2014年01月
最近の様子
メサイアが終わってから休む間もなく次のプロジェクトに移行している。
移行っちゅうか、同時進行で三つくらい進行しているのだけれども。
一月がもう終わることに衝撃を受けてますよ。
まだおみくじも引いてない。
ブレーメンもモンキーチョップも観に行けなかったけれど、自分の書いた本が立体化されて色んな人の目に触れているというのはやはり嬉しい。
今日も今日とて泣くほど悔しい瞬間や嬉しい瞬間がほとんど同時におとずれたり、異ジャンルに挑戦しているがゆえの洗礼と発見の日々です。
クオリティと速度を上げて行かなければと思うわけです。
もうひとつ、今のところ表に出る予定の無い(長い目で見たら表に出る)作品のワークショップをやっておりまして、そこでも毎日感動や発見をさせてもらってる。
若い俳優さんたちと一緒に短い作品を作ってるんだけどね、俺が今までやってきた「雑談」という仕組みの究極系みたいな現場になっている。
メサイアの現場でも思ったけど、若い俳優さんたちから受ける影響というのは非常に大きい。
なんか自分がもらってばっかでちゃんとそのぶん返せてるのか謎なんだけど、そこに関してはそれこそ長い目で長い時間をかけて返せていけたらなと思ってる。
先日、夜中に中村龍介から熱いメールが届いた。
実はメサイアの演出は龍介が推薦してくれたことから始まったのね。
それをふっきーや雄也がプッシュしてくれたのだと聞いている。
嬉しくて鼻毛が飛び出そうである。
もう飛び出てるのである。
結局俺は作品でしか人と繋がれないし、その作品作りの中で出会った人達がこうして現場や可能性、何より出会いを広げてくれている。
こういう恩も作品作りでしか返せそうにないので面白いもの作り続けます。
そしてまた現場で再会して一緒にものを作りましょう。
そんな約束しか出来ません。
そんな約束しかしません。
精進します。
近頃のこと
久しぶりにガッツリ凹んだ。
らしさを求められているのはわかるけどそもそもオイラの作品観てないだろがって言葉は元も子も無くなるので飲み込みつつ、言い方ってもんがあるだろがというのはオイラも態度に出るし言葉でも「そりゃあ失礼だろう」とか相手が年上だろうとため口になっちゃうし、そういう意味ではラフではあるが楽しくやらせてもらってる。
前提として信用しているし。
そして指摘されたことも納得出来たから。
まあ、それでも凹むもんは凹むのである。
30分寝たら回復したけど。
線の細い人ならここで意気消沈して立ち直れないぞ、まったく。
異ジャンルに挑戦しているし、業界によって勝手やルールが違うというのもある。そこにまだ慣れてなかったり混乱したりはしている。
演劇知ってる相手なら通じるような書き方が全く通じなかったりもする。
そういうことの一つ一つが小さなストレスの蓄積になっていくんだけど、それは出してみて反応を見て初めてわかることだからやって知っていくしかないのだ。
それが嫌ならはなっから挑戦なんてしなければいいだけだし、そうなったときはもう作り手として期限切れだと思う。自分の場合は。
少し寝て、もう一度挑戦だな。
メサイアのことも色々書きたいんだ本当は。
この現場も色々なことを学ばせてもらった。
どうやらパンフには脚色のクレジットもされていたみたいだから、ある程度は吐露してもいいのかな。
演出をやる場合のオイラは脚本原理主義者だ。
作家さんが書いたものは一字一句守ってなんぼだと思ってる。演劇をやっている魅力の一つに「文体にはまる喜び」がある。作家(作品)にはそれぞれ文体というものがあって、そこに込められたものは作家の思い、アイデンティティ、時代、歴史等々多くのものが込められていると思っている。
だから今まで人の本で演出をやった時は一字一句変えないことを信条にやってきた。もちろん例外もあるけど。でも基本的にはそう。
演出家っていうのは居酒屋のメニューや小学生の絵日記を脚本にして2時間の感動大作にするのが仕事だと、今でもそう信じている。
自分も書く人だからって安直に書き換えちゃうのは五流の仕事だ。
不思議なもんで自分が書いて人に渡す時は「お好きに変えちゃってどーぞ(ただし書き直しはしません)」なんだけどね。まあ、書いてる自分はイメージを持ててるからなんだろうけど。
