痔になりやすい生活習慣とは?

日本では「美しい国づくり政策大綱」が発表されて以来、
景観法が施行され、地方自治体もそれを後ろ盾とした
条例をつくり景観づくりを推進していると思います。

例えば京都の新景観条例がそれにあたると思いますが、
これには以下のような反対の声も多くあります。

「高さ規制によりマンションの建替えができなくなり、マンションの資産価値が下がる」
「住宅を建築するのに認定が必要になり、建築に大幅な時間がかかるようになった」

こういった住民の声を聞く限り、美しい景観づくりは
そこに住む人々にはあまり歓迎されていないように感じられ、
景観づくりは困難なのではないかと思います。

しかし海外に目を向けてみると、特にイタリアなど欧州の国々は
美しい景観づくりに成功している国が多いように感じます。

そこで質問なのですが、
こういった欧州の国々はなぜ景観づくりに成功しているのでしょうか?
日本にはないような優れた制度を規定する法律等が存在するのでしょうか?
また、どのように住民の景観づくりへの同意を醸成したのでしょうか?

漠然とした素人質問で申し訳ございませんが、
景観に関する知識をお持ちの方がいらっしゃいましたら、
ぜひご教示ください。よろしくお願いいたします。

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A 回答 (2件)

以前、新聞か雑誌に「世界中で日本人ほど伝統を平気で破壊する民族は無い・・・」と建築史の専門家の投稿文が掲載されていました。

ヨーロッパでは築50年のマンションなんて新しい建築物ですけど、日本ならばどうでしょう。日本の役所も新築ラッシュで伝統的な公共施設は耐震不足とか文化財の価値が無いとかの理由で殆ど破壊されているのが現状です。日本は世界に誇れる歴史ある伝統的な国家であるにもかかわらずなぜ簡単に伝統的な町並みを破壊していくのか、外国の専門家は不思議がっているようです。
そういえば、ヨーロッパでは古いビルの町並みが数多く見られますが、日本の都市は新興国家の町並みと同じです。たかが建国200年のアメリカのほうが伝統を守っているように思えます。
そもそも日本人は公共の景観や伝統的町並み保存よりも、新し物好きで個人の利益を重んじ、口を開けば金・金の国民性ではないでしょうか。
私も仕事の関係である町で景観づくりを試みましたが、住民の反対(損害の補償を要求)で断念しました。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます!
仰るとおり日本には多くの伝統的な町並みがありますね。
例えば京都の町屋等がそれに当たりますが、そういった
伝統的な町並みが取り壊されビルになったりするというのは
非常に残念ですし、もったいないですね。
景観を重んじるヨーロッパの人々が日本の景観政策に疑問を
持つのも無理のないことだと思います。

景観づくりのお仕事でも相当ご苦労なさったようですが、
日本人もヨーロッパの人々のように、公共のために私権が
制限されることを受け入れるだけの公共心が必要なのかも
しれませんね。
ご回答いただきありがとうございました!

お礼日時:2007/12/16 15:57

歴史が違いすぎます。


ヨーロッパは100年も前から都市計画をそのように整備してきており、日本のように昨日今日の話ではありません。条例や法律はまぁべつに日本と似たり寄ったりです。市民にとって当然と受け止められているかどうかというだけが違うわけです。

家の設計を考えた時、向こうはまず例えば洗濯物は内庭に干すものという大前提があります。ですので家の設計はロの字型になって当たり前なのです。資産価値的なものも最初からそれ込みなので、制限を受ける事で下がるとか下がらないとか、認定についても最初からそうなので、時間がかかるとかかからないとか、そういうレベルで今更揉めるわけはありません。それは100年前の話です。
※ただ全くもめていないわけでもなく私権の侵害だということで憲法論議になることもあるそうです。

もし京都もこの勢いで100年間続けていけば、ヨーロッパに追いつくことでしょう。ただ別にいいんじゃねと思う人の意見に押し流されてしまうのであれば、今のままグダグダになっていくでしょう。
http://www.msoops.com/keikankisei.html

