オーバーロード 拳のモモンガ   作:まがお

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長かった帝都襲撃編もとりあえずこれで完結です。


帝都襲撃のエルヤー 後編

 帝国五騎士の鎧を身に纏い、されど騎士ではない少年――ただのクライムは闘技場への道を急いでいた。

 

 

(まずは隠密行動…… ツアレ姉さんの安全を確保し、モモンガ様にそれを伝える事が出来れば――ん、あいつはっ!?)

 

 

 闘技場は目前――その時クライムは逃げるように走り去る人影を見た。

 あの顔を見間違えるわけもない。エルヤー・ウズルスだ。

 

 

(どうする。追うべきか、闘技場が先か……)

 

 

 見たところエルヤーは一人。

 ツアレがいないという事はモモンガが既に救出した後なのかもしれない。

 だが元々闘技場に人質のツアレはおらず、別の場所に隠していた可能性もある。

 

 

(モモンガ様、私はエルヤーを追います。どうかご無事で……)

 

 

 追った先にツアレがいなければそれもよし、いるならば安全を確保する事がモモンガの助けになるはず。

 いくつかのパターンを考えた末に、クライムはエルヤーの後をこっそりと追いかけていった。

 

 

(ここは今は使われていない倉庫のはず…… やはり何かを隠しているのか?)

 

 

 そして辿り着いた倉庫街。

 帝国の様々な物資が保管されている場所で、倉庫の数にはかなり余裕がある。そのため現在使われていない倉庫も複数あった。

 エルヤーを追って中に入ったのは、そんな使われていない倉庫の内の一つ。

 クライムは物音一つ立てずに侵入し、辺りを見回しながら奥へと進む。

 

 

(アンデッドはいないみたいだが……)

 

 

 倉庫の中は大きな木箱がいくつか積まれている程度で、走り回れる程度には広々としている。

 そして中央には――一人の少女が投げ捨てられたように倒れていた。

 

 

「くそっ、ちゃんと倉庫に隠せと言ったのに、ど真ん中に放置しやがって。人質を縛りもしていないとは、気の利かないアンデッドどもめっ!!」

 

 

 この場にいないアンデッドへ忌々し気に愚痴を吐き捨てるエルヤー。

 その目線の先には意識を失ったままぐったりとしているツアレがいた。

 

 

(ツアレ姉さん!? ではモモンガ様の所には……)

 

 

 どうやらこちらを追って正解だったらしい。

 一刻も早くツアレの安全を確保し、モモンガに伝えに行かなければならない。

 

 

(あの日救っていただいたこの命。自分の全てを今、ここで懸ける――)

 

 

 エルヤーとツアレの距離、その間に自分が割り込むまでにかかる時間――いける。

 目視で距離を確認したクライムはクラウチングスタートの体勢をとり、弾けるように走り出した。

 

 

「エルヤーぁぁぁあぁあ!!」

 

「――っひ!?」

 

 

 数秒で二人との距離を詰め、回り込むように大剣を振りかぶって襲いかかる。

 エルヤーは不意を突かれただけにしては妙に過剰な反応――怯えたような声をあげた。

 クライムはその隙を狙って大剣を振るったが、横に飛び退くようにして躱されてしまう。

 

 

「ツアレ姉さんから、離れろっ!!」

 

 

 それを追いかけるように更に踏み込み、大剣を振り回してエルヤーをツアレの近くから遠ざけた。

 

 

「っちぃ、焦らせやがって…… 誰かと思えばあの時のガキですか」

 

 

 冷や汗を拭ったエルヤーは、襲撃者を確認した途端に怯えた表情を緩めた。

 そしてみるみる内に顔をギラつかせ、憤怒の表情でクライムを睨みつけてくる。

 

 

「不意打ちとはやってくれる……」

 

「ツアレ姉さんは返してもらいます」

 

 

 背後のツアレをエルヤーの視界から遮るように立ち、クライムはエルヤーに大剣を突きつけた。

 その目にはかつてないほどの闘志がみなぎり、確かな覚悟が宿っている。

 

 

「その鎧…… ふんっ、そんな馬鹿みたいに武器を沢山持ってどうするつもりです。あなたは騎士をやめて武器商人にでもなったんですか?」

 

「私の持つ全てを使ってお前を倒す。それだけです」

 

