心の襞(ひだ)(こころシリーズ←いつまで続くか?)

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小説でもドラマでも映画でも、人間心理を細やかに描いたものが好き。
人間の繊細な『心の襞(ひだ)』のようなものを・・・・・。

うれしい、楽しい、悲しい、淋しい、腹立たしい、
その他はっきりと言葉などで言い表せる心の狭間にあるような微妙な人間の心理。
そういうものが『心の襞(ひだ)』というのでしょう。

『心の襞』は誰にもあるのかもしれないけれど、その細やかさなどは人それぞれ。
『心の襞』のようなものを感じられない人もときにはいらしたり・・・。

私はそういう『心の襞(ひだ)』を読み取れる人が好き。
また私もそういうものが読み取れる人になりたい。

小説家でも細やかな心理描写が上手な人が好き。

読みながら
「あーーー、こういう微妙な気持ちわかるなー。」などと思って読んだり・・・・・。

日常生活でも、いわゆる『竹を割ったような性格』の人はちょっと苦手かも・・・・・。
『竹を割ったような性格』でも人の『心の襞(ひだ)』が読み取れる人ならいいのだけど・・・。

『心の襞(ひだ)』を持っている人。人の心の襞を読み取れる人。
そう考えるとそういう人はそんなにいないのかもしれないなー。

以前ある人と『心の襞(ひだ)』について話してみたら
「自分にはそれはわからない。」と言っていた。
そういえば、その人はその人自身もそんなに細やかな心の襞はなく、また人の心の襞も読み取れない、と、いうか・・・・「『心の襞(ひだ)』って何?」と人間の心にそういうものがあることすら理解しようとしていなかった。

でも、それは人それぞれで悪いことではないと思う。
別に『心の襞(ひだ)』が細やかになくても、人のそれを読み取れなくても別に人に迷惑をかけているわけでもないのだから・・・・・・。

この前子供たちとこういう話をしていたら、息子が
「人の表情を見てたら、だいたいそういう細かい気持ちはわかるで。ねえちゃんはわからんだろう。」と言っていたが
娘はどちらかというと『竹を割ったようなはっきりとした性格』のように思われているけれど、実は結構細やかな『心の襞』を持っている。あえてそれを出そうとしないだけ。
人の『心の襞』も読んでいる。でも、それもあえて読めていることを出そうとしない。
だって・・・・『WKY=わざと空気読まない人』だから・・・。(笑)

そう考えると、ちょっと接しただけでは『心の襞』も見えないし、人のそれを読めていないような人でもじっくりつきあうとそうではないのかもしれないな。

小学生の頃は音楽の方に進みたいと言っていた娘。
本も好きなので最近は国文科に進みたいと言っていたが、また近ごろ親子でこういう話をよくするせいか心理学科か哲学科でもいい、と言い出した。
^^;

何が合っているのでしょうか。
って・・・・・結局子供ネタで終わってしまった。。。。。
(^_^;)

 

コメント(2)

受け入れがたいことがあったとき
つとめて消化しようと思わないと、心のバランスが保てないんですね。
受け入れがたいことも
結局は、受けとめるしかないわけで・・・

「心の襞」が多い人は
感受性が強い人と言えるのかもしれません。

「感受性」の強さは
ときに「甘受性」につながっているのかも。。。
・・・あきらめる というか。。。


「万物の尺度は人間である」
人には、それぞれ自分の尺度があるので、絶対の正義はないのですね・・・

だからこそ、人と付き合うことは面白いし
だからこそ・・・疲れますね。。。。。。

>かりょうさん
「心の襞」が多い人は感受性の強い人。
そうなのかもしれませんねー。

感受性=甘受性
ですかー。
ほぅーーーーーー。

私も結構ある程度つきつめて考えたらあとはあきらめますね。(^_^;)

人と向き合うことは疲れることもあるけれど、面白い・・・・・・。
でも、誰とも向き合わずには生きていけませんね。

いろんな人がいるからこそ、苦労もあるけれど、楽しさもあるのでしょうね。
ん?上に書いたことを言い直しただけのような・・・・?
^^;


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