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魔法少女るり

作者:夢紗玖洒

 手足を投げ出した少女が、魔法の戦士への変身を始めた。

 瑞々しい潤いを湛えた白い手のひらが光を纏い、ワンレッドのドレスグローブが現出する。袖口に肌理細やかな幾何学的意匠が、いくつものハートマークを重ね連ねているようにも見えた。ほぼ同時に、少女の細い脚部の先がエナメル質のブラウンロングブーツに包まれる。黒い紐が魔法の力で自然と結ばれ、きゅっと可愛らしい弧を描く。踵についた鷲の翼のバッジにより、眩しいアクセントが添えられている。膝の上方へと目をやれば、それまで少女が来ていたごく普通のロングスカートが瞬く間に変形し、折り目のついた躑躅色のプリーツスカートとなる。風もないのにふわりと棚引いて、いわゆる絶対領域の、思わず見とれてしまうようなふくよかな肉質を備えた美しい景色が顔をのぞかせる。もう少しで内部が拝めようかと思われた瞬間、小ぶりなお尻がつとに下がり、スカートの裾が整えられてしまう。その一方、腰回りでは幅の太い緋色のリボンがしなやかに巻き付き、見えない力で腰回りを締め付けた。続いて胴体に光が移り、白いブラウスがまず現れる。腰から両肩への豊満な膨らみを乗り越えた二本のラインに、花街道を彷彿とさせる紅色のフリルが飾られていた。最後に胸元に一際光が集中する。超新星の誕生に似通う聖なる光はやがて炎のごとき朱色に飲まれ、光り輝くペンダントを含むリングが首元に出現し、きらりと存在感を放つ。

 すべてが、一瞬のできごとだった。この街、国、世界の全ての人にとっての希望の象徴である赤き魔法戦士は、見るものを恍惚とさせる肉質豊かな脚から静かに地面に降り立った。

「魔法少女るり、ただいま見参!」

 勢いよく振り返り、真っ直ぐしなやかに伸びた指を怪人へと向ける。変身の効果によりややサイズを大きくした胸部がぷるんと揺れた。

「観念しなさい、ダークロード! せっかくの楽しいひと時を台無しにしちゃうあなたたちなんて、絶対に許しません!」

 凛と透き通る宣言。観覧していた周辺住民もつられて盛り上がる。

「うおぉー、生のるりちゃんだああ!! 初遭遇キタ!」

「きっとすぐにテレビが来るぞ。もしかして映るかも!?」

「大スターとこんなところで出会えるなんて、私感激しちゃう!」

 賞賛の嵐が耳に届き、るりの鼻が高くなる。たとえ見知らぬ人たちだとしても、褒められるのは悪い気がしない。

 魔法少女としての活動を始めてからすでにひと月。怪人の出現に絶望していた人々の前に現れた希望の戦士の噂は瞬く間に広がり、テレビやネットを介してさまざまな人々に紹介されていた。るりが現れれば、観覧者も騒ぎ、もてはやす。このひと月の間にすっかりそのことが当たり前となっていた。

 だが、うかうかしてもいられない。にやけた顔を振るって、皆を見回す。

「一般市民のみなさん! ここは戦場です。危険ですので逃げてください!」

 まず第一に優先すべきは市民の安全。魔法少女としての教育を受けているときに学んだ大切な掟だった。案の定、市民の顔には動揺と不満の色が浮かぶ。大衆というのはいつのときも危険には疎く、好奇心や快楽を求めてしまうものなのだと、るりもすっかりわかっていた。

「大丈夫です、みなさん。この怪人は必ず私が倒しますから。私を――信じてください」

 そよ風のような優しい微笑みに合わせ、ぱちりと片目を閉じる。きょとんとした市民たちが、ワンテンポ遅れて快哉を上げる。

「うおおおお――!! 生ウインクキタ――!」

「ありがとうございます、ありがとうございます!」

「私もうこれから一週間いいこと尽くしな気がするわ!」

 人々が勝手に盛り上がる。聞いているとるりでさえも呆れてしまうような喜び方があり、顔が引き攣ってしまう。いつの間にかるりは希望の象徴どころか、幸運を運ぶ縁起物としての役割まで果たしていたらしい。