まぁ私見としては別にヨーロッパの物まねはしなくても良いんじゃないかとも思いますが。日本の近未来的な建物群はそれはそれでひとつの景観でもあるわけですし、そこに機能美を感じる人も大勢います(特に海外の人)。大体ヨーロッパのそれもあくまでもたかがある特定の時代の景観を保とうとしているだけ(本来なら洞窟や竪穴式住居が由緒正しい景観でしょ)に過ぎません。
まぁあまり合理主義に走るのも今度はアメリカの物まねですから。日本独自の個性を探すなら、やはり今まで通りごった煮でしょう。神様と一緒。多分そういう(クリスマスと正月とお盆が同時に成立しながら、世界でも有数の近代工業国家である)節操の無い国民性も景観規制に対する反発に影響しているとは思います。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました!
日本とヨーロッパでは条例や法律に違いがあるわけではなく、
そもそも公共というものに対する市民の意識が違うのですね。
家の設計においてもまず景観のことを考えるのが当然という
西欧の人々の公共心はすごいですね。
そういった公共心が市民に根付くまでどのようなプロセスが
あったのかということも興味深いところです。

また、仰るとおりで日本も無理をして西欧の真似をする
必要はありませんね。「ごった煮」というのもひとつの
アイデンティティとして十分成立するわけですし。

ただ放置自転車の問題等を見ると日本人ももう少し公共心を
持ったほうがいいなとは思ってしまいます。

繰り返しになりますがご回答ありがとうございました!

お礼日時:2007/12/15 18:33

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Q欧米と日本の街の景観について

ヨーロッパを旅して
きづいた事は、電柱が無い事と広告の看板が
すくなくスッキリしていて見た目にも
綺麗だと言うのが日本の街との一番大きな違いだと
思いました。

広告看板は、規制の問題でしょうが、

電柱や電線は、どうしてヨーロッパでは
ほとんど目にしないのでしょうか?
すべて地下に埋めているのでしょうか?

日本でも、ここぞと言う限られて所で
そうした景観を保つ事はできないのでしょうか?
(利害関係の整理が大変でしょうが)

私はいまや欧米よりも日本の方が
ほとんどの面で優れていると
思っていますが、この景観の面では
残念なことですが日本はヒドスギます。

Aベストアンサー

西洋での上下水道整備に関しては、有史以来の歴史があります。
ヨーロッパでは個人で井戸を掘って地下水を利用することもありませんし、
トイレの汚水を下水道を通して処理する歴史もありました。
一方、日本では数十年前まで個人で井戸を掘って水を利用するのも当然でしたし、
トイレは水洗式でもありませんでした。

すなわち、西洋には歴史的に、電力・ガス・通信事業が始まる以前から、
地下(上下水道)設備があったことが非常に大きいわけです。
地下の上下水道設備に、電力・ガス・通信設備を併設して共同溝とするほうが
予算的にも安全面から見ても断然有利だったわけです。
外観上の問題など、全く考えることもなく...


『風が吹けば...』に近い論理展開をしてみれば、
『日本は水が非常にきれいだったことで、町中に電柱が張り巡らされた』
といえるかもしれません。

Q景観法を分かりやすく説明すると?

景観法とはなんぞや?

分かりやすく教えて下さい。

Aベストアンサー

http://www.gakugei-pub.jp/judi/semina/s0604/tu009.htm

このサイトがかなり分かり易いです。
まずご覧下さい。

Qなぜ、日本はやたら看板が多いのか

 日本は外国、特に西洋と比べて、街の中に看板が多く、景観を大きく損ねていると思っています。
 そもそも、なぜ日本にはこんなに看板が多いのでしょうか。
 ヨーロッパに行くと、現地の人はどこに店や会社があるのかよく分かるなあ、と不思議になるぐらい看板がありませんよね。
 逆にアジアでは看板が多いようです。
 理由は何でしょう。
  都市構造の違い(道路が狭いとか・)?
  それとも文化の違い(表意文字の漢字が原因)?
  それとも歴史的原因(ヨーロッパは建物が古く、当時の景観を保存  する意向が強い)?
 原因が分からないと、対策も立てられないのではと思っております。
 どなたか教えていただけないでしょうか。
 

Aベストアンサー

ヨーロッパには、キリスト教的な考え方と中世の経済的事情が重なって、経済を発展させるのはよくないと考える価値観があるのです。(アメリカは例外です)

西欧では古代のローマ帝国の衰退と共に、エネルギー資源の枯渇に悩むようになり、誰かが他を蹴落として発展すると、全体としてほとんどの人が生活に苦しむという時期があり、キリスト教的な考え方が深まるのに合わせて、抜け駆けをしない、経済は無理に発展させないということが行なわれたのです。経済が発展すると資源の奪い合いが始まり、当時は石油など有りませんから、森林が伐採されることでむしろ多くの不利益が生まれたからです。

またその当時は、お店を開いたり商売をしたりするには一定の枠がありそれに入れなければ商売はできませんでした。またお祈りの時間とか協会に行く日(祭日なども)多くあり、その日は商売を行なうことは硬く禁じられていました。

