イースとの出会い
戦闘とヒロインです。
アベルたちは夜明け前に目覚める。
ウォルターとアイラは装備品を無造作に置いてあった大箱の中から取り出す。
金属で作られた鎧が出てくる。
それから鞘に入った剣。
あんなものがあったのかとアベルは不思議な気持ちになる。
ウォルターは鎖帷子を着込み、優美な流線型をした冑を被った。
目と鼻のあたりもバイザーのようなもので防御されていた。
木ノ葉の形に覗き穴が開いている。
体が半分ほど隠れる長方形の大きな盾も背負った。
武器は片手で扱える両刃細身のロングソード。
柄から先端まで一メートルぐらいの長さに見えた。
アイラは布のズボンに、綿の入った厚手の上着を着た。
その上から金属製の防具を装着している。
どうやら鎧が当たって体が不快にならないようにそうした服を着ているらしい。
装備している防備は、いわゆる全身を覆い尽くすような鎧とは違っていた。
胸と背は鈍色をした金属に守られているが、下腹部から太腿などは覆っていない。
ただし、アイラもウォルターも膝から下は、普段からは考えられないほど厳重に守っている。
金属製の脛当てをつけていて、靴も普段の革サンダルではなくて長靴を選んでいた。
アイラは冑を使わないようだ。
武装は弓に刀。
矢筒には二十本ぐらいの矢が入っていた。
刀はアベルが見た感じ、日本刀に似ている。
黒漆の鞘に黒鉄の鍔。
茶色い紐が巻き付けてある柄。
ウォルターの所持しているロングソードよりもさらに長い。
アベルは武装をしなかった。
まだ武器など持ったところで無意味というか、かえって危険と判断されたからだった。
完全武装した二人が家から出て来る。
凛とした姿。
アベルから見ても、痺れるほど格好良かった。
アベルは木の柵に攀じ登り、そこを足場にして鞍に跨った。
ウォルターと相乗りだった。
アイラは一人で騎乗する。
使者として来た騎士フォレスも準備はできているようだ。
出発を告げるためテナナ集落の村長宅に立ち寄った。
昨夕、馬を借りる際に詳しい事情は話してある。
治療院がしばらく休むのは村長から集落に伝えてもらう。
アベルは家の前にいたリックと目があった。
ちなみにその他も兄弟もその場にいて、全員がジャガイモみたいな顔をしていて、アベルはちょっと笑ってしまった。
リックは武装した大人たちを見て興奮していた。
アベルもこればかりは同感だ。騎馬武者なんて男心を燃やしすぎる。
リックは旅立つ一行に村外れを越えても、なお付いてきたほどだ。
さすがに森林地帯に差し掛かった辺りでウォルターに追い返された。
リックは悔し泣きしていた。
アベルは村の外に出るのは初めてなので興味深い。
景色は基本、山林だった。
木を伐採している人達がいる。
そういえばテナナ集落では農作物だけでなくて、材木や漆を扱っている家もあったことを思い出した。
昼頃により広い街道にでた。
そこで休憩と食事をする。量は少ない。
腹いっぱいに食べると動きが鈍くなるためだと思われた。
アベルはそっと騎士フォレスの表情を見る。
騎士フォレスは四十歳ぐらいみえた。髯にも白いものが混じっている。
太い眉にやや鋭さのある目。謹厳実直そうな態度である。
無駄話を好まないのか会話もあまりしない。
真面目なだけの中間管理職という印象がある。
アベルはフォレスに危険は感じなかった。
街道は旅装の人がそれなりにいた。
一人で歩いている者もいるが、大多数は数名のまとまりで旅をしているようだ。
帯剣している者もいれば、武器らしきものは持っていない人もいる。
旅の途中、アベルはウォルターに次々と質問をしてみた。
「父上。旅をするのに武器を持っていない人もいるのですか」
「ナイフぐらいは持つのが旅の常識だ。護身用というわけでなくとも、ちょっと必要になることがある」
「帝国の法律で武装は認められていますか」
「認められている。自分の身は自分で守るのが自らへの責任だ。森や山岳地域だと虎や豹もいるし、魔獣だっている」
「父上は準騎士ということですが、騎士とは違うのですか」
「準騎士は貴族とは認めにくいが、平民とも違う人間に与えられた救済措置のような制度だ。お父さんは貴族なんか嫌いだから、平民でもいいのだけれど、平民だと魔法治療院を作る許可がもらえないのだ」
「平民では騎士になれないのですか」
「そんなことはない。凄く強かったり、賢ければなれる……。あとは金持ちであるとか」
