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2019-08-28

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「ほぼ日」には、おかあさん乗組員がたくさんいる。
 そして、おかあさんの先輩や後輩がいるものだから、
 たがいに相談しあったりしている。
 実際の経験に基づいて、しかも迷信とかを混ぜないで、
 こどものことを教えあえるって、なんだかいいなと思う。
 ぼくが「いいな」なんていうのは、無責任な好奇心で、
 ご当人どうしは、もっと切実な情報交換なのだろうが、
 やっぱりおもしろいものは、おもしろい。

 そういうおかあさん同士の話題のなかに、
 「本の読み聞かせ」というテーマがあった。
 忙しいに決まってるおかあさんが、
 「これだけはやろう」と決めてやっているのが、
 この「本の読み聞かせ」という習慣なんだそうだ。
 先輩がやっていると、後輩おかあさんもやりたくなる。
 前にも、ちょっと書いたことかもしれないけれど、
 絵本を持って、まだことばをおぼえていない赤ん坊に、
 「読み聞かせ」をすると、それなりに
 聞いているように見えるから不思議だ。
 じぶんに呼びかけられている感じがいいのかもしれない。
 ことばのわからない赤ん坊だってよろこぶのだから、
 多少なりともしゃべれるようになった子どもなら、
 「読み聞かせ」はかなり好きなのではないだろうか。
 いちばん安心できる人の声で、
 知らない世界に連れて行ってくれるのだから、
 それがたのしくないはずはないだろう。
 声で、こころを愛撫するような行為なのだろうな
 (そういう意味では、歌を歌うのも似てるかな)。

 こんなふうに考えていくと「読み聞かせ」というのは、
 子どもにとっての、たいへんに贅沢な遊びなんだね。
 その遊びで、なにが育ったりだとか、
 どこがうれしかったりするのかは知らないけど、
 大人でもしてほしいくらいの、ご馳走な行為だよ。

 たぶん、一冊の本をぜんぶ読んでくれる人が、
 実際に、ここにいるってわかった子どもたちは、
 じぶんが大人になったとき、本を読むことを
 めんどうに感じないんじゃないだろうか。
 おかあさんたち、ごくろうさま、いいことしてるね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
昔のお年寄りみたいに、本の音読をしてみたくなったな。


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