このような名残が今でもヨーロッパにはあり、ドイツでは日曜日や深夜、店舗営業をしてはいけないという法律がありますし、西欧諸国ではクリスマスやイースターの日はまず間違いなく店舗が休みになります。経済活動よりも宗教的行事を優先しているのです。(日本を考えればわかりますが、クリスマスの休みにお店を開けば、ものすごく儲かるはずなのです)
このような名残で看板を控えるという理由もあるのです。

この点、アジアは違います。また意外と知られていないことですが、元々ヨーロッパの大航海とは、アラブの異教徒に利益を渡さずに、アジアの豊かな物産を直接取引したいためにはじまったのです。
当時のアジアから見ればヨーロッパは貧しい地域でした。その違いは森林資源(エネルギー資源)がアジアでは再生可能で枯渇しないということに立脚しています。

このようにして日本を含めたアジアでは、経済活動を規制する理由がありませんでした(封建的な規制はありましたが)、そのため経済活動を自由に進めるために広告(看板)が発達したのだと思います。
香港なんてもっとすごいですよね。それに比べれば日本は農本主義の時代があり、商人は卑しい仕事だといわれていた頃がありますから、ちょっと遠慮がちなのかもしれません。

ヨーロッパには、キリスト教的な考え方と中世の経済的事情が重なって、経済を発展させるのはよくないと考える価値観があるのです。(アメリカは例外です)

西欧では古代のローマ帝国の衰退と共に、エネルギー資源の枯渇に悩むようになり、誰かが他を蹴落として発展すると、全体としてほとんどの人が生活に苦しむという時期があり、キリスト教的な考え方が深まるのに合わせて、抜け駆けをしない、経済は無理に発展させないということが行なわれたのです。経済が発展すると資源の奪い合いが始まり、当時は石油な...続きを読む

Q日本以外の先進国はどうして電柱があまりないのですか?

http://r25.jp/b/honshi/a/ranking_review_details/id/1112009021906
この記事を見ていてすごく疑問に思ったのですが、
どうして日本以外の先進国、特にイギリス・ドイツ・フランスは無電柱化率がこんなに高いのですか?
確かに電柱はない方が景観がよくなりますから
フランスのように首都自体が観光名所である場合は無電柱化にこだわるのは理解できますが、
どうしてイギリスやドイツ、アメリカまでもが無電柱化率が高いのでしょうか。
景観以外にも何か理由があるのですか?

Aベストアンサー

『失われた景観―戦後日本が築いたもの (PHP新書) (新書) 松原 隆一郎 (著) 』に次のようなことが書いてありました。

ヨーロッパ、例えばロンドンでは19世紀末に街灯を建てることが重要な公共事業であった。そこでガス灯の事業者と電気の事業者が競合した。ガスはもとより管が地中化されている。電線は架空できるが安くつきすぎて競争条件が公正でない。そこで電気法が制定され、架空が禁止された。
アメリカでは、19世紀末のマンハッタンでは架空電線が蜘蛛の巣のごとき状態に張り巡らされていた。裸線であったために感電事故が続発したので行政が主導して地中化した。
日本では、安い電力の安定供給が至上命題であり、アメリカとは時期がずれており電線を被覆する技術が開発されていたため電線地中化には向かわなかった。

詳しくは上記の本を読んでください。費用負担のことなども書いてあります。

Qヨーロッパの街並

なぜヨーロッパの街並は、統一されている上に、建築物のデザインが素晴らしいのでしょう?

ビルが一つもなく、赤い屋根が続いていたり、電柱は無い、田舎町も素晴らしい。

中世の街並がそのまま残っていると思うのですが、ここまで素晴らしいのはなぜですか?

Aベストアンサー

 もうすでに皆様から貴重なお答えが書き込まれていますが、もうひとつ、原点に戻った見方が残っているように思います。

 パリなどに見る、最初から企画されデザインされた結果としての、整然とした都市景観については、これまでのご回答の通りだと思いますが、もっと広くヨーロッパ全域で考えてみますと面白いことに思い至ります。

 ひとつは建材のあり方です。過去には粗雑な材木などで葺いていた屋根が、いつしか恒久的な瓦に変わっていったことはよく知られていますが、ヨーロッパのかなり広い地域で、彼らが作り出す瓦は、もともと鉄分を含んだ粘土を原材料にして焼き上げることから、自然に赤系統の焼き色に仕上がります。さらに釉(うわぐすり)もまた同様に赤系統の発色をするものが簡易に手に入ったということもあります。そして大切なことは、当時ではそんな瓦一種類しか生産出来なかったはずだということです。

