#38 害虫駆除もメイドの仕事
晴れていたはずの空はいつの間にか曇っていた。照明光度を落としたうえ、青空のホログラムが曇り空に変化しているのだ。
やがて大きな雷がひとつ落ちると(雷を落とす仕掛けもあるのだ。天候操作の一環として俺にも操ることができて『より情緒的な天罰として利用可能』だとアンヘルに説明された。嫌な情緒だ)、にわか雨が降り始めた。
俺が天井を剥いちゃったせいで、今までは石の下のダンゴムシ的に安穏と生活していた隠れ里に、雨が直接降りかかる。本来、水害対策のスペースとして作られた場所のハズなんだけど、排水ポンプは当然ながらもう機能してないらしく、コンクリ床はすぐにビチャビチャになった。まあ、無視できないレベルになったら
そんな中を俺は救護所へ向かっていたのだが、突然、別れたばかりのアンヘルから通信が飛んでくる。
『賢様。緊急事態です』
「シャルロッテ様が車酔いでもしたか?」
『極めつけに怪しい何者かが接近してきます』
「なんだそりゃ。詳しく」
『女児用のパンツを頭に被りメイド服を着てハルバードを背負った若い女が戦闘用バイクに乗ってやって来ます』
………………はぁ?
「アンヘル、もう一回言ってくれ。俺の耳がおかしくなってないか確かめたい」
『女児用のパンツを頭に被りメイド服を着てハルバードを背負った若い女が戦闘用バイクに乗ってやって来ます。補足致しますと、パンツが風圧で飛ばないようリボンで結わえ付けてあります』
「よし、おかしいのはアンヘルの目か頭かこの世界だ」
『賢様、私は正常です』
「酔っ払いは『酔っ払ってない』っていうものだよ、アンヘル」
……まぁ、悲しいことに、多分アンヘルは正常なんだろうけど。
「あー……榊さん。そういうのって流行ってたりするの?」
「い、いえ……異常です」
だよなぁ。
そんなもんが流行してる世界だったら、俺、本気で嫌になって世界を滅ぼそうとするかも知れない。
緊急事態は緊急事態かも知れないが、だからって俺にどうしろと。
……世界は広いんだ。俺には理解できないもの……例えば、ハルバードを担ぎパンツを被ってバイクに乗るメイドが居てもいいじゃないか。自由とはそう言う事さ。
とか半分現実逃避していた俺を、アンヘルからの第二報が引き戻した。
『……装甲車、大破。戦闘不能』
「うえっ!? ちょ、間を説明してくれ!」
『正面から突っ込んできたパンツメイドがハルバードで機関部を両断致しました。私の地点に『千里眼』を使用してください』
えーと……死にかけて30世紀のディストピアに復活した事よりも僅差で信じがたい話なんですけど。
とにかく俺はアンヘルを起点に『千里眼』を発動。
すると、上空視点から見えたのは……
草原を突っ切る道のど真ん中で、腹の辺りを深々と切り裂かれて横転している装甲車。
そして、アンヘルが言った通りの姿をしたハルバードパンツメイドonバイクの姿だった。
「……世も末だ」
俺は呆然とつぶやいた。
「相手の目的は何だ、アンヘル!」
『不明です。突然攻撃されました』
「神を『救出』しに来た教会の追っ手では?」
「だったらまだ良いんだが!」
それならそれで、なんでパンツメイドを単騎で寄越したりするんだ? 訳が分からん。
かと言って、他に何なのかと言えば想像も付かないわけで……
あの場で、何か取り返しが付かない存在があるとすればシャルロッテだ。
装甲車はまあ惜しいが換えはある。アンヘルのボディに至ってはなおのこと。
もしシャルロッテが誘拐されたり、あまつさえ殺されたりしたら……第一にそんなのはヤだし、第二に、貴重な協力者を失うことになる。
「勝てそうか、アンヘル」
『装甲車を失った今、私が戦闘を行って勝利する可能性は、誤差として無視できるレベルであると述べざるを得ません』
「だよな……」
俺はすぐに腹をくくった。
「榊さん、俺、ちょっと見に行ってくる。ひとりなら高速で飛べるし」
「わ、私は……」
「榊さんは俺が戻るまで、救護所の手伝いをお願い。任せちゃって悪いけど」
「い、いえ! 大丈夫です! お任せください!」
指示を出された途端にピシッとかしこまる榊さん。
ただ置いていくんじゃ足手まとい扱いだもんね。さすがにそれはちょっと酷い。
それに、俺が戻るまで代わりをしてもらえれば助かるのも確かだ。『眷属』である榊さんは俺に及ばないまでも、常人離れした
「じゃ、頼んだよ!」
「はい。勝利を疑いはしませんが……どうぞ、ご無事で」
その言葉に送られて、俺は雨空へと弾丸のように吹っ飛んでいった。
* * *
『謎のメイド、車内へ侵入。応戦します』
『申し訳ありません、
『内部音からの推測ですが、謎のメイドはシャルロッテを抱え上げた模様。おそらく身柄の奪取が目的かと』
人間の限界を超えた全速力で俺が飛んでいく俺の耳に、刻々と悪化していく実況中継が届く。
俺の目の前には千里眼画面がコクピット表示され、そこには今まさに、横転した車内から姿を現した変態が映し出されていた。
小脇に抱えられたシャルロッテはぐったりと脱力している。一見、怪我は無さそうだが、横転の衝撃で気絶したのか、それとも謎のメイドに……
「アンヘル、10km圏内までカウントダウンしてくれ!」
『了解致しました。8,7,6,5……』
魔法の圏内に入るまでの僅かな時間で俺はどうすべきか考えた。
当然、まずは逃走の阻止。安全な拘束。シャルロッテの保護。
それを……できれば一塊の
『……2,1,コンタクト!』
「行け、ナノマシン! 理解・分解・再構築! 鎖になれ!」
ごめん、本当は理解とかしてない。鉄が『Fe』である事は知ってる。
ちょうどメイドはシャルロッテを抱え、バイクに乗ろうとしていたところ。
そいつは怪しい気配を察したのか、横転した装甲車の方を振り向くが……遅い!
