第67話 両手を胸の前で
「ちょっと、どうしたのよ。興味ないのは本当なんだから。ねえ、私を無視しないでくれるかしら」
きょとんとする志緒を無視して、亘は窓に行き空を確認しに行く。
先程まで快晴だった空は一見すると曇り空のようだ。しかし、それは薄明るく薄暗いものだ。決定的なのは、向こうに見える街の風景がフィルターを挟んだように滲んでいることだろう。紛うことなき異界の中だ。
同じように反対の窓を確認してきた七海が戻って来て報告する。
「グラウンドまで異界化してるみたいですね」
「えっ? 異界ですって? 本当に?」
事態に付いていけない志緒がオロオロとする。こうした突発事態に弱いのかもしれない。臆病で機械にも弱いのだから、これが本当にNATSの職員でいいのだろうか心配になる。よっぽど人員不足なのだろうか。
先程の言葉もあって少し意地悪く考えていると、亘のポケットの中でモゾモゾ動く気配がした。巫女姿の小さな少女がぴょこっと顔を出し、光り輝く羽で飛びあがる。どうやら異界化の気配を察して勝手に出てきたらしい。
「マスターってば、また勝手に異界に来たの。やれやれだよ」
「ひぃっ」
その姿に志緒が悲鳴をあげた。初顔合わせではないので、人ならざる小さな姿に驚いたわけではない。前に散々脅されたことがあるので苦手なだけだ。しかし、その悲鳴で却って気付かれていれば世話がない。
小動物のようにプルプルする志緒に神楽はニンマリだ。指差ししながら近寄っていく。
「あー、なんか覚えのある気配だと思えば、志緒ちゃんだよ。えへへっ、うりゃっ」
「や、やめて」
「うりゃうりゃ、ガオガオ。食べちゃうぞー」
「ひいぃっ」
反応を面白がった神楽が志緒の周りを飛び、つついて遊んでいる。可愛らしく威嚇しているだけなのに志緒は頭を抱え、しゃがみ込んでしまう。さっきまでの威勢の良さはどこかへ行ってしまっている。
「だははっ、志緒姉ちゃんってば何をビビってるっすか」
こんな時なのに、チャラ夫が腹を抱え笑っている。普段なら亘も一緒になって笑ったかもしれない。けれど、今はそんな気分ではなかった。
「そこまでにしておけよ。どうやら、また異界が人為的に発生したみたいだ」
「えー、そうなんだ。異界に来たんじゃなくって、また異界の方から来ちゃったんだね」
「それって、こないだの美術館であったって奴っすよね。じゃあ、ここの学校が異界に巻き込まれたってわけっすか!?」
「だろうな……とりあえず藤源次に連絡するか。七海は新藤社長に連絡を頼むよ。社長が苦手なら秘書の藤島さんでいい。チャラ夫は志緒にスマホを貸してやれ。それで、NATSに連絡だな」
言うだけ言った亘はスマホを取り出し藤源次に連絡をする。一回しか言わず、他の三人がどうするかなど気にした様子もない。正直なところ、学園祭やここにいる生徒など、どうでもいい気分だ。
藤源次は一コールで出た。
『なんだ、五条の』
「ああ悪いな。今、星陵学園ってとこの学園祭に来ているが、藤源次も来てくれないか」
『何をバカなことを言うか。我はそんなものに興味はない。悪いが断らせて貰おう』
「ここで前みたいな異界が発生している。恐らく、沢山の生徒が中に閉じ込められているはずだ」
しれっと伝えると電話の向こうで気色ばむのが分かる。
『それを先に言わぬか! 分かったすぐに向かおう。五条の、お主はできるだけ被害が出ぬように持ちこたえてくれぬか!』
「ああ、よろしく頼む」
亘が電話を終えると、ちょうど七海も電話を終えた所だった。通話終了をタップしながら報告してくる。
「新藤社長さんに連絡しました。すぐ来てくれるそうです」
「そうか、ご苦労だったな」
誉めて貰った七海は一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに表情を引き締める。
一方で志緒はシドロモドロの電話をしている最中だ。どうやら身内の不幸と偽って休暇を取っていたらしく、学園祭にいる理由を汗かきつつ説明しているのだ。
それは放っておく。
「声が聞こえるから生徒がいるのは間違いないが……まだ学園祭気分みたいだな」
「異界に居ることに気づいてないっす。つーか、気づくわけないっしょ」
