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2019-09-03

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「今年、かき氷食べた?」と訊かれて、
 ああ一度か二度食べたんじゃないかなと答えるが、
 よくよく考えると、それは今年じゃなかったような。
 一度もかき氷を食べないで終わる夏が、
 こんなふうにあるとは思わなかった。
 質問してきた家人も、食べてないらしい。
 かき氷はぼくの夏から、端折(はしょ)られた。
 年をとると、いろんなことを端折ってしまうようになる。
 ただ忘れていたのかもしれないし、
 それは、かき氷を食べようという意欲が
 減っていたということなのかもしれない。
 あんな意欲こんな意欲が減っているのはたしかだ。
 かき氷が食べたいと大泣きしている子どもだとかは、
 もうそれだけで幸せのなかにいるのではないか。

 そういえば、ここ何年も、プールに行ってない。
 もちろん、海水浴のようなこともしていない。
 暑い夏だなと思いながら、いつもの部屋にいた。
 プールや海も、端折られていた。
 冗談じゃなく、このあと死ぬまでプールに行かないとか、
 ありえないことじゃないのだろうな。
 いつも、老人になるとあちこち痛いとか語っているが、
 ほんとうに年をとって変わったこととは、
 身体の痛いのかゆいのではなくて、
 いろんなものごとを気に留めなくなって、
 知らぬまに通り過ぎてしまうことのほうなのだ。
 よく言えば、こころの空間が広くなっているのだし、
 わるく言えば、こころが隙間だらけなのかもしれない。

・メンタルリープ研究所のツイートで
 「赤ちゃんの世界は絶えず広がり続けていて、
 そこに存在するママを始めとした
 全てに恋い焦がれているので…」という文を見つけた。
 すごいなぁ、うらやましいなぁ。
 「全てに恋い焦がれている」赤ん坊たちよ、
 成長して、君たちの恋が少しずつ破れていくにしても、
 そんな季節があったことは、きっと記憶に残るよ。
 ぼくも、そんな赤ん坊だったことを信じたいな。
 それにしても、いいことばだなぁ。
 「世界の全てに恋い焦がれている」だって。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
でも、この老人も、新しいこといっぱい計画しているんだ。


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