2 著者と版元は一蓮托生

さてさて、そらパパっていう人は「花風社の編集方針は批判していても大地君を攻撃していない」っていうのが主張。
代理人からの正式の文書にもそう明記してありました。
逆に言うと「花風社の編集方針は批判」していると公に認めたということになる。

いいよ別に批判しても。聞かないけどね。
「どうして自分に従わないか説明しろ」と吠えられない限り、私はスルーする。
説明しろ説明しろと言われなきゃ放っておくよ。いくら批判されてもね。
私から見ると超くだらない理論にこだわってるだけなんだもん。
仲間内で盛り上がってればそれでいいじゃない。

でもね。
「編集方針は批判しても著者は攻撃していない」っていうのがどうしても解せなかったんです。
何言ってるんだろう? わけがわかんない。

著者と版元っていうのはね
本を世に出す前に、大義を確認し、共有します。
この本を出すことによって何を訴えたいか。
そして作りこんでいく。

相手がカリスマ精神科医でも、8歳の男の子でも、基本的にそれは同じです。

だからね、編集方針を攻撃して著者を攻撃しないっていうのは、それは不可能なわけです。

でもね、わかったんですよ。なんでこんなとんちんかんな主張をするか。
ぶどう社さんに電話したとき。

「本を出してからは一切かかわりがありません。ブログも見ていません」

なるほど。著者としてコミットされてない? もしかして?

ふつうはそれじゃあいい本はできない。
でもぶどう社さんだって、優れた本をたくさん世に出していらっしゃるでしょ?
編集が本当にていねいだと、いつも同業者として敬意をもって見てますよ。

好きなシリーズもいっぱいあります。
「ぼくうみ」の山下さんの本。
明石洋子さんの本。
「うちの子かわいい」のシリーズも楽しみに読んでいる。

こういうシリーズと「そらまめ式」の決定的な違いは何?
わかりますか?

そう、「シリーズ化」しないことですね。

要するに、版元のコミットメントがそれだけ少ない著者なのかなっていうのが同業者としての私の自然な判断につながるの。
だってね、あれほど優れた本を出しているぶどう社さんがいつもいつも「本を出したあとは一切かかわりない」という仕事をしているとは思えない。
だったらあれほどいい本が次々世に送り出されるはずがない。

版元にあんまりコミットされていない著者なら「編集方針は批判しても、著者は攻撃していない」とか堂々と言っちゃうんだろうなあ。
周囲で「そうですよね。花風社の編集方針は批判しても大地君は攻撃していないですね」とか騒ぎ立てていた人々も、別にどっかでシリーズもっているわけじゃなさそうだしなあ。

つまりね
「そらまめ式」の続きはぶどう社さんからは出ないんでしょうね。
あれだけ膨大なブログのネタがあっても。
だって「一切見ていない」とおっしゃるんだもの。
また本にしようと思ったら、ときどきチェックするのが自然なのではないでしょうか。

つまり、次にそらパパっていう人が本を出すとしたら
よその版元なんでしょうね。

でも今、どっかオファーするかなあ、あのブログ見て。

何しろ一番上に「花風社・浅見淳子社長による不当な~」とかあじってるもんね。
ちょっとオファーしにくいんじゃないかな。

きのうはグーグル・クロムで「そらまめ式」ってぐぐったら
一番上に「花風社の本ならbk1!」っていうセールスが出てきて笑ったけど。
そらパパっていう人、宣伝ありがとう。

まあ版元も色々だからわかんないけど。

意外と事なかれ主義だからね。この業界も。
事を構えるのはいやなところは声をかけないかもね。

で、まあ、ふつうは著者と版元っていうのは一蓮托生なんで
ぶどう社さんに開示を求めに行ったっていうのは別に「不当な圧力」でもなんでもないんですよ。

それは、つづきで。

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