「装備が変わった程度で粋がるなよ。女一人守れなかった最弱の騎士如きが……」

 

 

 調子を取り戻したエルヤーは表情を醜く歪め、八つ当たりとばかりに口撃を飛ばし始める。

 

 

「私はもう騎士ではありません。その地位は返上しました……」

 

「クビにでもなりましたか? 残念でしたねぇ。たしか君は皇帝に全ての民を守ると宣言したんでしょう? 今どんな気分ですか?」

 

「……」

 

 

 ニヤニヤとした表情から繰り出される煽り。

 そんなエルヤーの挑発に揺らぐ事もなく、クライムは真正面から向かい合う。

 

 

「黙ってないで教えてくださいよ。最年少の騎士だったクライム君。理想に燃える少年の誓いはどうしたんです? あははははっ!! 全くいい笑いものだ!!」

 

「……今の私に理想は必要ない。大切な人も守れない騎士なんて――そんな夢、俺はいらない!!」

 

 

 少年の叫びとともに戦いは始まった。

 クライムは大きく跳び上がり、大上段からの一撃――武技〈斬撃〉をエルヤーに打ち込む。

 しかし全力の一撃は抜刀した刀で容易く受け止められ、その威力を流すように防がれた。

 鈍重な武器は不利である事を悟ったクライムは大剣を投げつけ、一瞬の隙と距離を作る。

 

 

「武技〈能力向上〉!!」

 

 

 クライムは背中に背負った武器に手を回して、握りしめた槍をすかさず突き出す。

 それが躱されると武技で身体能力を引き上げ、そのまま一息で三連突きを放った――

 

 

「踏み込みが甘いですね。〈能力向上〉」

 

 

 ――その攻撃もエルヤーには通用しなかった。

 僅かな攻防の中で柄の部分を的確に斬られ、手に持つ槍は既に使い物にならない。

 

 

「まだまだぁ!!」

 

 

 だが、クライムは攻撃の手を休めない。

 防がれるのは分かっていたとばかりに、慌てる事なく槍を破棄してベルトに付けた投げナイフを掴んだ。

 両手で三本ずつナイフを投擲してエルヤーを牽制し、急激に距離を詰めて腰にぶら下げた短めの棍棒で殴りかかる。

 

 

「こんな小手先の技が効くものか〈真・縮地改〉」

 

「――かはっ!?」

 

 

 しかしエルヤーは飛んできたナイフをゆらりと躱し、距離を詰めたクライムのお腹にカウンターを叩き込んだ。

 棍棒はクライムの手から離れて倉庫のどこかへと転がっていく。

 足裏で蹴り飛ばされたクライムは衝撃で呼吸が一瞬止まり、喘ぎながら血を吐いていた。

 

 

「大道芸としては合格ですが、一つ一つの武術としては五十点。凡人がいいとこですね」

 

 

 蹲るクライムを見下ろし、余裕の表情を見せるエルヤー。

 クライムと違って全く疲れた様子もない。

 

 

「そんな事、お前に言われずとも、知っている…… バジウッド様のような豪快な戦いも、ニンブル様のような堅実な剣技も、レイナース様のような槍術も――」

 

 

 クライムの脳裏に浮かぶのは才能溢れた騎士達の姿。そして自らを救ってくれた憧れの魔法詠唱者(マジックキャスター)

 

 

「――あの人のような魔法も、俺は何一つ真似できない……」

 

 

 自分の非才を認めながらも、クライムの目に諦めは感じられない。

 膝に力を込めてゆっくりと立ち上がり、最後に残った武器――一番使い慣れたロングソードを抜いた。

 

 

「往生際の悪い…… ですが長く遊べるのは嬉しい限りだ」

 

「いくぞエルヤー。武技〈脳力解放〉!!」

 

 

 現状では勝ち目のないクライムは切り札を切った。

 武技〈脳力解放〉――脳のリミッターを解除して、肉体と感覚、全ての機能を一段階引き上げる事が出来る武技だ。

 数々の死線――バジウッドの無茶振り訓練――を乗り越える事で編み出した、クライムだけのオリジナル武技。

 だが、普段セーブされている能力を無理やり引き出すのだから、当然反動も大きい。

 まさに諸刃の剣である。

 

 

「はぁぁぁぁっ!!」

 

