FGOの項虞の馴れ初めを書きました。マテリアルや2部3章での語らいを基にしておりますので、未プレイの方は御注意下さい。書くにあたり、HAの英霊達の生前の語りの様な雰囲気をイメージしました。BGM『stranger』を聴いてから読むことをオススメします。
その女人との遭遇は、演算の領域外であった。
先日、叔父の項粱より視察を命じられた。陣を引くのに最適な山があり、我自身から見た意見が聞きたいとのことであった。
しかしその山には奇妙な噂があった。
“その山に入った者は、生きて帰っては来れない”と。
そんな物は迷信だと叔父は一笑に付し、命令を強行した。
実際その山は不可解であった。我の演算でも、どの様な結果が生じるのか予測出来なかった。まるで、世界から拒まれたかの様に。
仕方なく兵を連れ立ち、時折鼓舞しながら進んでいった。
山中は取り分け問題はなかった。草木は穏やかに茂り、水は清らかで、凶暴な猛獣はおらず、歩を進める毎にたわわに実った木の実を見かけることが多くなった。
『まるで桃源郷の様だ』と呟く兵卒までいた。
だが、先が予測出来ない。生まれて初めて得た感覚に、我は困惑する。
「項羽様」
「何だ?」
「日が…隠れております…」
兵卒の指摘を受け、上を向いた我は唖然とした。
既に日は暮れ、夕刻どころか月が見えているのである。
「お、俺達が山に入ったのって昼間だよな?」
「入山してから数時間しか経ってないぞ…」
「満月とはまた…凶兆やも知れませぬぞ」
奇妙な出来事に、兵士達が浮き足立つ。凶兆という言葉に、先を予測出来ない我自身も不安を覚えるが、それを押し殺し、平静を保つ。
「皆の者、案ずるな。我は夜目が利く。その方達は灯りを絶やすな」
「はっ…!」
平静を取り戻した兵士達は篝火を焚き、我を先頭にして再度歩き始める。やがて森が開け始め、何やら花畑が見える様になった。
「山頂でしょうか?」
「分からぬ。各自、警戒を怠るな」
「っ…。はっ」
我にも分からぬことがある。それを知った兵卒は顔を強張らせ、いつでも抜ける様、帯刀した剣を片手で掴む。
そして我らは息を殺しながら、森を抜けた。
「おぉっ……」
我らを待っていたのは、月明かりに照らされた広い雛芥子の花畑であった。
地面を鮮血で染め上げた様な光景に兵卒は萎縮していたが、我はただ呆気にとられていた。
どれだけ演算を重ねても、『美』という言葉でしか言い表せなかった。兵法にしか考えが向かなかった自身に、この様な感情が芽生えるとは思わなかった。
「項羽様、あれを!」
気がつくと、その花畑に1人の女が背中を向けて立っていた。女は布切れの様な衣を纏い、何の気なしに月を眺めていた。
「何と……。──っ!?」
絹の様な背中と艶やかな黒髪に気を取られるが、雑念だと我は振り切り、気を引き締めて女を再び見る。
「その方、どこの者だ?麓の村の人間か?」
女は我の声を聞くなりため息をつき、面倒臭そうに振り向いた。
瞬間、我の演算は止まった。
歪みが一切ない顔立ち、贅肉がみられない整った肉体、くっきりとした目鼻。叔父から当てられた夜伽を遥かに上回る美貌であった。
だが同時に、恐ろしく、また儚げに見えた。
女は我らを見るなり眉をひそめ、口を開いた。
「我に口を聞くか?この愚か者が」
************
また面倒事だ。噂を聞き付けた愚か者が山に入ったか。
私は嘆息し、甲冑を付けた男衆相手に凄む。装いからみて、自警団かどこかの軍隊か?まぁどうでも良い。私にとって、人間はどれも同じだからだ。
「お前達に話すことなど何もない。早々に下山しろ」
「待たれよ。ここは危険だと聞く。下山するのなら我らと共に──」
「無用よ。お前達と下山?我の身体を穢すつもりか?」
「貴様ぁ!項羽様のご厚意を!」
男衆の1人が剣を抜き、花畑へと足を踏み入れようとする。
あぁ、本当に面倒だ。
「下がれ下郎」
私は一言告げると共に、男の足元に剣を飛ばす。深々と突き刺さった剣を見て男は小さく悲鳴を上げ、そそくさと後ずさる。
ふふっ。愉快愉快。
「そしてお前」
「お、俺?」
そうよお前よ。さっきから鼻の下を伸ばして、気持ち悪いったらありゃしない。
