「泳げない人間は沈めろ」「労働者は年収100万円以下で当然」
非情な言葉を口にする一方、自分はこれといった苦労も努力もした事はない。

引用:http://i.huffpost.com/gen/1415832/images/o-UNIQLO-YANAI-facebook.jpg
日本有数の資産家になった柳井正のユニクロは、その始まりが元非合法組織の構成員で、解放運動とも深い関わりを持っています。
柳井正は事あるごとに労働者を侮辱したり、日本人を批判する発言をしているが、そのルーツは江戸時代の身分制度にありました。
柳井一族の出自
柳井正は父親からユニクロの前身「メンズショップ小郡商事」を受け継いだが、元は叔父の「小郡商事」が始まりだった。
柳井の叔父の柳井政雄は日本の部落解放運動の活動家で、解放運動から政治家に転じ、山口県議会議員を勤めました。
中央政界にも人脈があり、山口出身議員の後援会会長をつとめ、総理府同和対策協議会や同和対策審議会委員も勤めた。
1949年に「メンズショップ小郡商事」として独立店舗を開業して1972年に現在の社長の柳井正が入社しました。
柳井政雄の叔父(つまり柳井正の父の叔父でもある)柳井傳一は部落解放運動の先駆けである全国水平社の創設メンバーでした。
全国水平社は1922年に創設された部落解放組織で、江戸時代の身分制度の最底辺に位置した人たちの集まりとされています。
日本の慣習や制度を打ち破る事を信条とし、自然に反政府活動や日本人に批判的な人と協力するようになった。
水平社は水平(平等)より権力を握って日本の支配層を目指す運動に変化し、部落解放同盟に変化していきました。
つまりユニクロとは部落解放同盟の創設に参加した一族が創業した会社であり、柳井一族は筋金入りの部落運動活動家という一面を持っています。
社長の柳井正の数々の反日発言や、日本と日本人を敵視する思想、言動は柳井一族の出自から受け継いでいます。
言うまでもなく現代の柳井正も父や叔父から、解放運動人脈を受け継いでいると考えられる。
ユニクロ前史
1984年に「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」を開店しユニクロになり、直後に柳井正が社長に就任しました。
実質的に「ユニクロ」方式の店舗を始めたのは柳井正だという事が分かります。
創業者で叔父の柳井政雄は、父が部落出身者だったらしく牛馬商を営み、父の手伝いをした後、京都の板前の兄の元で働いた。
だが隣の犬を刃物で傷つける事件を起こして首になり、山口県の炭鉱で働くうちに裏組織の組員になった。
数々の事件を起こした後に23歳で足を洗い、解放同盟の叔父、柳井傳一から資金援助を受けて簡易宿舎を始めた。
これが1932年の事で、当時の500円(現在の100万円相当)を元手に木賃宿、材木商、運送業と事業を広げて行った。
この頃の柳井政雄は足を洗ったとは言っても元組織の一員であり、荒っぽい男達を雇って働かせていたのは想像に難くない。
柳井政雄は1946年に日本社会党公認で山口市議、次いで山口県議会議員に当選したが、むろんクリーンな政治とは無縁な活動をしていた。
非合法組織や部落運動に顔が利き、警察にも通じていて事業で得た金もあり、金権政治を地で行っていた。
選挙で後押ししたのは後に部落解放同盟となる水平社の叔父、柳井傳一だった。
因みに「餃子の王将」を創業した加藤朝雄とユニクロを創業した柳井政雄は共に部落出身で、解放運動を通じた友人だったと言われている。
柳井政雄は貧乏臭い社会党とは合わずに仲たがいし、総理の佐藤栄作から誘われて自民党系で解放運動を始めた。
このように現在「ファーストリテイリング」という名前の会社の始まりは、実は組織の親分と部落解放運動が始まりだった。
柳井正の信条「泳げない人間は沈める」
このような一族の遺伝子は柳井正にも脈々と受け継がれていて、日本人への憎悪と日本という国への憎しみは隠しようが無い。
ユニクロはブラック企業として有名だが、その現状はどういう物なのか、元従業員らの告発から知る事ができる。