「確かに動きは良くなりましたが――」

 

 

 クライムの剣と打ち合いながら、エルヤーは刀から伝わる衝撃にほんの少しだけ驚いた。剣技は凡庸そのものだが、今の状態なら身体能力は若干ながら負けていると。

 

 

「――しょせんは凡人の悪あがきだ。〈能力超向上〉」

 

 

 エルヤーは鍔迫り合いで押し込まれそうになり、とっておきの武技を発動する。

 〈能力超向上〉は使える者が滅多におらず、超がつく一流の戦士でなければ使えない。

 まさに才能の証とも言える武技である。

 その効果で急激に身体能力は跳ね上がり、全ての能力が強化されているはずのクライムを軽々と押し返した。

 

 

「ぐぁっ!?」

 

「これが才能というものです。身体能力を多少上げたところで、私には程遠い。それにその武技、随分と負担が大きいようですね? 自身の力量を超えた力は身を滅ぼしますよ」

 

 

 エルヤーに指摘された通りクライムの体はボロボロだ。

 外からの攻撃だけでなく、無理に引き出した力によって肉体は悲鳴を上げている。

 だがクライムは絶叫をあげて痛みを無視し、再びエルヤーに斬りかかった。

 

 

「無駄だと言うのが分からないんですかね」

 

「くっ、〈回避〉!!」

 

 

 首を狙った横なぎの一撃をバックステップして紙一重で躱すクライム。

 それを見たエルヤーはパッと何かを思いついたように笑顔を浮かべた。

 

 

「次、避けたら後ろの女が死にますよ? 武技〈空斬〉!!」

 

「なにっ――がっ!?」

 

 

 後ろのツアレが射線に入るように、位置を調整して放たれた飛ぶ斬撃。

 クライムは自分に直撃すると分かっていても、武技〈要塞〉で耐えるしかなかった。

 

 

「あははははっ!! 結局お前もあの男と同じだ。そいつを殺すと脅したらモモンは無抵抗に嬲られてくれましたよ。その子のどこにそんな価値があるのやら、理解に苦しみますね」

 

「黙れ……」

 

「強がっても空しいですねぇ。そら、次も庇わないと死にますよ。〈空斬〉〈空斬〉〈空斬〉!!」

 

「ぐぁぁぁあっ!?」

 

 

 その身を盾にツアレを守るクライム。

 次々と放たれる斬撃が鎧に傷となって刻まれていく。

 いくら頑丈な鎧を着て〈要塞〉を使っていたとしても、一撃ごとの痛みは生半可なものではない。

 エルヤーの攻撃が一息つくと、クライムは膝から崩れ落ちた。

 

 

「ああ、楽しい。生きている存在を甚振るのはやはり心が躍る……」

 

「はぁ、はぁ…… まだ、まだだっ……」

 

 

 エルヤーは恍惚の表情を浮かべ、満身創痍の少年を眺めた。

 剣を支えになんとか立ち上がろうとしているが、クライムの体には無事なところが一つもない。

 

 

「まだ、俺は……」

 

「まだ足掻きますか…… 才能の無い者がどんなに頑張ったところで無駄なんですよ。この王たる素質すらも兼ね備えた私に勝つ事など不可能だ!!」

 

 

 クライムは震える手で赤いポーションを取り出し、一気に飲み干して立ち上がる。

 

 

「はぁ、はぁ…… 才能はなくとも、いただいた物が…… 託された想いが、俺にはある。お前なんかに、負ける訳にはいかないっ!!」

 

 

 自分の実力ではエルヤーには届かない――それが決定的な以上、最早なりふり構ってはいられない。

 クライムは最後に残された奥の手を使う決意をした。

 

 

(モモンガ様、お婆さん…… 力をお借りします!!)

