それはともかく第二話の続編です。読んでない方は第二話を先にどうぞ。
筆頭書記官であるロウネ・ヴァミリネンの下に、新人秘書官が配置された。先日開かれた文化人交流会の参加者の中でもひときわ優秀だった若者の一人、頭頂部ハゲの男である。ロウネは、秘書官としてもハゲとしても後輩のこの男を、どう指導していけばいいものかと思案していた。
この頭頂部ハゲの男は、元来が浮世離れした学者気質のところがある。それゆえに、仕官の話を断って研究生活を続けることも十分あり得た。ではなぜ宮仕えを決意したのかといえば、ロウネの推察によれば、ジルクニフのハゲの秘密を探るためである。
ジルクニフに接近する機会があると、この頭頂部はジルクニフの頭を鷲のような鋭い視線で観察しているのである。ジルクニフや周囲の人間に気づかれずに凝視するその器用さは大したもので、スパイの才能があるのかもしれない。ただし、さすがにロウネの目はごまかせなかった。ハゲは他人の視線に敏感なのである。
頭頂部の観察力なら、ジルクニフがカツラでないことには気づいているはずである。したがって、彼はなんとかして魔導国の毛生え薬を手に入れようとしているに違いない。そして筆頭書記官であるロウネの惨状を踏まえれば、毛生え薬の入手は困難を極めるという結論には達しているだろう。おそらく今は、これといった打開策も思いつかないまま、当座の仕事を真面目にこなしつつチャンスをうかがっているはずだ。
困ったものだ、とロウネは思う。皇帝陛下はハゲてはいないし、毛生え薬は存在しないのだから。頭頂部に真実を告げるのは簡単だが、それで仕事をやめられても困る。優秀な若者なのは間違いないのだから。
そういえば、頭頂部には一つ欠点がある。根が学者気質のためか、重要だと分かる仕事には大変な集中力で取り組めるのだが、そうでない仕事にはどうにも気乗りがしない様子なのだ。
たとえば、社交界の人々のプロフィールを暗記するという仕事。有力貴族はもちろん、無名貴族だのもう死んだ人間だのまで片っ端から頭に叩き込まねばならない。頭頂部はもともと暗記力には優れているのだが、どうやらそれを暗記する意義が分からないらしい。そのあたりの心構えも教育しなければならないな、とロウネは思った。
非民主主義的な社会体制だからといって、庶民の不満をないがしろにしていては国はうまく回らない。だから皇帝にとって、庶民の本音を知ることは極めて重要だ。その意味で、政府を批判する落書きや風刺画の類は貴重である。むろんそれを罰する法律はあるが、ジルクニフはあえて犯人の逮捕に力を入れず、情報源として活用することにしていた。
いま、帝都で話題沸騰中の風刺画がある。
アインズと四人のアンデッドが食卓についている。出されているパイはバハルス帝国の領土の形をしており、東西南北の地と帝都アーウィンタールの五つに切り分けられている。四人のアンデッドは片手で持った東西南北のパイにかじりつき、もう片方の手には空になった瓶を持っている。
ジルクニフは帝都アーウィンタールの形のパイをアインズに差し出している。アインズは片手でそれを受け取りつつ、もう片方の手には毛生え薬の入った瓶を持ち、ジルクニフの頭に振りかけようとしている。ジルクニフの豊かな金髪の頭には、帝都の形のハゲがある。
ジルクニフがハゲを治してもらうのと等価交換で帝国領土を売り渡しているという風刺画である。なお、絵の隅にはうらやましそうな顔のロウネと頭頂部の二人が描かれている。
頭頂部はこれまでの人生で――親戚が一堂に会した集まりで、幼い自分が悲しい運命から逃れられないことを悟ったあの日から――あらゆるハゲネタの冗談を忌み嫌ってきた。そんな自分のハゲが帝都中で知れ渡っている。何たる屈辱であることか。
ロウネはのんびりと言った。
「私たちも有名になったものですな」