「騎士にはどうやってなるのですか」
「まず誰に仕えるか……これが一番重要だ。これはという主がいたら従者採用願いを手紙で送るか、直接、会ってお願いする。でも、それで採用されるのは難しいかもしれない。ほとんどの場合は親が縁故を頼って請うものだ」
「許可が下りたら従者になれるのですか」
「そうだ。従者には早くて六歳、遅くても十二歳ぐらいでなるのが普通だ。見習い期間は状況による。働きが良ければ主に認められて見習い騎士になる。見習い騎士は貴族ではない」
アベルは貴族制度について突っ込んで質問してみる。
「貴族というのがよく分かりません。どうやって貴族になるのですか」
「皇帝陛下に貴族であることを承認されたら、その日から貴族だ。また公爵、伯爵には騎士任命権がある。騎士は帝国最下級の貴族だが、さっき言ったとおり、お父さんのようにさらにその下の準騎士という制度がある」
「貴族ってどれぐらいいるのですか」
「……おれも良く分からないぐらいたくさんいる。だが、大貴族というのは公爵位と思っていい。公爵家は帝国に十家しかない。伯爵は、たしか二十一家。子爵は多い。男爵家はいくつあるか分からないぐらいたくさんある。男爵より下位に女爵という位もある。これは女性への名誉爵位だ。そして、最後が騎士……なんだけれど、一応、準騎士というのもいる」
「爵位を持っている本人だけが貴族なのですか」
「いや、違う。例えば伯爵に子供や兄弟がいて、相続権を認めている状況なら子供は郎党ということになる。郎党は爵位を持っていなくとも、貴族だ」
アベルは自分自身の立場に考えが及び困惑した。
貴族の家族も貴族ならば……。
「じゃあ僕も貴族なのですか」
「うーん。それは難しいところだな。騎士も準騎士も一代限りの地位だ。実子と言えども相続させることはできない。だから子は貴族とは呼ばれないけれど、騎士の子は多くの場合に従者となる。将来の貴族候補だな。おれはアベルには貴族になってほしくないと思っていたけれどな」
「父上の主はだれ」
「そりゃ皇帝陛下に決まっている」
「その……直接に仕えているという意味でなのですが」
「バース・ハイワンド伯爵様だ。伯爵様のことはアベルがもう少し成長したら教えてやる」
アベルは魔獣についても聞いてみる。
「これから戦うゴブリンはどんな魔獣なのですか」
「アベルは猿を見たことがあるか」
「あの木の上をすばしっこく渡るやつですか」
「そうそう。それにちょっと似ている。背丈はおれの半分より少し大きい。木には登らない。こん棒とか粗末なナイフで武装しているときもある。頭はあまりよくない。人に対して攻撃的だ。一匹だけなら狼よりも弱いぐらいだが、しかし、群れをなしていると厄介だ」
「魔獣とただの獣の違いはなんですか」
「いいこと聞くな。そいつは実は曖昧なんだ。強いて言えば邪悪さかな。どこか人間に対して貪欲に敵意を持っているといえる。だが、魔獣の中には、かなり賢いやつもいて、人間の方から攻撃しなければ相手にしてこない例外もいる。龍とかな。そういうのを特に智龍や賢獣といって区別する人もいる」
やっぱり龍もいるのかとアベルは内心で思った。
「父上は魔獣と戦ったことはどれぐらいありますか」
「数えきれないぐらいあるな。十五歳で冒険者になって最初の仕事が、そういやぁゴブリン退治だったなぁ。懐かしいぜ……。それから亜人界に行ったり、王道国に行ったりで、辛いこともあったけれど楽しい日々だった。特に十九歳の時にアイラと出会ってからはな」
「亜人界ってなんですか? 外国?」
「あー……。それも説明が難しい。まず、皇帝国は国っていうのは世界でただ唯一、皇帝国だけだとしている。だから王道国も亜人らの国も正確には国として認めていない。でも、まあ、それは表向きの話しだ。で、亜人っていうのは、獣人、森人、魔人などの諸族の総称だ」
「魔獣と亜人は違うのですか」
「違う。亜人と人間は子を作ることができる。魔獣は人間を殺して食うだけだ」
「王道国というのは?」
「人間の国だ。しかし、帝国とは敵対関係で……たぶん八百年ぐらい争っている。和睦していた時期もあるが……」
「長いですね」
「ああ。もともと、人間族はある巨大な統一国家を建設していた。大帝国と呼ばれている。それが分裂して二国になった。それが皇帝国と王道国だ。ここ三十年ぐらいはまた戦争が多くなってきている」
