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獣の見た夢 作者:MAKI
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父の背中




 アベルは興味深く景色を見た。

 道は舗装されていない。

 林を抜けると畑がある。

 麦に似た……というより大麦にしか見えない植物が広大な畑で栽培されていた。


 農民が働いている。鋤や鎌を持っていた。

 農民はアベルたちに気が付くとお辞儀をしてきた。

 途中、三組の農民グループに出会ったが、彼らは丁重に挨拶してくる。


 アベルは父親を見上げた。

 下穿きはズボンみたいな作りになっている。

 麻っぽい素材で出来ていて、薄緑色に染められていた。

 上着は絹らしい。薄茶色に染められている。

 金で作られた指輪をしていた。中指だ。

 手首には銀の腕輪が嵌っている。腕時計ではない。

 足は革で作られたサンダルを履いていた。

 靴下はしていない。服装はアベル本人も父親も似たような作りである。

 道すがらアベルは考える。


――本当に輪廻転生なんかあるんだな。

  あの傷を治す魔法。

  絶対に幻じゃない。

  それに言葉はほぼ理解不能だ……。


 自分の背格好から年齢は三、四歳ぐらい。

 地球人と同程度の人類なら、簡単な言葉ぐらい話し出す年齢だ。

 言葉が喋れなくなっていたら両親はさぞかし驚くことだろう。

 ましてや、意味の分からない言葉らしきものを連発してみろ。

 間違いなく事態は悪くなる。

 ここは不審がられたとしても黙っていた方がいい。


 アベルの核にいる男はそんな風に考えたが、もっと根本的な問題があった。


――俺は家族や親ってやつは大嫌いだ……!




 新しい父と母。家庭。

 まさにこれは自分に与えられた新たな地獄だ。

 そして、この父親らしき男。

 自分は、再び父親を殺すことになるのだろうか……。


 考えれば考えるほど冷たい気持ちになる。胃のあたりがグッと重たくなった。

 そうなるとアベルの歩みは疲れも相まって遅くなる。

 のろのろと足を動かしていると父親が、目の前で背中を向けてしゃがんだ。

 背負うという意味らしい。

 アベルは戸惑いながら背中にしがみ付く。


 父親の背中……。


 アベルは思い出す。子供の頃、父親に背負られたことなどなかった。

 あいつは、小男だった。

 いつも酒に酔ってブツブツ文句ばかり言っていた。

 一緒に遊んだ記憶などない。


 途惑いながらも肩の上にしがみつくと、父親は立ち上がった。

 突然、開けた視界。

 視線が高くなっただけだが、子供にとっては世界が一変する。


 しばらくすると、集落らしきところに到着した。

 建物は平屋建て、木造のものが多い。屋根は瓦を葺いているものと、藁ぶき屋根のものが大半だった。

 道は相変わらず舗装されていない。街燈の類もない。家々をよく観察すると文明の状態が見て取れた。

 窓ガラスというものが全くない。木戸があって、開けているか閉じているかのどちらか。

 扉には表札のようなものもある。見たことない文字が書いてある。文様のようなものが掲げられている家もあった。


 家は何軒あるだろうか。

 アベルは集落の様子から見当をつける。たぶん百軒ぐらいだ。

 一軒に五人が住んでいるとして人口五百人。集落の周りには農家が点在していた。

 ぐるっと周囲十キロぐらいで千人ぐらいが住んでいるかもしれない。東京を知っているアベルからは、とんでもないド田舎としか思えないが、この世界にとってはこれでもけっこう栄えているのかもしれない……。