装甲車はナノマシンによって分解され、数千本の鎖へと再構成されていく。それが蛇のように、謎のパンツメイドに向けて跳びかかった!
『なっ!?』
まずはシャルロッテの胴体に鎖が絡みつき、メイドは驚いた声を上げる。
だがこのメイド、ひと味違った! 瞬時の判断で、背負ったハルバードを抜き打つ!
ギィン!
シャルロッテに巻き付いていた鎖が、十本くらいまとめて断ち切られた!
小さな体から、ぼろぼろと鎖の残骸が剥がれ落ちる。
……まあそれは十分すごいんだけど、こっちは物量作戦なんだよなあ。
巨大な装甲車を分解した鎖は、十本切られる間に百本押し寄せるようなレベルで、すぐにシャルロッテを引ったくった。
『ああっ!』
追いすがる変態メイドの手を振り切って、うねる鎖がシャルロッテの体を吊り上げる。
そしてシャルロッテの体が安全圏まで逃れたと判断した瞬間、俺は残りの鎖をメイドに襲いかからせた。
『くっ……!』
バイクにまたがったままという中途半端な体勢のメイドを、大量の鎖がバイクごと縛り上げていく。ハルバードなぞ振り回して抵抗しちゃおりますが……大量に押し寄せる触手みたいなものを相手にして、戦うお姉様(姫騎士とか)が勝てるわけないってバイト先の兄ちゃんが言ってた気がする。
雁字搦めに動きを封じ、さらにその上から巻き付いて、バイクと変態メイドを縛り上げた鉄の雪だるまが形成されていく。
そこで、飛行中だった俺がついに追いついた。
「うおおおおおおおおおお!!」
そして……鎖のコントロールに必死になっていた俺は飛行を制御できず、高速で地面に衝突し人型の穴を開けた。
……もはやギャグだな、この頑丈さ。でもさすがに痛いぞ。
地面が揺れて土埃が立つ。それが晴れる前に何とか俺は起き上がった。
「……ふぅ。どもこんちわ」
初対面の相手なので、ひとまず挨拶。
向こうは全身拘束された状態ながら、燃えるような目で俺の方を睨み付ける。
鎖巻きにされて首から上しか見えてないんだけれど……この変態メイド、かなりの美人。ミステリアスな雰囲気のお姉様という感じ。ただ、感情表現が過激なタイプ。そこは徹頭徹尾クールな、どこかのポンコツAIとは対照的だ。バイクでかっ飛ばしてきたはずなのに、長い栗色の髪はさらツヤだった。
これで頭に女児パンツを被ってなかったら……という感じなんだが。風で飛ばないようにリボンでくくりつけてあるのがなんとも言えない。なんだこれ、まさかヘルメットのつもりなのか? 今年のパリコレの目玉ファッションだったりするのか?
「額の
「……知ってる奴か、お前」
睨みながら憎々しげに言う変態メイド。
俺は警戒レベルを引き上げた。見た目は明らかにおかしいが……こいつは神の真実を知っている。
基地司令官ですら知らなかったそれを知っているとなると、どう考えてもコイツはただ者じゃない。
いや、ただ者じゃないのは分かってるんだけどそういう意味じゃなくて、ただの変態だと思って侮ると危ない気がする。ハルバードみたいな原始的な……百歩譲ってもファンタジーRPG的な武器で装甲車を倒すなんてどう考えても常識外だ。拘束してはいるけれど、髪の毛が蛇になって襲いかかってくるとかいう可能性もゼロじゃない気がする。
俺は変態の方を注視しつつ、鎖で吊り上げていたシャルロッテを下ろして抱き留めた。
鎖をほどくと、なんか妙に軽くて柔らかい感触だけを腕に感じる。
間近で様子を見ても、やっぱり寝てるようにしか見えないんだが……
「えーっと……これって大丈夫なのか、アンヘル?」
『装甲車の横転時に衝撃で気絶したようです。乗員保護用の緩衝機構とシートベルトによって安全は保たれたものと思われ、怪我をした可能性は低いと思われます』
「それはよかった」
そこで俺は、突如、冷蔵庫でキンキンに冷やした包丁を首筋にくっつけられたような気がして変態メイドの方を見た。
……やばい。何か知らんがやばい、と、俺の勘が告げている。
別にさっきまでと同じ、ただ俺を睨んでいるだけのハズなのに……圧が違う。
「……あー、どこのどいつで何が目的か、洗いざらい喋ってもらうよ。
安心してくれ、大人しく吐いてくれるんなら危害を加える気は……」
「その手を、放せ、下郎……」
……やばい。
何がやばいかよく分かんないけどやばい。
こんな美人の口からどうすりゃこんな声が出るんだという、地獄の底からあふれ出すゴキブリの大群の足音みたいなおぞましい声色に、俺は全身の産毛が逆立つ想い。
「貴様如き……シャルロッテ様のお体に触れること、まかりならぁん!!」
バギャアアアン! と、いっそマンガ的な擬音語で表現するしかないような音がした。
「はぁ!?」
内側から引きちぎられたように鎖の塊が吹き飛び、辺り一面に散らばった。