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竹島

October 5, 2016
わが国固有の領土 竹島

【竹島】明治36年5月、隠岐島に住む中井養三郎が現在の竹島でアシカ漁を始め、翌年には政府に竹島の領土編入及び貸与を願い出て許可されている。その後、竹島漁猟合資会社を設立し、昭和期には長男が済州島の海女を雇用してアワビ漁も行っている。

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明治37年に中井養三郎が政府に申し出た願い書には竹島の詳細地図が添付されている。竹島は東西2つの双子島であるのに韓国側にはこのような詳細図面は一切なく、実効支配を一度もしていない証明となる。 ※帝国版図関係雑件 外務省外交史料館 蔵

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昭和10年春の収支計算書に韓国人海女への報酬が記述されている。50日で1人150円という破格の待遇。 ※中井養三郎の長男が書いた収支計算書 ※アシカ漁 鑑札 ※竹島で撮影された関係者写真(右側に韓国人海女が見える) 米子市立図書館 蔵

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【竹島漁猟合資会社】 西町字指向29番地にあり 明治36年6月3日の創立にして 資本金2310円 払込金616円なり 社長 中井養三郎 ※隠岐西郷町誌 1921年 国立国会図書館 蔵

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重要な点は明治36年から代を継いで竹島で事業をしていた中井家が韓国人を雇用して竹島で漁業を行っていた点です。(無主地先占の証拠)明治36年の朝鮮半島は日本の保護国になる前の大韓帝国ですが、韓国側による竹島についての領土主張は一切ありませんでした。

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「隠岐島ヲ距ル西北八十五哩ニ在ル無人島ヲ竹島ト名ヶ島根県所属隠岐島司ノ所管ト為ス」 公文類聚・第二十九編・明治三十八年・第一巻 国立公文書館 蔵

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韓国側が現在の竹島であると主張する「于山島」についての古文書の記述 于山国が服属し毎年、産物を貢いだ。于山国は溟州(現在の江陵市)の真東の海の島にあり、別名を鬱陵島といい、百里四方ある。 ※『三国史記』巻第四 新羅本紀 智證麻立干紀

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すっかり漢字が読めなくなった韓国人は江陵市の真東の海上にあり、貢物を納めるだけの人口がある国を形成している鬱陵島と呼ばれる大きな島を竹島だと信じているらしい。

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竹島論争に入る方に「于山島」について知っておいて欲しいことがあります。朝鮮時代の古文書に于山島は二種類あって、「世宗実録地理志」「東国輿地勝覧」のいう于山島は現在の鬱陵島、「東国文献備考」「廣輿図」「海東地図」「青邱図」「大韓全図」のいう于山島は現在の鬱陵島の付属島「竹嶼」です。

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前者と後者が混在する理由は1711年、欝陵島捜討に赴いた三陟営将の朴錫昌が「欝陵島図形」を作成し、その中で竹嶼に「所謂于山島」と注記したことから、以降の多くの地図にそれが反映されたものと考えられています。 ※ 海東輿地圖 鬱陵島(竹嶼に于山の表記があるが当然90km離れた竹島ではない)

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「三国通覧輿地路程全図」に描かれた「竹島」= 「鬱陵島」。竹島は2つの小さな岩礁ですが巨大な島が描かれている。嘘を吐くのもいい加減にして欲しい。 ※「三国通覧輿地路程全図」国立国会図書館 蔵

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「三国通覧輿地路程全図」が作成されたのは天明5年(1785年)。巨大な島が描かれているが当時は竹島を松島と呼んでおり、図中の「竹島」は現在の鬱陵島。韓国側の大嘘です。 「日本の古地図を使って韓国領と立証」 - Yahoo!ニュース

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韓国人が「独島論争の決め手」と豪語する「大三国之図」。形は幼児が見ても鬱陵島。松嶋の表記は鬱陵島の付属島の竹嶼を誤記したもの過ぎない。竹島と鬱陵島は92km離れており、事実であれば92kmが3mmの縮尺となる。もう お笑いの領域。

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『此島ヨリ隠州ヲモ望 朝鮮モ見ユル』 朝鮮半島東岸部から現竹島は215kmで水平線下に隠れるため見えない。 隠岐からでも158kmで完全に水平線下に隠れてしまう。 両方見えるのは標高900mの鬱陵島だけ。

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安永4年(1775年)に発刊された日本全図。左上に「松島」(現在の竹島の旧名称)が記載されている。 ※日本輿地路程全圖(改正版) 神戸大学附属図書館 蔵

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どう見ても鬱陵島。現在の竹島ではない。

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韓国併合以前に朝鮮人の手で発刊されていた皇城新聞の記事に鬱島郡の所管についての顛末記事があり、記事中の「石島」が現在の竹島(韓国側でいう獨島)であると韓国人が勝手に解釈しているのだが、鬱陵島の主だった付属島嶼は竹嶼と観音島だけであり、90kmも離れた無人島を所管とするのは無理がある。