「我の身体がそんなに好みか?」
「な、何を言う!?」
「我に下卑た視線を向けるとは、よほど死にたいようだな。今ここで目と一物を潰し、心臓を抉り出してもよいのだぞ」
「ひ、ひいぃご勘弁をぉぉぉ!」
あぁ情けない。土下座でも何でもして命乞いとは。つくづく人間は脆弱ね。
「…そなたが件の妖か?」
「うん?」
先頭に立っていた男が、再び口を開いた。男の姿、立ち振舞いに、私は奇妙な感覚を覚えた。
人間特有の匂いや心音が感じられない。肌はどことなく無機質さを思わせる。何よりもその顔。仮面だろうか?だが仮面の下から匂いは漂ってこない。
ただその奇妙な感覚よりも、妖と呼ばれたことが腹立たしかった。
「我を妖と同列にするなこの下郎」
「むっ。これはすまぬ。部下共々、非礼を詫びよう」
「…?分かればよい。さぁ、早々に下山しろ。3度目はないぞ」
随分物分かりの良い男ね。まぁそっちの方が楽だし、さっさと私の前から消えなさい。
「では皆の者、下山しよう」
「項羽様、それではこの地は…」
「ここに陣を敷くのは得策ではない。叔父には我が直接伝える」
「はっ!」
男衆はよく分からないことを口々に交わしながら森へと戻っていった。
姿が完全に消えたことを確認し、私はため息をついた後、再び月を見上げた。
「あいつ、項羽っていうのね…」
どういう訳か、あの男が気になってしようがなかった。
我は早速、叔父へと報告に窺った。
叔父は激昂した。そなたならばあの妖ごとき、討ち果たせたであろう。と。
故に叔父は、我1人で討伐する様命じた。兵士が付いては我の邪魔になるとでも思ったのだろう。
叔父が浮き足立っているのは、火を見るより、否、“火を見る前”より明らかであった。叔父は天下を統べる者ではない。ならば誰が、この国を統べるのか。
とにかく我は、再び山へと向かった。
あの女人が気になって仕方なかった。それは恐らく、先を予測出来ないからであろう。だがこの胸に去来した物は不安ではなく、戦場で感じる物とは違う高揚感であった。
*********
「失礼する」
「……」
性懲りもなく、先日訪れた男がまたやってきた。果たして何しに来たのだろうか?まぁ、大方予想出来るけど。それにしてもわざわざ挨拶するとは、律儀な男だ。
「また来たか下郎。よもや我を討ちに来たのではなかろうな?」
「その通りだ。我は叔父にそなたを討てと命じられてここに参った」
「ほう……」
それ見たことか。やっぱり私を殺しに来た。人1人で何が出来るか、試してみようかしら。
「そう…。ならば思う存分──」
「だが我はそなたを討つ気はない」
「は?…ならば何故ここに来た?」
男の返答に私は思わず気の抜けた声を上げる。だがすぐに取り繕い、再び男を問い質す。
「そなたと、話をしに来たのだ」
「何?」
怪訝な顔を見せる私に、男はうむと頷き、言葉を続ける。
「そなたと出会った時、我は得体の知れぬ感情を抱いた。そなたの様な存在に出会うのが…初めてだったのだ」
「はぁ?」
何を言っているのかしらこの男は?今時の命知らずの若造でももっとマシな口説きを披露するわ。
言葉を詰まらせながら話し掛ける男に私はおかしくなり、男を前に嘲笑う。
「何かおかしかったであろうか?」
「えぇ。おかしいわお前。まさか仙女である我を口説こうとは…」
「仙女?そなたは伝記に伝えられているあの仙女なのか?」
「っ……」
いけない。知らない内に気を抜いてしまった。まぁ仕方ない。言ってしまえばこいつは恐れを為して下山するだろう。
「えぇそうよ。我はこの世界が生み出した精霊。不老不死の肉体を持ち、お前達人間の生き血を糧にする者ぞ。恐れを為したのなら早々に立ち去るがよい」
まぁ生き血がなくても生きていけるのだけどね。これくらい誇張すればこいつは立ち去るだろう。
「そうか…やはりそなたは人の身ではなかったか…」
えっ?何を感心しているのこいつ?
思いもよらぬ男の反応に私は面食らう。
「薄々予想はしていたが…なるほど合点がいった。我がそなたを予測出来なかったのはそういうことだったのだな」
あぁ何よこいつ!何を1人でブツブツ言ってるのよ!