しかし、領主でもないただの官僚であるロウネと頭頂部が、皇帝の側近とはいえなぜ有名になったのか。それは帝国民の間のとある噂が原因であった。
曰く、「ハゲ優遇説」――。
以前の文化人の交流会で、皇帝との食事会に参加できた三人はいずれもハゲていた。その席では皇帝自ら落し物を拾い上げ、対処法を助言するなどのありえない厚遇がなされた。それだけではなく一人が側近にまで取り立てられた。
また、左遷されていたロウネが復職して書記官の筆頭となる一方、長命であるにもかかわらず長髪のフールーダが閑職に回されている。
さらに、過去に粛清した王族貴族にはハゲていないものが多数含まれていた。
というわけで、ジルクニフは明らかにハゲを贔屓しているということが国民の間では信じられており、その象徴としてのロウネと頭頂部の存在がクローズアップされているのだ。言うまでもないが、粛清した王族貴族とハゲの関係は偶然である。
「ロウネ様、悔しくはないのですか。恥ずかしくはないのですか」
落ち着き払っているロウネに、頭頂部は思わず声を荒らげてしまった。しかし自分でもこれはやつあたりだと分かっていた。聞くところによればロウネは、かの魔導王の城に単身で住み込み、世にも恐ろしい悪魔たちと渡り合ってきたのだという。そんなロウネからすれば、この程度のこと気に留める価値もないのであろう。
ロウネはとがめだてするでもなく、穏やかに笑った。
「ものは考えようです。次の舞踏会、いいものを見せましょう」
頭頂部は納得がいかないながらも引き下がった。独りになったロウネは誰に言うでもなくつぶやいた。
「――しかしあの絵は、薬を振りかけてもらう前の皇帝陛下が丸ハゲだったと想定しているのでしょうか。ならば、最初に丸ハゲの皇帝陛下が帝国の北部を一体のアンデッドに差し出して、代わりに一瓶を振りかけてもらったときは、丸ハゲに前髪だけが豊かに生えていたという解釈でいいのでしょうか」
魔導国の属国になったとはいえ、貴族が集まっての舞踏会の光景は今も昔も変わらない。こういう場に不慣れな頭頂部は、ロウネの後ろにひとまず付き従っていた。
「学問の世界とは違って、虚飾に満ちた軽薄な場だと思っているんでしょう?」
ロウネの言葉に、頭頂部は無言で賛同の意を示す。
「ところがそうとも言い切れません。陛下を御覧なさい」
ジルクニフは中年の婦人と話し込んでいる。ロウネは説明を続ける。
「あの御婦人の御令息は、騎士として例の大虐殺を目の当たりにして、少しおかしくなって療養中です」
「それはお気の毒に」
「あの御婦人はそこにつけこんで、御令嬢を陛下の側室にねじこもうと画策しています」
「なんと、我が子に対する愛情はないのですか」
「ありますよ。それとこれとは話が別だというだけのことです。さて、陛下が困っていますが、そろそろ助けが来るはずです」
そこへタイミングよく初老の男性が現れた。
「あちらの男性は代々の貴族。かつては陛下と敵対しかけたこともありましたが、時流を的確に読んで難を逃れました。とはいえ微妙な緊張関係があることも事実で、これまでであればここで陛下に助け船を出すような方ではないのですが」
初老の男性は会話の流れを巧みに操り、婦人の邪魔をする。
「ロウネ様。あの男性は、なぜ今回は陛下の味方に回ったのですか」
「男性の髪形を御覧なさい。あなたならピンとくるでしょう」
男性の髪形は、両耳の少し上、頭の端の方に分け目を作り、髪全体を双方から中央へ流すというものだった。
「あれは……頭頂部ハゲの隠蔽……?」