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この記事は大韓帝国勅令第四十一号を受けて6年後に書かれたものだが記事には南北四十里、東西六十里と範囲も書かれており、朝鮮1里は0.4kmなので16km×24kmが鬱島郡の所管となる。この時代、竹島が石島などと呼ばれたことは一度もない。 ※皇城新聞(明治39年7月13日) ※大韓帝国勅令第四十一号

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南北16km×東西24kmが鬱島郡の範囲であると併合前から存続する朝鮮人運営の報道機関自身が報道しているのだが、勅令41号の石島を無理に獨島だと曲解している韓国製日本語歴史詐欺サイトが複数見られます。日本人高校生をターゲットにしたものと思われますが、騙されませんように。

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【竹島望楼】明治38年8月19日、日本海軍が竹島に海上哨戒用の望楼を竣工させ、即日運用を始めています。駐在したのは下士官1名、兵2名、望楼手1名、雇人2名です。この時期は中井家の雇人もアシカ漁のために現地に駐留しています。

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資料では海底ケーブルで隠岐を経由して大阪までの通信ラインが存在していたことになりますが(竹島⇔鬱陵島は予定)、電気もないのに運用できていたのかについては謎です。 ※極秘 明治37.8年海戦史 第4部 巻4防衛省防衛研究所 蔵

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1953年10月15日、韓国山嶽会のメンバーが竹島に不法上陸し、日本側が設置した「島根県隠地郡五箇村竹島」の標柱を引き抜いた。この上陸には韓国軍大尉が指揮する警備艇905号が使われていた。

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「独島義勇守備隊は、傷痍軍人ら33人の民間人で構成され、1953年4月に上陸して常駐、日本の巡視船の接近を阻止するなど独島守護のため活動した」 というのが韓国側の主張なのだが、同年12月に産経新聞が上空から撮影した写真には33人どころか、人影も施設もなく、大嘘であることがわかる。

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逆方向からの竹島空撮画像。昭和28年春から昭和31年まで常駐していたとされる独島義勇守備隊33名とやらの施設は無く、人影すらない。写真は嘘をつかない。 ※昭和28年12月 産経新聞社 高橋・疋田写真部員撮影

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当時の紙面には「手前西島、後は東島=(本社双発ビーチクラフト機にて、高橋、疋田写真部員撮影=藤本航空部長、寺坂航空士操縦)」とある。この時点で韓国側は「島根県隠地郡五箇村竹島」の標柱を3度引き抜いているのだが、上陸には韓国海軍哨戒艇が使われており、軍関与の領土侵犯行為であった。

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日本はかつて連合国総司令部覚書(SCAPIN)第2160号をもって竹島を米軍の爆撃訓練区域として指定していた。竹島が昭和20年代に日本領土と認知されていた証でもあるのだが昭和28年に指定解除されている。日本国領土なので何の遠慮も要らない。日本も自衛隊の訓練空域として再設定すればいいのではないか。

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マッカーサーラインとは昭和21年6月、連合国総司令部SCAPIN第1033号によって設定された日本の漁業・捕鯨許可区域のことで、同ラインと日本の領土主権とは関係ないのだが、講和条約締結後の昭和27年1月、韓国は海洋主権だとする非常識な李承晩ラインを勝手に宣言した。 ※韓国官報1952年1月18日付け号外

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昭和21年1月29日SCAPIN第677号によって、講和条約発効までの間、竹島は日本の行政権から分離され、連合国に移管されたが主権は放棄されていない。これは同指令にも書かれていることだが、韓国は自国の海洋主権を李ラインで主張し、竹島と好漁場の主権を奪取した。当然、国際法上許されるものではない。

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韓国人の多くはマッカーサーラインが領土主権の範囲だと現在も思い込んでいるのだが、その背景には1955年に韓国外交部が作成した「獨島問題概論」で、それを明確に否定したラスク書簡に触れた部分を隠ぺいしていることがある。 日本人でも講和条約発効までの日本に主権はないと考えている人がいる。

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昭和28年6月27日、島根県庁、警察、海上保安庁の職員30名が竹島に上陸したところ、海藻採取のため野営する鬱陵島住民6名を発見、取り調べを行っている。「獨島問題概論」にはこの上陸の際に海上保安庁が米国旗で偽装し、米軍誤射で死亡した韓国人慰霊碑を破壊したというあり得ない記述がされている。

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【ラスク書簡】講和条約を起草中であったアメリカ政府へ韓国政府からよせられた日本国の領土や、韓国政府が戦後に享受する利益に関する要望書に対し、1951年8月10日、アメリカ国務次官補(ディーン・ラスク)が回答した文書。この中で竹島に関する韓国側の領有権主張は完全に退けられている。

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