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2019-08-27

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「切磋琢磨」ということばがあります。
 「切磋(せっさ)」は骨や象牙を磨くことで、
 「琢磨(たくま)」も、宝玉を加工したり磨くこと。
 一般的に「励まし合い、共に向上すること」とされます。
 でも、原義にあるような、硬い石や骨などの材料が、
 擦れ合わさるような感じは、「励まし合う」といった
 ことよりも、もっとぶつかり合ったり揉み合ったり、
 互いにぎゅうぎゅうと摩擦する感じが強いと思うのです。

 ある時期、いまもそうなのかな、
 格闘技の世界でとにかくブラジルの選手が強かった。
 そのことについて、日本の選手に質問したのです。
 「どうして、あんなにみんなが強いの?」と。 
 その答えが、「みんなが強いからでしょうねぇ」でした。
 妙な答えなのだけれど、言いたいことはわかりました。
 それはつまり日本人の彼も、できることなら、
 「ブラジルで練習したい」という意味でもありました。
 強いやつがひしめき合っている場にいたら、
 簡単に勝てないし、技をたくさんかけられるし、
 もっとがんばってるやつを近くで見るし…と、
 周囲の水準に合わせてじぶんも水準が上がっていく、
 そういう環境に身を投げ入れたいということなんですね。
 「切磋琢磨」ということばを聞くと、
 ぼくはそのイメージで考えるようになってしまいました。
 でも、人によっては、そういう場で磨きあうことなど、
 あんまりいい感じでとらえてないかもしれませんよね。

 でも、「たいした人たちのたくさんいる環境」は、
 「はたらき方改革」とか叫ばれているいまの時代でも、
 ぼくの「あこがれ」であることは確かです。
 その場にいることで、そこから逃げないことで、
 そこでたのしくやっていることで、
 「かつてのじぶんより、つよいじぶん」に成長している。
 というような環境こそが、望ましいと思っています。
 はたして「ほぼ日」がそういう場になっているかどうか、
 ぼんやり社長ですが、いつも考えています。
 「ほぼ日手帳」の1年前の書き込みなど見ると、
 みんなで「やれたこと」がずいぶん多くなっています。
 もしかしたら「環境」ができてきているのかもしれない。
 いい感じだぞと、しみじみ思っている8月の終わりです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いいこと考える、実行できる。そういう本場でありたい。


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