「あの男性はお父上を大変に尊敬なさっておいでで、髪形も服装も武具も馬も、お父上にそっくりなもので揃えていらっしゃいました。ところがあるとき、髪形だけを真ん中分けから変えたのです。そして、お父上は豊かな髪の持ち主ですが、今は亡きお爺様は頭頂部ハゲでいらっしゃいました。才はときに、父から子ではなく、祖父から孫へと受け継がれるのはご存知ですね? ですから間違いありません。あれは隠蔽です。彼は毛生え薬が欲しくて、陛下に媚を売っているのです。そして陛下はこの全てを予測して、あの御婦人に対抗させるためにあの男性を招待した。舞踏会は空しい社交の場ではありません。形を変えた戦争だとお心得なさい」
頭頂部は愕然とした。今は亡き人物の肖像画まで暗記させられるのには内心閉口していたが、それがこのように役に立つとは。
驚いている頭頂部にロウネは微笑みかけてこう言った。
「先日、あの風刺画の件について魔導国の使者の方と話し合ったのですがね。魔導王陛下からは『アンデッドは食事を必要としないという知識は正確に国民に伝えておくように』という、なんともとぼけたお返事をいただきました。つまり、皇帝陛下の名誉が傷つくような風刺画を取り締まる必要はないという仰せです」
頭頂部は足元の地面が急に形を失ったかのような不安を感じた。浮世離れした研究者であった彼は、今までは帝国の危機をどこか他人事のように感じていた。しかし今や、自分の周囲に戦場が展開されていることににわかに気がついた。
それを見たロウネは言う。
「さあ、分かったでしょう。私たちはすでに戦場にいるのです。戦わなければなりません。国のため、ひいては人類のために」
「私に何ができるのでしょうか」
「では戦いにおいて、敵を無防備にさせるもっとも基本的な方法を伝授しましょう」
ロウネも頭頂部も、この舞踏会で知らぬ人のない有名人である。そんな二人が少し動けば、周りに人が集まってくる。
(周りに人が自然と集まってくる。これは私たちの大きなアドバンテージです)
頭頂部は先ほどロウネから言われたことを思い出す。確かに、これだけの貴族たちを通常の方法で意図的に集めるのは、非常に困難だろう。
(私が自然な流れで皆さんの愚痴を聞き出してみせます。会話の流れに気を付けていてください)
ロウネの話術は見事としか言いようがなかった。事前に聞かされていなければ、人々が勝手に愚痴をこぼしているようにしか思えなかっただろう。とはいえ中には、口が堅い者もいる。
(では、その時が来たら打ち合わせ通りに。大丈夫、絶対にうまくいきます)
ロウネはちらりと頭頂部を見た。「その時」である。
「私も有名になったのはいいのですが、ときどき彼と間違われることがありまして困りものです」
「全くです。私もよくロウネ様に間違われるので困っています」
「どこも似ていないと思うのですが」
「全くです」
人々は困惑して、わきあがる笑いを抑えた。本気か冗談か分かりにくいトーンだったからである。ロウネと頭頂部がじっと見つめ合う。そしてロウネが右手で髪をなでつけ、頭頂部が左手で髪をなでつけながら、二人で同時に言った。
「「おや、こんなところに鏡が」」
一同は爆笑した。頭頂部本人もおおいに笑った。羞恥心で顔とてっぺんが真っ赤になりながらも、奇妙な充実感を覚えていた。その後にロウネが、口の堅かった者に少し問いかけると、彼らは抵抗できずに愚痴を吐き出してしまった。笑いによって心が無防備にされてしまったのである。
舞踏会の客たちも帰った深夜、ロウネと頭頂部はバルコニーで夜空を見上げていた。
「どうです、この仕事も悪くないとは思いませんか」
「ええ。悪くない。悪くありません。今日はとても不思議な体験をしました」
「それはよかった」
満足げな頭頂部を見ながら、ロウネは思った。この分なら、彼は意外と早く真実にたどり着けるかもしれない。秘書官の仕事もやりがいがあるということ、毛生え薬などないということ、そして、ハゲも悪くはないということ。
天上には無数の星々がきらめいていた。そして地上には、二つの頭頂部が輝いていた。