 やがて父親に背負われたアベルは一棟の家に着く。

 その家は周囲とは違って石造りである。瓦は丈夫そうなもので出来ていた。平屋建てなのは変わらないが、大きさは倍ほどありそうだった。


 庭が広い。

 どうやらアベルは自分の家が裕福なのかもしれないと感じる。

 家に入ると、靴は脱がずに奥へ進む。下駄箱がないから靴を脱ぐ文化ではないらしい。


 誰かが出てきた。若く美しい女だ。

 流れるような金髪は腰まである。

 肌は健康的に薄く小麦粉色。張りがあって、瑞々しい。瞳は青空色。目鼻は整っていた。

 女優のような美しさだが、化粧っ気はない。木綿らしい白いワンピース風の服を着ていた。

 襟は広く空いたデザインで、胸元から豊かな乳房の谷間が見えていた。


 その女性は一目で異常を感じ取ったらしい。

 小走り走り寄ってきてアベルの破れた服を調べ、血が付いているのを認めると小さな悲鳴を上げた。

 それから慌てて背負われたアベルに話しかけて来る。


「זו היתה פגיעה איפשהו?」


 もちろんアベルに意味は分からないが、心配しているのは伝わってくる。

 おそらく母親だろう。

 父親はアベルを椅子に座らせると、何か相談をはじめた。

 アベルは静かに座り続ける。


 することもないないので、部屋を観察する。広さは八畳ぐらいか。

 木のテーブル。椅子が六脚。棚が一つ。食器やコップが収納されていた。当然、電気はないから電化製品なんて一つもない。

 皿一枚を見ても文化が伝わる。木の皿と、武骨な焼き締めのコップ。備前焼の風合いに似ていた。白磁の類は一つもない。

 これは父母の趣味なのか、それとも釉薬を掛けるような陶製技術がないのか……。


 その後、母親に服を脱がされる。崖から転落したとあって、服はそれなりに汚れていたし、裂けてもいた。

 父親が水を貯めた桶を持ってくると、なにやら呪文を唱える。


 アベルは目に見えない、しかし、それでいて存在感が確かにある何かの動く気配を感じ取った。すると水から湯気が立ち始めた。

 アベルの背筋が、ぞくりとした。


――魔法だ。すげえ! どういう理論だろう? 

  おれもあれを使えるのだろうか?



 母親は湯に白い清潔そうな布を浸すと、それを絞りアベルの体を拭き清める。全身を丁寧に手入れする様子には母親の愛情が籠っていた。


 アベルは困惑する。

 家族ってのは苦手だ……。

 こいつらだって、すぐに態度を変えるはずだ……。

 油断するな。おれの正体を知られてはならない……。


 そんなことばかり考えた。


 服を着せかえると、アベルは寝室らしい部屋に連れていかれる。ベッドがある。促されるままアベルは横になった。

 酷い疲労だった。

 眠りに落下していった。


 体を揺さぶられて目が覚める。

 アベルの母親がいた。アベルは寝床から身を起こして寝室を出る。居間のテーブルの上に器がいくつか置いてある。

 スープが鍋に入れられていた。平べったいナンのようなものがある。

 別の木の皿の上に何かの肉がのっている。芋と野菜もあった。

 アベルは料理が少なく盛られた席に着く。


 アベルは耳を澄ます。

 両親が同じ発音の言葉を発した。


――たぶん今のが、いただきますってやつだろうな。



 アベルは、たどだとしく真似をする。

 両親が顔を見合わせて、にっこり笑った。

 それから色々とアベルに話しかけてきたが、アベルは答えようもないので、とりあえず食事に集中する。


 金属製のナイフとフォーク、それに匙がある。

 肉は牛肉に味が似ていた。というより、牛肉そのものだ。

 芋は里芋に、野菜はキャベツとほとんど同じ味。

 スープはミルクがベースで、鶏肉、カブか大根のような野菜が入っている。

 味は好みだった。胡椒のような香辛料は感じない。塩とハーブの風味が主である。

 なんというか自然な手作りそのものだった。


――あれ? 

  ……人に手料理を作ってもらったことなんか何年振りだろう? 