「あぁもうさっさと下りるが良い!我が直々に温情を見せているのだぞ!こんなこと珍しいんだからね!」
怒りのあまり少し地が出てしまうが私は悪くない。いつまでももたついているこいつが悪いのだ。
「そなたは、我とほぼ同一の存在なのだな」
は?今、何と言った?
私を、穢らわしい人間と同一だと言いたいのか?どこまで私の神経を逆撫でれば気が済むんだこいつは。
「お前…よくも我を──」
「同じだ」
「何?」
「我も、人の身ではない」
その場しのぎの嘘ではないかと私は疑ったが、表情を変えないどころか、汗1つかかない男の顔を見て、その言葉が偽りではないことを認め、怒りを鎮めた。
「…話くらいは聞いてやろう」
「恐悦」
それから男は、自分がどういう存在なのかを私に語った。
仙界の技術を流用した躯体であり、高速演算機能と呼ばれる未来余地能力を有すること。起動時に付与された『天下太平』のために何を為せば良いか演算を繰り返していること。そして私の存在を予測出来なかったのは、私が人の理から外れた存在だからだと論拠を説明した。
それを聞いて私は、何と酔狂で哀れなやつだと思った。人の理を超えた身でありながら人から与えられた指示に従い、それを疑問に思っていないのだから。
そもそも私は、人の流れなどどうでも良い。私を取り巻く環境が他者に犯されず、ただ穏やかであれば良いのだ。
「おぉ、紹介が遅れた。我は項籍。字は羽。今は項梁の元に身を置いている」
「あっそ」
先日名前を聞いていたのでどうでも良い。私はその胸中を示す様につっけんどんに返す。
「そなたの名は何と申すのだ?」
「我か?我は…我は……」
躯体から名を尋ねられ、私はそのまま答えようとする。
が、答えられなかった。それもそのはず。私には…。
「我に名前などない」
「何?」
「名前などない、と言ったのだ。我はここで一生を過ごす身。誰とも関わらない我に、名前など不要であろう?」
今思えば、彼に対する嫉妬から来る強がりだったのかも知れない。自分以外の存在と初めて密に話したことで、名前がないという不安を誤魔化そうとしたのかも知れない。
ともかく私は、これ以上この男と話す気になれなかった。
「話は終わりだ。さっさと帰るが良い。我は星見で忙しいのだ」
「そうか…。ではまた……」
「もう来なくても良い。さっさと失せろ」
私の一方的な拒絶を躯体は怒ることもなく受け入れ、そのまま森へと姿を消した。
後はいつも通り。雛芥子に包まれ、ただ星を見るだけ。いつもならそれで十分であった。
ただ今夜はどういうわけか、胸がつかえる思いがした。
「…ふふっ」
何の気なしに躯体がいた場所を見る。雛芥子を一輪も踏み潰すことなく立っていた躯体。あの厳つい風貌に似合わぬ律儀さに、私はおかしさのあまり顔を綻ばせた。
「失礼する」
「……」
あれから1か月後、我は再び入山し、仙女と出会った。
仙女の顔はあり得ないといった風に凍りつき、わなわなと口を動かしている。
「どうした仙女よ?何か不満なことでもあるのか?」
「あんたがいること自体よ!」
我が尋ねた途端仙女は声を張り上げ、あぁもうと地団駄を踏む。何というか、以前より態度が砕けているではないだろうか?そんな気がしてならない。
「もう来るなと言ったはずだけど?また叔父とやらの命令?命令がないと動けないのその身体は?」
仙女は息を吐く様に我を罵倒する。何とも新鮮な光景であった。我を畏怖する人間は多くいるが、面と向かって罵倒する存在は生まれて初めてだったからだ。
「いや、此度は我の意思でここに来た」
「えっ?」
そう。此度は叔父の命でここに来たわけではない。純粋に、気になることがあるのでここに来たのだ。
「そなたは仙女であろう?ならば、我が躯体を作り上げた仙界を周知しているはずだと思ってな」
「残念だけど分からないわ。私、ここから出たことがないもの」
「…そうか」
先のことは分かるが、始まりは分からないとは…。いや、思い悩む必要はない。我は目的を遂行すれば良い。しかし、
“ここから出たことがない”
我は仙女の言葉に引っ掛かる物を感じた。
「ここから出たことがないとは、どういうことだ?」
「そのままの意味よ。私はここで生まれてから一度も外へ出たことがないわ」
我の問い掛けに仙女はさも当然の様に答え、続け様に自身の生い立ちを語った。
元は意識も不明瞭な蛍火の様な物体であったこと。気がつけば、この雛芥子の中で肉体を形成していたこと。そしてその肉体を求めて訪れてきた男達を屠ってきたこと。
