#30 いわゆるボーナス的義務
街の外れには大きな川があった。
何やら川の反対側は水墨画めいた岩山状になっていて、事実上そこが街部の終端という感じ。
街の隣にいきなり中途半端な高さの岩山(天井に付かない高さだから必然的にハンパだ)というのはアンバランスな、あるいは作り物めいたテーマパーク的景色と言えなくもないが、確かに景色は悪くない。建物と人がぎっしり詰まった街の中から出てくると、そのコントラストでなおさら雄大に見えようというもの。
ただ一点、問題を無視すればだが。
「ガイドよ。臭いぞ。臭くてたまらぬ」
「……おっかしーなー。前はここまでひどくなかったと思うんだが」
レオン氏は頭を掻く。
感想は一言でいい。『臭い』。以上。
なんか嫌な感じに濁った川の水は、対岸の岩山を映し出す金閣寺的エフェクトを偶然にも見せているが、いくら目で見て美しい景色でも『ここに居てはヤバイ』と俺の鼻が叫んでいる。
水辺に跪いたアンヘルは、どこからともなく紙コップを取り出し、そいつでおもむろに水を汲む。
そして……飲んだ。
「飲むのかよ!」
「真似はなさらないでください」
「しないって」
「環境ホルモン、重金属、水棲サイバネ生物の循環液などは確認できません。浄化不純による富栄養化が問題のようです」
「分析できるんかい」
「なお、体内に摂取したサンプルの毒性、および含まれる微生物などは代謝ナノマシンによって既に浄化されました。私は清潔です」
「お、おう」
念を押すアンヘル。さすがに不潔だとは思われたくないようだ。
まあ『誤解があっては俺の判断に誤りが出かねないから……』とか考えてそうだけど。
レオン氏はアンヘルの分析を聞いて唸る。
「最近、この街の上水道は……祝福的で全然全く問題無いんだが味はいまひとつで、因果関係は不明だが飲んだ時に偶然腹を壊しかねない可能性がある。沸かしてから飲むか、余裕があるなら合成水を買うべきだな。
もちろん教会は完璧かつ祝福的に上下水道を管理していて何の落ち度も無いぞ」
レオン氏、奥歯に物が挟まったような言い方だ。
水質の悪化による、市民生活への悪影響。
これは教会の神様を本物と信じ込んでる方舟の住人から見ても、天災(この場合は水質悪化ね)を収めるべき神の無能と、水質の悪化に対処しきれない上水道管理者としての責任が教会に課せられる。
もちろん本当の責任は真の神を殺し続けていることだが……要するにこれも方舟のメンテ不良で水質が悪化したのが問題だ。
「それで、貸しボート乗ってくかい? ニオイさえ我慢すりゃ、景色は本当にいいんだ」
レオン氏は川縁の小屋を示す。
観光地の湖なんかにありがちな貸しボート屋だ。小さな船着き場には10人くらい乗れるメカニカルミニクルーザーみたいなボートから、金メッキ銀メッキで神々しい装飾が為され両目が光る神聖アヒルさんボート(デザイナーは電子ドラッグをキメていたに違いない)まで係留されている。
悪臭がひどい状態でも意外に客入りは悪くないようで、ガスマスクを付けた根性ある連中がボートで川にこぎ出していた……って、ガスマスク?
後でアンヘルから聞いたがどの家にも人数分ってレベルで浸透してるらしい。ガスマスクを付けてふたりでボートに乗ってるカップルが良い雰囲気っぽくて未来感。よくその顔でロマンチックな気分になれるな……
「しかしこのニオイでは」
「失礼」
進み出たのは、さっきから殺気を抑える事に集中していた榊さんだ。
手の甲を、つまりそこに嵌められた
「成功したようですね。
「おおっ! 手の甲のそれ、やっぱり
すっごいなー、
……俺も
大げさに感心してから溜息をつくレオン氏。忙しいやっちゃ。
って言うか
「こんな事ができるんだったら、この川の水を全部綺麗にできたりもしない?」
「それは……」
軽口めかしてレオン氏は言う。それに榊さんは首を振った。
「……私には、できません」
『できません』……ただし能力的に不可能とは言ってない。
あれだけデカイ山の形すら変えられる、眷属の
榊さんがそれをしなかった理由は、第一に、一般
「だよな……無茶言った」
もっともレオン氏は単に不可能だという意味で受け取ったようだ。
そして小さな声で呟く。
「今度の神様は、水をよくしてくれるかなあ」
シャルロッテが身をこわばらせていた、ような気がした。
* * *
『奉仕活動中の皆様、こんにちは!
侵入した魔物の駆除、ご苦労様です。奉仕活動の参加者には1功徳点、魔物の侵入を発見しながらこれに対処しなかった市民にはマイナス5功徳点が付与されます!
なお、皆様は教会からの命令ではなく、自主的かつ祝福的な意志の元にこの活動に参加しております』
「うぎゃああああ!!」
「ぎえええええ!」
「ぎゃああああああ!!」
『ゆえに教会に責任はございません!』
湧き起こる阿鼻叫喚! 飛び散る水しぶき! ……だけじゃない、明らかに赤いものが混じってる!
そして付近のスピーカーからはとんでもなくのんきな調子のアナウンス!
