CIA日本人ファイル 米国国立公文書館機密解除資料 | 頭の整理@タックスヘイブン パナマ文書を調べよ

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東日本大震災311は金融マフィアによる核戦争行為


テーマ:

 


自分的なメモです。

いずれ限定記事として伏せる可能性があります。


*****


本文は主に英語

https://www.archives.gov/iwg/declassified-records/rg-263-cia-records/second-release-name-files.html


米国議会で2000年に制定された

日本帝国政府情報公開法にもとづいて、

2007年までに米国国立公文書館で機密解除された

戦時・占領期の日本関係資料の中から、

米国中央情報局(CIA)が収集した

31名の日本人の個人ファイルの影印布装


/////////////////

【収録内容】


第1巻: 秋山博・有末精三・麻生達男・土肥原賢二・遠藤三郎・福見秀雄・五島慶太

第2巻: 服部卓四郎・東久邇稔彦・昭和天皇裕仁・今村均・石井四郎・河辺虎四郎

第3巻:賀屋興宣・岸信介・小宮義孝・久原房之助・前田稔・野村吉三郎

第4巻:児玉誉士夫

第5-6巻:緒方竹虎1,2

第7巻:大川周明・笹川良一・重光葵・下村定

第8巻:小野寺信

第9巻:正力松太郎

第10巻:辰巳栄一・和知鷹二・和智恒蔵

第11-12巻: 辻政信1,2


【内容説明・目次】

第7巻(大川周明;笹川良一;重光葵;下村定)

第8巻(小野寺信)

第9巻(正力松太郎)

第10巻(辰巳栄一;和知鷹二;和智恒蔵)

第11巻(辻政信(1))

第12巻(辻政信(2))


https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB16583328


CIA日本人ファイル

加藤哲郎編集・解説

(米国国立公文書館機密解除資料 / 加藤哲郎編集・解説)

現代史料出版 , 東出版 (発売), 2014.7-2014.12


 第1回配本(第1巻-第6巻)

第1巻

第2巻

第3巻

第4巻

第5巻

第6巻


 第2回配本(第7巻-第12巻)

第7巻

第8巻

第9巻

第10巻

第11巻

第12巻


****


USCAR文書 “天皇メッセージ”

米国国立公文書館から収集した

“天皇メッセージ”を公開しました。

(平成20年3月25日)

同文書は、

1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、

宮内庁御用掛の寺崎英成を通じて

シーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた

天皇の見解をまとめたメモです。

【資料コード:0000017550】



内容は概ね以下の通りです。

(1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
(2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
(3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。

メモによると、

天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、

共産主義勢力の影響を懸念する

日本国民の賛同も得られるなどとしています。


1979年にこの文書が発見されると、

象徴天皇制の下での

昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めました。

天皇メッセージをめぐっては、

日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や、

長期租借の形式をとることで

潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり、

その意図や政治的・外交的影響については

なお論争があります。

≫PDF画像(2頁)(226KB)

参照元 : 沖縄県公文書館



https://www.youtube.com/watch?v=4RKcd_OGam4

昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと


*****


「陛下は靖国を潰そうとしてる」靖国神社トップが「皇室批判」

2018.09.30


天皇が「深い悲しみを新たにいたします」と述べた

平成最後の終戦記念日、

靖国神社(東京・九段北)には

安倍晋三首相はじめ現役閣僚の姿はなく、

中国や韓国も一頃ほど神経をとがらせなくなった。


しかし、その落ち着きの裏で、

靖国神社は“爆弾”を抱えていた。


来年、天皇の「代替わり」と

創立150年が重なる大きな節目を目前に、

前代未聞の問題発言が神社トップである

宮司から飛び出したのだ。


◆「そう思わん?」「わかるか?」

靖国神社では今、来年の創立150年に向け、

境内のいたるところで改修工事が行なわれている。

だが、その内部では、

修復不可能なほどの“綻び”が生じていた。

6月20日、靖国神社の社務所会議室で行なわれた

「第1回教学研究委員会定例会議」で、

その重大事は起きた。


今年3月に第十二代靖国神社宮司に就任した

小堀邦夫氏(68)が、

創立150年に向けて新たに組織したのが

「教学研究委員会」だった。


これからの靖国神社がどうあるべきかを考えるとして、

第1回の会議には、

小堀宮司以下、ナンバー2である権宮司など

職員10人が出席したことが

当日の議事録に残されている。

 その会議の場で、

靖国神社のトップである小堀宮司から、

驚くべき発言が飛び出した。

「陛下が一生懸命、

慰霊の旅をすればするほど

靖国神社は遠ざかっていくんだよ。

そう思わん?

どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう?

遺骨はあっても。違う?

そういうことを真剣に議論し、結論をもち、

発表をすることが重要やと言ってるの。

はっきり言えば、

今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」



さらに発言は、

代替わりで次の天皇となる皇太子夫妻にも向けられた。

「あと半年すればわかるよ。

もし、御在位中に一度も

親拝(天皇が参拝すること)なさらなかったら、

今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか?

