この夏、岡山県玉野市にある渋川動物公園(宮本純男園長)では、猫がタヌキの赤ちゃんを子育てする姿が話題となった。種を超えた家族を一目見ようと、親子連れなど多くの来園者が訪れ、子タヌキの命のぬくもりに触れた。
猫がタヌキの赤ちゃんに授乳
この子タヌキはホンドタヌキという種のメスで、名前は「はなちゃん」(生後3ヶ月弱)。今年6月19日11時ころ、香川県三豊市の建設会社に勤める男性が、河川敷で重機を使った伐採作業を行なっていたところ、誤ってタヌキの巣を壊してしまったという。
同園副社長の山根美実さんは、「そのとき母タヌキは驚いて逃げてしまい、はなちゃんがその場に取り残されたそうなんです。男性はかわいそうだからと保護しましたが、どうしていいかわからず、私たちの園に連絡があったんです」と振り返る。
保護されたとき、はなちゃんは推定生後2週間ほど。体重はおよそ170グラムで、まだ目が開いたばかりだった。男性ははなちゃんを連れ、6月20日、同園にやってきた。「その姿を見たとき、スタッフからは『クマみたい』『まるでウォンバットの赤ちゃんだ』との声があがりました。とても可愛かったです」(山根さん)
同園では19匹の猫が飼育されている。はなちゃんが持ち込まれたとき、その中の一匹、しろちゃん(メス、3歳)は、子猫1匹を産んだばかりだった。「しろちゃんは、6月4日に3度目の出産で、こしろくん(オス、生後3ヶ月弱)を産みました。前回、前々回は4匹ほど産んでいたのに、今回は1匹だけだったんです」(山根さん)
赤ちゃんのはなちゃんは愛らしかったが、一方で同園の飼育スタッフらは「これは大変だ」とも感じていた。というのも、はなちゃんの母親がいないため、哺乳瓶でミルクを与えたり、人の手で排泄を促したりと、1日中スタッフが交代で人工保育をする必要があるからだ。
しかし、そんな心配はすぐ杞憂に終わった。「はなちゃんが園にやってきたその日、鳴き声を聞いたしろちゃんは、自分からはなちゃんの元へ行ってはなちゃんをくわえ、こしろくんが待つ自分の寝床へと運び込んだんです。そして、はなちゃんに授乳し始めたんですよ。そんなしろちゃんの行動を見て、みんなびっくりしました」(山根さん)
宮本純男園長(82)はこう話す。「猫がタヌキの赤ちゃんを育てるなんてそんなバカな、と思われるかもしれませんが、授乳期が合えばあり得ることです。はなちゃんとこしろくんが生まれた日はちょうど同じくらい。また、しろちゃんは今回、1匹だけの出産だったため、お乳が張っていた。それで、はなちゃんの鳴き声を聞いたとたん、お乳を飲ませたいという母性本能が働き、自ら世話をし始めた。すべてのタイミングがぴったり合ったんだと思います」
猫とスタッフが力を合わせ、すくすくと成長
それから、しろちゃんは、授乳はもちろん、お尻をなめて排泄を促したり、体をなめて毛づくろいをしてあげたりと、わが子のようにはなちゃんを育てた。はなちゃんとこしろくんが歩き回れるようになると、2匹は本物の兄妹のようにじゃれ合って遊んだ。
しろちゃんがはなちゃんの母親代わりとなって一心に子育てする間、園の飼育スタッフはしろちゃんのサポートに回った。しろちゃんのお乳だけでは量が少ないため、1ヶ月間ほどはスタッフが1日数回、犬用のミルクを哺乳瓶に入れて授乳。その後はジャージー牛の搾りたてミルクとキャットフードを与えた。
その甲斐もあり、はなちゃんはすくすく成長。体重は1.8キロまでになった(28日現在)。幼いころから人に接してきたため、体をなでられたり、だっこされたりしても嫌がらない。
園内のレストハウスでは、そんな種を超えた家族の姿を見ようと、この夏休み、親子連れやカップルなど大勢の来園者が訪れている。
8月初旬にやってきた両親と小学生の娘の3人家族は、ふだんの生活では動物とふれ合う機会がないという。「そのお母さんは『猫だけでなく、タヌキにもさわることができた』と興奮気味でした。娘さんも、椅子の上で寄り添って寝ているはなちゃんとこしろくんをなでなでして、とても嬉しそうでした」(山根さん)
“お母さん”から拒まれ、親離れ中
8月23日、同園を訪れると、はなちゃんとこしろくんは、レストハウス内で元気よく追いかけっこをして遊んでいた。子猫同士がよくやるように、取っ組み合ったり甘噛みをしたり。しろちゃんやこしろくんが毛をなめてくれるからか、はなちゃんは、だっこしても体臭がほとんどしない。
はなちゃんがしろちゃんを見つけると、おっぱいを飲もうとしろちゃんのお腹にすがりつく。だが、しろちゃんは、シャーと威嚇して寄せ付けない。一緒に暮らして2ヶ月以上が経ち、しろちゃんは親離れを促しているかのようだった。“お母さん”から近寄るのを拒まれて、はなちゃんは少し寂しそうな様子。だが、山根さんによると、いまも夜は3匹一緒に身を寄せ合ってねむっているそう。
ただ、こんな仲睦まじい姿はもう見られなくなるかもしれない。宮本園長は「あと1、2ヶ月もすれば親離れがすすみ、はなちゃんに人が直接ふれることは難しくなるかも」とみている。
「今は人に慣れていますが、もともと野生の動物ですので、大きくなれば人を噛んだりもするようになるはずです。それを叱ったりすれば余計に反抗します。だっこしたりさわったりできるのは幼い今だけ。そうなった場合は、来園者に安全な形で、飼育、展示することになるでしょう」と宮本園長はいう。
「命のぬくもりを伝えられる場所でありたい」
同園は1989(平成元)年にオープン。約3万坪の敷地内で、馬や牛、ロバ、豚、犬猫、亀、鳥類など約80種類600頭羽の動物を飼育している。入口ではオウムが来園者を出迎え、甲長1メートルもあるゾウガメや、豚などが園内を自由に闊歩。ポニーの乗馬体験、ワンちゃんとの散歩などもでき、「動物たちとふれあえる動物園」として人気がある。
「いまはスマホに一言、話しかければ、世界中のどんな動物の情報も瞬時に知ることができます。でも、実際に本物の動物を見たり触ったりという機会はなかなかないですよね。そんな時代だからこそ、ここでは動物たちとのふれあいを大切にしています。動物たちと直に接し、一緒に遊んだ体験は、心のどこかに必ず残ると思うんです」と山根さん。はなちゃんについても「何らかの安全な形で、引き続き来園者とのふれあいができるよう模索していくつもり」という。宮本園長も「当園は今後も、命のぬくもりを伝えられる場所でありたい」と話している。