名も無き歌   作:キサラギ職員

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名も無き歌

 燃え殻の王グウィンを下した英雄は、自らを薪とすることを選んだ。

 闇の王にはならない。

 そう、決めていたのだ。

 

 

 最初の火にソウルを食われ穴だらけになったグウィンは既に正気ではなかった。火は照らす力であり、対象を傷つける二面性を持っている。最初の火という原始の力は王のソウルを見出したグウィンにも平等に燃焼を強要した。過ぎたるは及びざるが如し。たき火とは距離をおけば有用な熱源であるが、その身を晒すことは、害であることに他ならない。

 だがそれでもなお、最初の火に焼かれても、もっとも大きなソウルの持ち主の力は圧倒的であった。薪の英雄とて所詮は人間に過ぎない。闇のソウル――ダークソウルを見出した種族は力も弱く小さいことを特徴にしているのだ。巨人の種族の長であるグウィンの力は強く、名も無き英雄を容易にねじ伏せた。蝋燭の火は燃え尽きる時にこそもっとも輝く。グウィンが唯一有する剣は燃え上がり、かつて竜や混沌の悪魔を下してきた卓越した剣術が鋭さを発揮した。

 太陽のフレアのような一閃が、沼地の呪術師が纏う衣服を容易く燃やし、その身ごと両断する。上半身と下半身が不釣り合いな部分で二つに泣き別れると、上半身がくるくると回転しながら白い灰の上に落下する。下半身ががくりと倒れこむ。身が火に焼かれたちまちのうちに黒と白に変わっていった。

 襟首もとい首をグウィンが掴み持ち上げる。不死の英雄はじたばたと両足をさせながら、手に握られたハンドアクスを振りかぶり、頭部に振り下ろす。グウィンはそれを首を捻ることで躱すと、腕ごと大王の剣で焼き切った。ジュウ、と鉄の香りを多量に孕んだ煙があがり、右腕が胴体から削ぎ落ちる。刹那、不死の英雄の首から上が著しい火の爆発に包まれるや、脳髄が破裂して四散した。

 蹴り。凡庸なるその攻撃はしかし不意を打たれた英雄にとって思いがけない動きであり、盾で受け止めてしまった。重量の乗せた蹴りで足元が狂い、よろめく。次の瞬間、白熱した刃が腹部へ刺さり脊髄を抉り背中へと貫通した。内臓という内臓が沸騰する。肉が焦げ、水分を失ったことで体内から炎上が始まり、数秒と立たないうちに全身へ伝播する。英雄が抵抗もままならぬまま、持ち上げられる。腕力に任せて腹部に突き刺さった部分を支点に、ゆっくりと高さを上げる。英雄は重力に従い剣の柄へと滑った。まるで亡者のような空虚な顔をしたグウィンと、赤黒く変色した英雄の顔が対峙する。英雄の体が宙を舞う。前方への押し出し。ずるりと剣が腹部から抜け、熱を帯びた炭と化した内臓が火の粉を散らした。

 何度死んだのかすらわからない。

もっとも大きなソウルの主グウィンには、生半可な強さは通用しない。単純な剣術はしかしかつて世界を導くだけの技術があったのだから。沼地から魔の道を究めるべく外の世界に飛び出した英雄にとって、グウィンという壁は高く分厚かった。

 不死は、例え体を二分されようが、頭を破裂されようが、焼き尽くされようが、身が灰となり篝火のもとで蘇生してしまう。この特性こそ最初の火より光と対となる形で生まれた人間性――ダークソウルの特性であり、人間という種族が光の後を継ぐものとして相応しいとされる要素である。

 

 百回。

 千回。

 一万回かもしれない。

 

 英雄はひたすら燃え殻の王に挑み、負けを重ねた。

 英雄は元は沼地に住んでいたごくごく普通の人間であった。代々伝わる呪術を継承して、沼地で一生を終えるような。いつか事故で死んだ英雄は、自身が不死であることを知った。英雄は火の本質を知りたくなった。死とは、生命とは、火とはなんなのか。親族の制止を振り切り外の世界にやってきた英雄を待っていたのはロイドの騎士による迫害と拘束そして北の不死院への収監だった。

 北の不死院から抜け出した英雄はロードラン、巡礼の道をたどった。数多くの困難。かつては英雄と呼ばれた亡者たちの執拗な攻撃を掻い潜り、闇の王になれと迫る蛇の誘惑を拒絶して、ようやくたどり着いたのだ。最初の火の炉に。

 だからここにいるのは心が折れて亡者になるような軟な人間などではない。人は困難を乗り越えればより強くなる。英雄はかつて沼地の呪術師に過ぎなかったが、現在は違う。沼地の者は、血を舐め、火の道を歩み、多くの悪魔を屠ってきた正真正銘の英雄なのだ。