「……さてと、騒ぎも一段落しましたかな?」

 存外落ち着いた声で、異形の怪人は言い放った。

「うん。いつものことで、すいません。どうしても目立っちゃうから、だんだん騒ぎが大きくなっちゃって。もう少し静かなところに出てきてもらえたらうれしいんですけど」

 試しに怪人に頼んでみるも、怪人は愉快そうに笑うだけだった。

「はっは、それは仕方ない。大勢の人がいるところに現れて、攫うのが私たちの役目なのですから」

 怪人はさらりと物騒なことを言う。だが、それに続けて首をわずかに横に振ってもみせた。

「ただ、私は少し違いましてね――」

 怪人は言葉を切り、身を低く構える。スーツ姿の端正な男のようだったその肉体が、巨大な風船のようにゆっくりと膨らみ始まる。

 るりは異変を肌で感じた。

 敵の魔力が増大している。これから本調子になるってわけか――

 るりの顔から笑みが消える。余裕のない戦いを強いられるかもしれない。そんな予想が立ち、戦士としての血がたぎる。

「私は、あなたに会いに来たんですよ。るりさん。いったいどんな人が私たちの邪魔をしているのかなと思いましてな」

 上半身のスーツがはじけ、怪人の赤く照った筋骨隆々の肉体が露わとなる。肌の毛穴から蒸気を発しており、もうもうと立ち込めるその姿は異様というほかないものだった。

 感じられる魔力は、絶大。今まで出会ったどんな怪人よりも強烈。

 それをわかっていながらも、るりはファイティングポーズを取る。

「あいにくだけど」

 るりは口の端を吊り上げ、言い放つ。

 地面を勢いよく蹴り、敵へと飛び掛かる。詰まる間合いの先、怪人はまだ動いていない。

「会うならちゃんと約束してよね!」

 言い、身を回転させて蹴りをお見舞いする。勢いに乗った脚は敵の肩を強かに打ち付けた。

 並の怪人ならばこの一撃でバラバラに粉砕できる。的が大きい分威力も乗せやすかった。渾身の一撃。るりはいつものように、その脚を振りぬこうとする。

 だが、脚は肩を弾けさせるには至らなかった。

「なるほど、強力な蹴りですね。だが、私には――効かん!」

 怪人の身がすばやく翻る。右手の拳に爆発的な蒸気が発生するのをるりの目が捉えた。

「う、うわ!?」

 慌てて身を引くるり。開いた間合いの間で、怪人の巨大な拳が風を切る音が響く。見るからに凶悪な怪人の一撃は、なんとか空振りで終わった――かに思えた。

「きゃっ!?」

 突き抜けるような衝撃がるりに襲い掛かってきた。減圧されながらも、風圧が一斉にるりに襲い掛かってきたのである。短く悲鳴を叫んだのち、るりの細身の体はあられもなく地面から離れ、空中を舞い上がった。

 放射線を描いて吹き飛ばされる魔法少女。腰のリボンとプリーツスカートを派手にはためかせたまま、肩から地面に激突する。

 数メートル身体が地面をこすり、勢いが減殺されるまでに多大な土煙が立ち込めた。

「うう、いたた。なんて馬鹿力なの」

 魔法少女だからこその耐久力で、攻撃のダメージはさほどでもない。それでも直撃したらひとたまりもないことはすぐにわかった。るりは頭を抑えつつ、脚に力を込めて立ち上がる。

 薄い目を開けてみれば、怪人は元の位置からさして動かず、じっとるりを見て立ちすくんでいた。

「何なら、部外者の避難が終わってから戦いの続きをしますかな? このままでは、あなたのせっかく築き上げた希望が潰えてしまうかもしれません」

 怪人は両腕で回りを指し示す。観覧している人たちは幾人か避難したものの、まだ好奇心から戦闘を眺めている人たちが大勢いた。るりの身体が吹き飛ばされ、地面を撫でる姿も、逐一見ていたに違いない。そのかおは一様に不安が浮かんでいた。

「……それ、どういう意味よ」

 キッと怪人を睨み据え、るりは詰問する。怪人は肩を竦めて首を振り、呆れの顔を表した。

「やれやれ、もうわかったでしょうに。私はそこらにいる下級の怪人とは違います。それらを統べる存在なのです。あなたのその可愛らしい力では、私に攻撃することはおろか、攻撃を受けることさえままならないでしょう」

「はん! たった一撃食らわせただけで何を言っているの? それに、まだ私の攻撃も食らっていないのに」

 気丈にるりは反論した。肌にびりびり感じる魔力から、敵が相当の手練れであることはよくわかっていた。それでも、希望を信じる市民のことを想えば、ここで反論せざるを得なかった。