  こんなこと初めてかもしれない。


 アベルはものすごく奇妙な感じがした。

 居てはいけないのに、ここに居るような……。

 こういうのを闖入者と言うべきか。


 父と母は会話している。仲が悪い感じはしない。

 むしろ親密なのが分かる。

 両親は、しきりにアベルにも話しかけて来る。

 アベルは曖昧に笑ったり、首を振ったり……そんなことしかできない。


 仕方がない、とアベルは覚悟を決めた。

 匙でも肉でも、いちいち指をさして名称を聞き出すことにしたのだ。


 両親はすぐに息子アベルの異常を理解した。

 とくに父親はアベルの頭蓋骨が砕けて、脳が変形しているところをその眼で見ている。激しい怪我が原因で記憶障害のようなものが残っていると考えた。


 父親は自らを指さして「ダーダ、ウォルター」と言葉にする。

 次に妻を指さして「マァー、アイラ」と発音する。


 アベルは名前だと思った。ウォルターなんて、いかにも男性的な感じがする。

 マァーは母という意味合いを連想させた。

 アイラは女性の名前としてはぴったりだった。



 ウォルターは、たどたどしく言葉を練習するように口にする息子アベルを気遣う。

 実は、我が子を救うために自分が知っている最大級の治癒魔法を使用した。

 それは禁じ手ともいえる秘術であった。それほどまでに、我が子の傷は深かった。間違いなく致命傷で生き途絶える寸前だった。

 行使した治癒魔法とは「自己生命抽出」である。


 文字通り、自分の肉体や生命力自体をも利用した、緊急治療魔術である。

 この魔術は、第八階梯を超える高位の治療魔術でなければ治らないような瀕死の者を蘇生させるほど強力であるが、自分と血の繋がりがない者とでは成功率が極端に低下する欠点がある。