 最後の戦いとあって、太陽を求めて不死になった騎士の助けは借りなかった。

 そして、その瞬間がやってきた。

 大振りの薙ぎを懐に飛び込み、盾で手首と腕の関節のあたりを強く弾く。バッシュ。パリィ。力が発揮される前に挫くことで攻撃を不発に終わらせるカウンター攻撃。

 僅かな動揺を示したグウィンの腹部に、楔石の原盤まで使って強化されたハンドアクスが叩き込まれる。肉を砕き、刃が半ばまで埋まる。衝撃にグウィンが呻く。なんの力も持たない服が切れ端を宙に投げやった。刹那、踊るように身を翻した英雄が、ハンドアックスをグウィンの腹部へと深々と叩き込んだ。英雄の魔力が刃に注ぎ込まれ神話級の一撃と化す。衝撃波が内臓を蹂躙してグウィンの弱った肢体を砕いた。

 がっくり膝を落とすグウィン。その、火に晒され黒ずんだ王冠が頭から零れ、灰の地面へと落ちる。秒を追うごとに王冠は砕けて灰に混じっていった。

 英雄は、白い灰となって世界に溶けていくグウィンを見つめていた。グウィンの役目は終わったのだ。永遠なんてものはない。あるとすれば、それはまやかしに過ぎない。グウィンがどんなに強くても、いつかは燃え尽きて、闇ばかりになってしまう。

 グウィンが消えた後、黄金に輝くソウルだけが残された。最初の火に晒され食い荒らされた、王のソウルである。それはいわば遺灰だった。もっとも大きなソウルを持つグウィンの、墓標なのだ。もはや燃えるだけの余力さえなく、輝くことしかできない、ソウルの塊。英雄はそれを一瞥したが、拾おうともしなかった。これからの自分には必要のないものだ。

 最初の火は今まさに消えかけていた。

 火の剣の根元で燻るあまりにも微弱で脆弱なそれは、薪を失い、瞬く間に灰の中に消えようとしていた。拳よりも小さなそれこそが、世界の光の核なのである。火が燃える条件。それは、燃える材料があることである。

 英雄は痛む体を引き摺って、火の元へ歩み寄った。原始の火に二度焼かれてもなお健在である太古の岩が地面から化け物の肋骨のようにはみ出している。

 手を差し伸べた。最初の火が、餌を求めるかのように伸び、指先に絡み付く。体も、衣服も、同じようにして、強き火に纏わりつかれ、しかし燃え尽きることもなく。

 最初の火が英雄の全身を包み込む。多くのものを葬ってきたソウルを新たな薪にして。

 英雄は、笑みを浮かべていた。もっとも死者の体が浮かべる笑みなので、口元が引き攣るだけだったが。

 

 ――なんと、温かいのだろう。

 

 人はダークソウルを見出した種族だが、最初の火から分岐したに過ぎない。生命の本質たる最初の火はたとえ人間であっても一つの感慨を抱かせる。

 温かさ。熱。光。それは、王のソウルにさえ完全には模倣のできない、純粋無垢な力の結晶。ダークソウルも、最初の火がなければ発生することがなかった。

 英雄は原始の力が己を薪に選んだことを感じ取り、目を瞑った。祈るように両手を天に掲げる。

 火は渦巻き、薪を核に、最初の火の炉が無尽蔵に保有する灰を再びの熱に抱く。

 熱量、光が、火の炉の風景を変えていく。黒く暗く焦げた臭いの充満していた場所が、俄かに明るくなる。まるで太陽が地平線から顔を覗かせたように、炉の空が表情を変える。暗色が払拭されて朱色へ。停滞していた空気が騒がしく胎動する。太古の昔、不変と永遠という概念で満ちていた世界を一変させた概念が、再び熾ったのだ。

 最初の火の炉を称える神殿から、概念が津波となりて外に漏れ出す。王を追った騎士たちは、静観とともに火を受け入れた。黒く焼け焦げた装甲が瞬く間に火という流動体に飲まれ、表面が沸騰して、消滅する。灰となった肉体は世界のどこかへと拡散した。

 炉から漏れ出した力は、遍く世界へと均等に光をもたらした。

 人間の世界を隠していた漆黒の晴れない雲が、雪解けかくや消え去っていく。時を早回しするが如く雲がうねり透き通った。祝福するが如くロードランの鐘が鳴らすものもいないにも関わらず鳴り響いた。

 

 蛇は、新たな王の誕生の瞬間を肌で感じた。

 火の時代が始まるのだ。グウィンとの盟約を守ることができた。蛇は再びの眠りに入った。

 またいつか、火が消える時まで。

 

 もう一匹の蛇は深淵に佇んでいた。

 闇の時代を否定した、闇のソウルの持ち主が光を継いだことに情けなさを感じながら。いつか火は消えるだろう。その時、機会がやってくる。正統なる時代をもたらすために、蛇は眠りについた。

 またいつか、火が消える時まで。

 