「お言葉ですが、攻撃ですらない衝撃波に吹き飛ばされたのですよ? それにも関わらず、あなたはずいぶん痛がっていましたよね」

「そ、それはちょっと擦りむいただけよ! もう平気」

 ジンと沁みる肩の痛みはまだ残っていたが、それを悟らせないように首を必死に振ってみせた。

「……そうですか」

 納得していない様子だったが、怪人は肩を落として頷いた。

「あなたがそういうのでしたら、いいでしょう。あなたに現実を教えて差し上げます!」

 怪人がまたひとしきり、唸る。力がメキメキ込められていき、身体から蒸気が噴き出す。

「くっ、すごい魔力。だったら――」

 るりは跳びはねて後ろへと下がる。何も無暗に近づくことはないと判断し、距離を取った。

 グローブに包まれた手を、高々と上に掲げる。魔力を集中させると、その手のひらに真っ白な球体が生まれ、シュンシュンと音を立て始めた。

 怪人がるりに気づいて息をのむ。るりはにっと笑い返す。

「これでも食らえ!!」

 叫びと同時に腕を振るう。手のひらはピンと怪人の方を向く。球体が一際大きく膨張し、その中心から一挙にいくつもの光の筋が射出される。

「なんと、こんな技、ウグウウウゥゥゥゥ!!」

 腕をクロスさせ、ガードを取る怪人。だが、光の帯は器用に向きをかえ、その肉体の隙間を狙って突き刺した。

 怪人が低くうめき声を立てる。それを掻き消すように、光が突き刺さり、血しぶきの飛び散る音が鳴り響く。

 土煙と血が交じり合い、小型の爆弾でも爆発したかのように、怪人の巨体を包み込む。

 外側で、るりはほっと胸を撫で下ろす。


「いよっしゃ――!! るりちゃんの勝ちだ!」

「おめでとう、るりちゃん! ありがとう!」

 観覧者たちの嬌声と拍手が、その場を包み込む。るりは慌てて「えへへ」と笑いかける。

 怪人に勝利するときはいつでも同じことが起きる。もう何度も繰り返されてきたことだが、るりは毎回照れてしまう。やたらと人から褒められるのには、いつまでも慣れそうにない。

「というか、まだ避難してないんですか!?」

 我に返って、るりが驚く。

「はやく逃げてください! まだ怪人が潜んでいるかもしれないんですから!」

 眉根を寄せて怒るるり。ただ、それを見る市民の顔がどうにもにやついている。

「だって、るりちゃんの戦う姿みたかったんだもーん」

 誰かが軽々しく言い、笑いが立ち起こる。一人真剣な顔をしていたるりは、途端に恥ずかしくなって、頬を火照らせてしまう。

 まったく、みんな勝手なんだから――

 顔を俯かせ、腕を後ろ手に組む。緊張感のない人たちを前に、どういえばいいのかわからず、黙り込んでしまう。

「お、おい! るりちゃん怒っちゃったぞ!」

「誰だ泣かせた奴は?」

 誰かがふざけた調子でいい、下卑た笑い声が続いた。るりは弾けるように顔を上げた。

「な、泣いてなんかいないわよ! 馬鹿!」

「わっ、馬鹿だって。怒ってるよあれ」

「泣いてないって、涙目で言われてもなあ」

 相変わらず聞く耳をもたない観衆。言われて目を拭うるり。その指は確かに湿っていた。るりの顔がさらにヒートアップしてしまう。

 どうして、みんなまじめに逃げてくれないんだろ。いつでも私ばっかり戦っていて、周りの人たちはのほほんとしたままで――

 助けることの喜びは確かにあった。それにより感謝してくれる人たちもいた。だけど、やっぱり大多数の人にとってはるりの戦いは見世物と化していた。そのことをマスコミのせいだとか、追求することもできただろうが、るりはそうまでする前にあきらめの感情を抱いていた。所詮人は、本当に危ない目に会わなければ逃げようとも思わない。ほかの誰かが戦っていても、それはショーでしかない。たとえそれが、小さい女の子だとしても。