チャラ夫は頭の後ろで手を組み窓の方を見ている。確かに亘たちだってAPスキルが起動しなければ気づかなかった。異界の存在自体を知らない人間が気づく筈もない。それこそ悪魔に襲われるまでは。
「今の時間帯ですと、体育館でイベントやっています。殆どの人はそれを見に行ってるはずですね。体育館は敷地から少し離れた場所なので、異界の範疇には入ってないと思います」
「校舎にいる生徒の数は、まだ多少は少ないわけか」
「あれ? じゃあ体育館から生徒が戻って来るとどうなるっすか。異界に入って来ちゃうんじゃ?」
「バカね。発生段階で巻き込まれなければ、後は普通の異界と同じでしょ。体育館の生徒が戻っても無人の校舎があるだけよ。少しは考えてものを言いなさいよ」
電話を終えた志緒がチャラ夫を叱るが、電話をしている最中とは打って変わって偉そうだ。弟相手にはどこまでも強気になれるらしい。
「志緒姉ちゃんは言い方がキツイっす。だから彼氏が出来ないんす」
「なっ! そっちだって彼女が出来ないくせに、なによ!」
「ふっふっふ。俺っちはこれから、皆の前でチャラ夫無双してみせるっすよ。俺っちに惚れる女の子が続出っす」
チャラ夫が胸を張ると志緒が顔を押さえてため息をつく。
「ほんとバカね。異界を出れば記憶は消えるのよ、あなたのことなんて、誰も覚えてないわよ」
「そんなのいいっす。異界に閉じ込められた学園。襲い来る悪魔。颯爽と現れ、大活躍する俺っち! キャー、チャラ夫くん素敵ー!」
「不謹慎なこと言うんじゃありません。本当に昔からバカなことばっか言って! このバカ、このバカ!」
「だーっ! せっかく人が良い気分なのにバカバカ煩いっす!」
喧々諤々する姉弟の姿に神楽ですら呆れかえっている。最初は面白そうに見ていたのに、今はウンザリした顔だ。
「ねえ、アレどうするのさ」
「放っとけよ。そんなことより、今からどうするかだな」
その答えには面倒そうな口調が含まれている。異界なら嬉々として悪魔を狩りだす亘がそんな様子なので、神楽は眉を寄せ訝しげだ。
亘は先程からの鬱屈した気分が続いている。正直言えば、このまま異界を脱出して帰ってもいいぐらいだ。学園祭に生徒が巻き込まれたと言っても、それがどうしたという気分である。自分とは関係のない連中でしかない。
そうしないのは七海のためだ。普段はそれを見せないが、過去には凄いセクハラをしているので、その借りを返さねばならないのだ。
「さてと。事情を説明したところで、異界を知らない連中には理解されないだろうな。しかも人数が多すぎるから、全員を守るのはムリってもんだ」
「……そうですね」
「少なくとも同じクラスの連中は守りたいだろ。まずは七海の教室に行こう」
守れる人数が限られるなら、顔しか知らぬ相手より毎日顔を合わせる相手を優先させるのは当然だ。
七海がぎこちなく頷いて見せる。
この心優しい少女はきっと全員を守りたいのだろう。亘のように、自分本位で動こうとする者にとって眩しすぎる。自分が失った心を持つ少女に笑いかける。
「教室を拠点にするが、神楽たち従魔を自由行動させて、自己判断で悪魔を倒して貰う方がいいだろうな」
「ねえねえ、マスターあのさ」
目を輝かせた神楽が飛んでくる。可愛らしく両手を胸の前で組んだ、お願いポーズだ。
「ボクの好きにしていいならさ、銃を使ってもいいかな?」
「ああいいぞ。好きにしてくれよ」
「本当にいいの? やったね!」
「マガジンのストックを沢山持っていって好きなだけ撃てばいいさ」
「え、本当に? うん。じゃあ、行ってくるね」
いつもと違う亘の態度に神楽は少し不信感を覚えたようだ。しかし、そんなことより銃を使えることが嬉しいらしく、スマホに頭を突っ込んで愛銃を引っ張りだす。さらに幾つものマガジンを取り出しては袴の帯に突っ込んでいく。
巫女姿で銃を構えると、世界観が壊れそうな姿だ。
「じゃあ本当にいいんだね。撃っちゃうからね、全部撃っちゃうかもだよ」
「任せる。頑張って倒してこいよ」
「任せといて! えっへっへ、逃げる悪魔は蜂の巣だー、逃げない悪魔も蜂の巣だー! いやっふー!」
神楽が意気揚々と窓から飛び出していった。どうでもいい気分になっている亘ですら心配になるテンションだ。ただし、探知能力のある神楽が自由に動き回るなら、よっぽどの悪魔が出ない限り生徒たちの安全は保障されたようなものだろう。