 混沌の血筋をひく女性は、巡礼の道から遠ざかる旅路の最中だった。

 フードを取る。漆黒の髪に、切れ長の瞳。絶世の美女の相貌が外気に触れる。太陽の光が差し込み長いまつ毛を陰影で彩った。彼女はわずかな微笑みを宿すと、歩みを進めて立ち去った。もはや用はない。これからどうすべきかもわからない。肩の荷がおりた彼女の歩調はどこか軽やかだった。

 

 病の床につく混沌の血筋は、従者の言葉に光の無い瞳を開いた。

 いまだかつてない温かさを感じる。かつてもっとも身近だった、最初の火の熱を。彼女は緩やかにため息を吐くと、祈りを再開した。願わくば世界に幸せをと。異形の姿とは裏腹に彼女は聖女のような優しさを持っていた。

 

 その昔、聖職者の醜さを目にしたひねくれ者は、空を見上げていた。

 太陽が輝いている。どこのどいつがやったかは知らないが、やるじゃないか。ニンマリと笑ったひねくれ者は、荷物をまとめ始めた。ロードランのお宝を荒らすもよし、元の世界に帰るもよしである。ひねくれ者は、沼地からやってきたらしい呪術師からくすねた金貨を指で弾きながら、姿を消した。

 

 火継ぎの祭祀場の篝火を守る任を帯びた女は、空を仰いでいた。

 柵から窺う空には、雲一つない。比較的太陽の力の強いロードランにおいて太陽はまじかだが、今はより強く感じられた。鐘が鳴り響いている。二つ同時に。英雄が、火を継いだのだ。女は、柵に掴まるようにして空を食い入るように見つめる。それから跪くと祈りをささげた。

 

 カタリナから父を追ってやってきた女性騎士は、特異な球体面を持つ兜の狭い視界から空を仰いでいた。雲に隠された天空が露わになっている。誰かが火を継いだのだ。うれしい気持ちと、暗い気持ちが同居していた。

 

 アストラからやってきた鍛冶屋は、世界の変容に気づいていた。

 光の力を感じるのだ。そういえば、と彼は思い出した。沼地から巡礼の道へやってきたやつが顔を見せないなと。亡者になってしまったのだろうか。いずれにせよ、仕事が山積みだった。否、なるだろう。故郷に戻るのもいいかもしれない。彼は髭を弄りながら考えていた。

 

 太陽を求め、太陽のために不死になった男は、とぼとぼと帰路についていた。

 太陽とは燃え殻であるという真実。永遠の火などないという真相。燃え殻が人を恐れていたという、あまりに理想と剥離した世界に、彼は正気を失いかけた。だが、とある人物が彼の正気を取り戻させた。英雄が彼の横っ面を張って、いつものお前はどうしたのかと激しく問い詰めたのだ。太陽の真の姿を知ってすべてが投げやりになっていた男は、無気力な答えを返した。そして再び殴られた。説教を受けた。太陽の騎士が目指すべきものとは何か、理想とは何か、光とは、とにかく熾烈に。かの者が去ったのち、男は燃え殻の王グウィンの作り上げた場所から去った。故郷に帰って、身近な人になんと申し開きすればいいのだろう。そんな時に、空に太陽がかかった。雲が退いたのだ。闇の訪れを象徴する暗幕が消えた。太陽の偉大なる力が、ビリビリと鎧越しに肌を熱くさせた。彼は知らずのうちに涙を流し、そして祈りをささげていた。

 太陽万歳。

 

 

 

 墓場で、不死の印のない死体を埋葬している真っ最中だった男が、顔を上げた。

 男は、雲が晴れていく様を目撃した。最初の火が消えかけて以来、太陽は陰り作物が育たず疫病ばかりが蔓延した世にあって、太陽が雲から顔を覗かせた光景がいかに真新しく映ったか。

 人々は一斉に天を腕にあげ、あるものは胸に手を置いて跪き、あるものは両手を斜めに掲げて直立する姿勢をとって歓迎した。

 名も無き英雄がついに成し遂げたのだ。

 人々は口々に祈りの言葉を呟き、喜びを隣人と分かち合った。白教の教会が一斉に鐘を鳴らし始めた。街中に、国中に、世界中に、光を祝福する音色が伝わっていく。

 植物たちが、光に歓喜していた。大地から栄養を吸うだけでは足りない分を補うことができると。

 鳥が歌う。太陽が帰ってきたのだ。小鳥も、大きな鳥も、大鴉も空に舞い上がった。

 岩の古竜の血をひく竜たちは不思議そうに太陽を見上げたが、やがてどこかに去って行った。火の時代が始まれば、また竜狩りが始まるだろうから。どこかに身を隠さなくてはいけないのだ。

 

 

 

 そして、誰かが歌を口ぐさむ。

 名も無き歌を。

 薪となった不死を祝福する、もの悲しげな歌を。

 

 鎮魂歌、子守唄、どちらにもとれる歌を、囁く。

 

 

 

 

 ―――陽はまた昇る。

 

 

 

 誰かが言った。

 



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