“AIに仕事が奪われる”という予測は、常識となりつつある。様々な捉え方はあるが、AIが社会に欠かせない重要なパーツになり、AIを支えるテクノロジーが巨大な産業になろうとしているのは間違いないだろう。
誰もがこれまでよりもテクノロジーを意識せざるを得ない今、「文系」「理系」の垣根はどう変わっていくだろうか?
いわゆる文系大学といわれる社会科学系総合大学の東京経済大学に、異色の経歴を持つ2人の教授がいる。今回は、この2人に「AI時代の文系教育」についてお話を伺った。
東京経済大学 コミュニケーション学部
西垣通 教授
日立製作所でOS・ネットワーク・データベースの研究に携わった後、博士号を取得。著作にはAIに関する書籍の他にも、歴史小説も。
東京経済大学 経済学部
南川秀樹 客員教授
環境省で自然環境局長・地球環境局長・官房長・地球環境審議官・環境事務次官を経て、一般財団法人日本環境衛生センター理事長を務める。
日本ほど文系・理系の壁の厚い国はない
―本日はよろしくお願いします。西垣先生はAI研究が専門で小説も書かれていて、南川先生は環境という文理の境目が曖昧な専門ということで、お二人ともかなり文理融合的だと感じるのですが、文系・理系という分け方についてどう思われますか?(以下敬称略)
西垣:私の印象ですけれども、先進国の中で日本ほど文系と理系の間の壁が厚い国はないのではありませんか。例えば学際的な国際会議に出た場合、欧米からの出席者はリベラルアーツのベースを持っていて文理両方の見識がある人が多いのです。ところが、日本にはとても少ない。
これから日本が世界をリードする役割を果たすために、これは非常に大きな欠点となります。既に開拓されている分野なら、理系・文系をそれぞれ専門に勉強していれば十分でしょうけど、根本的に新しいものを作るのであれば、両方について見識がなければなりません。つまり、「文系」「理系」という分け方はよくないと考えています。
南川:私も同感です。「文系」「理系」という分け方、ひいては「この人は、この専門家である」というレッテルを貼って分けすぎるのは良くない。
18世紀半ば、イギリスは産業革命で世界をリードしました。技術革新の背景にはニュートンの数学やアダムスミスの経済学があったのですが、その頃の研究者には「文系」「理系」なんてくくりはなかったんです。研究者たちは、様々な分野の研究を頭の中で融合させて、世の中に出し、それが産業革命を起こした。
西垣:産業革命のときと同様、いま脚光をあびている、ロボットやAIなどの最先端分野について考えると、それらの理論や応用は必ず文系と理系の両分野にまたがっていくはずです。
文系が武器にすべきものは「大局観」
―日本は専門を決めすぎるところがあると。特に今の日本の学生は、就活があるのでひとつ専門を決めてアピールポイントにしたい、という気持ちもあるかもしれませんね。
西垣:様々な分野をカバーして多角的に物事を考える視野の広さが、科学技術の発展には不可欠なのですけどね。文と理の融合の必要性はとても高いのに、残念ながら日本の教育制度では高校の時に両者を分けてしまう。
南川:あえて文系と理系を分けるのであれば、文系の強みを発揮できるようにしなければなりません。私は、いま教えている学生達には「大局観」を持てるようになってほしいと考えています。
―「大局観」というと、将棋で状況把握や形勢判断をする力のことですよね。
南川:社会全体を見据えて判断する力や、苦しい時に乗り切っていけるような心理的なタフネスなどの広い意味での大局観ですね。
西垣:大局観、大事ですよね。よく「文系は理系に比べて専門性が弱い」と世間で言われています。しかし、専門を極めすぎることの弊害もあります。
コンピューターサイエンスの領域にしても、昔は広く研究したものですが、今は“将棋AIソフトの学習速度改善”みたいな細かい専門分化が当たり前です。研究者数も論文数もすごく増えて、常にキャッチアップしなければならないので、狭い専門分野に特化しないと付いていけない。だから、どうしても自分の担当する領域以外の知識には無関心になってしまう。
その点、文系の人間は視野を広く持てる。まさに大局観ですね。ちょっと引いたところから全体を眺め、大事なポイントを抜き出していく教育をうけて、対人交渉力・人脈・バランス感覚などの能力を伸ばすことができます。それらは、常に最先端を追っていかなければならない理系の専門教育ではなかなか身につかない能力なのです。