 暗い思考に囚われ、俯いていたるり。

 すっかり感覚は鈍っていた。

 だから。

「はッ!? 魔力が――」

 背後で蠢く気配にも反応が遅れてしまった。


 土煙を突き抜けて、一つの巨体が真っ向から突進してくる。まるで弾道ミサイルのように、空気を震わせてるりの眼前に迫る。

「き、キャアアアアアアアァァァ!!」

 悲鳴を上げ、身を屈めるるり。そのブラウスの襟首を、ぐいっと持ち上げられる。

「グェ!」

 カエルの鳴き声のような音を漏らしながら、るりの身体が浮き上がる。どうしてそんなことになるのかわからず、思考が混乱する。

「やってくれましたね、るりさん」

 静かなバリトンで、怪人が言う。るりを持ち上げたまま、その身体は空中へと浮かび始めた。

 市民の驚嘆の声。るり自身も驚き、目を見張って人々を見下ろす。

 首を捻って確認するるり。見えたのは、黒い大きな蝙蝠のような翼。

「まさか……飛べるの? あなた」

「ええ、怪人らしいでしょう?」

 撫でるような怪人の声が聞こえる。話し方が紳士的であるために、言いようのしれない不気味さが言葉の端々から漂っている。

 ぞくりと、るりに悪寒が走る。

「離して! この!」

 手足をばたばた震わせるも、怪人に届くことはない。るりの抵抗は虚しく空を切るばかりになってしまう。

 それどころか、怪人は少しずつるりの身体を持ち上げつづけた。ブラウスによって首元が締め付けられる。

 顔が、とうとう怪人の顔のところまで持ち上げられる。冷たい真っ白な目がるりを睨みつける。不気味な笑みが開き、るりに声をかける。

「それでは少しだけ、反撃しましょうか」

 低い響きがるりの鼓膜に届く。一層吊り上がる怪人の口。るりが悲鳴を上げるのと、その身体だ横へと振り投げられるのは同時だった。

「イヤァアアァァァ~~~~~!!」

 悲鳴を上げながら、るりの身体は猛烈な勢いで空間を横っ飛びに切り裂いていく。空気抵抗にあってもほとんど相殺されないまま、遊園地の一角にあった時計台の柱に激突する。

「ふぐぅ!?」

 右肩と脇腹に尋常ならざる打撃を受け、悶絶する魔法少女。ひしゃげた時計盤に罅がはいり、魔法少女の身体をその凹みに収めてしまう。

 重力に引きずられ、るりの身体が滑り落ちていく。赤いコスチュームがしわくちゃになり、バラバラに飛び散っていたリボンが下へと流れていく。ふわりと身体が浮く感触。このまま地面に落ちる、とるりが想像した瞬間、全く予期せぬ力がその顔面に振りかかってくる。

「ん゛むっ!?」

 両方のこめかみに指が食い込み、るりの眼前は手のひらの陰に隠れてしまう。るりの顔を覆ってしまうほどの大きな手のひら。それが誰のものかはすぐにわかった。

「まだまだ、落とさせやしないですよ」

 怪人の声は艶めかしく響く。なすすべもなく、力も籠められないでいるるりの身体が、今度は顔から持ち上げられる。

 怪人の羽ばたきにより、再び時計盤の位置まで浮かぶ魔法少女。一本の怪人の腕だけに支えられ、揺れ動くその身体は、ひどく不安定で儚かった。

「うう……ぐ、このぉ」

「ふふ、まだ呻くだけの力は残っているようだ。安心しましたよ。まだ――楽しめそうだッ!」

 語尾に力を込める怪人。そして、衝撃。

「む゛う゛ぅぅっ」

 腹に強烈な一撃を受け、るりの声が詰まる。悲鳴を上げるより先に、胃の内容物が逆流し、その口内を埋めつくす。

「まだまだ!!」

 えずく少女にお構いなしに、怪人は再びその腕を振るい、寸分たがわず少女の胴体の同じ位置に一撃をお見舞いする。巨体が振りかざすあらん限りの腹パンチは、少女の内蔵の主要な個所を的確に打ち抜き、損傷させる。身体の底から湧き上がる悲鳴がるりの身体を、思考を埋め尽くし、わずかにのこっていた恥じらいの心を穢す。