「僕、亜人というのは見たことがないです。ちょっと見てみたいな」
「皇帝国は亜人に住みにくい国だ。皇帝国は亜人とも争っていて、特別な許可がなければ住むことは許されていない……。奴隷の亜人ならいくらでもいるけれどな。ただ、奴隷は人として扱わないというのが通例だ。誰かの所有物ということだ。そういうわけで皇帝国には亜人を迫害する者もいるけれど、アベルはそれはやめろ。どこのなんであれ善い者と悪い者がいる。奴隷にだって命はあるし、皇帝国の市民にも悪人はいる。見極めて態度を決めろ」
どこの世界でも本音と建て前というものがある、アベルはそう思った……。
アベルたちは、夕方前にカイザンの町についた。
テナナ集落よりずいぶん大きくて、雑貨屋や服屋もあった。人口は数千人といった感じがする。
アベルはこの町で初めて物乞いを見た。年齢不詳のおっさんで、木の棒に布をつけた簡易のテントみたいなものを道端に立てていて、崩した正座みたいな姿勢で這いつくばっていた。
木の箱に数枚の銅貨が入っていた。
馬に乗っているので一瞬で通り過ぎていく。
「父上。いま、道路でお金を貰おうとしていた人…」
「ああ。物乞いだ」
「やっぱりああ言う人もいるんだね」
「三年前、税金が上がって物乞いが増えた。帝都には数えきれないぐらいいるそうだよ」
カイザンの町の外れに騎士イース・アークの家はあった。
飾り気が全くない古びた屋敷だった。
門に騎士を示す剣と馬の紋章が掲げられていた。
門を叩くと、中から使用人の老人が一人で出てきた。
「イース様はすでに出発されました」
フォレスが言う。
「困るな。我ら仔細を知らぬのだぞ」
「昨日、魔獣どもに襲われた村人が来て、急いで助けてほしいと請われましてな。放っておくわけにもいきませぬ。ここから、一日ほど騎行したところにあるフムの村です」
ウォルターとフォレスが顔を見合わせる。
「このまま行けるところまで行こう。村人に何かあったら大変だ」
ウォルターの提案にフォレスが黙って頷いた。
ウォルターは本気で村人を心配していて、何とか助けようという意気込みだった。
フム村はフォレスが大体の位置を知っているという。
町を出で、馬はやや速度を上げた。
薄暗くなってからはアイラが先頭になり松明を灯して進む。
アベルが眠気に耐えかねて舟を漕ぐと、路傍で野営となった。
アベルのためというよりも、道が暗すぎて危険だったからだ。
適当に枯れ木を拾って焚火する。
アイラが鍋を取り出す。ウォルターが水魔法で鍋に水を満たすと、干し肉や乾燥野菜、調味料を入れて煮る。すごく慣れた感じだ。
なんかキャンプファイヤーみたいで面白いな、前世では一度もやったことがないけれど、アベルはそんなことを思った。
即席のスープは意外なほど美味かった。
「母上、美味しいです」
「料理も旅に必要な技術なんだよ。作り方、憶えるかい?」
アベルは素直に頷いた。
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夜明け前、薄暗いうちに移動を再開した。
フムの村には朝方のうちには到着した。
村は異様だった。
四十軒ぐらいある家々はどこも木戸を固く閉ざしている。
村長の紋章が刻まれた家を見つけた。
ウォルターが扉をノックする。
「おいっ。誰かいないかっ。俺たちはハイワンド伯爵様の騎士だ」
覗き窓が開いた。
恐る恐るという風情で見てくる老人の顔。
「おお、ありがたい! 援軍でございますなっ。して、何十人ほど来てくだすった?」
「騎士が二人、あとは従者だ」
「え……。それだけでございますか?」
覗き窓から見える男の目が怪訝に歪んだ。
「魔獣はゴブリンと聞いたが」
「ゴブリンだけではありませぬ。大醜鬼もおります。昨日の早朝、畑仕事をしていた一家が襲われました。慌ててカイザンの騎士様へ使いを出したのですぞ」
「それで今、魔獣どもはどうしている」
「今は、村の東はずれの一軒家が狙われておるようです。さっきも戦いの音がしておりましたぞ」
「先に着いた騎士か?」
「いや知りませぬ。明け方に再び襲撃が始まって。我ら屋内に逃げ込むのが精一杯です。様子を見るなど、とてもとてもできませなんだ」
「数は」
「ゴブリンめはたくさん! 大醜鬼はわかりませぬっ」
「我らと共に戦うか」
「ゴブリンだけならまだしも大醜鬼は手に負えませぬ」