「人間があそこまで穢らわしい存在だとは思わなかったわ。どれだけこの肉体を形成したやつを恨んだことか。何度身体を破裂させても元に戻る。意味が分からないわ」
話している内に怒りがこみ上げたのか、口惜しいと言わんばかりに爪を噛む仙女。
その姿を見て、どういう訳か我は助言をしたくなった。
「…役目があるからであろう」
「役目?」
「そうだ。我に天下太平を果たすという役目がある様に、そなたにも役目があるのだろう。故に、この様な姿を保っているのではないのか?」
我の助言を聞いた仙女は、いつもの仏頂面をさらに歪め、皮肉を交えた冷笑を浮かべる。
「何よそれ?慰み物になれとでも言いたいの?」
そうではない。そうではないのだ。どこまでも投げやりなこの仙女に、我は歯噛みする。この様なもどかしさを抱くのは生まれて初めてだ。
「厳しく、無責任な物言いになるやも知れぬが、その役目は自分で見つけねばならない」
「自分で…?」
「左様。故に、そなたはもう少し自分を大切にして欲しい。自分の命まで投げやりにしては、役目を見定めることが困難となる」
我の言葉を受けた仙女は少し思案に耽るが、やがてふんと鼻を鳴らし、我を嘲笑う。
「お前が言っても何も響かないわ」
「何…?」
「他者の命を粛々と受け、戦場で自分の命を投げ出している人形が言っても、何も響かないと言っているのよ」
「むっ」
確かにそうだ。我の役目は起動時に与えられた物。説得力がないのは明白であり、図星を突かれる形となった。
「…そなたの言う通りだ。躯体である我が話したところで、何も響かぬのは道理よ」
「はぁ?」
「またここに参ることは出来るだろうか?それまでに、そなたが納得出来る言葉を見つけよう」
「…ふふっ。ふふふふ…。あっはははは!」
我の弁明に仙女は吹き出し、やがてこらえきれない様に口を押さえて笑い声を上げた。
「何かおかしかったであろうか?」
「どこがおかしいって?どこもかしこよ。お前以上に律儀なやつなんていないわよきっと」
「そうなのか?」
「待って真顔はやめて…。また笑いそうになるわ…」
仙女は何とか笑いを収め、上機嫌のまま我に向き直る。
「お前は面白い。特別にいつでも入山することを許すわ」
「かたじけない。感謝する」
「ただし、花は踏まないこと。踏んだ時点で約束は反故にするわ」
「承知した。では、いずれまた会おう。名もなき仙女よ」
再会の誓いを立てた我は、そのまま下山していった。
心なしか胸が弾んでいる様な気がしたが、城で再調整すれば良いと思い直すのであった。
あれから数ヶ月経った。
私は彼から、花畑を境にして世界の様々なことを聞いた。
昼夜の概念や、雛芥子以外の花、長江という大河、そしてそれを遥かに上回る海という物。
しかし私は、どうしても外に出る気にはならなかった。人間が作った文明に溶け込むなど、考えるだけでもおぞましかった。
こうして彼の話を聞くだけで、私は満たされていた。
あの日までは。
いつもの様に星を見ていた時、森の方から気配がした。
「今日はどんな話を聞かせるの?」
彼がやって来たと私は思い、森の方に視線を向ける。
彼は、いつもの様に花畑に踏み入ることなく立っていた。
ただ、今日はその立ち姿が重苦しく感じ、私は怪訝な表情を見せた。
「どうしたの?」
私に問い掛けられ、彼はようやく答えた。
「…叔父が戦死した」
「そう…」
それ以上、私は関心を示さなかった。人の理などどうでもいいし、彼の叔父がどういう人間なのも大して気にならない。
何より、どう声を掛けていいのか分からなかった。
「あなたは、悲しいの?」
「叔父の死は既に予測していたこと。故に悲しくはない」
率直に返した彼の言葉に、私は胸がつまる思いがした。
“先”が長いのも辛いが、見えるのも辛いのだと。彼自身が辛いと思っていないのが不幸中の幸いであるが。
「叔父では天下太平は成らなかった。また見極めねばなるまいな」
彼の言葉に引っ掛かりを覚えた私は、柄にもなく彼に深入りしようとした。
「あなたじゃダメなの?」
「何?」
「それだけ優れた力を有しているのなら、あなたが君主になり、平和の礎を築けばいいじゃない」
私の問い掛けに彼は目を丸くし、ゆっくりと首を振る。
「我ではいかんのだ」
「どうしてよ?“先”が見えれば凶兆を回避し、平穏な世界を作れるじゃない」
「そうなれば人類は堕落する。“先”が見えることで気が抜け、真の凶兆に対応することが出来なくなるのだ」
「真の凶兆…?」
彼は時々、仙女の私でも理解出来ない程遠い領域の話をする。もうそんな不穏な兆し
見えるのであろうか?