 

 

 一つはモモンガの魔法〈上位全能力強化(グレーター・フルポテンシャル)〉が込められた指輪。

 そしてもう一つは謎のお婆さんから渡された指輪――『竜の秘宝』である。

 戦士としてのレベルを上昇させ、成長限界すら打ち破る事が出来る規格外のマジックアイテム。

 クライムは指輪の詳細は知らないが、実は『始原の魔法(ワイルドマジック)』により作られた、この世に二つと無い至宝である。

 

 

「今お前に勝てるなら、この身がどうなろうと構うものかぁっ!!」

 

 

 二つの指輪の力を同時に解放し、クライムは決して自力で届く事のない力をその身に宿す。

 

 

「うぉぉぉぉおっ!!」

 

「――っ!? なんだ、この力は!?」

 

 

 尋常ではない勢いで放たれた一撃を咄嗟に刀で受け止め、エルヤーはこの戦いの中で初めて余裕の表情を崩した。

 

 

(そんな馬鹿なっ。〈能力超向上〉まで使った私が力で押されているっ!?)

 

 

 エルヤーの知るどんな支援魔法や武技でも、ここまでの強化は無理だ。

 いや、強化などという言葉では足りない。

 進化と言えるほどクライムの強さは跳ねあげられていた。

 

 

(いったいどんなカラクリがっ…… だがこんな無茶な強化がいつまでも続くわけがない!!)

 

 

 エルヤーの推測通り、クライムの体は限界に近かった。

 〈脳力解放〉を含めた複数の武技の同時発動。ポーションで回復しきれなかった傷。

 それらが強烈な疲労、激痛となって確実にクライムの体を蝕んでいた。

 

 

「ちぃっ!!〈真・縮地改〉」

 

「がぁぁぁあぁっ!!〈知覚強化〉」

 

 

 それでもクライムは止まらない。その全て気合いでねじ伏せ戦い続けた。

 凡人に相手の動きを先読みすることは出来ない。出来るのは目の前の動きに集中する事だけだ。

 感覚を極限まで研ぎ澄ませ、クライムはエルヤーの変幻自在な動きにすら食らいついた。

 脳を酷使しすぎて鼻血が出ているが、咆哮を上げて激しい頭痛を無視して剣を振るい続ける。

 

 

「この私が凡人のガキ如きにぃっ!!」

 

「負けない、絶対に負けるものかぁっ!!」

 

 

 気合いと執念で構成された凡人の剣は、天才の剣と互角に渡り合った。

 武技を使っても一息で間合いを詰められ、エルヤーはツアレを狙う余裕すらなくなっている。

 剣戟は苛烈を極め、一瞬とも永遠とも感じられる時間の中で二人は火花を散らし続けた。

 

 

「――っ!!」

 

「――っ!!」

 

 

 目にも留まらぬ速さで剣と刀がぶつかり合い続け――ついに互いの武器は同時に砕け散った。

 

 

(刀がっ!? だが、この勝負もらった!!)

 

 

 自分にはまだ魔剣が残っている。

 エルヤーは一度バックステップして魔剣に手をかけ――

 

 

「くらぇぇぇっ!!」

 

「まさかっ!?」

 

 

 ――クライムは武器も持たぬまま懐に踏みんだ。

 蛮勇、自殺行為とも言える思い切りの良さ。

 だがその一瞬も躊躇わないクライムの強い意志――男の意地は届いた。

 エルヤーの顔面に拳がめり込み、派手な音を立ててその体を吹き飛ばす。

 

 

「や、やった…… 後はモモンガ様に、伝えるだけ――」

 

 

 気力も体力も使い果たしたクライムは、膝をつくことも出来ず倒れた。

 辛うじて意識はあるが、指一本動かせそうにない。

 

 

(くっ、少しだけ休んでから、ツアレ姉さんを――)

 

 

 ――痛かったですよ…… クソガキ。

 絶望の声が聞こえた。

 

 

「そんなっ、エルヤー!? お前、まだ……」

 

「よくも私の顔を、王たる私の顔をっ!! 下等な人間如きが!!」

 

 

 うつぶせに倒れたクライムの視界には、首をコキコキと鳴らしながら立ち上がるエルヤーの姿が映った。

 反射的に自分も立ち上がろうとするが、体は全く動いてくれない。

 

 

(動け動け動けっ!!)

 

 

 魔剣を手に持ったエルヤーがゆっくりと近づいてくる。

 しかし、焦る気持ちに反して体は言う事を聞いてくれない。

 

 

(くそっ、くそっ。動け、動いてくれっ!!)

