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2019-08-31

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・主に、じぶんに向けて書きます。

 はじめなきゃ、はじまらない。
 おもしろいだとか、ノッてきただとか、
 そういう快感は、はじめる前にはありえない。
 いやでもなんでも、はじめたら、なにかがはじまる。
 つまり、まずは「はじめなきゃなにも」である。

 はじめるためには、どういうときがいいか。
 無我夢中ではじめてしまって、
 すぐに頭を打って中止ということもあるだろう。
 はじめるにはときというものがある。
 急いでいいことなど、なにもない。
 上の5行は、実は、「よくあるまちがい」である。
 これを、先に考えすぎると、いつまでも走り出せない。

 いつはじめるかについての、その「いつ」が、
 いまではないとしても、
 それでも、いまできることがあるはずだ。
 さらにいえば、いまできることがなんなのかを、
 探りはじめることなら、いまからはじめられる。
 タイミングを見ているという場合でも、
 いまできることはちゃんとある。

 「それはなんなのだ?」ということを考える。
 「それがなんになるのだ?」についても考える。
 まず風呂に入ろうでも、机の上を整理しようでもない。
 環境を整えて、そこから気持ちよくはじめる
 なんてことは、やっちゃいけない。
 「はじめるの、はじめは、考えるである」。

 歩きながら考えるのなら、いま歩きだすことだ。
 紙とペンを目の前に置くのは、とてもいいことだ。
 平気で、まちがったことを考えはじめればいい。 
 「いまでしょ!」の「いま」は、
 「いまごろ」じゃなく、ほんとの「いま」だ。
 利口ぶるな、アホのまま、アホの考えを「いま」、だ。

 どれをはじめるのか、それだけを選んで、
 いま、はじめよう。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
軽くはじめて、しつこくねばって、気持ちよく続けよう。


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