しばらくすれば藤源次や新藤社長が来る。そうすれば後は任せてしまえばいいのだ。
「アルルもお願いね。みんなを助けてあげてね」
七海は図書室のドアを開けると、従魔のアルルを校内へと送り出す。
「おっと俺っちも。さあガルちゃん、出てくるっす。いいっすか、学校の中の悪魔を倒して皆を助けるっす! 人助けにGO!」
気づいたチャラ夫も姉弟喧嘩を止めると、ガルムを喚び出し指示をしている。
横の志緒が興味深そうにガルムを見ており、やはり弟の従魔が気になるらしい。しかし何か言う前にガルムが駆けだしていく。校内に入り込んだ野良犬と勘違いされそうな姿だ。
「あとは二年B組の教室に移動して、悪魔を倒すとするか」
「分かりました。皆が心配なので早くいきましょう」
「ちょーっと待って欲しいっす。俺っちは校内を回るっす。チャラ夫無双とかじゃなくっても、マジ頑張るっす。いいっすか?」
どうやら先ほど言ったように、皆に良いところを見せたいらしい。照れたように頭を掻くチャラ夫に対し、亘は軽く肩を竦めて応えてみせた。止める理由もないし、そもそも亘に止める権限だってないのだ。
「自分の身の安全が最優先で、危ないと思ったら逃げるならどうぞ」
「よっしゃあ!」
「異界を出れば皆忘れるからな、目立とうとして無理するなよ」
「ういっす」
「ちょっと待ちなさいよ」
拳を突き上げ駆けだそうとするチャラ夫の腕を志緒が掴んだ。
「本気で一人で行く気なの? 悪魔が出るのよ、一人で行くなんて危ないでしょ」
「大丈夫っすよ。ちゃんと俺っちも、一人でも倒せるっすから」
「……分かったわ、お姉ちゃんが一緒についていってあげるから」
「えー、志緒姉ちゃんがいても足手まといになるだけっすよ」
「失礼ね。こう見えたって、NATSの研修で鍛えてるのよ。お姉ちゃんをバカにしないでよ」
何やら言い争いを始めた二人に亘は呆れ顔だ。アホらしと呟くと、置き去りにして歩きだし図書室を出た。どうせ口論しようと、最終的に一緒に行動するのは目に見えているのだ。
なんだかもう、全部が面倒だった。朝からハイテンションだっただけに、面と向かって志緒に否定されてから一気にローテンションである。
「早く藤源次か新藤社長でも来ないかね」
トボトボと歩く亘の横を七海が付いていく。セーラー服のスカートの後ろで手を組み、思案顔で亘の顔を見上げていた。不意に何かを思いついたように、クフッと笑みをこぼす。
「えいっ」
「うおっ、なにするだ!?」
急に飛びつかれた亘が変な驚きの声をあげた。そんなことお構いなしに、七海は亘の胴へと抱きついている。お陰で、さらに驚き狼狽してしまう。
「お、おいおいおい!?」
「五条さん慌てすぎですよ」
「いやいやいやいや、なにを考えて。なんのつもり」
「落ちつきましょうか。あのですね、五条さんが言ってたじゃないですか、色恋沙汰に興味のある年頃だって」
確か七海の親友という少女に言った言葉だ。
「んっ、そういや言ったような気がするな。それがどうしたんだ」
「ですから、こうしていれば物見高い皆が集まってきます。そしたら悪魔が出ても守るのが楽。そうですよね」
「そうか……?」
その言葉には一理あった。
一理あったが、何か腑に落ちない気もする。特に七海の顔を見ると何か別の意図があるように思えてしまうのだ。しかし、それが何か分かる前に七海がグイグイと押すように歩き出す。
気分は子猫にじゃれつかれる大型犬だ。困惑し戸惑っている。
「いやでもな、こんなことしたら七海が後で困るだろ」
「異界から出たら忘れちゃうんですよね。だから大丈夫ですよ。さあ行きましょう」
「こら押すな。分かったちゃんと歩くから、そんなに押さないでくれ」
押されると胸の当たる感触が強くなり、前屈みでないと歩けなくなってしまうのだ。
女子高生と付き合えたらいいなと考えていても、フリでもそうなったら尻込みしてしまうヘタレだ。伊達にこの年齢まで独身をしていない。ここで喜んで相手ができるようなら、とっくに彼女の一人ぐらいできていただろう。
ため息をついた亘は困ったなと呟きながら教室へと向かった。
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