 

 

 自分が死ぬだけならまだいい。

 でも大切な人が死ぬのは見過ごせない。

 そう思っているのに。こんなにも願っているのに、最後の最後で自分は――

 

 ――やあ、エルヤー。ケジメをつけに来たぞ。

 

 クライムの目の前に突如現れた闇。

 そこから聞こえてきたのは、誰よりもカッコよくて威厳のある声――自分の憧れの人の声だ。

 

 

(ああ、あの時も…… 自分は、こんな風に、助け、られた、の、か……)

 

 

 クライムはツアレに名前を呼んでもらえた日を思い出す。

 少年はもう大丈夫だと安堵して、ほっとした顔でそのまま意識を手放した。

 

 

 

 

 観客のいない闘技場内に無数の衝撃音が響き続けている。

 大量のアンデッドに囲まれ、剣撃、打撃を雨あられと受け続けているのは同じくアンデッドの死の支配者(オーバーロード)――モモンガだ。

 

 

(ツアレ、情けない保護者でごめんな…… もう少しだけ、待っててくれ……)

 

 

 これを企てたエルヤーはとっくの昔にどこかへ行ってしまった。

 誰一人見ていないのにモモンガは無様な道化を演じている。いや、厳密に言えば違うかもしれないが、たった一人だけ観客がいる。

 エルヤーが『腐剣・コロクダバール』の能力を使って生み出したモモンガのトラウマ――鈴木悟の母親だ。

 屍収集家(コープスコレクター)に囚われた母親を眺めながら、モモンガは突っ立っていた。

 

 

(もう少しだけ…… どんな手を使っても助けるから、頼むから生きててくれ……)

 

 

 時計を着けていないため、どれだけ時間が経ったのかもよく分からない。

 殴られる感覚を完全に無視して、何も出来ない――何もしていないモモンガはこの場にいないツアレの無事を祈っていた。

 モモンガは消化しきれない感情を抱えながら、もう間違えないようにと自身の感情を押し殺そうとする。

 感情的になれば今度こそ何かを失ってしまう。そんな気がしていた。

 

 ――アレは偽物だ。

 

 

(母さんはいつまであの状況で生きられるのだろうか…… 監視の目はなくなった。もしエルヤーにアンデッドと精神的な繋がりがないのであれば、この場を移動出来る……)

 

 

 自身から漏れ出してしまった〈絶望のオーラ〉を受けて、エルヤーは自発的に逃げ出した。

 幸いな事にアンデッドに精神攻撃は効かない。そのため周りにいるアンデッドからは抵抗とみなされなかったらしい。エルヤーが勝手に逃げただけだ。

 だが流石に自分が移動しようとすれば、抵抗とみなされるだろう。

 アンデッドは命令に従順。躊躇いなどない。

 そうなれば目の前の母親は無惨にも引き裂かれる。

 

 ――アレは偽りだ。

 

 

(本当に久しぶりに見たな…… 写真なんか持ってないし。ああ、母さんはこんなにも顔色が悪かったのか……)

 

 

 一人の骸骨が同族のアンデッドにリンチされている光景。

 目の前の母親は一体どんな気分で見ているのだろうか。

 そもそも自分が息子だと分かるのだろうか。

 

 ――アレは本物じゃない。

 

 

(エルヤーはトラウマだと言った。なら今の母さんは、死ぬ間際の母さんなのか? もうすぐ死んでしまうのか?)

 

 

 モモンガ――鈴木悟の母親は過労で亡くなっている。

 幼かった鈴木悟は何も出来ず、気がつけば大切な人がいなくなっていた。

 それに気づいた時の心の傷は深く、モモンガは無意識のうちに忘れようとしていたほどだ。

 

 ――母さんはあの世界で既に死んでいる。

 

 

(最初に間違えたのがいけなかったのか? どうすれば両方を助けられる? 無理なのか? ツアレを救うために、母さんが二度目の死を迎えるのを認めるのか?)