「それに我は兵器。世を駆けることは出来るが、治めることは出来ぬ。優れた才と尊き仁義を持つ者を見極め、天下人とするのが我の役目よ」
彼の言葉を耳にした時、胸中で『違う』と声を張り上げた。言わなければ。言わなければ彼は勘違いしたままになる。
私は今まで抱いたことのない、怒りとは違う激情を抱え、クチを開いた。
「何よそれ…」
「むっ?」
「何よそれ!じゃあ何?天下太平が叶ったらあなたはお役御免ってこと?散々人に利用されるのがあんたの人生なの!?」
「それが我の役目だからな」
「何が役目よ!そもそも、あなたの様な存在に頼っている時点で堕落している様な物じゃないこの星の人間は!」
「そんなことはない。必ずいる。我に代わって天下を統べる傑物が」
「そんなの夢物語よ…。もしいなかったらどうするのよ…」
「傑物になるまで、我が育て上げるのみ」
「何でそこで自分が出てこないのよこの分からず屋!」
「先刻申した通りよ。我が統べれば人民は堕落する。そもそも我は、人心を完全に把握出来ぬ。必ず綻びが生まれる」
「何で…。何でよ……」
間髪入れずに反論する律儀で、融通の利かない分からず屋に辟易し、私はうずくまって涙を流した。
私には理解出来なかった。強きが弱きを統べるのは当然の理。そして彼は誰よりも強く、理知的で大樹の様に優しい。なのに他者に強者の座を明け渡す。全くもって理解出来なかった。
「すまぬ。泣かせるつもりはなかったのだ。やはり、我には世を駆けるしか能がない様だ」
「うるさい…。もういい去れ。今は話す気分になれない…」
「そうはいかぬ。ふむ……」
と、彼は泣いている私をよそに思案に耽り始めた。何をする気なのだろうか。やがて考えがまとまったのか、頷き、口を開いた。
「仙女よ。そなたを夜駆けに誘おう」
「…は?」
相変わらず、理解の範疇を超えていた。
「前にも言ったでしょ。私は外に出る気はないって」
「こうしてここに篭り、見聞を聞いただけでは気晴らしなど出来ないであろう。一度外に出てみればいかがか?」
「良いわよ…。時間が経てば気分は晴れるわ…」
「それは最適解ではない。気晴らしには外出が良いと劉──」
「あぁもううるさい!人間のいる世界など虫酸が走る。気晴らしどころか気分を害するだけよ!」
泣き顔を見られない様、うずくまりながら彼の提案を否定し続ける。醜いのはどっちだと、自分を張り倒したくなる。
「──やむを得ん」
「っ──」
そう彼が一言発した後、何かを踏み鳴らす音が聞こえた。
それで何かを察した私は、目を腫らし、鼻を赤く染めたまま立ち上がり、彼へと向き直る。
視線の先には、花畑を踏み越えて私に歩み寄る彼の姿があった。
「お前…自分が何をやっているのか分かっているのか!?」
「把握している。強行策ではあるが、そなたを連れ出す最適解であると判断したため、実行した」
「寄るな無礼者!それ以上近づいたら、八つ裂きにするぞ!」
私は怒りのままに剣を形成し、彼に切っ先を向ける。しかしその手は微かに震えていた。
彼を傷つけたくないと、身体が訴える様に。
「そなたは我を八つ裂きには出来ぬ。そなたが無駄な殺生をせぬ程心優しいことは、我が把握している」
「戯れ言をほざくな!人形の分際で!」
「仙女よ──」
「寄るなぁ!」
そのまま私は、雄叫びを上げながら剣を突き立てた。
直後に金属音が鳴り、彼の右胸に切っ先が軽く突き刺さっていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
我に帰った私は剣を消し、罪悪感から歯をかち鳴らしながら数歩後ずさる。
「あぁ…ごめんなさい。そんなつもりじゃ…そんなつもりじゃなかったのに…」
再び涙を流す私を、彼は包み込む様に抱擁した。
「あ……」
「すまぬ。我も強引であった。加減は出来ているか?仙女よ」