柳井正は「泳げない人間は沈める」「企業には年収100万以下と1000万円以上の人間しか必要ない」など数々の名言を残して来ました。
柳井の父と先祖は最底辺労働者であり、そこから這い上がるために解放運動をしていたのだが、自分が支配層になると労働者を貶めた。
ファーストリテイリングは『ユニクロ帝国の光と影』という本を告訴したが裁判で敗れ、書いてある内容は事実だと裁判所が認定しました。
ユニクロを批判するマスコミや告発者には、高額賠償金をチラつかせ、批判させないようにしているとされている。
『ユニクロ帝国の光と影』によるとタイムカードを押して退社したように見せかけ、月300時間以上の労働をさせていた。
これに対し柳井正は「人より良い生活がしたいのなら、頑張らないと賃金は上がらない」などと述べ、質問しても話をはぐらかすのが特徴です。
「経営者になれない人間は賃金100万円以下になり、賃金を上げたいなら頑張らないといけない。」が口癖である。
ユニクロでは社員は朝7時に出勤し、夜10時過ぎに退社するのが常態化していて、しかも残業はしていない事にしていました。
ユニクロでは「フルボリューム開店」する事になっていて、開店した時点で棚に「隙間」があったらペナルティを受けたり叱責される。
前日に売れた分を朝10時まで完璧に並べなおさねばならず、朝7時に出社しなければならないという訳です。
勤務中は制服としてユニクロ製品の着用が義務付けられているのに、服は買い取りで店が補助をしたりはしない。
しかも毎日同じ服を着てはいけないので、ユニクロで働くとユニクロをどんどん買わされます。
努力しろが口癖の柳井正は入社した時点で重役であり「賃金を上げるための努力」なる物を自分はしていない。
非情な言葉を口にする一方、自分はこれといった苦労も努力もした事はない。
引用:http://i.huffpost.com/gen/1415832/images/o-UNIQLO-YANAI-facebook.jpg
日本有数の資産家になった柳井正のユニクロは、その始まりが元非合法組織の構成員で、解放運動とも深い関わりを持っています。
柳井正は事あるごとに労働者を侮辱したり、日本人を批判する発言をしているが、そのルーツは江戸時代の身分制度にありました。
柳井一族の出自
柳井正は父親からユニクロの前身「メンズショップ小郡商事」を受け継いだが、元は叔父の「小郡商事」が始まりだった。
柳井の叔父の柳井政雄は日本の部落解放運動の活動家で、解放運動から政治家に転じ、山口県議会議員を勤めました。
中央政界にも人脈があり、山口出身議員の後援会会長をつとめ、総理府同和対策協議会や同和対策審議会委員も勤めた。
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実業家としても成功し、38歳で1946年「小郡商事」を創業、弟の柳井等(柳井の父)が洋服事業を担当していた。1949年に「メンズショップ小郡商事」として独立店舗を開業して1972年に現在の社長の柳井正が入社しました。
柳井政雄の叔父(つまり柳井正の父の叔父でもある)柳井傳一は部落解放運動の先駆けである全国水平社の創設メンバーでした。
全国水平社は1922年に創設された部落解放組織で、江戸時代の身分制度の最底辺に位置した人たちの集まりとされています。
日本の慣習や制度を打ち破る事を信条とし、自然に反政府活動や日本人に批判的な人と協力するようになった。
水平社は水平(平等)より権力を握って日本の支配層を目指す運動に変化し、部落解放同盟に変化していきました。
つまりユニクロとは部落解放同盟の創設に参加した一族が創業した会社であり、柳井一族は筋金入りの部落運動活動家という一面を持っています。
社長の柳井正の数々の反日発言や、日本と日本人を敵視する思想、言動は柳井一族の出自から受け継いでいます。
言うまでもなく現代の柳井正も父や叔父から、解放運動人脈を受け継いでいると考えられる。
ユニクロ前史
1984年に「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」を開店しユニクロになり、直後に柳井正が社長に就任しました。
