60代で司法試験に合格し、修習生となった粟野和之さん=山形地裁 © 山形新聞社 60代で司法試験に合格し、修習生となった粟野和之さん=山形地裁  難関を突破し、60代で弁護士の卵となった男性がいる。山形市城西町1丁目の粟野和之さん(64)は裁判所職員を早期退職して昨年、司法試験に合格した。合格者の平均年齢は28.8歳、合格率29.11%の中、中学時代からの夢を実現。現在、市内で司法修習生として学んでいる。「身近な問題を相談できる町医者のような存在になりたい」。冬には弁護士として第二の人生を踏み出す。

 一度は諦めた道だった。粟野さんは山形東高を卒業後、中央大法学部に進学。共に裁判所職員だった父母の影響で子どものころから法律への関心は高かった。法曹を目指し、20代半ばまで旧司法試験を受け続けたがかなわず、自身も裁判所職員になった。

 再び奮い立ったのは2012年。きっかけは50代半ばの退職者研修で講師が言った言葉だった。「若い時に諦めたことはありませんか」。東京や東北各地での書記官としての経験はやりがいがあったが、管理職で現場を離れていた。「もう一度挑戦したい」と57歳で早期退職し、東北大法科大学院に入学した。

 東日本大震災の経験も後押しした。仙台地裁会計課長だったが、救援物資の手配などでもっと機敏に周囲に協力できたのではないかと後悔が残った。組織は時として機動的に動きにくい。個人だったら被災者に直接寄り添い、支援できると確信した。

 現在は20~30代の同期生8人と切磋琢磨(せっさたくま)する日々だ。「普通のおじさんだったら口を聞くことも少ない世代と対等に議論できる。得難い経験です」と粟野さん。一方で大橋翼さん(26)は“おじさん同期”の好影響を語る。初めての社会経験が司法修習で、社会人としての話し方も分からなかったが「人生の大先輩がいて頼りになった」と話す。休日には皆で観光地に出掛けることもあるという。

 20年前に黒い法衣を着て座っていた山形地裁の法廷はかつての職場。再び戻った時は不思議な感覚だったという。当時、山形簡裁で家事相談をしていたことを振り返り、理想とするのは法律関連の悩みを気軽に打ち明けてもらえるような弁護士だと話す。対処が早ければ大事件にならずに済むこともある。「熱が出たら大病院の前に町医者に行くように、法律の身近な相談相手になりたい」と力を込めた。

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