加勢が見込めぬとなり、ウォルターは村長との話しを打ち切った。
「アイラ。もし万が一、俺とフォレス殿で手におえなければアベルを連れて逃げろよ」
「馬鹿を言わないで。大醜鬼の一匹ぐらい、わたしとウォルターで倒せるわ。親子三人で帰るっ!」
一行は騒ぎのするほうへ騎乗のまま進む。
アベルは目を凝らす。目はかなりいい。
村はずれの一軒家に何か群がっていた。
背丈は大人の半分ほど。醜怪な二足歩行の姿である。
粗末な布を身にまとった個体もいた。
一匹、けた外れにデカいのがいた。
強いて言うなら牛を直立させて、ぶっとい腕と足を付けたような。
ミノタウロスの劣化版という印象があった。
――あれが大醜鬼というやつだろうか。
アベルの心臓が興奮で速まる。
あきらかに生命を脅かす化物の存在は、圧倒的だった。
近づくにつれて鎧を着た小柄な人物が、たった一人で戦っているのが分かった。
あれが先行した騎士イース・アークらしい。
足元にはゴブリンが十匹ぐらい斬り殺されていた。
内臓をぶちまけた無残な姿で息絶えている。
アイラが弓を手に持ち、矢を番えた。
第一射。
いきなりゴブリンに命中。
首に矢が突き刺さって、しかし、即死ではなく暴れまわる。
だが、その動きはすぐに緩慢になっていった。
ウォルターが目立つように雄たけびを挙げた。
そのまま馬を突っ込ませようとするが、村長から借りた馬は戦闘訓練をしてないので大醜鬼を恐れて動かない。
予想外の事態。
騎乗突撃を諦めたウォルターは馬を降りた。
フォレスの馬はそんなことはない。
ゴブリンの群れの中に突っ込むと、そのまま迷わず大醜鬼に対峙した。
さすが騎士、男らしいとアベルは感心してしまう。
けれども、大醜鬼が野太い腕を振り回すとフォレスにラリアットみたいにぶちかました。
決して小柄でもないフォレスが軽々と吹き飛ぶ。
驚いた馬が嘶き、目標もないまま走り出した。
アベルは目を剝く。
――なんだあのおっさん、弱い! いや、化け物が強いのか!
地面に落下したフォレスは、わずかに身動きしたものの立ち上がる気配がない。
大醜鬼が、なお追撃の様子をみせた。
とっさにアイラが矢を放つ。
矢が鋭く飛翔。
大醜鬼の胸に当たったが、まるで致命傷とはほど遠い。
しかし、注意を惹くことはできた。
大醜鬼の血走った目がアベルにも注がれる。
名前の通り、醜悪な顔をしていた。
豚の顔をもっと崩して皺だらけにして、巨大な口をつけたようだ。
よだれをボトボトと垂らしている。
不潔な黄色い犬歯が覗いていた。
アベルはぞっとした。
背筋が泡立つ。
本能が激しい危険を訴えていた。
人間の倫理や良心など塵ほども理解しない正真正銘のバケモノがそこにいた。
前世の経験など、この時この場という修羅場では役に立ちそうもない。
お巡りさんもいないし、あのバケモノに法律は関係ない。
――というか、こっちが騎士だから、俺が法律だってか?
戦死ってある意味、過労死?
アベルの核にいる男は意味の纏まらないそんな思考を過らせて、ぶるぶる震えた。
咄嗟に何かをしようにも、何をすればよいのかすら思いつかない。
前にいるウォルターが何か詠唱をする。
魔力の蠢きを感じ取った。
「炎弾」
拳ほどの火の玉が発生して、大醜鬼へキャッチボールみたいな速度で飛んでいく。
胸元に目がけて飛翔していったが、それほど速くないから腕に防がれた。
瞬間、爆発。
アベルは手榴弾のようだと思った。
破裂の衝撃で体が押される。
大醜鬼の片腕が千切れかけていた。
血の凍るような、物凄い悲鳴を上げた。
そこへ背後から近づいた小柄の騎士が背丈に似合わない大剣を叩きつける。
それだけで、がっしりした岩のような大醜鬼の胴が真っ二つになった。
アベルはぽかんと口を開けて、凄まじい攻撃に呆然となる。
割れた胴体から大量の血が噴き出して、さらには赤紫色をした様々な臓物が流れ出る。
むわっと鼻をつく生臭さ。アベルはえずいた。
その時、アベルは家の陰に大きな何かの気配を感じた。
「父上! まだなにかいるっ」
「なにぃ?!」
大きな槌で地面を叩くような重たい足音で現れたのは二匹の大醜鬼。
図体は今殺した奴よりさらにデカい。
しかも、ゴブリンがさらに湧き出してきた。
数は二十匹以上。
フォレスは打ち所が悪かったのか、いまだ立ち上がる気配がない。
アベルは改めて騎士イースを見た。
――女の子?
