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この記事も「女性および18禁閲覧禁止」です。 日本男児は、絶対に同邦の婦女子を守り抜く。 その決意を持たないものは日本男子とはいえません。 |

画像出所=https://item.rakuten.co.jp/giftjapan/sw-34/
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)ある本からの引用です。
まずはお読みください。
記述は昭和20年8月15日の出来事からです。
(一部ブログ用に単語を変えています。)
===========
日本が負けたとはどういうことだろう。
一人になっても戦うはずではなかったのか。
そのために私達はあんなにも一生懸命薙刀(なぎなた)の練習をしたはずだ。
負けたら玉砕のはずだ。
負けて日本があるなんておかしい。
12歳の少女の頭は大混乱してきた。
私は妹を残して一人また外へと出ていった。
「軍人の父はどうなるのだろう」
「幼年学校の兄はどうなるのだろう」
「この先、私達はどうなるのだろう」
そんなことを考えながら歩いていた校庭の花壇に咲いていた芙蓉の花。
午後の強い日差しを浴びながら、それは静かに咲いていた。
花びらを淡いピンクに染めて、まるで夢のように優しくて美しかった。
そして、このときの不気味なまでの鎮まり。
8月15日の午後は、私の上で驚くほど静かに流れていった。
しばらくして学校へ戻ってみると、責任者という感じの軍服姿の男性が全員になにやら小さな包みを渡し始めていた。
「これはいったい何?」
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そんな会話が耳に入る。
あぁ、やっぱり玉砕、いや集団自決というのかな。
なぜかほっとする。
「半島人が日本人を
皆殺しにするといっている。
現に街では、
暴徒らによって
何百人もの日本人が
殺されているそうだ。
覚悟しておいてほしい。
ベルが三回なったら
この白い包みの中のものを
飲んでくれ」
その男性はそう言い残すと出ていった。
着替えをする人、化粧を始める人、もって来た缶詰を食べ始める人、ただ泣いているだけの人、様々だ。
誰かが私と妹にキャラメルをくれた。
しかし、私と妹は母の手をしっかり握りしめたまま、黙ってそのキャラメルを見つめていた。
暑い日差しが西に傾き窓を赤く染め始めた頃、ずっと遠くのほうから何か異様なざわめきが聞こえる。
耳を澄ますと、それは集団となって何かわめきたてている人間の声だ。
「この学校に収容されている
日本人を殺すと言って、
大勢の半島人が
押しかけてきている」
との情報が伝えられる。
「さぁ薬を飲もう」
「いや、ベルが鳴っていない」
などと騒然となる。
私は窓からその声のする方をじっと見ていたが、やがて、遠くにその姿が目に入るやいなや体中から血の気が引いてしまった。
数百人に上る人々が手に手に竹槍や石をもって大声を出しながらやって来るのである。
校舎のどこかで窓ガラスの割れるすさまじい音が響き渡る。
その場にいた全員が青酸カリを握り締め、ベルの音は今か今かと緊張のあまり震えていた。
その時、
「子供達、集まれ!」
と男達が大声で叫ぶのが聞こえた。
私の手を強く握って離そうとしない母の手を振り切って、声のしている校庭のほうへと歩いていった。
二十人近く集まった子供達を前に、校長先生の話が始まった。
「みんなにお願いがあります。
よく聴いてください。
半島の人達は
子供のいる前では
絶対に悪いことをしない
人達です。
そういう民族です。
だから、
あなた達全員で、
あの人達の前で、
『哀号(あいごう)、哀号、
助けてください』
と泣き叫んでください」
私はそれを聞いて、真っ先に半島の群衆の前に出ていった。
そして、校長先生が言ったように、
「哀号、哀号、
助けてください。
殺さないでください』
と泣きながら懇願した。
みんなも続いて口々に叫んだ。
誰もが皆必死だった。
校長先生はひとり
「半島独立おめでとう」
と叫びながら手を振っている。
私たちの「哀号」の声が裏山にこだましている。
この必死の叫びは半島の人々の心に何を訴えることができたのか。