 

 

 モモンガは怒りを心の片隅に追いやる。

 だが、冷静になろうとすればするほど思考の迷路にはまった。

 何が正解なのか――本当は分かっている――分からない。

 誰でもいいから教えて欲しいくらいだ。

 

 

 ――『悟……』

 

 

 そんな時、人外の聴力でなければ聞き取れない程の、ほんの小さな声が耳に届いた。

 屍収集家に捕まっている――もはや支えられている母親と目が合った気がした。

 

 

『お母さん頑張るから、あなたはちゃんと学校を卒業するのよ…… 悟、あなたはやりたい事をやりなさい――』

 

 

 それはいつだったか、遠い昔に母親から聞かされた事のある言葉。

 

 

『――お母さんは、悟の幸せを、一番に願っているから……』

 

「母さん……」

 

 

 ここにいる自分に向けられた言葉なのかは分からない。単にいつかの過去が再現されただけかもしれない。

 母親は僅かに微笑んだ後、力なく首を垂れてそのまま光の粒子となって消えていった。

 掴んでいた母親が消え、命令を果たせなくなった屍収集家は動かなくなる。

 

 

(俺の背中を押してくれた――なんて思うのは都合が良すぎかな…… でも、ありがとう、母さん……)

 

 

 先程まで悩んでいた事が嘘のように、段々とモモンガの頭は冴えてきた。

 今ならば目の前の情報をちゃんと整理出来る。

 状況が変化したにもかかわらず、自分を攻撃し続ける周りのアンデッド。

 母親が消えてからは何もせず、立ち続けるだけの屍収集家。

 周りに死者の大魔法使い(エルダーリッチ)のような、〈伝言(メッセージ)〉が使える魔法職のアンデッドもいない。

 エルヤーは魔剣こそ持ってはいたが純粋な剣士だ。

 アンデッドと情報を共有している様子はなく、思念で遠距離から指示を出す事は出来ないのだろう。

 

 

「手を出せばツアレを殺すと言うのはブラフだったか…… こんなものに騙されていたとは。いや、俺が気づけなかっただけか……」

 

 

 創造されたアンデッドは命令に従順。そして知能が余程高くない限り融通が利きにくい。

 裏を返せば創造主にどれだけ不利益が起ころうが、与えられた命令を実行し続ける。

 基本的に新たに命令されない限り、自発的に行動を変える事はないのだ。

 ならばもうここで何をしようが、ツアレが傷つく心配はない。

 

 

「そりゃそうだよな…… 召喚されたものは制限時間がきたら消える。魔法やスキルで生み出した物は何も残さない…… 当たり前だ。知ってて当然。分かってたさ……」

 

 

 母親が消えた辺りを見て弱々しく呟く。

 存在しない者には蘇生も回復魔法も使えない。

 悲しいような、ホッとしたような――ぐちゃぐちゃになった感情がモモンガの中に溢れかえった。

 

 

「――でも久しぶりに顔が見れて、声が聞けて嬉しかったよ母さん……」

 

 

 たとえ偽りでも、魔法で作られた一時の幻影のような物だったとしても、この気持ちは嘘じゃない。

 もう迷う必要はなくなった。

 ああ、こんな鎧も解除しよう。

 もう必要ない。邪魔なだけだ――

 

 

「分かってた。分かってたさ…… あれが本物の母さんじゃない事くらい。母さんは既に死んでいる。この世界にいるはずもない…… そんな簡単な事くらい、俺は、俺だってっ!! 分かってたんだよっ!!――」

 

 

 ――〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)

 

 瞬間、モモンガは暴力の化身となった。

 力任せに目に付く全てを薙ぎ倒し、闘技場内のアンデッドを蹂躙しつくした。

 無雑作に振るわれる力はアンデッドをいとも容易く滅ぼし、その余波は闘技場の地面や壁を容赦なく傷つけていく。

 加減をせずに暴れたせいで闘技場が半壊しているがどうでもいい。誰も素手でやったなど分かるまい。

 完璧だ。俺は冷静さを取り戻せている。

 

 

「ふむ、素早さや物理防御は上がるが、攻撃力は若干下がっているな。ああ、なるほど。『嫉妬する者たちの代行者(コレ)』が魔法攻撃力を変換しているからか…… 戦士としてのバランスはこちらの方がいいが、物理攻撃のみなら普段の方が強いのか……」

 

 

 ああ、俺は冷静だとも。

 今だって魔法の効果と、アイテムによる効果の検証が出来ているじゃないか。

 

 

「まずはツアレの居場所の探知。そしてエルヤーの居場所の確認っと」

 

 

〈完璧なる戦士〉を解除し、複数の情報系魔法を抜かりなく発動するモモンガ。

 大丈夫、十分な情報も集まった。

 あとはツアレを助けに行くだけだ。

 

 

「さて、行くか。〈転移門(ゲート)〉」

 