意外にも女性だった。
冑はしていないので顔がよく見える。
年齢は下手したら十四、五歳ぐらいに見えた。
胸元まで豊かに伸びた長い髪。
珍しい黒髪だった。
アベルはこの世界であの髪の色を初めて見た。
横顔は場違いなほど、とてつもなく美しく見えた。
アベルは我が目を疑う。
己の精神状態が極限環境でどうにかなってしまったのかとすら感じる。
それほどまでに心へ突き刺さるような容姿をしていた。
少女騎士は、雪のように白い肌をしていた。
鎧などの装備は魔獣の返り血でドロドロになっている。
騎士イース・アークは、凄絶だった。
イースはまるで恐れずに、おぞましい化け物の群れに突っ込んでいく。
大醜鬼のうち一匹は丸太のような棍棒を持っていた。
それを振り回して迷いなくイースにぶつけて来る。
ぶつかれば防具も無意味の強烈な攻撃。
だが、棍棒は空を切る。
イースは身軽にジャンプで回避すると、大振りで隙ができた大醜鬼の太腿に大剣を振りぬく。見事なカウンター攻撃にアベルは息をのんだ。
化け物の岩みたいな太腿が大きく裂ける。
血飛沫。
絶叫。
アベルは周囲を観察する。
首を忙しなく振って、前だけではなくて背後も見渡した。
やばくなったら、まず観察だ。
逃げるべきか戦うべきか決めなくてはならない。
――やべぇな! 広いから隠れる場所がない。
数で劣っているから囲まれてしまうかも……。
ゴブリンの数が多すぎだった。
しかも、距離を詰められいる。
アベルの危惧していたように、ゴブリンは包囲の狙いを持って動いている。
囲まれるのだけは避けないとならない。
必死になったアベルは体内の魔力を懸命に活性化させた。
第二階梯の鉱物魔術である土石変形と硬化を使う。
まずは土変形。
ゴブリンの足元に突然、穴が開く。
小さい穴だ。
ゴブリンの足だけが穴に落ちる。
その大きさで十分だった。
落ちた瞬間、穴を埋めて土を硬化させる。
単純な方法だったが、足元への警戒心が低いゴブリンは簡単に嵌められた。
アベルは次々に同じ手法でゴブリンの動きを封じる。
「アベル! あんた!?」
隣にいるアイラが驚愕していた。
「母上! 今は大醜鬼を殺すべきです。父上に加勢してください」
さすがにアイラは反応が速い。
手持ちの弓矢を次々に放つ。
一矢と違わず命中する。
しかも、一本は大醜鬼の目玉に命中した。
痛みで怯んだところへ、ウォルターの炎弾が炸裂した。
大醜鬼の壁のような胸が破裂する。
致命傷に見えたが、しぶとく生きていた。
反撃でウォルターに体当たりを仕掛けてくる。
ウォルターは横っ飛びで避けて、巧みにカウンター攻撃。
細身の剣で突きを食らわせた。
アイラの矢が尽きる。
すると腰の刀を抜く。
輝く刀身。
足を拘束されていないゴブリンに素早く走り寄り、鮮やかに振り抜く。
乱れの無い美しい斬撃だった。
必要最低限の軌道で致命傷を与える。
ゴブリンの首の動脈が断たれて血液が噴き出る。
次いで騎士イースが太腿を斬りつけた大醜鬼へ止めを刺しに出た。
振り回される野太い腕を、むしろ狙って斬撃を繰り出す。
骨をも半ば切断するような傷を与えた。
しかし、とにかくゴブリンが多い。
イースに纏わりついた。
イースが邪魔とばかりに大剣を振るうと、そのたびにゴブリンが致命傷を負う。
アベルはどう加勢しようか迷う。
ウォルターの炎弾。
見たのは初めてだが、再現ができそうな気がする。
しかし、威力の高い魔法は下手すれば接近している味方を巻き込んでしまう。
銃でもあればいいのにとアベルは歯軋りしながら切実に思う。
――いや待てよ。やればできるんじゃないのか。
知っている魔法を駆使すれば可能に気がした。
要は爆発の方向を限定してやればいいわけだ……。
まずは銃身。これは土を利用しよう。
足元にいくらでもある。
硬い長穴を斜めの角度で作って、そこに無数の礫を詰めて、奥で炎弾を爆発させる。
いわば即席の大砲だ。
全てはイメージ通りに土が変形していく。
あとは機を見て、砲口の前に敵が出てきたところで爆発を発生させるだけ……。
ちょうど大醜鬼が、ふらふらとよろめきながら仕掛けの前にやってきた。
足に大怪我を負っているから動きが鈍いのも好都合だ。
アベルは魔力を穴の奥に集中させる。
前世の映像で見た爆発などを強くイメージする。
尽かさず「炎弾」と唱えれば瞬時に魔法は発動した。
地面から爆炎が噴き出す。
イースが深手を負わせた大醜鬼の顔から胸部にかけて散弾が命中する。
醜いその顔が、挽肉のように潰れた。
貫通力にはやや劣ったらしく即死には至っていないが、かなりのダメージを与えた。
イースが、射貫くような目つきでアベルを見てきた。
目と目が合う。
イースの瞳は紅玉のように赤かった。
神秘的なほど澄んでいる。
暴力が渦巻く凄惨な戦闘からは想像もできないほど荒々しさがない。
研ぎ澄まされて静謐なほど落ち着いた顔貌。
アベルは自分でも意味の分からないほど少女が怖いと感じる。
どうして恐怖を感じるのか……直後に思い当たる。
圧倒的な力の差。
目の前の少女は、このまま一瞬で自分を殺せるのだと気づいた。
あの大剣を振るわれたら、どこにどうやって逃げても肉体に致命傷を負う。
加えて、どうしたわけか僅かな殺意すら感じる。
――なんだろう、この女?