やがて彼らは、私達に何の危害を与えることもなく引き上げていった。
たった一人の校長先生の叡智で大勢の日本人の命が救われ、また半島の人達を暴徒とせずにすんだのだ。
この先生の優しく深い微笑みは、私の心に深く刻み込まれている。
「死」に直面していた命が助かったということで、私達の恐怖は一転して歓喜へと変わった。
私は自分の「哀号」の叫びに未だ鎮まらぬ心を抱きながら、学校の裏庭へと出て行った。
裏庭は小高い山の斜面へと続いており、そこに細い道が通っていた。
私は一人その道をゆっくりと歩いていた。
そして次の瞬間息が止まり、恐怖で叫びだしそうになるのを必死にこらえながら草むらの中に身を潜めた。
身体の震えるのを抑えることができなかった。
道の下の方から若い男が五人、まるでお祭りのように大声で歌いながらやってくる。
そしてその男達の持つ棒には全裸にされた女性が逆さまに吊るされている。
二本の棒に片足ずつ結び付けられ、中心には棒が突き刺さっている。
それを神輿のように担ぎながら男達ははしゃいでいるのだ。
女性の長い髪が木の葉の上を引きずられていく。
体中が血に染まっている。
そしてかすかに聞こえる呻き声。
あぁまだ生きている。
どうやって学校まで帰ったのか覚えていない。
この時見た光景は何故か誰にも話さなかった。
だが「一生忘れないぞ」と自分の心に誓った。
この夜、皆はそれぞれ持っている食べ物を出し合って、
「明日をも知れぬ命なのだから」
と宴会のように食べあった。
そうしているうちにも、街のあちこちに火の手が上がり始めた。
日本人住宅や神社仏閣が燃えていると大人達が話している。
一つの火勢が衰え始めるとまた別の所がすごい勢いで燃え始める。
パッと燃え上がる火柱を放心状態で眺めながら、日本は負けたのだと初めて実感する。
皆殺しだといって押しかけてきた村人達、ひとりの女性をなぶり殺しにしようとしていた男達、そして神社にまで火を放っている人々、
いままで「鬼畜米英」と教え込まれてきたが、この時、私の中でその言葉は「鬼畜半島」という言葉にすり替えられたのだった。
=========
この文は、天内みどり著『芙蓉の花〜北朝鮮引揚げの記録〜』という本のP.24〜P.28を引用したものです。
本は、いま二刷りですが、またたくまに在庫がなくなり、新刊なら1300円の本が、いまAmazonでは古本が1万2,980円もします。
著者は終戦のときに、やっとの思いで満洲の新京駅から日本に帰ろうと汽車に乗るのですが、途中、朝鮮の宣川で下車させられ、8月15日を宣川の日本人学校で過ごしました。
そのときの模様が、上の文です。
その後ようやく日本に帰還するのですが、今度は文中にある妹さんを北朝鮮によって拉致されています。
その実体験を綴ったのが、本書です。
本書は、たいへん公平に、同じ半島の人であっても、日本人にとても親切にしてくれた人たちのことも詳しく紹介しています。
従って決して恨みつらみを書き記しただけの本ではありません。
また、本書は終戦時の帰国時に、苦労をともにした妹のかほるさんが、突然失踪し、それが後にNorth 半島による拉致被害であった可能性が大きいことも、きわめて冷静に記述しています。
上に紹介した文では、日本が負けたその当日から、半島人たちが集団で日本人を襲う様子が描かれています。
このときの半島は、すでに日本によって36年間も統治されていたのですから、すくなくとも42歳以下の半島人は、日本人としての戦前の教育を受けていた人達です。
にも関わらず、日本が負けたと知るやいなや、瞬時にして暴徒となって集団で、日本人を襲う。
彼らの襲撃というのは、日本人にはおそらく想像もつかない激しいものです。
とにかく目につくもののすべてを持ち去ってしまう。
略奪するときにでも、どれにしようかなと、つい選ぼうと迷うのは我々が日本人だからで、半島人やChineseの場合は、机でも椅子でも、略奪が終わればまるで引っ越しでもしたあとかのように、何もかも奪い去ります。
このとき、女性であれば年寄りや子供でも暴行の対象になる。
裸にした女性の膣に木切れや棍棒を挿すというのも、彼らの伝統芸です。
生き残っても外性器の形が変形してしまう。
近年もそうした性的被害にあう女性が日本国内であとを絶たないと聞きます。