だから、AIが発達するこれからの社会で文系の役割がないなんて、とんでもない間違いですよ。文系人間は理系人間の弱さを補完していく役割が望まれていると思います。
南川:文系の人間には、柔軟性が必要ですよね。それに多少の図々しさと、あまり細かいところにだけ固執しないこと。固執しないというのは、「文系だから」「理系だから」というところにも固執すべきではないですね。文系でも苦手意識を持たずに、ベーシックな科学の知識は持たなければ。
文系の世界は、裁判や政治など答えが相対的なものが多いのですが、数学や物理などの理系の世界では答えが絶対的です。世の中に相対的なものと絶対的なものが混在している、と分かった上で物事を判断するのと、分かっていない上で判断するのは全然違うと思います。
西垣: 文系の人間は理系の詳細な専門知識は知らなくてもいいんです。しかし、技術をうまく使うためには、基本的なことを知っておかなくてはならない。
例えば、実証と論理という絶対的な価値観で作られたAIを、相対的な価値観で成り立っている社会に応用するにはどういう考え方が大切か?という大問題に取り組むためには、AIに対する基本的見識と社会的相対性に対する感性の両方、まさに文理融合のアプローチが不可欠です。
文理融合というのは、文系の人間と理系の人間が仲良くすればよいということではありません。理系は文系に、文系は理系に興味を持ち、相互に交流していくことが重要です。
技術だけでは足りない、現実的な問題解決のために
―基礎的な研究を、応用して社会に導入する段階で文理融合的な考え方が必要になるように感じます。
南川:私が取り組んできた環境問題においても、文理融合的な考え方が必要でした。ゴミ問題を解決するにしても、ゴミ処理の技術の他に経済的な手法が必要になります。新しい技術が出てきたときにも、その技術のネックはどこにあるか、それを使って何をブレークスルーできるか、と考えるためには文理融合していないと解決策が出ないんです。
しかも、環境はワールドワイドな問題です。地球の環境というものは世界全人民の共有地的なものですから、誰かが我慢すれば良いわけではなく、みんなが少しずつ約束を守ることで初めてコントロールできる。社会の動きに左右されることなので、環境問題を解決に導くためには、新しい技術と広い視野の両方が必要ですね。
―確かに、世界全体の問題を解決するとなると、人の気持ち・損得も無視できない課題です。こういった現実に向き合う時に大局観が問われますね。
西垣:AIの世界でも、テクノロジー自体だけではなく、倫理観が問われています。いまから30年ほど経てば、AIが人間よりも賢くなる“技術的特異点”が訪れるという極端な意見さえあるのですから。
人間の補助をするAIロボットが当たり前になり、社会に影響を及ぼすようになった時に、私たち人間は、倫理的主体としてどうあるべきか。社会的正義についても考え直さなくてはならないでしょう。
南川:なにが正義か、というのはとても難しい問題ですよね。今は当たり前になり、便利なものとして受け入れられているGoogleストリートビューでも、以前はプライバシーにおいて賛否両論だった。
人が生きて行く上で、物事との距離感というのは非常に大事ですから、なんでもテクノロジーの発展に任せて行くのは良くないですね。
西垣:AIが活躍するためのデータ集めも、どこまでやっていいのかという大問題がありますね。先端テクノロジーには必ず良い面と悪い面があるので、その中身について基礎的な見識を身につけて、上手な使い方について皆で考える必要がある。文系の教育目標のひとつかもしれません。
自分の立ち位置を見極めるために必要な精神「進一層」
西垣先生と南川先生が所属する東京経済大学では、「進一層(しんいっそう)」をキーワードとしている。困難に出会ってもひるまず、なお一層前に進むこと。細心の注意と慎重の考慮を保ちつつ、 一段の勇を持って挑戦する力こそが、「進一層」が表す精神だ。
この「進一層」は、大きく変わっていく社会の中で自分の立ち位置を見極めるために必要な力だろう。
2020年に創立120周年を迎える東京経済大学。これまでに積み上げた歴史を糧に、「チャレンジする学生の育成」を目指し続けている。