第71話 親愛の情など欠片もない
三原少年がブルブル震え、真っ赤な顔で唾を飛ばしながら怒鳴りだす。その様相は爆発的な怒り方であり、常軌を逸した様相である。
「ふっ、ふざけるなぁあ! 認めない認めない! 僕は認めない!」
「落ち着いて、ほら落ち着いて……」
「アンタが認めようが認めまいが事実なんや。現実を見なれ」
「うっさい! 勝手なこと言うなぁ!」
「だーかーら、勝手なことを言うとるのはアンタやろが。ナーナは五条はんと付き合うとるんや」
「だから落ち着いてだな……」
口を挟もうにも、亘などお構いなしに言葉の応酬がされる。教室で付き合ってる宣言した七海に責任を取らせようにもテレテレしているだけだった。流石に少し腹が立ってしまい、その頭をコンっしてやると可愛らしく痛がっている。
「ほれ見てみなれ、こないイチャついとるやろ」
「うっさい! お前なんか、お前なんか黙れぇぇえ!」
親切に教えたエルムに対し、三原少年が拳を振り上げ殴りかかった。それは只の駄々っ子パンチだが、ありえないほどのスピードだ。拳は唸りをあげ、当たればタダではすまない威力を秘めていることが分かる。
普通ではない。
「むっ!」
瞬時にそれを見取った亘はエルムを素早く引き寄せ、その腰を抱え後方へと飛びのいてみせる。もちろん反対の腕には同じように七海を強く抱えてだ。
女の子2人を抱えたまま、大きく飛び退くという常人離れした芸当が出来るのも異界の中だからこそだろう。
「五条はんおおきにな。でもなんや、ウチこんなんされたの初めてや」
「自分もだよ……悪いけどこの娘、頼むわ。なんだか気を失ってしまった」
「えっと、どないしたらええんや。なんで、今ので気絶するんや」
何やら上気した顔でクタッとする友人を預けられ、エルムは頭を抱えてしまった。仕方なく引き摺るようにして、その場を離れていった。
誰も七海の精神状態を知りもしない。亘から強く抱きしめられたせいで、意識が飛ぶぐらい逝っていると思う者はいないだろう。
亘は油断なく三原少年を睨みつけた。先ほどの動きは普通でなく、明らかに異常だった。そうなると理由は一つしかない。ずいっと前に出る。
「お前持ってるだろ」
その問いに三原少年が卑屈な顔をしながら同じだけ退く。
「なっ、なんだよ。近づいて来るなよ」
「スマホを出してみろ。そこにあるアプリを見せてもらおうか」
「く来るな。言っとくけどね、ぼ僕のレベルは10なんだからな。スオウと一緒に鍛えたんだ。ぼ僕は凄く強いんだぞ!」
「やっぱりそうか……だったら教えてやろうか。こっちのレベルは17だ」
「ひっ!」
『デーモンルーラー』の使用者だと分かった以上は手加減する気はない。APスキルで身体強化しているのも間違いなかった。この状況下――人為的に引き起こされたことが間違いない――で、のんびりこんな奴の相手をしてられやしない。
ずいっとさらに一歩踏み出すと、さらに後ずさった三原少年が卑屈そうに身を縮めてみせる。そうなると、ようやく亘が撒き散らす存在感と威圧感に気づいたらしい。
自分の立場が弱いと分かれば怯えるだけの姿は情けないものだ。恐怖の目でオドオドと見上げる姿に、たちまち周囲で観客している生徒たちから嘲り笑いがあがる。
面と向かって笑われるよりも、周りの無関係者が囃してたてる方が、ずっと心に突き刺さるものだ。三原少年は怒りを再燃させ、歯をむいて怒りだした。
「ぼ僕をバカにするなっ! さっさと出て来い、スオウ!」
「やれ、呼んだかの?」
「従魔か!」
学生服のポケットから光の粒子が流れ出し渦を巻く。そこに三原少年とさして変わらぬ大きさの蛙と人を混ぜ合わせたような姿が現れた。周囲の笑いが止まり、代わりにどよめきがあがり三原少年が得意そうな顔になる。
その間に亘は従魔を観察した。
蛙頭に申し訳程度の銀髪が載っている。目は紅くギョロリとして大きく、黒い隈取がある。顔の横まで広がった大きな口からは長そうな舌がはみ出していた。体色は黒味を帯びた緑茶色でイボのような小さな突起がいくつもあり、腹は白く太鼓のようにパンパンとなって突き出している。
これまで見てきた従魔のような可愛らしさはない。
「やれやれ、じゃなあ」
スオウと呼ばれた蛙は2本足で立ち上がると、大欠伸をしながらヒレのついた手で腹をポリポリ掻いてみせる。その人間めいた仕草こそが、人外部分を際立たせ不気味さを強調していた。
亘は眉を顰め、そっと距離をとった。スオウから放たれる威圧感は契約者の三原少年と比較にならないほど強いもので、レベル10どころでない。
「どうだ凄いだろ。スオウは強いんだぞ」
三原少年が虎の威を借るような態度をするものの、それを気にする暇もない。亘はゴクリと唾を呑んでスオウを見据えた。それは従魔というより、異界の主を前にしている気分だ。
「まったく使えないのお」