逆に作家脳の時はね、一字一句変えられないくらい完成されたものを作らねばならんという気概でやってる。
前置きが長くなったんだけどさ、今回は自分のそのルールを曲げた。結構早い段階であっさり曲げた。自分で自分にびっくりした。
毛利さんからは「現場で色々と変わると思うから変えちゃっていいからね」と言われて「いやいや先輩、台本通りにやりますよ」なんて返してたんだけどね、もうサクッと変わっちゃった。
理由は簡単でね、この作品をこれまで背負ってきたキャスト達なんだ。
舞台、映画とこれまでやってきて、役というモノは既に自分たちのものにしていた。だから役作りというような作業はあんまり必要としてなくて(もちろんそれでもみんな模索してたよ)、早い段階で自分の役が何処へ行くのかという壁にぶつかっていた。
それはほとんど「自分はこれから何処へ行くのか」という役者自身の人生に置き換えられるものだったと思う。
その姿を見ていて「彼と彼はこうなるんじゃないだろうか?」「彼は本当はこういう感情を抱えているのでは?」と、色々溢れてきちゃった。
その一つ一つを役者に相談した。
共有出来た時は「じゃあ書いて来るね」と、次の稽古の時に持って来る、そんなやり方だった。
いつのまにか役と役者の境界線がなくなってた。
そういうふうになってた。
まおなんだか柊介なんだか、もっくんなんだか颯真なんだか。
どっちでもいいやって。
この公演には色々な要素があった。
あえて詳しいことは聞かなかった。
それぞれに流れているであろう様々な感情をサブ・テキストとして溢れて出てしまうような演出を恣意的にやったわけではないけど、結果的にはやっぱりそうなったと思う。
オイラがドSと言われる所以だな。
でも、毛利さんの書いた本がそもそもそういう仕掛けになっていたのだ。
オイラはそこを補強しようと思ったんだ。
今回演出家として割としつこく言ったのが「板の上に極力嘘を乗せたくない」ということ。
普段から役者自身の人生を根拠やサブ・テキストとして利用するやり方をする。本当の役作りには最低でも三ヶ月は必要だと思ってる。
今回はその役作りの三ヶ月は既にクリアしていた。
そして役者自身の思いが溢れ出ざるを得ない本。
じゃあもうそこに突き進む為に交通整理をしていこうと。
そんな作業だったんじゃないだろうか。
長くなってきたので別の機会にまた書こう。
を今も続けながら旅の途中
『メサイア 白銀ノ章』折り返しました。
まだ終わってないけど「ああ、今回も良い芝居を作らせてもらったな」という思い。
脚本の毛利さんが観に来て下さって「御笠ノさんと僕って相性良いんじゃないかなぁ」というお言葉を頂いて、演出家冥利に尽きる感慨。
自分では本質的に演出家向きだと思っていて、でも演出だけやらせてもらえる現場って時々しかなくて今回は二年ぶりくらいか。
最初にオファーを頂いた時は「僕で良いんですか?」と三回くらい聞いた気がする。
作演出する時は弩級の下ネタぶち込むし、なんならトラウマの一つも持って帰ってもらおうとするオイラですが、それはやっぱり作家脳が機能しているからだ。
人の本を演出する楽しさってのは全然別の回路で、これはやはり格別に楽しい。
そして現場にいる人たち。
素敵な人たちが集まったよ、ほんと。
役者やスタッフに過剰に感情移入してしまう性質なので、そこに埋没しないように分厚いバリアを張るから何考えてるかわからないと周囲を不安にさせてしまう。
作品を作る上での必要な距離感っていうのがあって、そこをキープしつつ、その上言葉も少ない。なのに無駄話ばかりしてる。
世にあるイメージの演出家っぽくないのは重々承知している。
でもそれがオイラの演出のやり方なんだな。
それでも今回は何度も距離のとり方を見失いかけた。
んにゃ、見失った、完全に。
「この人たちが美しく輝く為なら猿にでも道化にでもなりましょう」
自分の主義やプライドなんてポイポイ投げ捨てた。
それはそれで新しく痛快な体験だった。
でも今までの肉体と違うところに身を置いちゃってるから確信も不安もごちゃまぜの状態で今日まで過ごしていた。
役者やスタッフのみんなが組み立てていったものに確信は持てても、自分がフォローした部分は果たしてどうなの?