「う……ぅおええぇぇぇ……」

 首を下げようにも手が放してくれず、前を向いたまま、るりの口腔から嘔吐物が噴射される。巨大な手のひらにぶっかかり、饐えた匂いがつんとるりの鼻を刺激する。

「おやおや、派手に粗相をしてくれましたねえ、魔法少女さん!」

 怪人はこめかみの握る力を強める。

「ああ、がっ……」

 呻くるりの頭が、突然、後ろへと押し付けられる。時計盤にぶつかったその幼い少女の顔に、怪人の手にかかった吐瀉物が塗りたくられる。

「む、ぶっぐむうううぅうぅうう」

 家畜のように喚くるり。本能的に避ける対象であるはずの饐えた刺激が、そのふっくらとした頬を責め、鼻と目に沁みこんでいく。そこに涙が混じり合い、混濁される。

 やめて、やめて――るりの頭の中は、いつしかその言葉ばかりになる。だが、そんな言葉が、怪人に届くことは無かった。

 非常なる追撃が、やはりお腹を襲い掛かる。胃がひしゃげ、身体が強張り、再びものが込み上げてくる。

「出すものは全部出してしまいなさいよ」

 いいながら、怪人は自らの拳をぐるぐると回した。るりの身体が搾り取られ、再び口から汚らしい吐瀉物が出る。手のひらとの空間はほとんどなく、口を出てすぐに顔中にぶちまけられてしまう。

 るりの思考が、匂いに寸断される。身体の痛みがジンジン響き、身体はマヒし、力むことさえできなかった。


「せっかくのお顔が台無しですねえ。るりさん。顔を洗って差し上げますよ」

 そういうと、るりに有無を言わせず、怪人が空を羽ばたいた。続いて急降下し、遊園地の中央に広がる水場へと向かう。

 ボートに乗ってコースを周回するそのアトラクションの場所にも、人は大勢いた。そもそも広場で暴れる怪人から逃げるために、人々はあちこちのアトラクションへと逃げてきていたのである。

「な、なんだあ!? こっちにくるぞ!」

「あれは……まさかるりちゃん! やられているのか!?」

 ざわめく民衆を一切気にすることなく、怪人は水の中へとダイブする。巨大な水しぶきが上がり、人々が甲高い叫び声を上げて逃げ惑う。

 怪人は上半身だけを自ら出す。片手は空に抱えあげられている。そこには、顔面を鷲づかみにされたまま、息も絶え絶えな魔法少女がぶらさがっていた。

「これで、綺麗になりましょうね!」

 怪人が、躊躇わずに、魔法少女の顔面を水の中に振り下ろす。ブラウスが膨れ、プリーツスカートが放射線に広がるが、恥じらうよりも先に大量の水がるりの鼻から侵入して、パニックを起こさせた。

「~~~~~~~~~ッッ」

 水中であるために、声を紡ぐことができない。空気を欲する本能が、目を見開かせ、限界と思われていた手足を必死に動かした。しかし怪人の腕は力を緩めず、今ではるりの後頭部を鷲掴みにして水中へと押し込む手助けをしている。水圧がるりを襲い、頭の中を明滅させる。

「ははは、そら。もっとよく拭きましょう!」

 怪人が哄笑し、さらに深く魔法少女を押し込める。とうとう少女の顔面は水底にまでたどり着く。ごろごろ転がる石たちに、頬がむりやり押し当てられ、揺り動かされる。涙目の端や頬の肉が擦り切れ、傷つき、潰されていく。越えにならない悲鳴が漏れるが、ぼこぼこ虚しい呼気が漏れるだけ。るりの視界が痛みと泥で濁り、痛みと絶望に拍車をかける。

 意識が遠のく寸前になって、ようやく少女の身体が水中から持ち上げられる。後頭部は相変わらず鷲掴みにされたまま。まるで魚を一本釣りした漁師のように、怪人は得意げに胸を張って少女を高々と掲げた。

「どうです? すっきりしたでしょう? ほら、陸にお上がんなさい!」

 怪人に投げやられた少女の身体が、放物線を描いて陸地へ飛ばされる。ずぶ濡れの魔法少女は、地面にべちゃっと叩きつけられ、周囲に水を撒き散らした。

「る、るりちゃん……?」

「生きているのか!?」

 声がして、初めてるりは自分が人々の傍にきていることを悟る。目を白黒させながらも、なんとか顔を持ち上げ、口を開く。

「に……逃げてください」

 魔法少女の使命は、人々を危険から遠ざけること。たとえ身体がボロボロにされても、その信念はるりの胸に確かにあった。だからこそこの場でも、人々のことを想いやり、避難を促すことができたのである。

「う……うわあ」

 民衆の中から、恐怖の声を上げるものがいる。

 ようやく伝わった――そう思い、るりは安堵する。このまま人々が避難してくれればいい。ようやく、危険な状況だと伝わってくれたんだ。そんな発想から、安心感が生まれたのである。