こんな時でも、自分の傷より他人を心配する。どこまでお人好しなのだこの躯体は。
「私なんてどうでもいい。あなたの、その傷は……」
「案ずるな。稼動には支障ない」
傷を撫でながら心配する私に、彼はしれっとそう返す。本当に、意味が分からない。
「…私の負けよ。どこにでも連れて行きなさい」
「良いのか?」
「良いも何も、ここまでされたら頷かない訳にはいかないわ」
「承知した。麓に馬を繋げている故、少し歩くが…構わぬか?」
「あなたと一緒なら、良い…」
自分でも、気恥ずかしい言葉を口にしたと後悔する。
だけども事実であった。彼に包まれることで、こんなにも心が安らいでいる自分がいるのだから。
*********
空気が、襲い掛かってくる。
彼に背中を預けた状態で馬に乗った私は、ただただ口を閉ざして風を受けていた。
馬の揺れ、移り行く景色、流れる風。山頂に篭っていた私にとって、何もかも新鮮であった。
「どうだ仙女よ。速度を緩めるか?」
「だ、大丈夫よ。もっと速度を上げても」
馬の乗り心地は正直最悪だった。だが彼と同乗することで、その不快感は彼方へと飛ばされた。
理由は分からない。ただ、彼とならどこにでも行けると、何となくそう思った。
「承知した。舌を噛むと悪い故、閉口を推奨する。はっ!」
「──っ」
彼が馬に号令を掛けると、馬は速度を増し、風の流れがより一層強くなる。
ただただ、ただただ鮮烈であった。あの山頂でも夜風が吹くことはあったが、ここまでの強風を感じることはなかった。
強風によって、彼に対する負い目や彼の立場への悲観が身体から剥がれるのを感じ、自然と顔が綻んだ。
**********
夜駆けを始めて数時間経った頃、彼と私は1本の木の下で小休止を取った。
「仙女よ、気分は晴れたか?」
「悪くはなかったわ…」
「そうか」
生まれて始めて、自分の発した言葉を嫌悪した。正直に晴れたと話せばいいのに、何故素直に言えないのだと自分に対して罵倒する。
「…外の世界では」
「む?」
「外の世界では、雲や星々、月が動くのね」
「然り。占星師が星を詠むことで、先の吉凶を占うこともある」
「そう…」
人類はそこまでして、先のことが知りたいのか。何と慌ただしい種族なのだろう。
「そなたは星を見ていたのであろう?星に関する知恵はあるのか?」
「ないわ。ただ呆然と眺めているだけ。吉凶とか、昨日より美しいだとか考えたこともないわ」
「そうか…」
それっきり、お互い会話が途絶える。私は今さらながら、己の知識の無さが悔しくてたまらなかった。知識を付ければ、彼ともっと話せるのに歯噛みする。だが下界に下りるなど死んでもゴメンだった。元より死ねない身体であるが。
「今宵は月が綺麗だな」
「そうね。綺麗だわ」
地平線へと傾いている満月を見て、彼と私は同じ感想を述べた。
私は月の美醜の差や満ち欠けは分からない。山頂ではずっと満月だからだ。ただ、下界を把握している彼が綺麗というのなら綺麗なのだろうと、私はそう思った。
遥か後に、東洋の島国で月に関する恋文を読んだ時、この光景を思い出したことは割愛する。
*********
「──よ。仙女よ」
「…うん?」
「目が覚めたか?」
「っ──!?ちょ、これ…!」
いつの間にか寝ていたらしい。気がつくと、彼の腕の中で、寄り添う様に微睡んでいた。
目を覚ますなり私は赤面し、腕の中で柄にもなくあたふたとする。
「雑魚寝は冷えると思ってな。我の炉心の温度を少し上げ、暖を取った。無礼を許せ」
「前から思ってたけど、何でも出来るのねあなた…」
「それは語弊がある。我は──」
「はいはい。天下を治めることは出来ないんでしょ」
「うむ。承服しているのならそれで良い」
「ったく…」
彼と話すと、どうにも調子が狂う。ふと私は、己の胸の鼓動が早くなり、息が詰まっていることに気づいた。
