前回の寄稿文(https://align-with-god.org/blog/archives/429)に対し、教理研究院が改めて反論(https://trueparents.jp/?page_id=5389)を提示したが、それは率直に言って、「反論」にさえなっていない。自分たちの元の主張をそのまま繰り返しているだけだからである。或いは、「反論した」という体裁を整えるだけの目的で書かれたのだろうか?

「顯進様が第4次アダムなのではない。御言に根拠がないから。」

「顯進様は長子ではない。お父様は孝進様を長子と言われたから。」

「顯進様に祝福の祝祷権はない。それは父母様だけの特権なのだから。」

教理研究院の言わんとすることは、改めて繰り返されなくとも分かる。読者とて同じであろう。先の寄稿文はこうした教理研究院の「一面的な捉え方」に反論を提起したものだったが、それを踏まえて回答していると見られるのはせいぜい1点目(第4次アダム)だけであり、残り2点については、到底、反論とはみなし難い。堂々巡りを避けるため、2・3点目については反論という以上に、より踏み込んだ議論を提起したいと思う。

1)第4次アダムは誰か?―その原理的帰結

※「3次・4次」という言葉は見やすいよう、敢えて数字で表記する。

教理研究院の当初の批判は「第4次アダムは(顯進様ではなく)祝福家庭である」というものであった。理由は「お父様の御言にそうあるから」。その一面的主張に対し、こちらがまず指摘したのは、「祝福家庭が第4次アダムの立場に立ち得る原理的根拠は何か?」であった。

祝福家庭が「第3(次)アダム」まで続いてきた蕩減路程を越え、本然の時代を拓く「第4次アダム」の立場に立ち得るとしたら、それはひとえに、祝福家庭が「第3次アダム」(の家庭)を通して復帰された神の本然の愛と生命と血統とを受け継いだ立場だからであろう。それは「真の子女」抜きには存在し得ない立場だというのが、こちらの最初の指摘であった。

即ち、祝福家庭が「真の父母の子女」となり得る理由は、真の愛・生命・血統を受け継いだ「真の子女」が地上に誕生したからであり、その方々と「一つになる」ことで同じ立場に立つものとされたのである。また、かつて最初に「子女の時代」が謳われたのは、当時、孝進様が「真の子女」としての勝利基準を打ち立てたからであり、祝福家庭はその勝利された子女様と一つになることによって、人類の前に共にアベル圏として立ち得るものとされた。成約時代の到来にせよ、天一国時代の宣布にせよ、「真の家庭」の勝利基準が立つことを通して、またその家庭と一つになることを通して、祝福家庭がその時代を共に生きる恩恵に与ったのである。

したがって、祝福家庭が「第4次アダム」となり、本然の時代、「第4次アダム圏時代」を迎えて行けるとすれば、それは即ち、本然の立場における「真の家庭の勝利圏」が立ち、「子女様の勝利圏」が立ったからであって、その「真の家庭の三代」を中心として本然の時代を迎えていく(=祝福家庭は真の家庭と一つになることでそれに同参する)と考えるのが自然な原理観ではないだろうか?

教理研究院はこの「子女様の勝利圏」という部分を必死で否定しながらこう主張する。いや、第4次アダム圏が開かれたのはどこまでも「真の父母」の勝利圏、「真の父母」の三代圏確立によるものであって、「顯進様家庭の勝利」によるものではない、と。おかしな主張をしていることに気付かないのだろうか?

改めて尋ねたい。「三代圏確立」という概念の中に「真の子女の確立」は含まれないのだろうか? 真の父母と共に真の子女の勝利があってこそ、真の家庭の勝利であり、三代圏の勝利と言うのではないのだろうか?「真の父母の勝利」については、「お父様と共にお母様の勝利によるものだ」と主張してはばからない家庭連合の教理部が、「真の家庭の勝利」「三代圏の勝利」という場合に限って「真の子女の勝利」を否定しようとする意図は何なのだろうか? 実際、当時、顯進様家庭を除いて、どこの家庭をもって「三代圏確立」と言うことができたであろうか?

ちなみに、教理研究院は98年の就任式の意義を「真の父母を中心とする三代圏確立」(=お孫様まで3代)にあったと説明しているが、当時、強調されていたのは「神様」から見た三代圏確立であって、「父母様」を中心に公的に三代圏確立が謳われたのは2006年8月のお孫様の祝福(三代圏祝福)の時だった。(その祝福後に三代圏による世界巡回講演が行われたことを記憶している方も多いことだろう)

「アダム家庭において、神様が1代であればアダムは2代であり、アダムの息子・娘たちは3代ですが、この3代を見ることができなかったことが堕落であり、3代の歴史をもう一度起こすためのものが救援摂理と復帰摂理の完成であることを考える時、この3代を中心として天の公的な責任を任命することは天宙史的な事件と言えます」(1998.7.19、顯進様就任式でのお父様の御言)