スオウは暢気さを感じる口調で呟いた。その視線は亘を一瞥しただけで、己の契約者である三原少年に向けられている。自分の契約者に対する親愛の情など欠片もない。
「えっ? なに」
「ようやく異界を発生させたが、思うたより取り込んだ人間が少ないわ。これでは、せっかくお前さんの従魔を喰ってまで入れ替わった意味がないわい」
「何を……スオウ何を言ってるんだ。喰ったって? 入れ替わったってどういうことだよ」
「ふんっ、言うたままじゃ。お前さんが喚んだ本物の従魔なんぞ、お前さんが気絶しとった間に儂の腹の中よ」
「そんなこと……」
「お前さんは異界の術具を使わせるため、生かしておっただけじゃて」
スオウは蛙口から舌を伸ばし、バカにするように振って見せた。へたり込んでしまった三原少年は理解が追いつかない様子で口を半開きにしたままだ。
「そ、そんな。僕とスオウは仲間だよね。一緒に異界に行って、一緒に戦った仲間だよね」
「あん? 異界でなんぞ儂が戦っておっただけじゃろが。なにが一緒に戦ったじゃ、笑わせるでない。お前さんは見ておっただけじゃろ。ちゃんちゃら可笑しいわい」
「だって、そうしろってスオウが」
「言われたら、言われたままか。お前さんは傀儡か?」
「スオウは僕の仲間で一緒に……」
「もちろん仲間じゃとも。この異界を開かせるための大切な仲間じゃ」
「なんだよそれ。僕を騙してたのか、そんなの酷いじゃないか!」
三原少年は座り込んだまま、ジタバタと幼児のように手足を振り回し地団駄を踏みだす。その姿と行動が精神年齢そのものなのだろう。
その周りを跳び跳ね、バカにしながら囃し立てたスオウが、さてもと呟き振り向く。視線を向けられ亘は改めて彼我の力量差を悟った。
「おや怖くて震えとるかと思うとったが、そうでもないの。じゃったら待たせてしまったのう」
「なかなか楽しそうだったじゃないか」
「いやなに、小僧の相手をしばらくしとったもんで鬱憤が溜まっとったんじゃわ。これぐらい言ってやらんと気がすまんて」
のんびりと話しかける亘だが、内心では援軍の到着を切に願っている。勝てそうにない悪魔なら会話して時間稼ぎすべきだ。藤源次や新藤社長が来てくれさえすれば、戦闘を任せて押し付けて高みの見物だってできる。
「そりゃのう。こやつときたら、何でもかんでも他人任せで押し付けてくるなんじゃ。そんな根性なぞ、実に不愉快じゃろう。って、どうしたんじゃい?」
戦闘を他人に押し付けるつもりだった亘は頭を掻いた。
「いやなんだ、耳の痛い部分もあるなぁと……それで? ここが異界になったのはお前の差し金で、目的は中に捕らえた人間を食らってDPを吸収することかな」
「ご明察じゃ。さても、取り込めた人間は少ないのは残念じゃったが、お主のようにDPを多く含んだ人間がおって良かったわい」
「ところで、どうやって異界化を起こしたんだ?」
実はそれが知りたかったりする。もし方法を知ることができれば、新藤社長あたりから報酬が貰えるかもしれない。ピンチだろうが何だろうが聞いておいて損はないというものだ。
しかしスオウはニヤニヤ笑うのみだった。
「さあのう。それを教えてやる義理はあるまいて」
「残念だ。あとそうだな……」
会話が途切れそうな様子に亘は必死で思考を巡らせた。今は一分一秒でも時間が欲しい。しかし何かを思いつくより先にスオウが会話を打ち切ってしまう。
「さあて、お喋りは終わりじゃ。お主を丸かじりさせて貰おうか。まあ儂とて鬼ではないわい。抗うことまでは止めぬ。どうせ無駄じゃろうがな」
「お話は終わりか……」
亘は周囲を一瞥した。背後には大勢の生徒の姿がある。腰が抜けたように座り込む七海と、それを心配するエルムの姿がある。
先程の鰐竜との戦いもそうだったが、この大勢の前で逃げ出せるほど胆は太くない。人に嫌われることを恐れ、周囲から期待されることを行動してしまう。最近は多少改善されつつあるとはいえ、人の性格なんてそう簡単には変わらない。
「だったら、場所を変えてもいいよな。向こうのグラウンドでどうだ」
「ふむ、構わぬて。先に行っておるぞ」
移動の間だけでも時間を稼ごうとの姑息な手段だが、そうとは知らぬスオウはぴょんぴょん跳ねてグラウンドに向かっていった。
もう一度周囲を一瞥するが、やはり藤源次も新藤社長も来る様子がない。駆け寄って来たくれたのは、残念ながらチャラ夫だ。
「兄貴、どうするっすか。あの蛙、兄貴より強そうっす」
「是非もなしってやつだな。藤源治か社長が来るまで時間を稼いでくるさ」
「俺っちも一緒に行くっす!」
「止めておけ。遠慮じゃなくて本気でな。今のチャラ夫のレベルじゃ時間稼ぎにもならん。ただ、自分がやられたら次は任せるよ」
「…………」
「じゃあ、ちょっくら行ってきますかね」
亘は棒を肩に担ぎ歩きだした。
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