「お、おい。なにしている。バケモノに早く止めを刺せっ」
アベルが言うと思い出したようにイースが大醜鬼に駆け寄り、大剣一閃で首が飛んだ。
鮮やかな手並み。
次いでウォルターの方も始末がついた。
ウォルターは大醜鬼の首を中心に攻撃していたが、一突きが致命傷になったらしい。
動脈を切断されたのか大量の血を噴出して、巨体を地面に崩れさせた。
痙攣している。
駆け寄ったアイラが頭蓋骨を斬り割った。
魔獣相手の戦い方は、必ず致命傷を与えて、絶命させるというのが約束事であるらしい。
ウォルターとアイラは首や心臓、頭蓋に対して複数の攻撃を執拗なほど繰り返していた。
残ったゴブリンは雑草を引っこ抜く作業のようであった。
特にイースという少女の騎士が凄まじい。
駆け抜けて行くと、あとには血飛沫が舞い散る。
目を見張って眺めるしかなかった。
――おれは剣術なんか分からないけれど、格が違うのは分かる……。
アベルは、ふとフォレスを思い出す。
駆け寄ると、金属で作られた鎧がへこんでいた。
胸に激しい打撃を受けている。血の混じった咳をしていた。
肺が破れたのかもしれない。
目が虚ろだった。
放っておいたら命にかかわると直感する。
急いで鎧を留めている革のバンドをナイフで切って外す。
皮の服の中に手を突っ込んで治癒魔法をあてた。
フォレスの褐色をした目が驚愕の色を示していた。
「あ……ああっ。まさか。信じられない。治癒魔法か?」
「そうだよ、フォレスさん。息はできるかい」
「助かった! 楽になった」
フォレスが立ち上がる。ふらふらとウォルターの方へ歩いて行った。
加勢の必要はなさそうだった。
アイラは刺さっていた矢を何本か回収して再び番える。
逃げ去るゴブリンの背中に弓矢を命中させる。
ほぼ全てを討ち取った。
戦いは、終わろうとしていた。
アベルは、心の底からほっとする。
――あ~良かった。怖かった……。
まさかこんな激しい戦闘になるとは思わなかった。
ちょっとした狩り程度だと思っていた。
やっぱり命懸けで人の命を助けるなんて大変だな……。
さすがウォルターは立派だ。
っていうかなんでおれ、こんなことやっているんだろう?
死ぬまで働くなんて前世だけで十分なんだけれどなぁ……。
すっかり虚脱してぼんやりしていると、誰かが近くにいる。
見上げるとイースがいた。
今更ではあるがアベルは名前を確認していないのを思い出した。
「貴方が騎士イース・アークさんですか」
「そうだが……」
やはり気のせいではない。
物凄い美少女だった。
艶のある漆黒の長髪。
僅かにうねるような癖があって豊かに広がっている。
眉目秀麗。
鼻筋は気品を感じさせるほど涼やかに通っている。
頬は甘い曲線を描いていた。
小さな唇は桜色。
瞳が紅玉のような色彩をしている。
もう一度見てみても吸い込まれそうになる不思議な目だった。
「お前、奇妙な目をしているな」
イースがそう言った。
「え?」
「何も信用していない視線。用心深さ。観察力。冷酷さ。欲望……お前の欲望が何かは分からないが、何かを求めているな。底知れない執拗さでだ」
アベルは金縛りのように体が動かない。
――なんだ、この女……。
見抜かれた。おれを見抜かれた。
面相見はおれの得意技だと思っていた。
前世でも、だいたい当たっていた。
刑務所の中でも会社でも、狡いやつは狡い顔をしていたし、
性格の悪いやつは悪い顔をしていた。
一見、優しそうな顔をした奴でも、ちょっとした時に
本性が面に現れた……。
完全にこっちが見抜かれた……。
苦手な女だ。
「お前、本当に子供なのか。何歳だ」
「ぼ、く、は……」
俺は何者なのか、何を求めているのか。
そんなことを説明できるはずがない。
自分で分かっているのは、本当の敗残者、父親殺し、何も持っていない者……ということだけだった。
「ぼくは……何も持たざる者……」
イースが少し首を傾げた。
それから初めて表情に僅かな変化。
微笑を浮かべた。
「面白い答えだ。私に似ている」
そこにアイラがやってきた。
「アベル。良くやったね」
そう言ってアベルを抱きかかえる。
アイラがイースに聞いた。
「あら、貴方が騎士イース様ですね。どうかされましたか」
「失礼だが、そちらの少年というか、幼子はご子息ですか」