 

 それぞれの場所を確認したモモンガは〈転移門〉を開く。

 ツアレを助けたら次はどうするか。

 そんなのは決まっている――

 

 ――エルヤー、貴様の番だ。

 

 

 

 

 ぽっかりと浮かぶ闇。

 そこから出て来たのは"死"だった。

 

 

「ぎゃぁぁっ!? 腕が、私の腕がぁぁっ!?」

 

「貴様の持つ力の全てを正面から叩き潰して否定してやる。好きに抵抗してみせろ」

 

 

 何が起こったのか分からない。

 気がつけば目の前の化け物に左腕を引きちぎられた。

 

 

「ア、アンデッド達、早く、早く来い!!こいつを殺せぇ!!」

 

 

 ガキの相手には使うまでもなかったが、万が一の時のために倉庫の木箱に隠しておいた三体のアンデッドを呼び寄せた。

 どれも強大な力を持っている。こいつらなら――

 

 

「アンデッドで戦いたいのか? いいだろう。こちらも同じもので相手をしてやる。特殊技術(スキル)〈中位アンデッド創造〉――死の騎士(デス・ナイト)屍収集家(コープスコレクター)切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパ―)――やれ」

 

 

 相手は無から私と全く同じアンデッドを生み出した。

 そのままぶつかり合う同種のアンデッド。

 そして私のアンデッドは全て負けた。

 ありえない。何故だ。何故奴の方が強い。

 

 

「コロクダバールよっ!! 再び奴にトラウマを見せろぉぉっ!!」

 

 

 残った一本の腕で必死になって魔剣を掲げる。これなら奴は手も足も出ないはず。

 しかし現れたのは闘技場で見た女ではなく、見た事もない異形種だった。

 

 

『モモンガさん。俺、ユグドラシルを引退しようと――』

 

「ゆるせ」

 

 

 某バードマンは食い気味に殴り飛ばされ、光の粒子となって消えた。

 

 

『ごっめ〜ん、ギルマス。あの希少素材なんだけど、ゴーレムに使っちゃった。てへっ!!』

 

「ゆるさん」

 

 

 その後も何度か試したが、様々な異形種が現れるだけ。どれも奴に殴られて一瞬で消えていった。

 くそ、何故奴の母親が出てこなくなった?

 何故だ。あの異形種達も奴のトラウマには違いないはずだ。何故恐れないんだ?

 

 

「トラウマを具現化する能力か…… 一度乗り越えてしまえば同じ物は出せなくなる。実に対処しやすい能力だな」

 

 

 くそっ、こんな化け物にこの私が負けるはずがない。こんな奴に私がっ――

 

 

「諦めたか? なら貴様の残りの手足も奪ってから、帝国に突き出してやろう。牢屋で一生を終えろ」

 

「帝国に突き出す? 何故だ、力ある者が力を使って何が悪い。下等な生き物を殺して何が悪い? アンデッドである貴様がっ――」

 

 

 ――何故私は気づかなかったんだ。

 人間は、生きているものは全て下等生物だ。

 ならば――

 

 

「――そうか。さっきのアンデッドが負けたのは私が悪いんじゃない。素材が悪かったんだ…… モモン、人間とアンデッドでは素の能力が違います…… 私も貴様と同じアンデッドになれば、私が負けるはずがないっ!!」

 

 

 ――これで私の勝利だ。

 『腐剣・コロクダバール』を逆手に持ち、自分の心臓を貫いた。

 自分の中の何かが抜けていき、代わりに負のエネルギーが満ちていくのを感じる。

 勝った。これなら奴にも勝てる!!

 

 

「あははははっは!! どうだモモン。これでお前と対等になったぞ!!」

 

「そこまで落ちたか…… 確かに、この世界で力が使える事を不思議に思いはしたが、力を使う事に疑問を持った事はなかったな……」

 

「何を今更。持っている力を使うのは当たり前でしょう!!」

 

「何も変わっていないと思ったが、俺も案外変わったのかもな…… 人は力を持つと変わってしまうのかもしれん」

 

「訳の分からない事を…… 命乞いか? 許さんぞ。全ての生者が憎い、お前はもっと憎い…… 殺す。殺してやるぞ、モモン!!」

 

「……エルヤー・ウズルスだった者よ。お前はあり得たかもしれない私の成れの果て、良い反面教師だ。忘れないでおこう」

 

 

 訳の分からない事を言っているが関係ない。

 殺したくて殺したくて堪らない!!

