手が入れ替わる年月だ。相手は球団名からして変わっているが、藤井はしぶとく生き残っている。10年前には負傷交代でできなかった勝利のハイタッチを、今回は最年長選手として交わした。ちなみに当時の勝ち投手は小林正(現球団広報)。決勝本塁打は谷繁だった。