【芸能・社会】〈記者メモ〉藤井聡太七段 感慨深かった谷川戦 あのコラムから1566日2019年9月2日 12時0分
あの日から1566日―。何とも感慨深い対局だった。1日の王将戦2次予選決勝・藤井聡太七段(17)―谷川浩司九段(57)戦だ。 あの日とは2015年5月19日。藤井七段の師匠・杉本昌隆八段(50)にお願いしたコラム「愛縁棋縁」の第1回が中日スポーツに掲載された日だ(同コラムは後に「藤井聡太ウオッチ」と改題、不定期掲載に)。この時、藤井七段はまだ中学1年の奨励会二段だった。事前の原稿打ち合わせの際、杉本先生はこう話していた。 「記念すべき第1回ですから、とっておきの藤井ネタを出しますよ」。そのネタこそがあの逸話だった。そう、当時8歳だった藤井少年が名古屋のイベントで谷川九段に二枚落ちで教わった時、入玉した谷川九段からの温情ドロー提案に号泣したというエピソードだ。その原稿を拝見した時、先生に「この話はやがて伝説となって日本中で知らない人がいなくなりますよ」と伝えたのを覚えている。 今思えば、先生があの話を真っ先に持ち出したのには深い思いが込められていたのだろう。先生にとって最も忘れられないシーンは同時に、藤井七段の資質をくっきり映し出す鏡でもあった。藤井七段の場合、資質とはもちろん天下を取るためのそれを指す。 将棋が大好きで、いつまでも憧れの谷川九段と指していたいとの思い。それに加えて尋常でないのが、刀折れ、矢尽きるまで絶対に諦めないとの勝負根性―。先生は常々言う。「たとえ瞬間的には天才的な切れ味を見せても、勝負に淡泊だったり、ムラがあったりする人は安定した成績を残せない。才能だけでは天下を取れないのがこの世界。最後はメンタルが物を言うのです」 「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」。藤井七段は突出した才能だけでなく、頂点に立つ上で最も大事な資質を8歳にして兼ね備えていた。それを示すのが号泣エピソードだったのだ。 「早く公式戦で対戦できるようになって、あの時の谷川九段の厚意に報いてほしい」。コラムの中で先生はそう書いた。藤井―谷川戦が始まった1日午前10時、その一節が思い起こされ、記者の胸にも去来するものがあった。(海老原秀夫)
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