 逆に血縁者間では、高い効果が望まれる。


 この魔法には、一つ巨大な負担があった。

 使った術者は例外なく老化が早まり寿命を削ると言われていた。

 使ってもいい回数は、せいぜい人生で二回まで。

 一回目は体が怠くなる程度の症状だが、二回目を使えば、若者でも老人になると言われていた。


 自己生命抽出を使ったことは妻のアイラにも話していない。

 誰にも言うつもりはなかった。

 後悔もない。我が子のためなら命を使うことも厭いはしない。




 夜は大きなベットで家族三人、川の字になって寝る。

 アベルには違和感ばかりだった。

 前世、人と一緒に寝たことなんか憶えている限り、一度たりともなかった。


 アパートの小さな部屋に一人。そうして、一人のまま死んでしまった。

 思い出すのは殺してしまった父親のこと。

 ウォルターとアイラは安らかな寝息を立てていた。


 アベルの核にいる男は前世を反芻する。





 ~~~~~~~~~~~~





 おれの親は最低の親だった。

 誰がなんて言おうと、最低だった。


 人殺し、親殺しなんて罪深いというやつはいるだろう。

 人殺しを肯定するなとも言うだろう。

 でも、そんな御託は、まともな親がいたやつだけが言えるものだ……。


 幼いころから、酒に酔っぱらってはブツブツと小言を連ね、些細なことで殴ってきた。たとえば小さな紙ゴミが落ちているとか、そういう理由だった。だから、あるときレシートが落ちていたから捨てておいたことがあった。そうしたら、必要なレシートを捨てたといって殴られ、説教をされた。二、三時間だったろうか。母親は無関心に黙っているか、父親の味方だった。そんなことが毎週繰り返された。おれの腕や頬には痣がよく付いていた。


 夫婦仲も最悪だった。会話自体が少なかったし、笑いあっていたことなど一度だってみたことがない。母はおれを妊娠したから仕方なく結婚しただけだと公言していた。


 おれは頭が悪かった。

 暗記なんて特に苦手だ。運動も上手くなかった。身長だって高くない。顔は、なんというか、もっさりしていた。成績はいつも下の中ぐらい。いつの頃からか父親は東大に行けと言い出した。授業料と生活費を出しているのだから、東大でなければならないと主張していた。父親も母親も高卒なのにな……。

 自分の事は棚に上げて、俺には最高の結果を要求する。

 まったく異常な男だった。



 地方の底辺高校を目立たない虫のように過ごして卒業した。バイトしながら予備校に行った。成績は上がらなかった。上がるはずがない。勉強して、せっかく記憶しても、数か月後には忘れているからだ。何回繰り返しても、憶えられないものは憶えられない。

 父親の暴力と異常な説教は、ずっと続いていた。

 本当にどうでもいいような些細なことで、長時間の説教が続く。

 気に入らなければ殴る蹴るは当たり前。


 やがて三浪してから、黙って試験を受けた三流大学の補欠に引っかかった。

 一生に一度の幸運だと思った。実力じゃない。たまたま運で選んだマークシートが当たっていた。


 ところが、父親は入学を許さなかった。入学金も授業料もない。奨学金は父親が保証人になるのを拒否した。父親は性格の歪んだ男だったから親戚とも絶縁していて、頼れるような縁者は一人もいなかった。

 おれは逃げ道を塞がれてしまった。

 そして、その夜も始まった。

 いつもの説教。




 お前は何でそんなに頭が悪いんだ。


 お前は何で体が弱いんだ。


 何をやらしても人並み以下。


 ゴミクズ人生を送る馬鹿だ。


 なんでお前なんかが、おれの子供なんだ……。





 そのまま逃げて働けば良かったのだが、その時は怒りで思考力が無くなっていた。

 キレてしまった。

 一升瓶を父親の頭に叩きつけていた。

 倒れた父親の頭を蹴っ飛ばした。本当に心の底からすっきりした。

 そのまま家出をした。

 貯金は二十万程度の金だったが、とりあえずバイトすればなんとでもなると思った。



 おれは、うきうきしていた。

 気分は明るかった。

 これまで辛かったけれど、ここから始められると思った。

 真面目に働いて、いつか性格のいい彼女が出来て……あいつと違って良い家庭を作って……。



 そんな、ぼんやりした未来は翌日、駅で唐突に終わりになった。警官が現れて、おれは捕まった。パトカーのなかで、父親が死んだと説明された。



 おれは殺人犯。父親殺しになった。



 裁判のことはあまり憶えていない。おれは弁護士と裁判官に、ただ人生のことを淡々と説明した。判決は情状酌量というやつがあった。懲役十年。おれは初犯で模範囚だから、三十歳手前で出所できた。


 色々なところで働いた。

 様々な職業を知った。

 もっとも、前科者の働ける場所なんてブラックな所が多かった。

 擦り切れそうになったところで辞めたし、馴染んでいても父親殺しがばれて逃げるように辞めたこともあった。


 そういえば血を吐いて死ぬ二年ぐらい前から、胃がやたら痛むことがあった。胃薬を飲んだり、冷たい水を飲むとジクジクとした痛みが少し引いた。

 病院なんか行きたくもなかったし、仕事が忙しくて行く暇もなかった。


 そうやって不調を乗り切っていたが、あの日の夜、いつにない痛みがあって大量に吐血した。


 最低の人生……。


 つくづく分かったことは、人生にやり直しなんか無いってことだ。


 失ったら取り戻しなどできないものばかりだった。


 苦しいことも糧にして前に進むなんて美談は、程度の知れた苦しさしか知らない者の戯言だ。


 恨みも憎しみも喜びも、本当は忘却しなければならない。

 忘れられなければ、生きている限り焼けつくような想いを抱えて、そいつを引き摺るように生きていく破目となる。

 つまり、それがトラウマ。


 ここは地獄に決まっている。


 油断するな。


 疑え。


 信じるということは、騙されることだ。


 これは都合のいい輪廻転生なんかじゃない。


 やり直しなんかじゃない。


 人生はやり直しなんかできないんだ。


 たとえ生まれ変わっても、だ。




 アベルの核にいる男は眠りについた。



続きます。読んでください。


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