スーパー演出助手の伊達ちゃんが観に来てくれて「面白かったです」とひと言くれた。
そこでようやく「うん、俺はちゃんと仕事をしたのだな」と確信が持てた。
この公演はあと四回で終わる。
あのイカシタ連中とも二日後にはお別れだ。
おお、とりあえず別れようぜ。
どうせまた会うんだから。
そんな気がしてならないんだから。
ブレーメンの音楽隊
今朝方『ブレーメンの音楽隊』が脱稿しました。
おめでとう、俺。
今回は自分が、というか演出の三浦さんもブレーメンの連中もやらなそうことを書いてみようと思って書き始めてみました。
打ち合わせで『ブレーメンの音楽隊』がやりたいと言われた時に真っ先に浮かんだ絵があって、それは確かに今までの自分らしくない絵で、でもこのイメージに従ってみようと思って書き始めたのだけれど、いつもながら楽では無かったですねぇ。
思い返してみると、その浮かんだ絵っていうのは案外とんでもない代物で、結構自分はイカレポンチなのかもしれないとも思いました。
でも最終的には「やっぱりオイラは光がみたいのだ」というところに着地したみたいです。
そういうところで自分に嘘はつけないみたいです。
そういう自分は好きですねぇ。
噂ではR-15になったとかも聞きました。
うん、まあ、確かに、それは、うん、あるなぁ。
自作の中では『記憶メモリン』とか『NO.721』のフレーバーを感じる物語になっております。
お時間のございますかたは観てやって下さい。
劇団スーパー・エキセントリック・シアターブレーメンプロデュース 第3弾「ブレーメンの音楽隊」
脚本:御笠ノ忠次 演出:三浦香(Func A ScamperS 009 )
♢出演
栗原功平 松村真知子
小暮邦明 増田三恵子
矢野奨吾
ゲスト
大久保凛 加藤忠可
★河口舞華★ 木田健太
タカギマコト 橘杏
露木一博 福原舞弓(五十音順)
♢会場 シアターグリーンBOXinBOX
http://www.theater-green.com/map.html
♢日時 2014年1月22日(水)~1月26日(日)
♢タイムテーブル
1月22日(水)19:00
1月23日(木)14:00/19:00
1月24日(金)19:00
1月25日(土)13:00
1月26日(日)13:00/17:00
♢料金 前売り4200円/当日4500円(全席指定)
2014
毎年暮れにはその年の総括のようなことをやっていた気がするのだが、去年は大晦日に更新するタイミングが無かったことと、思い返してみれば一年中総括しているような日々だったので別にいいやと思っている。
抱負というのも特になく、例年通りに生きていこうと思う。
挑戦という言葉はいつでも携帯して歩いている(つもり)なので、挑戦して生きていけたらなぁと。
年始は討論番組が多くて、知識人の語る「わからない話」が好きな私はなんだかんだで見てしまう。
見終った頃に幾つかの言葉を覚えていればそれでいいと思って見ている。
わからないことがわかるようになるというのは素晴らしいことだと思う。
インテリジェンスって大事だと思うし、インテリさんには「もっと評価されるべき」と、ニコ動のタグのような気持ちを抱いている。
自分の抱いている感情や考え方に既に名称が付いているというのは不安にもなるし安心もさせる。
不安を多分に抱えて生きている人には知識が安心を与えるだろうし、私のように安心(慢心)して生きている人間は足元を救われる。
足元を救われるのは嫌いではない。
その時の恥が自分を成長させていると思えるからだ。
ストレスパラメーターは上がり体力パラメーターは下がるが同時に何かのパラメーターは上がっている気がするのだ。
そうして生きていればいつの日か伝説の樹の下で女子の方から告白されるのだと固く信じて疑わない。
疑わない。
疑ってたまるか。
20年くらいそんな生き方をしてきているのだ。
そこだけは今更変われるかってんだ。
2014年も自分の中で変わるもの変わらないものの両方を大切にして生きていたいと思いまーす。
詩織ちゃーん。