ウルムチ事件直後の無差別拘束・逮捕運動で逮捕された高校生が監獄で拷問死
RFA 2011.11.30 | 翻訳・掲載:2011.12.02
2009年7月のウルムチ大虐殺事件直後から監獄生活を送っていた青年ヌルル・イスラム・シャルバズ氏(写真)が、2011年11月13日にウルムチの監獄で拷問死した。父親のシャルバズ氏が明らかにした。
ウイグルで生まれ育ったヌルル・イスラム・シャルバズ氏(1992年1月16日生まれ)はウイグル人の母親とパキスタン人の父親を持っており、2009年7月にウルムチで抗議デモが起きだ際に、ウルムチ市第3高校の優秀な学生(当時17歳)だった。
中国当局が2009年7月5日に起きたウイグル人学生らの平和的なデモに血の鎮圧を加えた後、ウイグル人を対象とした無差別拘束・逮捕運動を実施し、ウイグル人を大量に逮捕していた。そして、そのうち30人以上の死刑判決を明らかにしたものの、それ以外に一体どれだけのウイグル人が罰せられたのかに関する詳細な情報は今でも隠し続けいている。評論家たちの間では、ウルムチ事件関連で刑罰を受けたウイグル人が数千人にのぼり、監獄で拷問死している人も少なくないとの見方が強い。
ヌルル・イスラム・シャルバズ氏もその時の無差別逮捕運動で2009年7月29日に逮捕され、2010年4月13日にアクス地裁により終身刑の判決を受けていた。
父親の話によると、ヌルル・イスラム・シャルバズ氏が2010年4月13日にアクス地裁により終身刑の判決を受ける前に、ウルムチにある「西山監獄」で8ヶ月間を過ごしていたが、アクスでの裁判の後「ウルムチ第1監獄」へ移された。息子への判決が不当だと主張し、関係機関へ訴えを行っていた時、父親自身が中国当局に拘束され、2010年6月10日に強制的にパキスタンへ出国させられた。その後、父親が息子との面会を求め、パキスタンにある中国大使館に何度もビザの申請をしたが、全て拒否された。
父親のシャルバズ氏が強制的に出国させられてから、母親のパシャアイムさんに二回だけ息子との面会が許された。そして、2011年11月14日午前11時に、家族が警察当局から監獄の息子が死亡したとの知らせを受けた。
父親によると、息子の遺体を引き取りパキスタンに埋葬することを強く求め、イスラマバード当局と北京当局の両方に必死で働きかけた結果、北京にあるパキスタン大使館は遺体を無償でパキスタンまで運んであげることを表明した。しかし、中国当局はこの要求を拒否するだけではなく、遺体を現地の母親にも引き渡さず、11月16日に一方的に埋葬してしまった。
父親のシャルバズ氏は、中国当局が息子の遺体をパキスタンへ引き渡さなかった理由について、「息子の遺体がパキスタンへ運ばれて来たらその死因が医学的調査で明らかにされ、中国当局の残酷な姿が世界に曝されることになるので、中国当局がそれを恐れたから遺体の引き渡しを拒否した」と指摘した。シャルバズ氏は更に、息子が中国当局による毒性の注射で殺された可能性もあると指摘した。
シャルバズ氏は、息子が監獄生活を送ったウルムチ市第1監獄についてこれまで得ていた情報をRFAに告白し、監獄の生活環境があまりにも酷く、特にウルムチ事件関連で投獄されていたウイグル人に対する拷問も日常的に行われているため、監獄で命を落としたウイグル人男女が多数でていると指摘した。
http://www.rfa.org/uyghur/xewerler/tepsili_xewer/xitay-tumiside-11302011172526.html
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