新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。

来るか?」

 静まり返る会議室で

小堀宮司の高圧的な口調の“独演”と、

速記のキーボードを打つ音だけが響く──。

 この会議は、小堀宮司の意向もあって

複数の出席者が記録のために録音していた。

宮司の「総括」から始まる

110分に及ぶ音声データを本誌は入手した。

小堀宮司が語気を強めたのは、

今上天皇が即位以来、

一度も靖国を参拝したことがない一方、

かつての戦地を訪れ、

戦没者の霊を慰める旅を続けてきたことを指しているとみられる。


皇室ジャーナリストの久能靖氏はこう言う。

「今上天皇が靖国を参拝されない理由はわかりません。

が、あえて推察すれば、

昭和天皇が1978年のA級戦犯合祀以来、

靖国においでにならなくなった、

その思いを咀嚼されたのではないかと考えられます。

今上陛下は戦争体験をお持ちで、

戦中の国民の苦しみは直接ご存じでした。

だからこそ、

国内外にわたるすべての戦地で慰霊を行ないたいという

お気持ちになられていたと思います。

天皇陛下の慰霊の旅は、

強い信念に基づいて行なわれているものでしょう」

その慰霊の旅が、

小堀宮司の目には靖国神社を否定する行為に映っていると、

靖国神社関係者が言う。


「小堀宮司からすれば、

英霊の御霊は靖国にこそあり、戦地にはない。

にもかかわらず、

今上天皇は靖国よりも慰霊の旅を選んでいるとなると、

靖国の存在意義を否定することになってしまうという

思いがあったのではないか」

しかし、この発言は靖国神社内でも問題視された。

「勅祭社(天皇が例祭などに勅使を派遣し、奉幣を行なう神社)

としての靖国神社の性格を考えると、

天皇陛下を批判するような発言は、

宮司として問題ではないかという声が上がっています」

(同前)

◆「お前の説教、聞きたくないよ」

 靖国神社は

来年までに天皇の参拝を実現させようとしていた。


靖国神社職員はこう語る。

「平成の御代のうちに

天皇陛下にご参拝をいただくことは、

私たち靖国神社からすると悲願なのです。

小堀宮司は、

“平成の御代に一度も御親拝がなかったら

この神社はどうするんだ”と口にしていました。

そうして宮内庁に対し、宮司自らが伺って

御親拝の御請願を行なうための交渉を

内々にしているのですが、

まだ実現の目処は立っていない」

 小堀宮司は専門紙「神社新報」で、

〈(創立)五十年目に大正天皇が行幸され、

百年目には昭和天皇が皇后とお揃ひで行幸されてゐます。

そして来年、

百五十年といふ大きな節目の年がやってくることの重大さは、

御代替りと相俟って深刻に考へてゐます〉

(7月30日付)と語っていた。


天皇の参拝を求める焦りが

発言の背景にあったのだろうか。


問題発言に至るやり取りを見ると、

小堀宮司の真意が分かる。


この日の会議は、

靖国の創立百五十年史略年表の

作成・出版などについて話した後に

「戦犯に対する誤解や東京裁判の不当さについて調査考証する」

という議題に入った。


そこで出席者の職員が

「富田メモ」について言及したことが、

小堀発言に繋がった。


富田メモとは、

富田朝彦元宮内庁長官(在任は1978~1988年)が

昭和天皇の非公開発言を記したメモで、

靖国にA級戦犯が合祀されたことに関し、


「だから、私はあれ以来参拝していない。

それが私の心だ」

との記述があった。


2006年に日経新聞がメモの存在をスクープすると、

「昭和天皇の真意が分かる超一級史料」

と評価される一方、

「陛下の真意とは限らない」と否定的意見も上がり、

真贋をめぐる大論争となった。


それに伴い、

A級戦犯の靖国神社への合祀の是非や、

小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝議論も過熱した。


靖国神社はこの富田メモについて、

現在に至るまで一切コメントしていない。

だが、実際は“深い棘”として刺さっていたようだ。


この富田メモについて、職員が、

「もしそれが本当の昭和天皇の発言だったらどうするんだ、

ということで私は真剣に考えましてですね」

と言い出し、

合祀の経緯を振り返った上で、こう熱弁を振るった。


 「このまま時代を50年、100年経過していったときに

どういうふうな説明をして、

国民が理解していけるのか、

というところの先読みしたような考え方を

持っていく必要があるんじゃないか」


ところがこの職員の発言を、

小堀宮司はいきなり遮り、切って捨てた。


「お前の説教、聞きたくないよ。

しょうもない。

お前のどこに戦略があんねん。

『これ知ってます、私はこれ知ってます』

っていう話ばっかりやないか。

どうやって戦うかを考えるんがこの仕事やないか。

何も恐れる必要はない。

間違ってたら間違ってたと言えばいい。

 (中略)

