先進七カ国首脳が結束し強いメッセージを国際社会に発信する-。首脳宣言取りまとめを見送ったフランスでのG7サミットはその役割を果たせなかった。G7は存在意義を自ら問い直すべきだ。
トランプ米大統領と閉幕後の共同記者会見に臨んだ議長役のマクロン仏大統領は「われわれの共通点は時間を無駄にしたくないことだ」と述べた。会議を引っかき回すトランプ氏へのあきらめが見て取れた。
自国第一主義のトランプ氏は本来、国際協調の場であるG7とは水が合わない。マクロン氏はできもしない意見集約に時間と労力を費やしたくなかったのだろう。
サミットは一九七五年にパリ郊外のランブイエ城で初めて開催された。これを提唱したジスカールデスタン仏大統領は、サミットの在り方として、首脳だけが膝詰めで忌憚(きたん)なく論じ合うスタイルを描いていた。
ところが実際には、各国は大規模な随行団を送り込み、首脳は官僚が用意したペーパーを読み上げることが多く、官僚は成果文書の文案調整に徹夜する。
首脳宣言に代わる簡潔な総括文書の文言をマクロン氏自身がつくったのには、ジスカールデスタン氏が構想した原点へ戻ろうという意図もあったのかもしれない。
二〇一四年にクリミアを併合したロシアを追い出し、民主主義や法の支配、自由貿易という価値観を共有する本来のG7の姿に戻った。
国際情勢の不透明化が深まる中で、西側の結束を示す場となるサミットを再評価する声もある。
〇八年に起きたリーマン・ショックの危機対応として発足したG20が、参加国・地域が多い分まとまりを欠き、期待したほど機能していないことも再評価の後押しになった。
ただし、G7は足並みがそろってこそ価値がある。トランプ氏がいては価値観の共有ができているかも怪しい。
しかも、往時は世界全体のGDP(国内総生産)の七割近くを占めたG7だが、今では五割を割り込み影響力は低下した。
それでも、結束は望むべくもないトランプ時代だって永遠に続くわけではないと腹をくくって、あくまで価値観を同じくする国の集まりのままでいくのか。
あるいは影響力の回復を目指して、体制の違う中国やロシアにも門戸を開くのか。G7は方向性をじっくり考えてほしい。
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