 しかし、そんな安心もつかの間、水しぶきが立ち上る音が聞こえてくる。

「何を大人しく寝そべっているんですか、るりさん!」

 怪人の声は、もはやおとなしさや落ち着きを取っ払ってしまっていた。すでにその言葉のあらゆる抑揚から、嗜虐的な思考の片鱗が垣間見えている。怪人がるりのことを、いたぶりたくて仕方ないと感じていることを、痛切にるりは感じ取っていた。

「い、いや……ウグッ!」

 這ってでも逃げようとしたるりの、後頭部に、どっさりと重たいものが降り下りてくる。衝撃で顔面は地面にぶち当たり、鼻の柱が砕ける音がする。

 のしかかってきていたのは、怪人の尻だった。成人男性の二倍はあろうかという巨大な尻は、異様な熱と質量で、るりを押し潰してきている。

「むぐうううぅぅ」

 呻くるりだが、身体は当然のごとくうごかない。怪人の全体重が、彼女の顔を固定化させていた。

「そおら!」

 怪人は器用に重心をずらし、るりの身体を顔を中心に回転させる。るりの下半身がぐるりと回り、人々の方へと向く。

「な……なにを」

 やっとのことで問いかけるるり。口の中を、鼻から滴る血が踊る。鉄の匂いが息を詰まらせる。

 怪人はますます陽気に鼻を鳴らす。

「なあに、一般人の方々へのご挨拶ですよ」

 怪人が、両手でるりの太ももをわしづかみにする。

「んあ!?」

 喚くるりに憚らず、太ももはるりの背中側、つまり重力の反対方向へと持ち上げられる。プリーツスカートはあられもなく肌蹴て、下着を露呈させてしまう。

「何しているんですか! おろして! 見えちゃってる!」

「おや、そんな刺激的な格好をしておきながら一丁前に恥じらうんですか? てっきり痴女なのだと思っていましたよ」

 侮辱の言葉を投げかけられ、さらにるりはわめきたてる。が、そのうちに強烈な平手打ちがるりのお尻に炸裂する。

「ひぎィイ!!」

「静かにしなさい。うるさいですよ。しかし柔らかいお尻ですねえ、驚きましたよ。さすがるりさんです」

 奇妙な賞賛の後、平手打ちした手がそのままもう一方の太ももへと伸びる。るりは必死に抵抗するが、片足だけではどうすることもできず、あっけなく捕まり、持ち上げられる。

「それでは、エビぞり固めで御開帳といきましょうか!」

 頭にずしりと怪人のお尻が押し当てられる。そこを支点にし、魔法少女の細い両足は持ち上げられる。臀部も宙に浮き、反対側にある恥部が人々の側へと晒される。

 民衆が息をのむ。彼らの目の前には、るりの太ももと、普段は決して見ることができない少女の純白の下着だけが、突き出される形で顕現されていた。

「み、みないで……見ないでええぇぇええ!!」

 絶叫する魔法少女。だが、その耳に人々が駆ける音は聞こえてこない。その場にいる全員が、唖然としながらも、無防備に、奇妙な逆さの形で晒された魔法少女の恥部に釘づけになっていた。この世のものとは思えない不可思議な光景は、本能的な下心を越えた芸術性さえも兼ね備え、どこか高尚な雰囲気をも醸し出している。


 みんな逃げて――るりは心の中で懇願する。こんな状況でも、市民のことを想えるのは、それだけがるりの精神の支えだったからだ。

 危険から逃げてください、酷い目に会う前に――

 もはや声に出す体力もなく、疲れ果てた少女は、それだけを脳内にこだまさせる。目を閉じ、歯を噛みしめ、恥辱の悲しみを抑えつける。自分を押し潰そうとする悔しさから、必死に目を隠す、幼い少女の必死の抵抗だった。

 その、小さな耳を、次の言葉が突き刺してくる。

「……もっと」

 なにを言っているのかと、まずるりは思った。どうして、何が、もっとなのだろう。幻聴かと思い、一旦は聞き流す。が、すぐに言葉は繰り返された。

「もっとだ、もっと……やってくれよ。怪人さん」

 なっ!?――

 るりは大きく目を見開く。

 どうして? どうしてそんなことを――

 困惑する彼女は、動けないまま、人々の声を聞くしかなかった。

「すげえよ、こんなの見たことねえ」

「あの無敵の魔法少女が、こんなにやられちまうなんて、俺すっげえ興奮してきた!」

「はやく次にいってくれよ、もっといろいろ嬲れるんだろ!? 怪人さんよお!」

 民衆が、喚き、訴える。その一連の声は確かにるりにも届いていたが、決して理解できるものではなかった。それなのに人々は勝手に盛り上がり、勝手に怪人の応援を始めている。こんなことになるなんて、るりはまったく想像だにしていなかった。