戦略を考えるのは俺が考える。

君らが考えんでいい。

一番大きな問題はあの慰霊の旅です。

気がつかないのか君たちは」


そうして、冒頭の発言が飛び出した。

つまり、小堀発言は富田メモから連なる、

天皇と靖国の“複雑な関係”が伏線にあったのだ。


富田メモについては

靖国神社の中でも“タブー扱い”されてきた。

昭和天皇、今上天皇の御親拝が

途絶えている真意についても触れないできたわけです。


小堀宮司は、そうした空気の中で、

トップとしての風格を見せる狙いもあって

ああした物言いをしたのではないか。


『戦う』『戦略』といった言葉からは、

どんな事情が背景にあるにせよ、

とにかく天皇の御親拝を実現させたいという強い意思を感じます。


しかし、それが実現しないことの不満となれば、

天皇陛下への批判となってしまう。

靖国神社が抱えるジレンマが、

ついに噴出してしまったということでしょう」

(前出・靖国神社関係者)


◆「皇太子さまは輪をかけてくる」


発言の主である小堀宮司とは、どんな人物なのか。


小堀宮司は、3つの大学、大学院を出たあと

伊勢神宮に奉職。

以来、伊勢神宮一筋で、

宮司を補佐する禰宜(ねぎ)という要職に登り詰めた。


靖国の前宮司・徳川康久氏が、

戊辰戦争の“賊軍”である幕府軍や会津軍の戦死者も

合祀に前向きな姿勢を示したことなどが問題視され、

「一身上の都合」で辞任したのを受けて、

靖国の宮司に就任した。


伊勢神宮時代には、

メディアにも何度か登場している。


2016年に天皇が

生前退位の「お気持ち」を表明された際には、


中日新聞(2016年8月9日付)の取材に、

〈苦心されてお言葉を選ばれたのだろう。

天皇陛下が『伝統の継承者』であり続けるため、

現行制度の問題を問い掛けているのでは〉

と賛同する姿勢で答えていた。


ところが、教学研究委員会では、

まったく別の意見を述べている。


 「あのビデオメッセージで譲位を決めたとき、

反対する人おったよね

(中略)

正論なんよ。

だけど正論を潰せるだけの準備を

陛下はずっとなさってる。

それに誰も気がつかなかった。

公務というのはそれなんです。

実績を陛下は積み上げた。

誰も文句を言えない。

そしてこの次は、皇太子さまはそれに輪をかけてきますよ。

どういうふうになるのか僕も予測できない。

少なくとも温かくなることはない。

靖国さんに対して」



生前退位に反対だったという本音をにじませ、

皇太子に代替わりしても

靖国との距離は広がるばかりだと危惧しているように聞こえる。


◆「僕、出てませんよ」

 

一連の小堀宮司の発言について、

宗教学者の島田裕巳氏はこう読み解く。


 「伊勢神宮は神社の世界では別格扱いで、

そこにいたという自負が小堀宮司にあるはず。

その感覚には少し浮き世離れした部分があり、

発言がどのような問題を引き起こすかを認識しないまま

思った通りに本音を話してしまったのではないか。


ただし、現在の天皇が靖国神社を参拝されないのは、

好き嫌いの問題ではなく、

政教分離の問題が大きいはず。

なにより宮内庁が止めるはずです。


昭和天皇の参拝が途絶えた経緯においても、

A級戦犯の合祀より、

当時の中曽根康弘首相が

国際社会の反発を予想せずに公式参拝したことの影響が大きい。


それは安倍首相が強行した参拝も同様で、

首相参拝へのハレーションが、

ますます靖国神社と天皇の距離を遠くしているという状況がある。

果たして小堀宮司は

そうした複雑さを理解した上で発言しているのでしょうか」


本誌は一連の発言の真意を確認するため、

9月26日早朝、

小堀宮司の自宅前で本人を直撃した。


──6月20日の教学研究委員会で話されたことについてお聞きしたい。
 「何も知らないですよ」


──いや、小堀さんが話されたことですよ。
 「教学研究委員会、僕、出てませんよ」


──教学研究委員会ですよ。
 「ええ、出てませんよ」

そう質問を遮って、迎えの車に乗り込んだ。



靖国神社に会議での発言について見解を求めた。


 「教学研究委員会は、

社外公開を前提としたものではございませんので、

各委員の発言を含め会議内容などの回答は

控えさせていただきます。

また当委員会では、

世代交代が進む御遺族・崇敬者のみならず、

多くの人々に当神社をご理解いただくべく、

神社運営や教学について研究・協議を始めたばかりです。


その過程において、

協議内容の一部分を抽出し、

神社の見解とすることはございません」(広報課)


前述の富田メモは、

靖国問題についての昭和天皇の「本音」が記されていたとして

議論を巻き起こした。


それに対する靖国トップの「本音」と言うべき小堀発言は、

どのような波紋を呼ぶのだろうか。


 *音声データは

「News MagVi」(https://twitter.com/News_MagVi )にて公開中。

※週刊ポスト2018年10月12・19日号

https://www.news-postseven.com/archives/20180930_771685.html?PAGE=2