「そうよっ! アベルっていうの。凄い子でしょ」
すっかりアイラは自慢顔だった。
「そうですね。魔人氏族や亜人の子だと思いました」
「んっ? 変なことを言わないでよ」
アイラはイースの目と髪に気づいた。
角度によってはほぼ深紅にも見える目。
紅玉のようだ。
美しいが、人間族の間では良くないものと言えた。
それは魔人氏族の血を意味するからだった。
しかも黒髪。混じり気のない完全に黒髪は、まさに魔人氏族の象徴とも言えた。
「イース様。魔人氏族の子なのは貴方ではなくて?」
「その問い、肯定だな。我が祖父は魔人との合いの子ゆえ。私にも魔人の血が流れている」
「私は亜人を差別しないけれど。でも、違うものは違う。アベルは人間族の私とウォルターの子よ」
「………」
イースは何も言わなかった。
死体などの事後処理は村の人々に任せた。
犠牲者はイースが到着する前に襲われた一家五人だけだった。
イースは襲われた家の中にいる人を守るために、有利な場所へ移動できなくて、なし崩しで戦闘をすることになったという。
だがイースはウォルターらの援護が無かったとしても、結局は魔獣たちを自分一人で殲滅できただろうと言ったものだ。
アベルは呆れるが、たぶん本当のことだろう。
それだけの信憑性がある冴えた戦いぶりだった。
その後、念のため村の周辺を捜索しておく。
ゴブリンや大醜鬼の足跡を辿っていくと、巣穴があった。
崖に空いた窪みのようなところだ。
十匹ほどのゴブリンの幼体が枯葉の寝床で寝ていた。
容赦なく、全て殺しておく。
ゴブリンと大醜鬼は別の種族であるが、時として主従関係のような状態になるという。今回がそれにあたるらしい。
大醜鬼の足跡は、うっすらとだが北部山岳の方から伸びていた。
おそらく、山岳地域から流れてきたものと思われた。
また、死体を見分したところ、成体の雄雌だったのでそちらはつがい、体が小さいのは子だろうと推定する。
足跡から三匹以上はいないと断定できた。
見分役の騎士フォレス・ウッドがこれで十分と認めたので、任務はそれで終了となった。
一行は翌日にフム村を離れた。
カイザンの町の手前で騎士フォレスと別れる。
報告を急ぐということだったが、イースに対して余所余所しい態度がアベルには見て取れた。
逆にアベルには治癒魔法のせいか、親しみを持ったらしい。
子供がいないからアベルを養子にしたいぐらいだ、などと言っていた。
アベルは内心、騎士っていうのは良く分からねぇなと思った。
歴戦の闘士みたいな見かけのフォレスは戦闘ではいいところ無しで、少女のイースがやたら強い……。
こっそりウォルターに聞いてみた。魔人氏族っていうのはなんですかと。
「魔人族は亜人の一氏族だ。あのイース殿ほど特徴がはっきりしていると魔人氏族と特定してしまうな。魔人族の特徴は体毛や瞳の色に現れる。毛色は完全な漆黒、あるいは逆に艶のある白色、薄い青などが多い。瞳が赤い者もしばしば生まれると聞く」
「つまり騎士イースは魔人氏族の方ですか」
「まぁ……見たところそういう血が混じっているようだが……。ハイワンド伯爵の騎士は大勢いる。俺も全員を知っているわけじゃない。というか、テナナに引っ込んでいるから疎いんだ」
「皇帝国は亜人に住みにくいのでは?」
「そうだ。だが、許可があれば住める。それでも騎士や貴族に獣人は一人もいない。魔人氏族の方は……珍しいな。聞いたことが無い」
アベルは先を騎行するイースの背中を見た。
成りは少女のそれだから、馬に比べてやけに小さく見えた。
「なあ、アベル。俺は皇帝国の準騎士なんだがな。それでこういう事を言うのも何だが、亜人を亜人とだけで差別する風潮は嫌いなんだ。分かってくれ」
「……はい」
カイザンの町に着くとすでに夕刻だったのでイースの家に泊めてもらうことになった。
まったく武骨で殺風景な家だった。
装飾品というものが、皆無である。
粗末な椅子と机があるだけ。
花瓶一つとして無く、タペストリーで壁を彩るということもない。
ウォルターの家は生活感が満ちていて、アイラとの愛の巣であるのが対比すると良く分かるのだ。
なにより決定的なのはイースの家には家族の雰囲気いうものが、まるでない。
それは貧しさとは別のことだ。