日本人としてのしっかりとした教育がされたあとでさえも、彼らの獣性は何も変わりませんでした。
戦後74年間、日本に住んで日本の教育を受けてきても変わらない。
相変わらず獣のような犯罪が連続して繰り返されています。
半島人の全部が全部、そうした獣であるとは言いません。
99.9999%はまっとうな人たちであると思います。
けれど、明治以降150年の伝統を持つ日本の学校制度で、たった一度でも、小学校の校門前に女子児童の生首が置かれるという事件があれば、以後、日本全国すべての児童が集団登下校をするのです。
当然のことです。
それが健全かつ賢明な判断というものです。
たったひとりでも、たった1件でも、不埒な輩がいれば、全体を警戒しなければならない。
なぜなら、誰が人の皮をかぶったケダモノなのかは、事件が起こってみなければわからないからです。
それなら、全部を警戒せざるを得ないのです。
「哀号」と言って土下座して号泣すれば許すという性癖も、彼らの特徴です。
どちらが上か、どちらが下かという上下関係でしか物事を見ることができない彼らは、自分が上だという実感を得ることができれば満足するのです。
ただし、彼らはその満足を継続するために、毎日何年でもずっとその支配の確認をし続けます。
この心理を、あたかも日本人の生態であるかのように誤認させた『謝罪の王様』という映画がありましたが、日本人には理解できない行動パターンです。
なぜなら日本人には常に「一寸の虫にも五分の魂」という心理が働くからです。
上古の昔から天皇という存在によって、民がおほみたからとされてきた日本には、民族のDNAとして和の精神が根付き、また身分や立場や上下の関係を越えて、人として対等という共通心理があります。
だから土下座しようがしまいが、相手が下出に出ようが出まいが許せないものは許せないし、たとえ宿敵であったとしても敵に塩を送るのが日本人の一般的社会通念です。
そしてそうしたことがあたりまえになっているのは、日本に天皇という存在があったからです。
このことを、私達は、もう一度、日本社会全体として、しっかりと認識し直さなければならないと思っています。
犬は犬種によって、その習性がまったく異なります。
このことは、犬が育った環境とはまったく関わりがありません。
個体としては、それなりの行動をとったとしても、犬種の持つ性質は、犬種ごとに完全に異なります。
残念ながら、人間もおなじ哺乳類であり、人にも人種や民族による違いがあります。
これは個体の問題とは異なるものです。
およそ社会を考えるときには、個人にとっての美徳は、常に集団にとっての悪徳となります。
逆にいえば、個人にとっての悪徳は、集団の美徳や利益になる、ということです。
会社でも、課長会議に平社員は出席できません。
社会は差別によって成り立っているのです。
「差別はいけない」というのは、錯覚です。
※この記事は2018年4月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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半島人は自分自身の残虐性を日本人にすり替えてしまわないと国家建国の大義名分も正当性も無く国威発揚しないので歴史捏造する選択肢しか無かったのかもしれませんね。
国家の成り立ちからこれであれば歴史的に反日教育が国是であったのも理解出来ますし、その資質は時間が経っても変わらないのもすごく理解出来ます。
戦勝国も又同様、自国正当化の為WGIPで日本人が残虐であると洗脳してきた経緯を考えると、
日本人の民族性、本当の歴史は日本人自ずから覚醒しなければ、戦勝国や半島人の作られた歴史に洗脳され刷り込まされるだけ。
しかし近年、ねずさんのブログを代表される様に日本人を目覚めさせる材料が増えてきており日本の本当の明るい歴史と未来が見えてきている様に感じます。
更に、妹の「かほるさん」は北に拉致された可能性が高い!
拉致被害者救出!
街頭で講演で出版で誓願で…活動は大々的に展開されています。
大勢の努力で世論も醸成されてきたと思います。
しかし…為政者の対応は緩く、同胞を見捨て半島に媚びる輩の反撃もあり、状況は一向に好転しません。
鬼畜半島…こんなザマで済ませてはなりません。
朝から怒り心頭状態です。