98年の就任式は、神様から見て三代目に当たる顯進様が天の前に公的に立ったことを祝福され、喜ばれた式典であった。ここに疑問を挟む余地はないだろう。また、その顯進様の「家庭」を通して、堕落圏を越え、新しい本然の時代が始まると、お父様は語られているのである。

教育研究院は「顯進様(3代)までは蕩減復帰の道が残されている」という御言をもって、「だから顯進様は創造本然の時代を拓く第4次アダムではない」として焦点を逸らそうとしているが、三代圏の図をよくよく見直して頂きたい。(教理研究院が示した図面をベースに説明するなら下記の通りとなる)

顯進様をはじめ、子女様の立場は、お父様と共に「第3次アダムの家庭」の子女として、失われた最初のアダムの家庭を共に探し立てなければならない立場にあった。即ち「アダム家庭復帰」のための蕩減路程が残されていると言える。しかし、子女様自身が築く家庭は、3次アダム(の家庭)までの復帰路程を越え、堕落圏を越えて、本然の時代を切り開く家庭にならなければならないだろう。それを「第4次アダムの家庭」と考えるのが原理的な捉え方ではないだろうか?

教理研究院は「第4次アダムの勝利圏を受け継ぐことのできる出発がなされた」という御言の後に、お父様が「顯進の息子・娘たちのことだ」と語られたことをもって、「第4次アダムの(勝利圏を受け継ぐ)立場」とは「顯進様ではなくお孫様を指すのだ」と反駁しているが、これこそ恣意的な引用であろう。

現存する映像では、二つの御言の間は途切れており、お父様はこの時、通訳者が小声で「祝福家庭……(聞き取り不可)ですか…?」と尋ねられたのを受け、「祝福家庭とは顯進の息子・娘のことだよ。祝福4世、4代じゃないか」(축복가정들이 현진이 아들 딸 말이야, 축복4세. 4대 아니아)と言われたのであって、特に「第4次アダムがお孫様のことだ」と語られた訳ではない。さらに、御言は下記のように続く。

「…4代じゃないか。4次アダム時代を迎えることができるということだ、家庭を通して。このように堕落圏を越え、最後の清算もすべて果たし、その家庭が一つとなって、神様が1代、アダムが2代、3代全てが堕落の限界線を越えて4次アダム圏蕩減解放時代へ、地上天国時代へ越えていくことのできる境界線に立ったということは驚くべきことです」。(4차아담시대를 맞이할 수 있다는 거야, 가정을 통해서. 이렇게 타락권을 넘고 마직막 청산도 모두 다 해놓고 그 가정이 하나 되어가지고 하나님이 1대, 아담이 2대, 3대 전부가 타락 한계선을 넘어서가지고 4차아담권 탕감해방시대로, 지상천국시대로 넘어갈 수 있는 경계선에 섰다는 것이 놀라운 것입니다.)

上記の御言を見る時、顯進様が三代として立ったことをもって、アダム家庭の復帰に費やされた復帰路程を終結させ、「顯進様の家庭」から新しい時代に入っていくことを示されているのが分かるだろう。その上で、顯進様に最後の峠を越えるためにも「絶対信仰を貫くこと」を強調されながら、こう語られているのである。

たちの家庭とお息子中心としてえていくのにおいて、改めて、4アダム圏時代かうおたちがそのような上下関係、左右関係…(中略)父子関係、夫婦関係、子女関係、兄弟関係完成定着させなければならない」(너희 가정과, 네 아들딸 중심삼고 넘어가는데 있어서 재차, 4차 아담권시대를 향한 너희들이 너들이 그러한 상하관계, 좌우관계…(中略)부자지관계의, 부부관계의, 자녀관계의, 형제관계의 완성을 정착시켜야 된다.)

お父様は顯進様の家庭に、徹頭徹尾、神中心の本然の家庭として定着されることを願われた…。新しい時代を拓く家庭として、であろう。ここまで明白であるにもかかわらず、教理研究院はあくまで、「顕進様や顯進様の家庭が特に第4次アダム圏時代を拓く中心的立場にあったのではない!」と言い張るのだろうか? お父様が全祝福家庭に「創造本然の家庭」を築き、「第4次アダム圏時代」に入っていくことを願われたのだとすれば、その本然の時代を拓く中心、即ち「第4次アダム」とは、真の子女様を示し、当時、その中心として立っておられた顯進様を指すものだった…、そう見るのが原理的見解であろう。

仮に教理研究院が「顯進様は当初は第4次アダムの(中心的)立場として祝福されたが、その立場を踏み外したのだ」と主張するなら、それはまた別の話として議論に応じたいと思う。しかし、統一運動の教義と伝統を守るべき人々が、組織の立場や事情から、本来の原理観を無理に捻じ曲げたり、断片的な御言をもって、都合よく過去の摂理を塗り替えるようなことを行うのはやめて頂きたい。(つづく)

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