浅瀬で暴れ狂う、ワニのような牙を持つ巨大ナマズの群れ。そしてそれに必死で対処する武装した市民……
状況を整理しよう。俺たちはボートに乗って川にこぎ出した。一番料金が高いメカニカルミニクルーザーみたいなやつだ。AI自動運転で曖昧な指示でもちゃんと解釈してくれるニクい奴。
すると突然川際のスピーカーから警報サイレンが流れ、川を遡上する人食い大ナマズみたいなもの数匹の群れが現れた。魔物だ。
「落ち着いてくれ。あいつらは水際に居る奴らを襲う。このままじっとしてれば安全なんだ」
そう言うレオン氏に従い、ぷかぷか浮かぶボートの上から魔物の動きを眺めていた所、悲愴な顔をした市民の皆様が集まり始めたのだ。手に手にレーザーガンや猟銃、宇宙戦争ロボット風サイバーモリみたいなものまで持った彼らは川沿いの住人など。
そして彼らは魔物相手に絶望的な戦いを始めたのであった。
「痛ぇええええ!」
「下がってろ!」
「やっぱり銃弾は通じねえ!」
「口ん中狙え!」
「誰か口開けろ!」
「私は祝福的で心穏やかです」
漁船作業員のごとき出で立ちの皆様は、浅瀬で巨大ナマズと命懸けで格闘中。
「これだから川沿いには住みたくないんだよなあ……」
というレオン氏の小さな独り言を俺はしっかり聞いた。
……志願制と言いつつ実際には行かなきゃヤバイやつだコレ。
「私は祝福的で心穏やかです」
目の焦点合ってないオッサンが穏やかな表情で巨大ナマズに襲いかかり、逆に飲み込まれていく。飲み込まれながらも巨大ナマズをナタで斬り付けているがウロコが火花を立てるだけだ。
「また『良い子ルーム』経験者が特攻しやがった!」
「またかよ! 他所の住人なのに手伝ってくれるのは有り難いけどよ、これじゃ仕事増えるだけじゃねーか!」
「そいつらまで助けてるヒマは無ぇ! 痛がってる奴から助けろ!」
イカれた目つきのオッサン、死にものぐるいで戦うボランティア達に見捨てられる。
見殺しにするのも心苦しいので、とりあえず俺はこっそり
そんな事をしている間にも、ビシッとスーツで決めたセールスマン達が水辺からメガホンで声を張り上げている。
『皆様、サイバネ、機能美溢れる素敵なサイバネはいかがでしょうか。サイバネはあなたの街のサイバネショップ・ガルガンチュアチェーンへ』
『指一本から肝臓まで! 培養肢・培養臓器移植のキノシタバイオテックをよろしくお願いします! 今ならご新規様割引実施中!』
リーマンズの傍らには『いつもニコニコ・輸送料金前払い』と車体に大書きされた救急車が駐まり、お揃いのガスマスクを付けて酸素ボンベ・AED・明らかにヤバイ蛍光色の薬品が入った注射器を構えた救急隊が待機している。ひどい。
このような魔物退治への市民動員……もとい、祝福的ボランティア行為に乗じた商売は本来禁止されているが、彼らは営業中に偶然通りかかっただけであり、付け加えるなら管轄の警察署口座に振り込まれた寄進とも何の関係も無いそうだ。さらにひどい!
ふと気が付けばシャルロッテ様は額を抑え、魔物討伐の大騒ぎを睨み付けている。額って言うか、額に付けた
俺の目は重なった二つの映像を見ていた。
ひとつは、モブっぽい顔の女の子が額に手を当てているだけの姿。これはシャルロッテが持ってるホログラム変装装置の見せる幻だ。
もうひとつは真の姿。金髪美少女が額の
よく見ると大ナマズの体の表面で、時々火の玉が弾けている。
榊さんに目配せすると、シャルロッテの方をちょっと見て頷いた。……あれをやったのはシャルロッテだ。大騒ぎをしているボランティア戦闘員の皆さんは介入に気が付いていない。向こうにも
火の玉が攻撃用の
っつーか明らかに水属性の相手に火の魔法では微妙なのがこの世の真理でしょーに。しかも飛び散る水しぶきに炎はかき消され、思ったように威力を発揮できていない。さてはこいつ、
さて、別にこの状況、俺も座視しているつもりは無い。
タイミングを見計らっているだけだ。
折良く、
「よし、押さえてろ!」
ショットガンを構えたおじさんがナマズの口めがけて発砲!
……今だ。
ギシュウウウウウ!
名状しがたい悲鳴を上げてナマズは飛びはね、口から煙を噴いて大人しくなった。
「よっしゃ!」
「一匹仕留めたぞ!」
「私は祝福的で心穏やかです」
駆除の進展を喜び合うおっさん達。
まあこれ、倒したのは俺なんだけどね。
内臓だけをズタズタに切り刻むという、グロすぎて人間相手にはちょっと使いたくない
破壊の規模こそ小さいが、複雑な命令を込めた
ナマズが死んでもおかしくないように見えるタイミングで、こっそり
その後も俺はだいたい同じような調子で、こっそりとナマズ魔物を仕留めていった。呑み込まれ掛けていたオッサンも、戦いに余裕ができたからか助け出されている。
……俺がそうやっている間にも、火の玉攻撃が止むことは無かった。
真剣なまなざしで水辺の戦いの方を見ているシャルロッテは、俺が小細工をしていることには全く気が付いていないようだった。