 なんで……どうして!?――

「ふふ、混乱してますね。るりさん」

 真上から、怪人の声が聞こえてくる。心を見透かされて、るりは動揺した。

「残念ながら、あなたは鈍感すぎたのですよ」

「……鈍感?」

 口をわずかに動かし、怪人に返す。言われている言葉の意味はわからないでいた。

「私はね、人の感情を餌にする怪人です。ですので、あなたよりは数段人々の気持ちを理解できるのですよ」

 得意そうに、怪人は言葉を続ける。

「そして、今日この場にきたときに気づいたのです。ここにいる人たちはみな――あなたをただの観賞用の生き物として見ているということにね」

「なんですって!?」

 動揺しつつも、るりの心に引っかかるものがあった。

 見世物として見られているのではないか――そんな疑惑が浮かぶことは、確かにあった。しかしそれは一部の人だけだと思っていた。一部の、自分の善行に気を配れない人たちだけが思うこと。

 それが、まさか全員? そんなことあるわけない――懇願というより、そう信じていたいという願いが、るりの胸中に去来する。

 だが、その儚い祈りを、怪人の言葉が蹂躙する。

「ここに残っている人たちは、あなたがコスチュームを見て戦う姿を見て興奮を覚えている連中ばかりです。あなたの姿はマスコミを通じて有名になったのでしょうが、まさか正義のために戦っているからというだけで有名になったわけではないでしょう。そんな、一見すると弱々しい少女の姿で戦うからこそ人気が出たのです。あるいはそこにフェティッシュな興奮さえ抱いた人もいるでしょう。それらをひっくるめて、あなたの戦いのファンが増えた。一種のショーとして、あなたは観覧されていたのですよ。そして観客はつねに新しいシチュエーションを求めます。勝ち続けているあなたを見て、多くの人は思ったでしょう。そろそろ負けるときがくるのではないか。正義の魔法少女が、悪に屈服するその瞬間が訪れるのではないか。心の奥底で、みながそう訴えていたのですよ。だからこその、この喝采です。ほら、お聞きなさい」

 怪人の声が途切れる。

 るりの耳に届くのは、人々の興奮した声。何に興奮しているのか、うまく聞き取ることができない。今までとは打って変わって、怪人をほめたたえ、るりを罵倒する言葉が混じる。認識したくない言葉の数々が、るりの耳を突き抜けていく。

 意識して、聞かないようにしていたのに、悔しさを止めることができなかった。

 胸の内が、熱く火照る。

「……嘘だ。そんなの、嘘だ」

 震える声をだし、るりが首を振る。あまりにも非力で、弱々しい抵抗。怪人はおろか、民衆さえも、止まろうとしない。

 必死で守ろうとしてきた人たちは、もはやるりの頑張りに全く目を向けてくれない。

 るりの目じりに、涙が溜り、零れ落ちた。地面に丸いしみができる。胸が苦しくて、切なくて、そしてとても、悲しかった。

「同情しますよ。あなたは可哀想な人だ」

 怪人が、猫なで声で語りかけてくる。

「あなたには味方ももういません。無残で無様な敗北者として、ニュースとなり、世間に知れ渡ります。リターンマッチをしたいなら別ですが、この人たちを見てそう思えるなら……もはやマゾだと言いたくなりますね」