実質的に「ユニクロ」方式の店舗を始めたのは柳井正だという事が分かります。
創業者で叔父の柳井政雄は、父が部落出身者だったらしく牛馬商を営み、父の手伝いをした後、京都の板前の兄の元で働いた。
だが隣の犬を刃物で傷つける事件を起こして首になり、山口県の炭鉱で働くうちに裏組織の組員になった。
数々の事件を起こした後に23歳で足を洗い、解放同盟の叔父、柳井傳一から資金援助を受けて簡易宿舎を始めた。
これが1932年の事で、当時の500円(現在の100万円相当)を元手に木賃宿、材木商、運送業と事業を広げて行った。
この頃の柳井政雄は足を洗ったとは言っても元組織の一員であり、荒っぽい男達を雇って働かせていたのは想像に難くない。
柳井政雄は1946年に日本社会党公認で山口市議、次いで山口県議会議員に当選したが、むろんクリーンな政治とは無縁な活動をしていた。
非合法組織や部落運動に顔が利き、警察にも通じていて事業で得た金もあり、金権政治を地で行っていた。
選挙で後押ししたのは後に部落解放同盟となる水平社の叔父、柳井傳一だった。
因みに「餃子の王将」を創業した加藤朝雄とユニクロを創業した柳井政雄は共に部落出身で、解放運動を通じた友人だったと言われている。
柳井政雄は貧乏臭い社会党とは合わずに仲たがいし、総理の佐藤栄作から誘われて自民党系で解放運動を始めた。
このように現在「ファーストリテイリング」という名前の会社の始まりは、実は組織の親分と部落解放運動が始まりだった。
柳井正の信条「泳げない人間は沈める」
このような一族の遺伝子は柳井正にも脈々と受け継がれていて、日本人への憎悪と日本という国への憎しみは隠しようが無い。
ユニクロはブラック企業として有名だが、その現状はどういう物なのか、元従業員らの告発から知る事ができる。
柳井正は「泳げない人間は沈める」「企業には年収100万以下と1000万円以上の人間しか必要ない」など数々の名言を残して来ました。
柳井の父と先祖は最底辺労働者であり、そこから這い上がるために解放運動をしていたのだが、自分が支配層になると労働者を貶めた。
ファーストリテイリングは『ユニクロ帝国の光と影』という本を告訴したが裁判で敗れ、書いてある内容は事実だと裁判所が認定しました。
ユニクロを批判するマスコミや告発者には、高額賠償金をチラつかせ、批判させないようにしているとされている。
『ユニクロ帝国の光と影』によるとタイムカードを押して退社したように見せかけ、月300時間以上の労働をさせていた。
これに対し柳井正は「人より良い生活がしたいのなら、頑張らないと賃金は上がらない」などと述べ、質問しても話をはぐらかすのが特徴です。
「経営者になれない人間は賃金100万円以下になり、賃金を上げたいなら頑張らないといけない。」が口癖である。
ユニクロでは社員は朝7時に出勤し、夜10時過ぎに退社するのが常態化していて、しかも残業はしていない事にしていました。
ユニクロでは「フルボリューム開店」する事になっていて、開店した時点で棚に「隙間」があったらペナルティを受けたり叱責される。
前日に売れた分を朝10時まで完璧に並べなおさねばならず、朝7時に出社しなければならないという訳です。
勤務中は制服としてユニクロ製品の着用が義務付けられているのに、服は買い取りで店が補助をしたりはしない。
しかも毎日同じ服を着てはいけないので、ユニクロで働くとユニクロをどんどん買わされます。
努力しろが口癖の柳井正は入社した時点で重役であり「賃金を上げるための努力」なる物を自分はしていない。
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親分は災害なんかがあれば、ポーンと気前よく物やお金を提供し、人心を掌握したのでしょう。
要するに昔の89383。
なので、この件は封印された黒歴史になってます。
ただ、小郡商事時代の「OS」ブランドのファッション性は本物で、本当に優秀なデザイナーがいたのは間違いないです。