暖を取り過ぎたせいかと思ったが、熱っぽくもない。が、悪い気はせず、むしろ心地よかったため、そのまま彼の腕に収まることにした。
「で、私を起こして何がしたいの」
「見せたい物があるのだ」
「見せたい物?」
「あぁ。…見よ」
「…?あっ──」
彼に促され、正面に視線を移した私は、そのまま言葉を失った。
月光とはまるで違う、目が潰れそうになる程の強烈な光。山から姿を覗かせた瞬間、辺りが照らし、冷えた身体は瞬時に暖まる。
「こ、れが…」
「然り。これが太陽だ仙女よ。そなたが今まで目にしなかった、天の恵みよ」
陽光に照らされた彼の顔は、雄々しく、立派で、堂々としていた。
陽光に照らされた彼の金属製の肌は熱を帯び、私の身体をさらに暖める。
次第に私も、熱に浮かされたのか、ぼんやりと彼の顔を覗き込み、やがてすがる様に身体に寄り添った。
何故こんな行為に至ったのかは理解出来ない。あぁ…でも、
今この瞬間が、生きてきた中で最も幸せな一時であることは確かだった。
心苦しい。
演算を終えた我は、ただただ心苦しかった。
演算結果を彼女自身に伝えることが、鉄剣でも貫けぬこの胸が張り裂ける様で辛かった。こんな思いは、起動してから始めてだった。
だが伝えねばならない。彼女のためにも。天下太平のためにも。
例えそれが、今生の別れになろうとも。
*********
あの夜駆けを最後に、あの方はここを訪れることはなくなった。
分かっている。私と違い、あの方には立場という物がある。
私以外の人間とどの様な話をし、どの様に関わっているのだろう。そう思いを馳せる内に、胸に熱さと、黒い感情が湧き上がってくる。
「馬鹿なことを…」
それが劣情と嫉妬であると理解した私は自戒する様に呟き、嘆息することで気持ちを切り替えようとする。
その時、森の方から気配を感じた。
「お久しゅうございます!」
あの方が来た。そう確信し、私は満面の笑みを浮かべて振り向く。
目の前には、いつもの様にあの方が立っていた。
だがその面持ちは重く、花畑を境に一歩も動かない。
「…どうかなさいましたか?」
彼の面持ちに胸騒ぎを感じながらも、私は笑顔を保って問い掛ける。
あの時の様に、私の元へ来てほしい。また、どこかへと連れて行ってほしい。今の私には、それしか考えがなかった。
「傑物を見つけた」
「傑物?」
「天下を統べるべく傑物を見つけた。其の名は劉邦。我の知己である任客よ」
「そう、ですか…」
まことめでたきこと。そう言葉を続けたかったが、彼の面持ちから喜びがみられない。一体どうしたことだろう?
「だが劉邦は未だ熟しておらぬ。仁義は備えているが、才と力は未だ不十分よ」
「…何かお考えがあるのですか?」
「無論。既に答えは出ている」
何となくだが、私も予想出来る。彼は、
「我が覇王となり、中国全土の縮小、焦土化を図る。さすれば劉邦の元に人々が集い、我を討ち倒すために団結するであろう」
あぁ、やはりそうだ。彼は天下太平のために、悪に身をやつすことを決意したのだ。
だがそんなことは関係ない。例え人間にとっての悪になっても、私は……。
「本題はここからよ」
「えっ?はい…」
彼が発した言葉は、私の耳を疑う物であった。
「この山も、対象に含まれている」
「……は?」
山?山って…この山?
「この地は神聖な土地。ここを焼き払うことで、我の悪名は天下に轟く」
「……」
「あと数日で我が軍がここに向かう。それまでに、そなたは漢中へ落ち延びよ。彼の地にも、ここ程ではないが霊験あらたかな地があるだろう」
衝撃のあまり、彼の言葉が身体を突き抜けた。
ここがなくなる。確かにそれも辛い。彼に対して憎悪を抱いていないと言えば嘘になる。
ただそれ以上に、彼との別離が辛かった。
「人の戦いに巻き込んでしまい、すまぬと思っている。彼の地で、安息の地を見つけることを願おう」
安息の地?ここ以外に果たしてあるのか?