 憎い憎い憎い、生きている者全てが憎い!!

 人に情を持ち、人間のようにふるまうコイツが憎い!!

 

 

「私はこの世界に来て最初にやらかしてしまったが、もう二度とこの一線は越えない。身も心もアンデッドになったら、もはやモモンガですらない…… 改めて誓おう。私は人を殺さない――」

 

「死ねぇぇぇぇっ!!」

 

 

 肉も皮もない骨だけの体で殴りかかった。

 そういえば、私はどんな種類のアンデッドになったのだろう。

 鏡はないが、少なくとも目の前の奴よりはきっと――

 

 

「――だが、お前は人じゃない」

 

 

 エルヤー・ウズルスだった者――ただの骸骨(スケルトン)の体は、モモンガの拳で粉々に砕け散った。

 

 

 

 

 帝国の歴史に残る重罪人、エルヤー・ウズルスによる帝都襲撃事件は終わった。

 多くの被害が出た痛ましい事件だったが、優秀な皇帝の指揮の下、着々と復興計画は動き出している。

 余談だが、帝国では奴隷制度の撤廃が進められつつあった。

 また異種族に対する差別も減り、エルフなどは完全に人権を得ている。

 理由は単純、エルヤー・ウズルスの悪評は余りにも酷く広まりすぎたのだ。奴隷を持つ者、不当に異種族を蔑む者=エルヤーという風潮が出来てしまう程である。

 誰よりも奴隷や異種族を蔑んだ男が、それを救う切っ掛けになる――世の中何がどうなるか分からないものだ。

 

 

「モモンガ様。私、ずっと気絶していたのでよく知らないんですけど、それって……」

 

 

 ツアレの目線の先は、禍々しい錆びた色の剣があった。

 モモンガは手に持った魔剣を指差すと、道具鑑定の魔法をかけた。

 

 

「ああ、そうだ――〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉」

 

 

『腐剣・コロクダバール』――殺した者をランダムなアンデッドに変え、それを使役する事が出来る。

 対象の心の中で深く傷として残ったものを、能力を除いて具現化する事が出来る。

 この剣の使い手は能力を発動する度に精神がアンデッドに近づいて――

 

 

「――〈上位道具破壊(グレーター・ブレイク・アイテム)〉持ち主の心を腐らせる魔剣か…… コレクションする価値すらない。どうやらただのゴミアイテムだったようだな……」

 

 

 モモンガは魔剣を躊躇いなく消し去った。

 ツアレは一瞬驚いたようだが、モモンガの方を見ると納得したように微笑んだ。

 

 

「はい。モモンガ様が言うなら間違いなさそうですね」

 

「漆黒の剣の真実なんてどうでもいい。もっと面白い内容の物語にして、いずれツアレに語ってもらうとするか」

 

「はいっ!! そうですね、呪われた魔剣と仮面の魔法使いの話なんてどうですか?」

 

「ふふっ、それなら一人の女の子を守り抜いた、立派な少年騎士の話の方がいいんじゃないか?」

 

 

 また一つ、少女は新しい物語を作った。

 呪われた魔剣の脅威に立ち向かい、最後はハッピーエンドで終わる物語を。

 本人は当事者でありながら、ほとんどの事を知らなかった。だから教えてもらった事から想像を膨らませて作ったのだ。

 十三英雄の物語や漆黒の剣にまつわる物語は元々歪められたものが多い。

 今を生きる少女が新しい物を生み出しても何も問題はないだろう。

 仮にタイトルをつけるとしたら「仮面の魔法使いと少年騎士」――そんなところだろうか。

 

 

 




部下「陛下、闘技場が半壊してました。修繕費用は金貨七万枚ほどの見込みです」
皇帝「えっ、半壊? ……七万だとっ!?」

筆頭「陛下からの伝言だ。お前が辞めるのを承認した覚えはないってさ」
少年「本当ですか!? それでは、私はまた騎士として――」
筆頭「その通り。つーわけで訓練だ。クライム、俺と組手しようぜ」
少年(あっ、死んだ……)

この後めちゃくちゃ回し蹴られた。

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