イースという少女は、いったいどんな人生を送っているのだろう。
アベルは少し気になった。
とはいえ聞き出そうとも思えなかったが。
使用人の老爺が食事を用意してくれる。
不味くはないが、アイラの料理に比べると数段、味は落ちた。
イースは口数が少ない。そして、最大の特徴は全く笑わないことだ。
アベルは氷を連想する。
両親もどことなく居心地が悪いらしい。
ウォルターが沈黙を破って質問した。
「イース殿のご両親はどうされたのかな」
「父と祖父様は国境地帯で王道国と戦っています」
「あっ、そうか。中央平原への派遣部隊の一員でございましたか。このウォルター、なにゆえ準騎士という地位なうえ、田舎のテナナ集落で暮らしているので、どうも事情に疎くてすまないことです」
「いや。別に気にならない」
「戦争はどうした具合か聞いていますか」
「二ヶ月前の手紙では、戦姫ハーディアとその兄ガイアケロンの軍団が手強いと書いてありました。他にもイエルリング王子などがそれぞれ強力な軍団を形成していると。あとはディド・ズマという傭兵たちを束ねている男が暴虐の限りを尽くしていて皇帝軍は苦戦しているそうです」
「戦姫ハーディアですか……。たしか王道国の第二王女でしたな。それから兄のガイアケロンでしたっけ。通称、悪鬼ガイ。二人とも戦闘、戦術に秀でた強敵だとか噂には聞いたことかあります」
「是非、戦ってみたいものだ」
イースは、しれっと物騒なことを言った。
「そうですか? 俺は戦争なんてまっぴら御免ですがね。停戦してほしいですよ」
「それは無理でしょう。私の祖父様は言っておられた。先代様と違って今上の皇帝陛下は王道国を滅ぼしたく願っておられると。また、王道国もさらなる戦争を望んでいるようです。次々と王族に軍団を作らせて出征させている」
ウォルターは目を瞑って首を振った。
「戦なんかしていると税は高いし、騎士は不足しているから今回みたいに魔獣狩りで人数が不足するんです。あらかじめ森で魔獣狩りをしていれば村は襲撃されない。先手を打つべきだ」
「それについては私の落ち度だな。私の担当地域のことだ」
「いや、イース殿一人でバーレイ域の全てを管理するのは不可能ですよ。伯爵様の手落ちなのです」
イースは無表情で黙ってしまった。
気まずいまま、食事は終わった。
普段は明るく気さくなアイラですら一言も口をきかなかった。
案内された客間で家族三人、並んで寝る。
ベッドは黴臭かった。
部屋の様子から長い間、客など訪れたことがないのは明白だった。
アベルはウォルターがアイラにちょっかい出さないものかと少し気になったが、そうした素振りは見せない。
良かった。
さすがに他人の家でイチャイチャされても困る。
疲れているせいでか、そんな寝床ではあったがたちまち眠りにつく。
朝が訪れた。
さっそく出発の準備をする。
アベルはイースと別れることになるので安心した。
何にせよ、心の奥深くに食い込まれるというのは気分の良いものではない。
もう会うこともないだろう……。
そんなことを考えながら両親の支度を待っていると、イースがやってきた。
射貫くような紅い瞳がアベルを捕える。
胸が苦しくなる。
目を逸らして顔を俯けた。
「アベル。私はお前のような人間に会うのは始めてだ。戦闘を教えてやる。お前には必要だろう」
――何を言い出すんだ、こいつ。
おれは……おれは、あの田舎でゆっくりしていればいい。
あそこで胸の痛みを抱えながら暮らすのが与えられた生き方だ。
アベルの核にいる男はそう思う……。
「ふっ。誰がお前なんかにものを習うか。おれはものを習うってのが嫌いなんだよ」
「それはいい心掛けだ。結局、物事とは自分で見つけるものだからな。おそらく」
「おそらくってことはお前も分かってないんだろう」
「そうだな……。私の探しているものを教えてやる。私は心を探している」
「心?」
「私には感情というものが薄いらしくてな……。しかし、お前には久しぶりに驚かされた」
「もう会うことはないよ」
アベルは突き放した。
そこへアイラとウォルターがやってきて、挨拶をすると馬を進める。
アベルはイースの紅い視線を無視した。
テナナ村に帰って食べたのは大醜鬼の煮込みだった。
アイラが肉を持ち帰っていたらしい。
牛肉に似た味だった。