 このことが、主に中世期に建てられ発展して行ったヨーロッパの都市の、まず屋根に統一性を与えたと思います。つまり、小高いところから見遥かす街の全域がすべて赤っぽい瓦できちんと揃っている、その統一性こそが街の整然さを巧まずして生み出したのだと思います。

 壁材もしかりです。漆喰などは雨風を防ぎ見かけを飾る仕上げ材として広く使われましたが、ギリシャなど南部ヨーロッパに見られる漆喰は、それ自体、真っ白な都市景観を生み出しています。あるいは石材そのもののテクスチャーもまた都市景観に大きく寄与しています。つまり、誰もが、どこでも、当たり前に使っていた建材こそが、都市に統一性をもたらしたのだと思うのです。

 でも、それだけではありません。中世期から近代まで、建築家、大工、石工、こうした職業に就く人々は、ほとんど徒弟制度の元で腕を磨いていたはずです。彼らは、その土地その土地での環境に応じ、手に入りやすい常識的な建材を元にして、家屋の構造や作り方といったものを伝統的に編み出していたはずです。時代とともに徒弟たちは独立して親方になり、さらに自分の徒弟を育てる側に立つ、そうした歴史の中で、彼らはあくまでも伝統的な工法を忠実に踏襲して行ったはずです。

 そんな時代にあっては、丹下健三や、芸術は爆発だと叫んだ岡本太郎などといった先進的な考えを持つ者はまだ異端の徒とみなされたはずです。建材にバリエーションが無く、建築工法に自由度が低かった、そうした時代を想像すれば、都市の景観そのものが、悪く言えばワンパターンに、よく言えば整然とした佇まいを生み出した、そう考えてはどうでしょうか。ついでに書き足せば、電柱が無いのは、単に電柱に使うだけの真っ直ぐな木材が少なかったことによるものだとなにかの本で読んだことがあります。

 そして今日、斬新な建材が満ち溢れ、構造力学も発展し、建築美術に限界という垣根が無くなってしまった、そうした環境の下で、こうした中世期の都市景観を振り返るとき、私たちはそこに、統一性というある種の美を見出すのだと思うのです。異論は多々あることでょう、でも、私にはそう思えるのです。

 しかし、これらはごく一般的な建築での話です。「なぜ建築物のデザインが素晴らしいのでしょう?」というご質問はやや次元が異なるテーマだと思います。わが国でもはるか古代から、豊富な建材である木材による高度な構造を見せる建築物は数多くあります。そして、そこには当時の英知を積み重ねた想像以上に高度な構造力学が見て取れます。

 ヨーロッパでもそれは同じことです。彼らにとっては、やや大規模な建築を考える際に最も身近な建材は御影石、大理石、砂岩など石材でした。互いに接着や緊結をすることが難しい石という建材を自由に用い、高く積み上げ、思いのままの姿に建築するには、そこにやはり独特の構造力学の知識が欠かせなかったはずです。

 そして、そこにやはり、大工や石工とは違う、学理的で美術にも通じた専門職が活躍の場を見出したのだと思います。レオナルド・ダビンチもそうですし、サント・シャペルの聖堂を設計したピエール・ドゥ・モンルイユもしかり、そうした建築家と呼ぶべき人々によって、均整のとれた全体構造とともに、エンタシスや黄金分割などを駆使した完璧なまでのバランス、そしてさらには、石を打つ作業とともに発達した美しい彫刻やレリーフといったものも加えられて、後世に残る荘重な建築美が生み出されたと思うのです。

 ヨーロッパの街々はとても美しい統一性を見せてくれます。しかし、ここまで書きましたように、一般のための建築群と、宗教などに関係する特別な建築物、さらには、やや後世に見られるようになった意識的な都市景観のデザインと徹底、これら3点は、それぞれかならずしもひとつの理念からスタートしたものではないということも面白いことです。

 もうすでに皆様から貴重なお答えが書き込まれていますが、もうひとつ、原点に戻った見方が残っているように思います。

 パリなどに見る、最初から企画されデザインされた結果としての、整然とした都市景観については、これまでのご回答の通りだと思いますが、もっと広くヨーロッパ全域で考えてみますと面白いことに思い至ります。

 ひとつは建材のあり方です。過去には粗雑な材木などで葺いていた屋根が、いつしか恒久的な瓦に変わっていったことはよく知られていますが、ヨーロッパのかなり広い地域で、彼...続きを読む


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