「あ、あぁ…」
「さらばだ」
彼は用件だけを伝えると、背中を向け、森へと歩み始める。
その行為が偽悪的に見え、私は責めようにも責められなかった。それにあの方の行動は常に正しいと、幾多の邂逅で分かっていた。
そうだ。いつもの様に割り切ろう。別にここが特別な場所なのではない。霊脈が強固な地はまだ他にある。そこに移ればいい話なのだ。
そもそも彼と私は相容れぬ身。仙界の技術とはいえ、文明は文明。自然と文明が交わることは決してない。
例え、愛していても。
「あぁ……!」
あぁ、ダメだ。その言葉が浮かんでしまうと、止まらなくなる。
「お待ちを!」
私は弾かれる様に駆け出し、雛芥子を踏み進めて彼の背中に抱き着いた。
「仙女よ…」
「私にとっての安息の地は、あなた様のお側です!」
とめどなく涙を流し、嗚咽を漏らしながら胸中を吐露する私を、彼はまるで困った様に言葉を詰まらせる。
「仙女よ、その認識は誤りだ。これより先は修羅の道。安息とは程遠いぞ」
「いいえ…。いいえ…!私にとってあなた様と離れて生きることは、身を裂かれるかの如く辛いことなのです!」
「それでもならぬのだ。それは最適解ではない。何故我から離れようとしないのだ?」
私の慟哭に耐えかねた彼は私に向き直り、片膝を地面に着いて視線を合わせ、私を落ち着かせようとする。
だがその言葉は、私にとっては逆効果であった。どこまでも分からず屋なこの男に私は腹を立て、矢継ぎ早に言葉を並べ始めた。
「まだ分からないのですか…」
「何?」
「私は…役目を見つけたのです…」
「役目?」
「あなた様のお側に仕え、全身全霊を込めて愛することです!」
「──!仙女よ、それは…」
ようやく気づいてくれた。
私は最後の機会だと覚悟を決め、思いの丈をぶつけ続ける。
「そうです!私は…あなた様の伴侶となり、共に覇道を歩みとうございます!あなた様との離別は、死よりも残酷なことなのです…。お願いします…離れとうございません…」
最後はもはや懇願であった。全て言い終えた私は彼の胸の中で嗚咽を漏らし、返答を待つ。
どうか、どうかと。
「仙女よ、もう泣くでない」
彼の声に私は顔を上げる。すると彼は、片手で私の涙を拭った。その顔はやや困り顔ながらも、根負けした様な柔和な笑みを浮かべていた。
「そなたの意思、しかと受け取った」
「それはつまり…」
「あぁ…。天よ地よ。許せ。我は解を歪める。愛しき者のために」
「あぁ……!」
彼の言葉に私は歓喜の涙を流し、再び彼の胸にしがみつく様に抱擁した。
「…険しい道程になるぞ」
「覚悟は出来ております」
彼の忠告を、私はにべもなく返す。私にとって、彼との離別以上に辛い道程などないのだ。
「では、そなたに名前を付けねばな」
「名前?」
「これから俗世で生きるのだ。名前がなくては不便であろう」
「確かにそうですね…」
これは失念していた。名前がなくては怪しまれてしまう。
「名前はもう決めてあるのだ」
「えっ?」
「一輪よいか?」
「か、構いませぬ」
彼は私の許可を得ると、雛芥子を一輪摘む。
「この地にちなんだ名にした」
雛芥子を片手にそう呟くと、彼は私の頭髪に、髪飾りの様に一輪差し込んだ。
「これよりそなたは、虞美人、あるいは虞姫と名乗るがよい」
「虞美人?どういった意味なのですか?」
「うむ。そなたは恐ろしい程美しき存在。故にその名を付けた」
恐ろしい。相変わらずの直接的な表現に私は笑みをこぼし、やがて肩を震わせる。
「何かいけなかったであろうか…」
「恐ろしいなんて表現、褒め言葉とは程遠いですよ」
「これは失念した。気に入らぬのであれば、改名しても良いのだぞ?」
慌てふためく彼を見て、私はまた、からかう様に笑う。本当にこの人は面白い。そして、愛らしい。
「いいえ。この名前で良いです」
「よいのか?」
と、私は雛芥子を一輪摘み、愛を誓う様に互いの手で掴み合わせる。
そして彼の手に接吻し、自分でも驚くくらい砕けた笑顔で彼を見た。
「素敵な名前をありがとうございます。虞はいつまでも愛し、この身を捧げることを誓います…項羽様」
「あぁ虞や。我もそなたを愛そう。この身が尽きるまで」
雛芥子が咲き誇る中、人ならざる者達は、お互いの愛を確かめ合う様に抱擁を交わし続けた。
あれから幾千年経っても私は忘れない。
どんなに名前を変えても。
どんなに姿を変えても。
どんなに涙を流しても。
どんなに汗を流しても。
どんなに、血を流しても。
私は忘れない。
あの、月下の逢瀬を。