 そういって、怪人は今度はるりの足首を持ち上げた。人々の間から、「おお!」と歓声が上がる。次は何が始まるのかとても楽しみという様子。

 重力に引かれたるりの顔が、真下に向き、民衆を見た。目を輝かせる一同。

 怪人の言っていることが本当だと、信じるしかなくなってしまった。


 怪人は空中を自由に飛び、やがてジェットコースターの回転ループのてっぺんに降り立った。

 遊園地の景色が一望できる場所。怪人はそこにどさりと座り、内股の場所にるりをのせた。

 既に、るりは逃げたり戦ったりする気力さえ削がれていた。びしょ濡れの身体が風にあたって急速に冷え込んでいく。自然と、熱を持った怪人の身体に寄り添ってしまう。

「あったかい……ですね」

 思わず漏らした言葉。るりは口元を押さえるも、もう出てしまった言葉を訂正することはできなかった。

 怪人はこくりと頷き、るりの背中を優しく叩いた。

「もういいじゃないですか。あなたが私たちの邪魔さえしなければ、私はあなたを傷つけませんから」

 怪人の手のひらは、人間より数段あたたかい。身体が冷えているからか、今のるりにその温かさがとてもありがたかった。

 るりは怪人を見上げていう。

「あの……あなたたちはどうして人間を攫うっているんですか?」

「ああそれは……支配するためですよ。精神を分析して、心を把握し、掌握する。そうすれば世界は平和になると思いませんか」

「平和……」

 るりの視線が、ジェットコースターの下に向かう。蟻のように小さい人々が、集まって、こちらを見上げている。テレビクルーの姿も見受けられた。魔法少女を打ち負かした怪人と、敗北した魔法少女が並んでいる姿を捉えて、どんな報道をしているのか、見てみたい気もする。

 だけど、すでにこの世界に対する興味を、魔法少女は失ってしまっていた。

「ねえ、怪人さん。平和になったら、もう誰も私を笑わない? 私みたいな人を見て、下劣に笑う人とか、消しちゃえる?」

「もちろん」

「……素敵」

 るりの腕が、怪人の身体にまとわりつく。大きいために回り切れず、腰に貼りつくような形になってしまう。

 こんな大きな人に勝てるわけないじゃん――るりは小さく心で毒づいた。

「ねえ、怪人さん。私もその世界見てみたいな」

「ちょうど、その話をしようと思っていたところなんですよ。るりさん」

 怪人と魔法少女は、見つめあい、それからふっと笑い合った。


 それから、人間界への怪人の襲撃が苛烈の一途をたどった。

 人間側からも多くの魔法少女が出現し、怪人との戦いを激化させていた。

 次第に経験を積み、戦闘慣れする魔法少女たち。怪人側は人間の成長スピードに驚き、敗北を重ねた。

 勝利に酔いしれる人間側。その喜びの最中、怪人側がついに秘密兵器を投入した。

 火の海に包まれる人間世界の主要都市。崩壊する街と、襲われ逃げ惑う人々。多くの魔法少女がこの新たな脅威に備えて戦いを挑むも、敗北を喫した。

 怪人でありながら、少女の姿をしたその人物。僅かな目撃情報から、その報道が世界中に発信され、噂が飛び交う。

 やがて某国の男性がその怪人の容貌を精査し、かつて怪人の世界に連れ去られた一人の魔法少女に思い当たる。

 が――

「ひいぃぃぃ!!」

 男性の前に、漆黒の翼をはためかせた少女が下りてくる。氷のように冷たい目を向けられ、固まってしまう男性。

 手に持ったノートパソコンの中には、精密に調べ上げた怪人の正体についての証拠が大量に保存されていた。

「だめですよ、そんなことしちゃ」

 少女がほほ笑む。黒い装飾が施されたブラウスの奥で肌蹴た胸元が、男性の眼前に迫る。

 思わず欲情をわかせる男。その興奮を逃さず、少女は男性の膨れ上がった局部に目をつけ、踏みつけた。

「うぐうううっ!?」

「ふふふ、変態さんだなあ」

 愉快そうに少女が笑う。艶っぽい声が男を震え上がらせる。

 少女が手を振りかざし、光弾が、パソコンを射抜く。粉々に砕け、基盤が飛び散る。

「私のこと、調べちゃダメなんだからね。恥ずかしいもん♪ キャハッ」

 にっこり微笑み、そして光を男に向ける。

「や、やめ――やめろ!」

「やだ」

 途端に、少女が冷たく男を睨む。豹変する顔に、ぞっとする男。

「私、あなたたちのこと、大っ嫌いだもん」

 光弾が、男を包み、弾けさせる。強烈な魔力に当てられ、肉塊となる男。血しぶきが少女にかかるが、微動だにしない。

 黒い翼をはためかせ、少女は空を仰ぐ。

 大嫌いな人間がうずまく世界の空。

 かつて、魔法少女として活躍した少女は、すでに姿を変えていた。

 抱いた憎しみをすべて魔力に変換し、人々を絶望へといざなう最強の怪人――それが今の、るりの姿なのであった。


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